- 2018-02-20 (Tue) 10:30
- 総合
平昌冬季五輪。私はフィギュアスケートにはほとんど関心がなかった。浅田真央選手が人気を博していた頃もそうで、彼女の演技もほとんど見たことがない。スキー以外のウィンタースポーツ自体に経験が乏しいことも一因しているのかもしれない。しかし、今回はしっかり見た。感動さえ覚えた。羽生結弦選手の演技は鬼気迫るものがあった。彼の右足首の負傷の程度は分からないが、万全からは程遠かったのだろう。それでもあの演技————。
金メダル連覇後のインタビューの態度や言葉がまた素晴らしかった。23歳の若者とは思えない落ち着きはもちろんだが、私が一番感心したのは彼が耐え抜いた自分の「右足首」への感謝の言葉を口にしたこと。自分の身体の部位に感謝するのは奇異な印象を与えかねないが、羽生選手の場合は全然そうでなかった。ああいう場で痛めていた自分の身体の部位に対するねぎらいの言葉が自然と口に出るのはなかなかできないことだと思う。
私が尊敬するキリスト教の牧師さんは「努力は足し算、感謝は掛け算」と語る。日々の暮らしで感謝の気持ちを常に抱いて生きなさいという教えだ。私は還暦がとっくに過ぎた最近になってこの言葉の有難さ、大切さをかみしめているが、羽生選手はすでにしてそういう心構えで生きているように見える。
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テレビでそのフィギュアスケートを見ていて、思わずドキッとしたことがある。スピンの仕方を形容した呼び名の一つである「シットスピン」という語を耳にした時だ。腰を落として回り続けるスピンの仕方をこう呼んでいた。私はアナウンサーが「(今やっているのは)シットスピンです」と説明する度に、え、それって・・・と思った。映像を見ているから、英語の「スィットスピン」(sit spin)を意味していることはすぐに理解できたが、私にはどうしてもshit spinという全く別の表現が頭に浮かんでしまった。もちろんこういう語はあり得ないだろう。人間が生きていく上では毎日欠かせない生理現象を氷上でしながらスピンするのは到底考えられない、いや、想像したくもないが。
これは日英の音韻の差が時として思わぬ誤解を生じる一例に過ぎない。それでも、sitとshitのように片方の語があまりに「場違い」である場合は、誤解を招きかねない語の定訳は工夫した方が良いのではと思わざるを得ない。「スクワットスピン」とか「座りスピン」とか。テレビの前でのけぞった英語ネイティブの人は少なくなかったでは。
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南アフリカ共和国の腐敗にまみれたジェイコブ・ズマ大統領が退陣に追い込まれた。後任の大統領はシリル・ラマポーザ氏。あのネルソン・マンデラ元大統領の右腕としてアパルトヘイト(人種隔離政策)打倒に活躍した人物。昨年はジンバブエの独裁者、ロバート・ムガベ氏も大統領の座を追われている。アフリカから届いた朗報と受け取りたいが、独裁的な指導者が退陣しても一般庶民に明るい未来が約束されているわけではない。南アに関しては、ラマポーザ氏が率いる政権与党、アフリカ民族会議(ANC)に対する信頼度に大きな疑問符がついている。南アを取材していた1980年代末、ラマポーザ氏とは共同記者会見で幾度も顔を合わせており、私は新大統領には好印象を抱いているが・・・。
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