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らっきょう酢

  • 2015-12-11 (Fri) 12:48
  • 総合

20151211-1449805668.jpg らっきょう酢というものがあることを知った。スーパーで酢がある棚を漁ったら、あるある、らっきょう酢なるものが。それで少し調べたら、ニンジンや大根も刻んでタッパーに入れ、らっきょう酢漬けにしたら美味しいピクルスになると書いてある。早速やってみたら、あら不思議、本当に美味なものができた。知らない世界があるものだ。これで私の数少ない献立のレパートリーがまた一つ充実した感じだ。
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 「民泊」という語を近頃よく目にする。ホテルや旅館以外でも行政の許可を得れば海外から訪れる観光客を泊めることができるようになるらしい。「民泊」を英語では何と表現するのだろう。とっさに頭に浮かんだのは private accommodation という語だった。ネットで検索すると、英語の方はどうも大学等でのアパート探しみたいな感覚の語のようだ。JNが羽田空港を抱えた東京・大田区での取り組みを英文記事で紹介していた。その記事では「民泊」を the so-called “minpaku” business of making vacant rooms at condominiums and other private homes available as accommodation for foreign tourists と訳していた。少し長いが納得。condominiumはマンション。会話ではcondo と省略することが多い。mansion は「大邸宅」だからここでは使えない。
 福岡市でもコンサートやイベントで宿泊客の増加が見込まれる日に個人の自宅を有料で提供する「民泊」が近くスタートするとか。福岡は確かにホテルの宿泊を確保するのが週末には悲劇的に難しい。私は以前に「嵐が来ているので満杯です」と宿泊を断られたことがあった。「台風襲来で帰宅しない勤め人が多いのか」と訝ったが、そっちの嵐ではなく、あのアイドルグループの嵐だった。
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 日本中世史や宗教社会学専攻の大学教授、松尾剛次氏の2012年の著書『知られざる親鸞』(平凡社)を読み終えた。特に印象に残っているのは幼い親鸞が慈円のもとで仏教の学習に励み始めた頃の寺院社会の様子を概観した次の指摘だ。「当時の延暦寺、興福寺、東大寺、醍醐寺といった寺院の童子たちは、師僧に仏教を学ぶだけではなかった。師僧のそばに仕え、陪膳をし、時に音楽を奏でて楽しませ、夜には同衾する場面もあった。こうしたいわゆる男色の問題は、中世の官僧世界において「文化」といっていいほど一般化していったようで、後には遁世僧の禅僧などへの世界へも広まっていった。この男色という官僧世界の堕落ともいえる現象は、親鸞に決定的な影響を与えたと考えられるが、・・・」。
 松尾教授は親鸞思想の独自性について、仏僧が公然と妻帯するのは「破戒」であった鎌倉時代に親鸞がそれを敢然と打破したことにあると述べている。「明治以後においては、宗派を異にするすべての教団が妻帯を認めるようになってゆき、僧侶の妻帯に見られる在家仏教が日本仏教の特徴となった。これこそは、親鸞の独自性が、現代の我々に影響を与えていることの一つといえる」と。また親鸞が我々に与えたもう一つの独自性として、信仰の救済対象が天皇とか天下国家ではなく、「個人」であった点をも松尾教授は高く評価していた。
 法然や親鸞が説いた他力による往生。聖書の教えと似ていると感じることもないではない。私のような凡夫にも、やがて少しは「光」が見えてこないものか。

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