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ミズーリー歴史博物館

  • 2011-08-09 (Tue) 08:46
  • 総合

 アメリカはご承知のように、若い国だ。英国から独立したのは1776年のこと。まだ、235年前のことである。国家としての在り様を大きく揺るがした南北戦争の終結から数えると、わずか150年にも満たない。
 だから、米国民は「伝統」や「古い」ものに憧れるのだと私は思っている。この国で英王室が人気があるのも、政治や社会状況はともかく、日本や中国が時として憧憬の念で迎えられるのも、米国の国家としての「若さ」と無縁ではないのではないか。
 若い国家だけに、訪れる米国内の各市町村がその歴史を濃密に抱え込み、そして誇りにしている。「米国で初めての○○ができたのは・・・」「この州で初めて○○が確立したのは・・・」などといった歴史紹介文をよく目にする。
 セントルイスも例外ではない。ただ、ここは正真正銘、地政学理由もあり、米国の発展に大きく寄与した。鉄道が開通する前は、蒸気船による水運が頼みの綱であり、セントルイスはミシシッピ川が南北に流れ、西からはミズーリー川が合流する地の利を得ていたからだ。郊外のフォレスト・パークの中にあるミズーリー歴史博物館に足を運んだ。
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 ミズーリー州一帯はアメリカインディアンが先住民としていたが、17世紀以降、スペイン続いてフランスが入植する。フランスはルイジアナ州からミズーリー州、ネブラスカ州、アイオワ州など、さらにはカナダにかけた一帯の土地を支配下に置いた。アメリカは独立後にフランスと交渉し、1803年にこの膨大な土地を購入する。Louisiana Purchase(ルイジアナ購入)と呼ばれる買収だ。米国土はこれで一気に二倍に増えた。背景に当然、英米仏の当時の微妙な「三角関係」がうかがえる。
 セントルイスが発展する原動力となったのは、ミズーリー川流域で豊富に獲れた動物の毛皮と、多様な用途があった鉛だったという。アメリカインディアンは毛皮取引で買いたたかれ、最終的には動物の数の激減で辛酸をなめさせられた。穀物や綿花の栽培が本格化すると、今度は南部から黒人奴隷が大量に導入され、セントルイスの発展の礎を築いた。
 博物館の一角ではルイジアナ購入100年を記念して1904年にセントルイスで開催された万国博覧会の様子を伝える品々が展示されていた。博覧会跡地がフォレスト・パークになっており、博物館は当時のメインゲート跡に立っている。米国の力が伸び行くことを世界に知らしめた博覧会だったのだろう。明治末期の日本も参加して、茶室などを造り、芸者も送り込んだことが紹介されていた。
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 展示品を見ていると、ガイドと思われるご婦人が「この博覧会で世界で初めてアイスクリームのコーンがお目見えしたのですよ。女性の服装を見て下さい。誰もがきれいに着飾っているのが分かるでしょう。見学する人にとっても、心が躍る晴れ舞台だったのだと思いますよ」と説明してくれた。
 (写真は上が、ミズーリー歴史博物館の外観、1904年の博覧会の様子を伝える展示品。着飾った女性がアイスクリームのコーンを手にしているのが見える)

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