Home > 総合 > 昔の字

昔の字

  • 2013-05-10 (Fri) 11:29
  • 総合

 宮崎大学時代の恩師の一人から手紙が届いた。近著を送ったお礼の手紙には予期せぬものが含まれていた。学生時代に提出した日本語のレポートが二つ同封されていたのだ。原稿用紙に丁寧に書き込まれた字を見て、我が目を疑った。今の私には書けない品のある字だったからだ。「え、これ、俺の字? 上手いじゃないか!」というのが真っ先に頭に浮かんだ感想だった。
 「英語学」の講義で課されたレポートで、恩師の手紙によると、『日本の方言』(柴田武著)と『日本語』(金田一春彦著)の二つの書を読んでの感想文だった。上記の書を読んだ記憶もないし、この感想文を書いたという記憶もはるかかなたに飛んでしまっている。読み返してみて、文章にも論理にも何の光るものを感じなかった。ああ、俺はこの程度の文章を書いていたのかと少し気が滅入った。といって、今の自分がそれから格段に上達、成長したわけでもない。
20130510-1368153350.jpg
 だから、ここでは字の品について記したい。私は自分の字が上手いと思ったことは皆無に近い。「俺が今書いているのは普段着の字だ」などとうそぶいていた。ワープロやパソコンに向かい始めてからは、手書きの機会が減り、字の下手さにあまり煩わされることも少なくなった。それだけに、30数年経過して、再び目にした昔の自分の字に少なからず驚いた。もちろん、達筆な人から見れば、評価するに値しない字ではあろう。でも、私が今教えている学校でこのような字の文章に出くわしたら、「あれ、この子、字が上手いな」と間違いなく思うことだろう。ああ、この俺もこのような品のある字を書いていた時代があったのだ・・・。現在の字は手書きの機会が減ったことの「代償」だろうか。
 恩師は昨年退官されたばかり。研究室を整理されていて、このレポートが出てきたため、返却することを思いついたとの由。心優しい恩師は「思わぬ宝もの」と書いておられた。はい、私にはそうです。大切にします。
 私は恩師にお礼のはがきをしたためるために、ボールペンを手にした。「懐かしいもの、お送りいただき、ありがとうございました」と書き出した文章はしかし、ミミズがのたうち回っているような字だ。よっぽど、パソコンのメールにしようかと思ったが、途中でやめるのもなんだし・・・実に情けない。情けないけど、致し方ない。でも、まあ、難読のレベルにはないかと思う。ここで披瀝するのは少々気が引けるが、今スペインやポルトガルに「巡礼の旅」に出ているもう一人の恩師(アメリカ人)から時々、途中経過報告の便りが届いているが、彼の達筆な英文を読むのに難儀している。昨日届いたはがきは半分しか解読できなかった。話が横道に逸れてしまった。
 懐かしいレポートを送っていただいた恩師の手紙には一枚の写真のコピーも添えられていた。私が在籍した英語科のコンパの写真だ。30人近い教員、学生が笑顔で写っている記念撮影の一番前、中央に坐した私は英語科のマドンナのような存在だったアシスタントの女性の左肩に手をかけ、馴れ馴れしい感じで語りかけている。カメラが向けられていることなど気にもしていないようだ。ああ、先生、この写真なら私もアルバムにちゃんと貼っています・・・。

Home > 総合 > 昔の字

Search
Feeds

Page Top