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一葉の『たけくらべ』

  • 2015-03-18 (Wed) 13:29
  • 総合

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 毎日のように拝顔の悦に預かりながら、ついぞその方の作品を手にしたことがなかった。ふとした折にそのことが気になり、先週末再び宮崎の郷里の山里にこもる予定があったので、前日に書店でその本を買い求め、新幹線経由高速バスの車中の人となった。
 その方の名は樋口一葉。そう、五千円札にその肖像画が印刷されているお方だ。名前はもちろん知っている。明治の人だろうぐらいのことも。代表作に『たけくらべ』という名作があることも。ただ、悲しいかな、その作品を何であれ、読んだことはなかった。昔、国語の教科書の中に取り上げられていたことはあったかもしれないが、残念ながら記憶にない。記憶に残っていないということは、そういう事実がないか、こちらの当時の学力不足で印象に残っていないということだろう。
 書店に行って驚いた。彼女の作品はさまざまな版があるのだ。現代語訳というのもあるのだろう。表表紙の乙女につられたわけではないが、集英社文庫の『たけくらべ』を購入した。消費税込みで380円。本題の作品の他、『にごりえ』『十三夜』の二作も収められていた。
 帰福した今も現代では味わえない、不思議な魅力の和文の読後感に浸っている。『たけくらべ』の書き出しは・・・
 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯黒溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手にとるごとく、明けくれなしの車の行来(ゆきき)に、はかり知られぬ全盛をうらないて、「大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町」と住みたる人の申しき。
 当時の吉原(遊郭)の賑わいの様子が目に浮かぶようだ。作家樋口一葉は明治5年に生まれ、29年にわずか24歳の若さで肺結核に没している。西暦では1872年―96年だから19世紀末をあっという間に駆け抜けた作家ということになる。文庫本の解説を読むと、彼女は貧しい家に生まれたわけではなかったが、公教育は小学校で終了し、その後、父親や長兄が相次いで死去し、家運が傾いたこともあり、母親と妹を養う戸主の立場に立たされ、苦労したようだ。夜はまさに文明開化。文学の世界も西洋文明の大きな影響を受けていくが、彼女は西洋文明に感化されることもなく、昔ながらの和文で作品を執筆する。代表作は死去前年の明治28年の一年間にどっと生み出されたものだった。肺結核が今のように不治の病でなかったらと思わざるを得ない。
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 『にごりえ』の中では伏線として遊女に弄ばれ、身代をつぶし、妻子に苦労をかける亭主を抱えた女房が登場する。亭主の更生を願い、内職仕事に精を出し、何とか一家を切り盛りしようとするけなげな女性だ。読者(私)は彼女に同情を禁じ得ない。次のような女房の心の内を記した一節がある。
 「十年つれそうて子供まで儲けし我に、心かぎりの苦労をさせて、子には襤褸(ぼろ)を下げさせ、家とては二畳一間のこんな犬小屋、世間一体から馬鹿にされて・・・我が情婦(こい)の上ばかりを思いつづけ、・・・浅ましい、口惜しい、愁(つら)い人」と思うに中々言葉は出ずして、恨みの露を目の中(うち)にふくみぬ。
 恨みの露を目の中にふくみぬ・・・。何という素晴らしい文章だろうか。
 (上の写真、嗚呼私にはこの写真を縦にするテクがない! 下の写真は山里で椎茸取りに励む私。昔買ったスキーウエアが山仕事に役立つとは!)

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