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女文字よ、ありがとう!

  • 2015-12-23 (Wed) 16:19
  • 総合

 前々回で鈴木大拙著の『日本的霊性』(岩波文庫)について書いた。親鸞聖人のことについて知りたかったので読んだのだが、ブログでは『源氏物語』や『枕草子』などの平安文学をこき下ろすくだりを紹介した。著者は平安文学を評価するところはきちんと評価、称賛していた。誤解を招くといけないで、そのことを付記しておきたいと思う。彼は次のように述べている。大雑把にそのくだりを抜き出すと以下のようになる。
 平安時代は、なんと言っても女性文化時代である。紫式部、和泉式部、清少納言などの名は、日本人として知らぬもののないほどである。そうして我らはこれらの女性をもっていたことを誇りとするものである。彼女たちは「女(おみな)もじ」を考え出して、それを自由自在に駆使して、柔かく細やかな感情を表現した。仮名文字の発達がどのくらい日本思想の独自的展開に資することがあったかは、十分に認識する必要がある。漢文字と漢文学とに支配されている限り、日本思想は自由な立場におかれない。屈伸に自由でなく、連結に緊密を欠く漢文字では、思想の表現はおのずからそれに制せられる。仮名文字がなかったら、日本は明治維新の大業を成しとげ得なかったと思う。我らは平安朝女性の創造的天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである。(このくだりの全文は続で)
 全く同感。「目から鱗」のように、この仏教学者の説が理解できた。万葉仮名から生まれた平仮名、カタカナなかりせば、我々が今何気なく語り、書いている日本語などは存在しないのだろう。以前にこのブログでも紹介した『日本語の歴史』(岩波新書)で著者の山口仲美氏が「日本語の歴史をたどってくると、現代の私たちは、過去の人々の大変な努力を知らずに享受していたことに気づいたと思います。最もすばらしい過去からの贈り物は、日本語の文章です。漢字かな交じり文を採用し、言文一致を完成させてあるのです」と書いていたことを思い出した次第だ。曲がりなりにも今、英語を人様に教え、韓国語を独学している身には、贔屓目にみても、日本語の素晴らしさがよく分かる。少し大げさな物言いをするならば、日本人として生まれて良かったと思う。最近「発見」したらっきょう酢もしかり!
                          ◇
 読売新聞を読んでいたら、恒例の読者が選ぶ国内・世界10大ニュースの特集記事があった。それで少し虚を突かれたのは、邦人2人が犠牲となった中東のイスラム過激派組織「イスラム国」による残忍なテロが今年の1月の事件だったことだ。事件の記憶自体が薄れつつあった。ああ、そうか、あれは今年の1月に大団円を迎えていたのか。読売新聞の読者は「ノーベル賞に大村、梶田両氏」というのを第1位に、「ラグビーW杯、日本が3勝の歴史的快挙」を2位に、そして「『イスラム国』が日本人2人を拘束、殺害映像を公開」というニュースを3位に選んでいた。
 国内10大ニュースの回顧に触れた読売新聞の論説は「日本10大ニュースからは、喜びと不安が交錯したこの1年が浮かび上がる」と述べていた。英字版のJapan Newsではこのくだりは “this year is a mixture of delight and anxiety” と訳していた。まあ、一年を振り返って「喜びと不安」あるいは「笑顔と悲しみ」が交錯しない年はかつてなかったのではないかとも思うが・・・。

 平安時代は、なんと言っても女性文化時代である、或いは公卿文化時代と言ってもよい、大宮人全盛時代である。(中略)紫式部、和泉式部、清少納言などの名は、日本人として知らぬもののないほどである。そうして我らはこれらの女性をもっていたことを誇りとするものである。佶屈聱牙(きっくつごうが)の漢文字に対抗して、「女(おみな)もじ」を考え出して、それを自由自在に駆使して、柔かく細やかな感情を表現した平安朝時代の女性は実に偉かった。(中略)仮名文字の発達がどのくらい日本思想の独自的展開に資することがあったかは、十分に認識する必要がある。漢文字と漢文学とに支配されている限り、日本思想は自由な立場におかれない。江戸時代に国学が盛んになって、みずからの主張をもつようになったのも、仮名文字に負うところがある。屈伸に自由でなく、連結に緊密を欠く漢文字では、思想の表現はおのずからそれに制せられる。(中略)仮名文字がなかったら、日本は明治維新の大業を成しとげ得なかったと思う。外来の文学・思想・技術等は、いずれも仮名文字の屈伸性・弾力性・連結性などによりて、国民精神発展の上に自由に取入れられたのである。この事実を考えてみると、我らは平安朝女性の創造的天才に対して、十二分の謝意と敬意とを表すべきである。        (『日本的霊性』(岩波文庫)より)

Comments:2

やすよ 2015-12-25 (Fri) 00:02

省一さん
今年ももう少しですね。
銀鏡神楽を観て来ました~ 時々雨粒が落ちてきましたが全体に暖かい夜神楽でした。
ところで省一さんがビー玉遊びをしていた頃、白色の玉や多色混じりの玉とか持っていましたか? 友人と昔遊んだビー玉のことが話題になり、はて?銀鏡の男の子たちはそれほど色鮮やかな玉は持っていなかったのでは?と私の記憶ですが。
それから言葉に関してですが、銀鏡には大和言葉、古語など、言葉も動いていないといいますか、物もまた然りかなあといろいろ思うことがありました。
来年は韓国をさるくんでしたね。和語、漢語、韓国語といろいろ出会うことと思います。折り紙を介して、愉しい交流を!!

それでは良いお年をお迎えください。

nasu 2015-12-25 (Fri) 09:35

やすよさん 私は最後まで迷ったのですが、翌日が仕事で、残念ながら帰郷できませんでした。ビー玉(なむれんだま)の件ですが、多色のきれいな玉はありました。高級品です。普通は緑色の地味な玉で遊んでいました。多色の玉は子ども心にもそれは素敵で、今でも胸がときめきますよ。韓国は福岡から近いですし、これから数年は足繁く訪れたいと思っています。ひょっとして米良に帰るよりも安上がりではないかと思ったりしています。どういう旅になることやらですね。省一

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