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November 2023

代名詞はなくとも具材は?

 図書館から借りていた『日本語と中国語』(劉徳有著)をようやく読み終えた。大変読みやすい本だったのだが、思い出したように時々走り読みしていたので時間がかかった。印象に残ったことは多々あるが、一つだけ記しておきたい。日本語の曖昧さについての指摘だ。
 ――外国人から見て、日本語があいまいとされる理由のひとつに、主語や代名詞の省略がある。対して、中国人は会話もそうなのだが、特に文章を書くとき、誰それと主語をはっきりさせる。そんなわけで、中国人の書いた文章には「わたしは」、「われわれは」、「あなた」、「あなた方」、「彼」、「彼ら」という言葉がやたらと多い。(中略)『時の流れに身をまかせ』(中国語では『我只在乎你』)と言えば、いまもカラオケの定番ソングになっている故テレサ・テン(中国語の芸名は鄧麗君)の大ヒット曲だが、この名曲の歌詞も日本語バージョンと中国語バージョンとでは代名詞の使われ方に違いがある。日本語の歌詞では「だから お願い そばに 置いてね」となっている箇所が、中国語では「所以我求求你 别讓我離開你」(だからわたし、あなたにお願い、わたしをあなたから離さないようにして)となり、この短いフレーズに「我」「你」の代名詞が各二回も出てくるのだ。――
 日本語は確かに主語や代名詞を明示しなくとも理解の妨げとはならないが、中国語や英語はそうはいかない。ただその分、二人称(你やyou)が広範に使用可で楽とも言える。日本語や韓国語では初対面の人に何と呼びかけていいものか、身もだえすることになる。
                  ◇
 笑い話を一つ。数日前のこと。遠方からかつての職場の同僚(後輩)が訪ねてきた。たまたま学生時代の先輩と久しぶりに歓談する予定が入っていたので、2人は面識がないが、3人で拙宅で軽く一杯やることにした。先輩は気の置けない人なので問題なかろうと。
 さてそれで何を食べるか。酒の肴の刺身は当然としても、その後のものは? この冬(秋)はまだ鍋をやっていないと思い、先輩に鍋でもつつきましょうかと提案した。いいね、それ。私は野菜を買ってきますから、具材をお願いできますか? よし、了解! 同僚や先輩に寝てもらう布団や毛布を二日間ベランダで干し、トイレや風呂場も掃除して準備万端。仕事を終えて帰宅し、テーブルに刺身や小鉢、乾き物などを並べ、鍋の用意も済ませ、二人を待った。先輩が先に来宅。シャワーを浴びてもらい、さっぱりした顔つきの先輩に三人がそろう前にとりあえず、鍋に火だけでも通しておきましょうかと言った。ああ、そうしよう。それで先輩の方がずっと料理上手だから、野菜や具材を放りこんでもらえますか? オッケー。
 それで先輩、肝心の具材はどこに? ああ、具材ね。先輩は隅っこに置いていたバッグを拾い上げ、中から、素麺をひと束手渡した。え、これだけですか? 
 先輩は具材は締めの素麺程度のものでいいのだと勘違いされていたみたいだ・・・! とにもかくにもほどなく3人がそろい、楽しく歓談できた。遅れてやってきた友は缶ビールを1パック持参してきた。彼が2缶を飲み、今冷蔵庫に残り4缶が入っている。私はビール大好き。だが何か一つでも「禁酒」しようともう何年もビールは特別な場以外では口にしていない。神様、友が残した4缶ぐらいは私がこれから飲んでもいいでしょうかしら?と自問している・・・。

“otherworldly” とは!

 久しぶりに大リーグの大谷翔平君のことを書きたい。彼が今年のアメリカンリーグのMVP(最優秀選手)に選出されたというニュースが飛び込んできた。大リーグの公式ホームページではずっと翔平君の受賞の予測記事が流れており、驚きはなかったが、それでも満票、それも二度目の満票は史上初の出来事だと知ると、感嘆せざるを得ない。上記ホームページでは彼が投打に渡る二刀流選手として「この世のものとは思えない(otherworldly)活躍をした」と称えていた。“otherworldly” とは凄い表現だ。
 まだ29歳の若さ。これから円熟の30代を迎える翔平君が来年はどういうプレーを見せてくれるか楽しみだ。投げる方は右腕負傷部位の回復を待ち封印される可能性大だが、打つ方では彼にしか打てない快打を放ってくれることだろう。問題は来シーズンに所属する球団だ。西海岸のロサンゼルスエンゼルスに引き続き留まることを期待したい気持ちもあるが、大リーグの本場はやはりニューヨークやボストンの東海岸か。どこに行くにせよ、彼が2024年を再び健康体で迎え、胸がすくようなホームランをばんばん放って欲しい。
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 野球から大相撲へ。私は子供の頃から大相撲をテレビで見るのを楽しみにしてきた。私の世代は文字通り「大鵬・柏戸」世代だ。私は両横綱が千秋楽で優勝をかけて激突するとハラハラドキドキで座して見ておられず、テレビのある部屋から離れて、勝負が決着した後、結果を母親に恐る恐る尋ねていたものだ。柏戸が勝つと手を叩いて喜んでいた。高校時代には贔屓の力士が慌てふためいて自分より力量の劣る力士に負けるのを見るのが耐えられず、本気でその贔屓の力士のところに激励の手紙を書こうと思案したことを覚えてもいる。それほど大相撲が好きだった。
 そして今現在の九州場所。残念ながら、テレビで大相撲を見ることはない。見たくない。理由は簡単。見る気になれないのだ。まずはただ一人の横綱、照ノ富士。今場所も休場とあいなった。けがや病気で序二段まで陥落して這い上がってきたモンゴル出身の照ノ富士には敬意をもって応援してきた。故障を抱えているのは分かるが、これほど休場が相次ぐとさすがに・・・。続いて横綱に続く3人の大関陣。どう見ても小結・関脇ぐらいにしか見えない。特に3人目の大関となったばかりの豊昇龍は頂けない。相手力士に睨みを効かせることで優位に立とうとする劣悪な意図が丸見え。今場所、私は実際に取り組みをみていないが、立ち合いで相手をじらすかのように非常識なほど手を下ろさなかったとか。大関としてあるまじき行為だ。こうした力士が跋扈するようでは大相撲も終わりだ。
 もう一つ大相撲に見切りをつけたくなった理由がある。大相撲の解説者としてお茶の間に人気の北の富士親方がこのところ体調不良からか解説をずっと休んでいるからだ。私は親方が現役の頃はあまり好きではなく、ライバルの確か玉乃島とかいうしこ名の力士を応援していた。だが、引退され解説者となってからは、北の富士親方の率直な時に本音トークも飛び出す解説が楽しみとなった。今は健康食品のCMによく出ている元小結がメインの解説者となっているようだが、私に言わせれば、北の富士親方の味わい深い語りには遠く及ばない。相撲を見る気になる日が再び来るのだろうかしら?

焼き柿にはまる!

20231114-1699945559.jpg 最近パソコンでYouTubeをクリックすると、料理関連の「番組」がアップされるようになった。その一つに管理栄養士(女性)のYouTubeがある。なぜ彼女のものが上がるようになったのか分からない。面白そうなので何気なく眺めていたら、柿を取り扱ったものがあった。柿が滋養ある果物であることを説き、「焼き柿」の作り方を紹介していた。私でもできそうな簡単さ。柿を水洗いして蔕(へた)を切り落とし、ガスコンロで9分ほど焼くだけの代物。
 私は以前は柿は好物ではなかった。子供の頃は田舎でよく食べていて、手を伸ばせばそこらに柿が実っていたような。珍しくも何ともない秋の味覚だったから、特別の思いはなかった。今は違う。八百屋さんに柿があるとつい買って食べたくなる。だが、柿を焼いて食べることなど思いもしなかった。私の田舎でそういう食し方を実践している農家などなかったのではないかと思う。郷里を同じくするライン友達の一学年上のYさんにメールしてみると、彼女は子供の頃、曾祖父が囲炉裏で焼いて食べさせてくれていたと返信があった。残念ながら私にはそういうメルヘンチックな思い出はない。もしあったら私の人生も変わっていたのではないかと思ってしまった!
 今回上記のYouTubeで初めて知ったことだが、柿はビタミンCやタンニン、カロテンなど豊富な栄養素を含んでおり、焼くことでそうした栄養素が飛躍的に増えるとか。私は帯状疱疹の後遺症で苦しんでいるが、免疫力の向上にも役立つようだ。焼かない手はない。早速焼いてみた。バターとシナモンを上に乗せて食すると、柿とは思えない美味さ! 病み付きになりそうだから、1日1個と決めた。
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 中国語を使った俳句と呼べる「漢俳」について説明した『漢俳 五・七・五の中国国民詩』(今田述著)を読んでいるが、中国語の俳句はさすがにちょっと難解で、すらすらと読み進めるわけにはいかず手こずっている。その本の中に劉徳有氏(1931-)のことが紹介されていた。何でも日中文化交流に多大な貢献をした日本語通訳で新華社通信の主席記者の要職にあった人物。彼の著書『日本語と中国語』(2006年)も紹介されていた。図書館で早速借りて読んでみた。
 酒にまつわる記述が印象に残っている。私は「下戸」という語は知っていたが、その対極にある「上戸」は知らなかった。現代中国では「上戸」の代わりに酒飲みを5段階のランクに分けているとか。酒量の下から「酒徒」(飲んべえ)「酒鬼」(飲んだくれ)があり、これより上は日中同じ呼称の「酒豪」「酒仙」「酒聖」が続く。私の「中日辞書」には最後の三つは載っていない。「酒徒」と「酒鬼」は掲載されている。「酒仙や「酒聖」にはなるべくもないが、せめて自分の酒量を心得た「酒徒」ではいたいものだ。
 「下戸」が現代中国語に残っているかは知らない。少なくとも私の日中辞書にはこの語はなく「不会喝酒的人」(酒を飲むことができない人)という訳語が載っている。今となっては酒が飲めることを嬉しく思うが、若い時分に下戸だったらおそらく今とは異なる人生を歩んでいただろうとも思う。こちらは複雑な心境・・・。

perspective について

 先にオンラインで教えている英語教室でカズオ・イシグロの短編小説を読んでいることを書いた。今は “Come Rain or Come Shine” という作品を読んでいる。今回の短篇集には5つの作品が収められているが、個人的にはこれが一番好きだ。“Come Rain or Come Shine” は大学をともに過ごした3人の男女が登場する。語り手でもある男Aと男Bは親友。女CはBと早くからステディな関係になり、大学卒業後に結婚する。AはCと好みの音楽が重なり、音楽の話題を通して気の合う友人となる。
 結婚したBとCはロンドンに住み、多忙な生活を送る。子供には恵まれなかった。Aは英語教師の道を選び、スペインで社会人を対象に英会話を教える。報酬的にもあまり実りある仕事とは呼べないようだ。当時の英国人には大学卒業後に日本を含めた海外で英語教師となり、多くの国を渡り歩くのが「悪くない」生き方の一つだったのだろう。英語がネイティブ話者という絶対的切り札を手にしている。登場人物たちとほぼ同世代と思われる作家イシグロにもそうした友人がいたのかもしれない。
 BとCはうだつの上がらないAの生き方を「豚のケツをなめる」ようだと蔑んでいる。Aは自分が秘めている能力をもっと活かすべきだという期待の裏返しでもある。BとCの関係が良好かというとそうでもなく、Cは夫のBがもっと出世というか社会の上のクラスに上ってしかるべきだという不満を長年くすぶらせている。言い忘れた。3人は今や47歳となり、若くもなく、老年でもない年齢に達している。
 Bは妻Cの上昇志向に閉口している。次のようにAに対して不満を吐露しているシーンが読ませた。‘She thinks I’ve let myself down. But I haven’t. I’m doing okay. Endless horizons are all very well when you’re young. But get to our age, you’ve got to … you’ve got to get some perspective. … She needs perspective.’(彼女は俺が人生をしくじってしまったと思っている。俺はしくじってなんかいない。俺は完璧にまともな人生を送っている。若い時には無限の可能性がどこまでも広がっていると思うものだ。だが、俺たちの年齢になると、身の丈を知ることが必要なんだ。彼女にはそれが分かっていない。・・・身の丈を知るってことが分かっていないんだ)
 上記の文章は正直訳しづらい。perspective をどう訳すか。私の頭に最初に浮かんだ訳語は「大局観」だった。「物事の全体的な状況を冷静に見極める思考・判断」。私は英語教室では受講生に「俺たちの年齢になると物の道理をわきまえる必要があるんだ」と説明した。つまりget some perspective とは「物の道理をわきまえる」ことだと。しかし、今この項を打っていて、「(自分の)身の丈を知る」の方がベターかと思い始めた。
 日本語訳はともかく、自分自身の人生を振り返り、作中人物と同じ47歳の頃に私は今の自分を見据えたperspective があったのかと自問すれば、間違いなくなかった。どこまでも地平線が続いているとまでは思わなかっただろうが、こんなに早く終幕がやって来るとも思っていなかった。とある作家が「人生はもっと長い長編小説だと思っていた。こんなに短い短編小説だとは思わなかった」と語っているのを耳にしたことがあるが、まさにそんな感じだ。人生を見つめ直し、perspective に思いを馳せる余裕などなかった。残念!

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