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ファミン・シップ

  • 2012-09-18 (Tue) 06:53
  • 総合

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 アイルランドでニューロス(New Ross)を訪れたのは、ここの観光名所である「ファミン・シップ」(famine ship)を見たかったからだ。「飢餓船」とでも訳すのだろうか。
 「ファミン・シップ」とは19世紀中葉にアイルランドを襲った「ポテト飢饉」に苦しんだ人々が、アメリカやカナダなどの新天地に最後の望みを託して旅立った船のことだ。「棺桶船」という呼称もある。アイルランドの農民にとって唯一無二の食糧だったジャガイモが疫病にやられ、彼らは未曽有の食糧危機に瀕した。飢餓が深刻だった1845年から10年間で200万人以上が国を後にしたと見られ、こうした人々の移動や大量の餓死、病死などでアイルランドは当時の全人口(約800万人)がほぼ半減したと言われる。
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 アイルランド東南部にある町、ニューロスもそうした飢餓民がアメリカやカナダ、英国、オーストラリアなどへ出港した町。町を流れるバーロー川に当時多くの住民を北米に送り出した「ファミン・シップ」の船が復元されていた。「ダンブローディ号」(Dunbrody)。移民の歴史の一端を紹介した記念館も併設されている。
 ダンブローディ号は1845年にカナダで建造された。1846年から1851年にかけ、多くの住民をアメリカとカナダに運んだ。当時はニューロスを出て4週間から6週間で北米の港に到着していたという。通常乗客は176人程度だったが、飢餓がピークを迎えた1847年には313人を乗せて出港したこともあったと記されていた。
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 見学会の船中では当時の乗客の2人にふん装した地元の女性2人が登場して過酷な「航海の模様」を語ってくれた。一人はsteerage と呼ばれる劣悪な3等船室に5人の子供を連れて乗船した夫人。もう一人は1等船室に乗っていた子供二人のいる夫人。どちらもアメリカの土を踏むことなく航海中に死亡したことだけは判明している。彼女たちの子供たちがその後どういう人生を歩んだかは不明。3等船客は手にする食糧も乏しく、甲板に出られる機会はほとんどなく、吐しゃ物や汚物の臭いに耐えながら、暗い船倉で日々を過ごさざるを得なかった。そうした過酷な航海が船倉の展示品で再現されていた。
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 ここの記念館ではアイルランド出身のアメリカ人を顕彰する制度を2010年にスタートさせたばかり。アイルランドの地を引くアメリカ人は全米に4千万人とも言われる。著名なアイリッシュの人々の写真が掲げられ、ビデオも流されていた。自動車王、ヘンリー・フォード(1863-1947)やケネディ大統領(1917-1963)などそうそうたる人物の写真が並んでいる。ケネディ大統領について言えば、彼の曾祖父がニューロスから1848年にボストンを目指して出港している。ケネディ大統領が暗殺される5か月前の1963年6月にニューロスの近くにある曾祖父の故郷を訪れ、ニューロスの埠頭で地元の聴衆に語りかけたスピーチがビデオで流されていた。“When my great-grandfather left here to become a cooper in East Boston, he carried nothing with him except two things: a strong religious faith and a strong desire for liberty.” (私の曾祖父は東ボストンで酒屋を営むに至るのですが、ここを後にした時、彼はわずか二つのもの以外何も持ち合わせていませんでした。強い宗教上の信仰と自由を求める強い思いの二つです)と語っている。
 (写真は上から、「ダンブローディ号」。その復元船の中でアメリカへの航海の模様を「再現」して語る記念館の女性。記念館に展示されているケネディ・ファミリーの写真)

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