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ダンテの『神曲』

  • 2015-01-30 (Fri) 20:45
  • 総合

 中世宗教文学の傑作と評される叙事詩『神曲』を読んでいる。私には少し難解な書だ。翻訳した伝記『オスカー・ワイルドの妻コンスタンス 愛と哀しみの生涯』にこの書のことが出てきていた。
 文学作品を翻訳する時には、その作品中に出てくる書物は読破したことがあるのが理想的だろう。現実はそううまくいかず、私にはこのことがずっと気がかりで、今ようやくこの名作に向っている。
 コンスタンス夫人が敬愛する友人に宛てた手紙で、次のように嘆くシーンがあった。
 「私は(『地獄編』の)一言一句がすべて自分に当てはまると思います。私は人生の半ばに差しかかりつつあります。私は(ダンテのように)あの暗くて辛い森で路頭に迷っているんです。その森に迷い込んだ時に間違いなく眠りこけていたんでしょう。私はいつ、どうやって迷い込んだかさえ覚えていないんですよ!」
 『神曲』はイタリアの詩人、ダンテ・アリギエリ(1265-1321)の代表作。「地獄篇」「煉獄編」「天国篇」の3部作から成る。ダンテが『神曲』を書いたのは1307年から21年ごろのこととか。当時のイタリアの政治・時代背景に疎い身には読み進めるのは容易ではない。だが、地獄から煉獄を経て、天国を目指すダンテの旅は現世の罪を悔い改め、神の赦し、永遠の命を求める旅であり、実に興味深い。コンスタンスは当時、自分の預かり知らない禁断の同性愛の世界に走る夫オスカーと心が通わぬことに心を痛めており、地獄で苦悶する多くの罪人の描写に魂を揺さぶられたようだ。
 「地獄篇」の第二十八歌中にのけぞりたくなるような一節があった。(原基晶訳)
 さらに彼らが己の裂かれた体や、切断された手足を曝して見せたとしても、
 汚れた第九巣窟の凄惨さには比肩できる訳もない。
 酒樽は、中央と両脇の半月板を合わせて底がすべて抜けたとて、
 私が出会った、とある者ほどの有様で穴が開くことはない。
 その者は顎から屁を鳴らすところまでが裂かれていた。
 脚の間から腸が垂れ、胸の内臓や汚らわしくも
 貪ったもので糞を作る胃が露(あらわ)になっていた
 すっかり目を奪われてその者を眺めていると、
 相手は私を見つめ、両手で胸を開けた、
 こう言いながら、「さあ見るがよい、余が脇腹を曝す様を。
 見るがよい、いかほどにマホメットが切り裂かれてしまったかを。
 余の前を、顎から額の生え際まで顔を裂かれて
 アリーが嘆き苦しみながら行く。
 お前がここに見る者どもは皆、
 生きている時には不和と分裂の種を蒔いた者だった。それゆえこのように割られている。(以下略)」

 ダンテが生きた中世のヨーロッパでキリスト教徒がイスラム教徒に抱いていた憎悪・嫌悪感を如実に物語る。パリの政治風刺週刊誌の揶揄の比ではない。マホメットの関連は続きで。

 ここで登場するマホメットはイスラム教の開祖ムハンマド(570頃ー632)のこと。続いて登場するアリー(603-661)はスンニ派から離れたシーア派の人々から崇められるカリフ。ダンテの考えでは、この二人はキリスト教から信者を奪った異端の徒として地獄に落とされているのだ。ダンテはキリスト教の世界に「不和と分裂の種を蒔いた者」として、二人に容赦のない罰を与えているのだが、これはイスラム教徒にとってはとても容認できない侮辱だろう。

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