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朋有り遠方より来たる

  • 2019-07-26 (Fri) 10:05
  • 総合

20190726-1564102984.jpg 23日の火曜日。遂にクーラーのスイッチをオンにした。やはり涼しい。とはいえ、夏は汗をかいて過ごすのが自然の摂理。エアコンはできるだけ使用を控えるように努力したい。
 ラジオを聞いていたら、来年の東京オリンピック開催まで1年を切ったとか。1964年の東京オリンピックでは私は小学校5年生だった。毎朝、教室の壁にはられた日本の全国地図の上に聖火ランナーが走った跡を先生の指示で記した記憶がある。あれから半世紀、55年も経つのか。田舎の幼馴染の中にはすでに黄泉の国に旅立った者も何人かいる。もっと生きたかったろうに。合掌。
 それはそれとして正直に書くと、今回の東京オリンピックにはほとんど関心はない。もう国威発揚とかなんとかいう時代ではないだろう。世界平和や友好促進に役立つのなら大いに結構だが、テロが蔓延する昨今、ソフトパワーの限界を見ているような気もする。オリンピックは所詮、テレビなどのメディアがそれぞれの思惑から大騒ぎして盛り上げる4年に1度のお祭りに過ぎないのだ。と突き放していても根っからのスポーツ好きの私はテレビの前で一喜一憂することになるのだろう。
                 ◇
 台北から急いで帰福したのにはある事情があった。アメリカから友人一家が私を訪ねて来福することになっていたからだ。旦那の名はブライアン。妻子を連れたブライアンと8年ぶりに再会した。できれば数日間福岡周辺を案内したかったが、成田空港から帰国が迫っているとかで福岡はわずか1泊の慌ただしい訪問となった。
 到着した24日夜は中洲の料亭でヤリイカの料理をご馳走した。ブライアンと子息はとても喜んでくれたが、奥方は「水の中から収穫したものは一切駄目」という固い信念の持ち主で私の目論見は残念ながら外れてしまった。それでもまあ何とか有り合わせのもので食事して頂いた。やはり事前に好き嫌いをきちんと聞いておくべきだった。そんな基本的なことを怠ると失礼なことをしてしまう。 “I am to blame.”(私が悪かった)
 25日朝は太宰府を案内した。久しぶりに訪ねた天満宮は観光客で賑わっていた。韓国からの人々が相変わらず凄く多い印象を受けた。日韓関係がこれ以上こじれると彼らの訪日も渋るのではないかと思ったりもした。ブライアン一家は今回、東京から関西を経て来福。奥方は何度も来日しており、ブライアンはこれが2度目。一家は駆け足での訪問とはいえ、福岡がとても気に入った様子だった。よく言われるように、適当に都会で、かといって東京や大阪の慌ただしさはなく、のんびりとしたところがお気に召したようだ。
 私はブライアンとは『アメリカ文学紀行』の取材でアメリカ各地を歩き回っていた時、ネブラスカ州で出会った。アメリカは車がないと動きが取れないところが多い。陸の孤島のような田舎町にどうやって行こうかと途方に暮れていた時に、マイカーで長距離を運転してくれ、取材の便宜を図ったくれた人物がブライアンだった。私はあとがきできちんと彼に謝意を表したが、パソコンの故障でメール履歴が消滅し、ずっと連絡不能だった。
 それがひょんなことから彼と再びやり取りが可能になり、今回の来訪につながった。柔術が趣味の彼とは馬が合う。この次の再会は8年を待たなくても実現するだろう、きっと。

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