- 2019-12-09 (Mon) 09:14
- 総合
先週のこと。公民館の中国語講座の忘年会に初めて参加し、楽しいひとときを過ごした。飲み放題ということで、勧められるままに焼酎をあおった。その後、誘われてもう一軒立ち飲み屋みたいな場所に立ち寄った。結構飲んだようで、朝目覚めると、久しぶりに二日酔いだった。明け方に喉の渇きを覚えたが、寒そうなので、我慢していた。それが良かったのか悪かったのか。いずれせよ、午前中はだらしなくベッドに伏していた。
受講生の方々と会食するのはこれが初めてだった。二軒目にその一人と立ち寄った時に世間話に花を咲かせていたら、私が現役の時に時々のぞいていた天神のスナックが話題となり、その人もどうも常連客だったことが判明した。私はアフリカを旅した時、うかつにも携帯電話を盗まれていた。それで多くの友人・知人、取材先とのコンタクトを消失していた。そのスナックのママさんもその一人。私がアフリカに発つ前後の頃にお店を畳まれており、連絡の術がなく、夜の天神を歩いている時などに、時々思い出していた。
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最近、パソコンにニューヨークタイムズの紙面案内が毎朝届くようになった。記憶はないのだが、いつか間違ってまたどこかのボタンをクリックしたのかもしれない。さすがにニューヨークタイムズだけあって、深みのある記事が連日目白押しだ。
あまり熱心にフォローしているわけではないが、見出しに思わず引き寄せられるときがある。“How Chinese Sci-Fi Conquered America” という見出し。ひょっとしたら、少し前に読んで強く印象に残っている中国人SF作家の本のことが書いてあるのではと思い、スクロールして読んでみると、まさにその通りだった。劉慈欣(Cixin Liu)の『三体』。記事は『三体』を中国語から英語に翻訳した米国在住の中国系作家かつ翻訳家、ケン・リュウ(Ken Liu)へのインタビューを交えながら、中国の躍進著しいSF界の姿を紹介していた。
興味深かったのはリュウ氏が『三体』を “The Three-Body Problem” として英訳本として翻訳した時に、物語の時系列を組み替えたことを明らかにしていたこと。リュウ氏が原作者の劉慈欣氏に了解を求めると、劉氏は即座に快諾。“That is how I wanted it originally.” と答えたとか。
私が読んだ日本語版はリュウ氏の英語版の翻訳だ。道理で読み易かったはず。導入部で中国人民を恐怖に陥れた文革(1966-76)の嵐が吹き荒ぶシーンが容赦のない文体で描かれている。私はよくぞこのような冒頭の描写ができたものぞと驚きながら、物語に魅せられていった。記事では中国の当局を刺激しないために、元々の中国語版ではこの冒頭のシーンはあまり目立たない中ほどに置かれたことが明らかにされている。なるほど。
近未来の社会や架空の国を描くことで中国のSF作家たちが表現の自由を模索していることも垣間見えた。そうした「制約」には関係なく、彼らが秘めている力は目を見張るものがあるように思える。2020年代は文化・芸術の分野でも中国の底力を身近に感じることになるのかもしれない。遣隋使、遣唐使、ずっと昔にもそういう時代があったような・・。
参考までにこの記事のサイトは:https://www.nytimes.com/2019/12/03/magazine/ken-liu-three-body-problem-chinese-science-fiction.html