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朝三暮四

  • 2022-03-11 (Fri) 13:54
  • 総合

 近くの公民館で受講している中国語教室で最近、面白いと感じたことを一つ。テキストに二つの数字を使った中国語の四字成語を紹介している欄があった。「朝三暮四」も含まれていた。字面では日本語と全く同じ「朝三暮四」だ。発音は当然、異なる。声調なしで簡略にローマ字表記すると「zhao-san mu-si」とでもなるのか。siの音はカタカナ表記は無理。
 問題はこの成語の意味が日本語のそれとは異なることだ。中日辞書には「変転きわまりない、ころころ変わる」と載っている。「もとは詐術を用いて他人をだますことをいった」という添え書きもある。広辞苑には①目前の違いにばかりこだわって、同じ結果となるのに気がつかないこと②口先でうまく人をだますこと--と記してある。おそらく高校の国語(?)の授業で、飼われているお猿さんが餌を減らされることになり、朝に3つ、夕に4つ上げると言われ激高したが、朝に4つ、夕に3つと数字を逆にしたら、喜んで同意したという故事に由来する諺だと教わったような・・。
 私たちは今この「朝三暮四」を口にすることは滅多にないだろう。もしあるとすれば、①か②の意で使うかと思う。ところが「本家」の中国では今は「(言動が)ころころ変わる」という意味でだけ使われているらしい。「目先の利益に振り回される愚かさ」を皮肉った意はないようだ。「朝令暮改」も「ころころ変わる」意味合いだが、これは中国語では「朝令夕改」と漢字が少し変化する。こちらの方は日中の意味合いは同じとか。
                  ◇
 本を読む、小説を読む目的は何だろう。人それぞれだろうが、根底には共通する何かがあるような気がする。もちろん、退屈さを紛らわす、時間を潰すために読書する人もいるかもしれない。コロナ禍で外出もままならない昨今では自らが体験できない旅をそうした類の本に求める人がいても不思議ではない。
 オンライン(スカイプ)で実施中の短編小説を読む英語教室。明後日の教室では短編集の編者を務めたナイジェリア出身の作家、Chimamanda Ngozi Adichie の Introduction を読む。私は彼女の書いた “Half of a Yellow Sun”(2007年)を読んだ時に作家として大成するだろうと思った。アフリカ有数の大国ナイジェリアで1960年代末に起きたビアフラ戦争を背景にした感動作。ビアフラ共和国を一方的に樹立し、政府軍との戦いに敗れ、多くの犠牲者を出しイボ族出身の彼女は77年の生まれであり、悲惨な戦争の歴史を両親から聞いて育ったのだろう。
 彼女は Introductionで次のように書いている。“I read for many reasons, one of which is to be consoled. Consolation is useful, consolation is necessary. I’d very much like to learn concretely useful things – my knowledge of them, alas, is limited – but I would not want to live if I were not able to have the consolation that stories give me.”
 そうか。癒やし(consolation)か。確かに小説や物語を読むのは癒やしを求めているのかもしれない。ロシア軍の砲撃にさらされているウクライナ国民には停戦が実現し、現実的な癒やしが一日も早くもたらされることを切に願い、祈る。こうしたことを遠く離れた地で安穏と書いている身が恥ずかしくもある。

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