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タトゥーと食べ残しの持ち帰り

  • 2011-08-09 (Tue) 20:07
  • 総合

 アメリカを旅して1か月以上が過ぎた。気分的にはもう何か月もこの国にいるような気がしてならない。アフリカに比べれば、楽な部分はある。第一、絶えず、身の安全の心配をしなくていい。まあ、油断はできないが。先日はあるところで、脱いだ靴を盗まれそうになったが、私の足のサイズは24・5センチでとても小さい。盗んだ男は自分の足に合わなかったのだろう。ごみ箱に捨てられているのを見つけた。私は足のサイズが小さいのに少しコンプレックスを抱いてきたが、足が小さいのも案外、いいのかもしれない!
 何度か書いてきたが、アメリカでも行く先々でアフリカ同様、人の親切、情けに触れ、感謝している。誤解して欲しくないのだが、小さいことでは不快な思いをすることもないことはない。そうしたことを事細かに書いても詮無いことだから書かないだけの話だ。今日はセントルイス最後の夜。もうこれから行くレストランは決まっている。土曜日の夜、そこに行って一人で食事する前にバーのカウンターでウエイターやウエイトレスの人たちと適当におしゃべりしていたら、店のマネージャーらしき女性が「あなたの旅が気にいった。今夜の食事(ビール3杯含め)は私の驕りだ」といった調子でもてなしてくれた。せめて今宵は「返礼」で自分の金できちんと飲食しなければ。
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 それはそれとして、これまでの旅で気づいた点を二つ、以下に記したい。まず、タトゥー(tattoo刺青)をしている人たちが異様に多いこと。若い女性もそうだ。どうも、ファッションというか流行(fad)の一つになっているみたいだ。ピアスも唇から瞼、果ては舌の中央部にもしている女性がいた。物を食べる時はどうするのだろう。社会的にタトゥーが認知されていることの現れだろう。自身も体に10か所以上のタトゥーをしている中年男性は「昔はタブーだったが、そうね、15年ほどになるかな、皆がタトゥーをするようになったのは」と語る。彼はアメリカンインディアンの血が流れており、右手の腕にはそのことを誇りにしたいと先住民が好む伝統的絵模様のタトゥーが描かれていた。
 続いて、レストランで食事を済ませた人が、食べ残した物をレストランが用意している簡易容器に入れて持ち帰っていること。「もったいない」という意識の現れだけではなく、米経済も日本同様あまり芳しくなく、少しでも家計を切り詰めたい思いが背景にあるのだろう。食事を終えた10人ぐらいのグループの男女がそれぞれ、食べ残りが入った容器が納まったビニール袋をそれぞれ手にして店を後にする光景は、最初、意外に思えた。
 はるか昔。学生時代に結婚式場でアルバイトしていた時、披露宴が終わる度に、真っ先に花嫁の席に駆け寄った。花嫁が食べ残した、といういか、正確には、全く手をつけていない鯛やエビ、赤飯などの食べ物を折に入れ、アパートに持ち帰り、夜になると、友人たちとささやかな酒宴を催したものだ。憂いのない、いい時代だった。「下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶらさげて♪♪・・・語り明かせば下宿屋の おばさん酒持ってやって来る♪♪」(吉田拓郎の「我が良き友よ」より)
 (写真は、袖振り合うも多生の縁で、お店の人たちと仲良くなったレストラン)

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