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台湾小説『次の夜明けに』

  • 2020-12-07 (Mon) 19:02
  • 総合

20201207-1607335283.jpg コロナ禍で最近足を運んでいなかった出版社・書肆侃侃房を先週訪れた。代表の田島安江さんたちと歓談し、帰途に書肆侃侃房から最近刊行された小説を数冊頂いた。どれもアジアの隣国の作家の手になる作品だ。
 帰宅後に最初に手にしたのは台湾の新世代作家の一人、徐嘉澤氏の小説『次の夜明けに』(三須祐介訳)。著者の名前は日本語読みでは「じょ・かたく」。1977年台湾・高雄に生まれ、今も高雄の特殊教育学校で教鞭を執りながら、作家活動を続けていると紹介されている。本邦初訳という作品、面白くて一気に読んだ。
 作品は台湾が日本の植民地支配を経て、中国本土からやって来た国民党政権の圧政を経験し、民主化闘争が実りのときを迎える歴史の流れの中、とある家族の物語が淡々と描かれている。民主化闘争に身を投じ、投獄され、廃人となる父親(祖父)の姿はある意味、人の営みの無慈悲さを語ってもいるようだ。男として生まれたものの普通の男の子のような興味関心は抱けず、他の男子生徒から残忍ないじめを受ける主人公も登場する。子供とはいえ、人が人に対しいかに残忍な存在となるのか読者の胸を打つ。
 主人公が後年、同性愛者として成長し、心を許したパートナーやその他の行きずりのボーイフレンドたちとセックスにふけるシーンも乾いたタッチで描かれる。そのくだりが私にはどうも理解ができなかった。中国語(台湾語)ではもっと分かりやすい文章だったのかもしれないが、邦訳では(私には)分かりづらかった。
 終わりに近く次の既述があった。「多くの人にとって、安定した生活と心のよりどころを得ることこそが重要なのだ。自分の故郷、そして自分の土地、そこに生まれ、そしてそこに骨をうずめる。天の理に従い、身を固めきちんと仕事に勤しめばそれでよいのだ。けれども大きな怪物の腕が空から降ってきたら、それを防ぎ止めるすべはない。財閥と県政府は、幅広く企業誘致をするということを口実に、・・・」。現実は容赦ないということか。
 物語は2011年の東北大震災のエピソードも交えながら、幸せを願って真摯に生きる一族の姿で終幕となる。台湾国内の政治的事情はよく知らないが、昨今の香港情勢を考えると、複雑な心境にもなる。中国語の独学を始めて以来、私は中国語と台湾に魅せられている。あの親日的な台湾を訪れて、台湾のことが好きになれない人はまずいないだろう。
 この作品を読んでいて、台湾が日本に比べ、性的少数者であるLGBTの権利とか同性愛者の結婚などに対する認識がかなり進んでいることが推察できた。同性愛者。中国語では「同性恋者」と書くようだ。発音はtóng xìng liàn zhěであり、乱暴にカタカナ表記すると「トンシンリエンジョ」。私が今、公民館の中国語講座で学んでいる教科書では次のような説明が載っていた。「“同志”という語は時代の変化につれて現在では同性愛の代名詞になりました」とある。私が使っている中日辞典で「同志」と引くと、「志を同じくする人」とあり、同性愛者という意味合いは掲載されていない。
 中国では今では「同志」と言えば、「志を同じくする人」ではなく、「同性愛者」を意味するということか。言葉はどこの国であれ、時代の変遷で意味合いが変化していく好例だろう。

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