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self-quarantine

  • 2020-04-12 (Sun) 09:29
  • 総合

20200412-1586651329.jpg アメリカの東海岸に住む大学時代の恩師から新型コロナウイルスに関するメールが届いた。恩師は福岡市も政府の緊急事態宣言が出たことを念頭に、私がいわゆる “social distancing” を考えているなら、アメリカをさるく旅で訪れたことのある、米作家ヘンリー・デイビッド・ソロー(Henry David Thoreau)(1817-1862)が実践した俗世間に距離を置いた暮らしを想起したまえ、という趣旨の内容だった。
 恩師はメールにニューヨークタイムズ紙が報じた記事を添付していた。Lessons in Constructive Solitude From Thoreau(ソローに学ぶ建設的な独居に関する教訓)と題する記事で、日本語の新聞なら「袖見出し」のところで次のように記してある。The writer used his self-quarantine at Walden to pursue an intensive course in self-education. In the present pandemic moment, there’s plenty to learn from standing still.(作家はウォルデンで自宅に引きこもっている間に自分自身を教育するのに集中的な時間を費やした。現況のパンデミック下では、ソローのような独居暮らしから学ぶことは沢山あるのだ)
 恩師は私が『アメリカ文学紀行』の取材で2011年に米国の各地を放浪した時にソローゆかりの地、ウォルデンを訪れていたことを覚えていてくれたのだ。
 私はそれまでソローのことは全然知らなかった。だが、彼が住んでいたマサチューセッツ州の町 Concord が19世紀、ラルフ・ウォルド・エマーソンやソローたちが住んでいたことから、アメリカの文学ルネッサンスの地と称されていることを知って興味を覚えた。ボストンから列車に乗ってウォルデンを目指した。ソローは1850年代に2年2か月余、ウォルデン池畔の林間の小屋に一人で暮らし、思索にふけった。コロナウイルスでself-quarantineを余儀なくされる多くの人々にとってソローの哲学、実践は役立つのではないかと記事は訴えていた。
 私にはとても懐かしいウォルデン池畔訪問だが、残念に思っていることが一つ。恥ずかしい話だが、私はなぜか上記のConcordを拙著で「コンコルド」と表記していたのだ。超音速ジェット機が頭にあったのかもしれない。「コンコード」と書くべきだった。
 小屋の跡地には彼の代表作 “Walden; or, Life in the Woods”(邦訳『森の生活』)の一節が掲示板に紹介されていた。“I went to the woods because I wished to live deliberately, to front to only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived.” ちょっと訳しずらい英文だ。私は以下のように意訳した。「私が森に行ったのは人生にとって本当に大切なことだけに向かい合い、賢い生き方がしたかったからだ。私はそこから学ぶべきものを学び、やがて死が訪れる時、自分が愚かに人生を生きたなどと気づきたくはなかった」
 恩師のメールは “But it is said that Thoreau’s mother did his laundry.” という指摘で終わっていた。19世紀半ばの当時は電気洗濯機などまだ発明されていなかったのだろう。
 いずれにせよ、大学の講師職もなくなり、仕事の口が細った近年はほぼ self-quarantine 的な日々を過ごしている身にはソローには足元にも及ばないが、思索にふける時間が十分にあることは確かだ。

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