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炊飯器の話

  • 2012-12-13 (Thu) 15:32
  • 総合

 賃貸マンションとはいえ、「我が家」(3DK)に再び落ち着き、伸び伸びと過ごしている。思えば、この三年間、A地点からB地点へと移動の連続だったような気がする。特段のあてもない異国で、週末あるいは次週の宿の心配をしながら、旅をするのは甚だ心もとないものだった。安上がりが「至上命題」だから、ネットで安宿を調べ、場合によっては電話をかけ、辛抱強く値下げを交渉することもあった。
 今は、そういう心配というか作業を全然しなくていいから、だいぶ気は休まる。移動手段も考えなくていい。動かなくていい。もっともこれからの仕事の心配をしなくてはならないから、性質的にはこっちの方がよっぽど深刻な問題だが。
 それはさておき、気楽な「我が家」の和室は段ボールの山だ。大半は書物や衣服、小物の類だが、まだ、これらを片付ける「戦闘モード」に入っていない。そんなにものぐさではないのだが、まあ、どちらかというとものぐさかもしれない。
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 私がものぐさでないのは、自分できちんと朝食を作って食べていることぐらいだろうか。これはどんなに二日酔いの朝でも敢行している。いや、前夜から準備している。干し椎茸をお椀に入れ、水に浸し、翌朝、ちゃんと滋養豊かな椎茸に戻すことに着手しておく必要があるからだ。戻し汁も貴重な出しとなる。
 これまでは味噌汁だけの朝食だったが、引っ越して数日後に、段ボールの中に炊飯器があることを思い出した。というか、ずっと脳裏にはあったのだが。三年もトランクルームに預けてあったし、まあ、そのうちにきれいに洗って使おうとぐらいに考えていた。ところが、やはり、家の中で過ごす時間が増えると、ご飯も食べたくなる。寒いと外出するのも億劫になる。
 そんな事情で、炊飯器が入っていた段ボールを探し出し、取り出してみた。予想以上にきれいな状態で出て来た。洗わなくとも、そのまま使えるぐらいだ。(もちろん、水洗いして使ったが)。ご飯が炊けるのを待ちながら、ふと思った。「あれ、俺、この炊飯器どれだけ長い間、使っているのかな?」。よく考えてみると、はるか昔の学生時代からの付き合いだ。確か、亡きお袋だか長兄が「たまにはご飯ぐらい自分で炊いて食べろ」と買ってくれたような記憶が・・・。
 いずれにせよ、18歳のころから使っているから、もう40年も経過していることは間違いない。いや、日本の電化製品は素晴らしい。日本の「ものづくり」の退化、劣化を憂える声も聞こえる昨今だが、1970年代前後には、このような素晴らしい電化製品が製造されていたのだ。いや、私がここで豪語することはないのだが。
 この炊飯器はこの間、私と一緒にケニア、英国と海を渡り、一回の故障もなく、私の胃袋の面倒を見続けてくれているのだ。長い独身生活を裏書きするような話でもあるが、この炊飯器に関しては何ら恥じることはない。
 とこうして、このブログを更新している私の背後からご飯が炊けたいい匂いがしてきた。凡人ゆえにささやかな幸運にも多大なる喜びを感じる次第だ。
 (写真は、お礼を言いたい気分にさせてくれる長年愛用の炊飯器。ありがとう)

Comments:3

本部 2012-12-15 (Sat) 15:17

 ブログの再開を歓迎します。このブログを楽しみにパソコンを開く日常が戻ってきました。
 さて、那須君は長男ではなかったのですね…お姉さんの話は出てくるし“省一”さんというから長男だろうと思っていました。宗二君は「お父さんが兵隊の時の尊敬する戦友の名前から、長男だけど宗二と名付けられた」と、高校生の時に聞きました。
 長旅の疲れを癒して、『英国文学紀行』がまとまるのを楽しみにしています。

水谷文美 2012-12-16 (Sun) 16:56

那須さん、ご連絡ありがとうございます。お元気のようで,うれしく思いました。100回生き返ったのか死んだのか忘れましたけど、そんな猫の本がありました。何回もちがう人生を生き事が,できる事は素晴らしい事思います。那須さんに見習って、私もがんばらなければと思います。ご自愛ください。 文美

nasu 2012-12-17 (Mon) 13:08

本部さん 不肖の息子だけど、長男ではなく、死なん、いや、四男です。長兄、次兄が相次いで病没したので、男兄弟は
二人だけになりましたが。宗二君の名前、懐かしいですね。ありがとう。

文美さん ケニア・ロルタイガの大自然は今も時に思い出しています。至福のひとときでした。コテッジから母屋に草原を一人で歩いている時、ライオンが出てきたらどうしようと少し不安になったことも。

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