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January 2016
ファイティ=頑張って!
- 2016-01-31 (Sun)
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先週末、宮崎に戻った。縁あって宮崎日大高校で英語進学科の一二年生に話をさせてもらった。高校生に講演をするのは随分久しぶり。彼らの若い感性にどれだけ響く話ができたか甚だ心もとないが、楽しいひとときを過ごさせて頂いた。
「国際報道今昔」と題して、アフリカ特派員だった頃のことを中心に振り返った。ネットやスマートフォンなど昔と比べれば信じ難いほどの技術革新の時代に生きていても、メディアの核心は新聞にあると思っている。日々の紙面に時代を象徴する言葉があり、そうした刺激が脳細胞を活性化する。できうる限り、実際の紙面を手に取って記事をじっくりと読み、思いを馳せるようにして欲しいと訴えたつもりだが、はてさて真意は伝わったかどうか。
嬉しかったのは、私が今独学に励んでいる韓国語の話題を振った時、彼らが予想以上の反応を示したことだった。私は冒頭思いつくままに「アンニョンハセヨ!」と壇上から呼びかけた。すると、多くの生徒が間髪を入れず、「アンニョンハセヨ!」と返してきたのだ。え、何で!何でそんなにスムーズに返答するの?と私は少し面食らった。それで思い出した。前夜に今回の講演会を企画して頂いたK先生、T先生と歓談していて、宮崎日大高校では韓国語と中国語を第二外国語として学んでいると聞いていたことを。
高校の段階からアジアの隣国の言語を学ぶとはすばらしい。私の高校時代には考えられないことだ。卒業後もこのまま学習し続ければ、隣国の言葉の達人となれる可能性大だ。欧米の言語と異なり、韓国語や中国語は日本語と共通の土壌がある。
やがて韓国を歩く旅に出る予定であることも講演の中で語った。講演の最後に女生徒の一人が「韓国を旅する目的は何ですか?」と尋ねてくれた。幾つか心に秘めている目的はあるが、その一つは韓国で今どのような英語教育が実施されているのかを見てみたいことだと答えた。韓国人の方が日本人よりも英語が上手だと言われている。母音や連音など音韻的な要素も関係していると思うが、彼らの積極的な「国民性」も一因しているのかもしれない。彼らはとにかくしゃべる、ミスを怖れない、そんなところが関係しているのではないか。
講演の中でちょっとした質問をすると、手を挙げて答えることはせずとも、頭に浮かんだ答えを口にする生徒も少なくなかった。そういう姿勢を私はとてもいいと思う。まず、とにかく口にしてみる。それが正答であろうと誤答であろうと構わない。口にすることでコミットする。それによって何かが自分の中で動く、動き出す。口にしなければ、何も動き出さない。語学の学習はそれが基本だと私は思っている。黙読も良いが、語学の勉強には精力的な音読が欠かせないと思う。初めて出合った語は声に出し、手を動かし(書く)、耳で確認して初めて、身の内に宿るのではないか。何度も何度も繰り返して。
ネルソン・マンデラ氏との単独会見のテープとか米英文学紀行の旅のこぼれ話とか聞いてもらいたいことは多々あったが、時間の制約ゆえにごく限られたことしか話せなかった。最後に私の好きなことわざ、Practice makes perfect.(習うより慣れろ)と、さらに語学学習の要諦とも言える、To err is human, to forgive divine.(過つは人の常、許すは神の心)という金言を紹介した。
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再び「コピ」(coffee)
- 2016-01-25 (Mon)
- 総合
中東から流れてくるイスラム過激派に絡む新聞紙上のニュース。このところ、ほとんど見出しを眺めると、読み飛ばしている。イスラム世界との接触に乏しく、中東情勢に疎い身には理解しづらいことも一因しているが、シリア内戦に至っては敵味方の関係が錯綜しているようで、このところ何度も似たようなニュースを読まされているような感じだ。
英字紙「ジャパンニュース」が英タイムズ紙の特集紙面を転載する日曜日。‘Isis says I am next one: they will cut off my head’(イスラム国が「次はお前を処刑」と宣告) という見出しに引き込まれるかのように、久しぶりにシリア内戦を報じた記事をじっくり読んだ。この見出しの下には He and his friends risk everything to expose the grim reality of life in Raqqa. Abdel-Aziz al-Hamza describes how his group is defying Isis and putting their lives at risk with the use of social media. (アブデル・アジズ・アルハムザは友人たちとともにイスラム国にひるむことなく、ラッカの人々が余儀なくされている悲惨な現実をソーシャルメディアを駆使して命がけで伝えている)という袖見出し的な要約文が見える。
この記事で紹介されているアルハムザ氏はラッカ出身の24歳の青年。彼はラッカの人々が内戦が勃発するまではごく普通の暮らしをしていたと語る。ラッカはシリア北部のユーフラテス川のほとりにあり、人口約22万人。イスラム教スンニ派が大多数の都市だが、内戦前までは住民は飲酒も喫煙も自由に楽しめたという。シーア派やキリスト教徒とも共存していた。しかし、イスラム国に支配されるようになった二年ほど前から、体制に非協力的な人々は次々に処刑される恐怖政治が到来。圧政により日々の食べ物にも事欠き、性の奴隷として強奪される女性も続出しているという。
アムハムザ氏は反イスラム国の行動ゆえに彼らから命を狙われたため、トルコ経由でドイツに逃亡。彼にとって目下の敵は残酷な圧政を敷くイスラム国だが、真の狙いは「イスラム国よりもさらに多くの一般市民を殺害して」きたアサド政権打倒だという。いつの日か祖国に再び戻る夢も捨てていないと語っている。彼らの精神的タフさに敬意を表したくなる。(アルハムザ氏の言葉は続で)
◇
韓国語の発音に苦労している。素人程度の知識であえてここに書けば、二種類ある「オ」という母音が厄介だ。なかなかその違いを聞き取るのが難しい。従って言うのも難しい。これに激音や濃音の要素が加わるとさらに難儀。プールで歩きながら、退屈しのぎを兼ね、手を口にかざして音が外に漏れないようにしながら、この二つの母音の練習に励んでいる。
激音は息を激しく出す。この激音に関して、私が今手にしている本には次のように書かれている。「韓国人が聞いて、『あ、この人ネイティブスピーカーじゃないな』と感じるポイントの一つが激音です。激音をきっちり発音できないと、ピリッと引き締まらず、ぼやけた印象の韓国語になってしまいます」
例えば、コーヒー。前にも書いたが、韓国語で
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英語の早期教育
- 2016-01-22 (Fri)
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大学で非常勤講師として英語を教えるようになって以来、英語や語学関連の本をよく読むように心がけている。一番最近に読んだのは『英語学習は早いほど良いのか』(岩波新書)。昨夏に出たばかりの本のようだ。著者はアメリカの大学の准教授、バトラー後藤裕子氏。書店の書棚で背表紙のタイトルに惹かれて思わず購入した一冊だ。
例によってマーカーを走らせた部分を紹介すると————。第1章の冒頭で筆者は次のように述べている。早期英語教育への関心とその低年齢化の背景には、「言語学習の開始は、早ければ早い方が良い」という前提がある。そして、その理論的根拠としてよく引き合いに出されるのが、「臨界期」という概念である。
以前に読んだ『現代英語学へのアプローチ』(英宝社)ではこの「臨界期」は次のように説明されていた。「言語能力が生得的に人間に備わっているものだという考え方は、アメリカの生物学者のレネバーグ(Eric Lenneberg)の研究によって支持される。・・・もし人間の言語獲得能力が生得的に決定づけられたものであるなら、・・・ 臨界期というのは、この時期が過ぎてしまうとその行動を達成するのが不可能、もしくは、困難になる時期である。言語習得における臨界期は、思春期の始まる頃、つまり12歳前後だろうと言われている。この時期を過ぎたあとの言語学習によって、母語話者のレベルにまで言語能力を到達させるのはかなり難しくなる」
バトラー後藤裕子氏は「年齢による制約は存在するが、臨界期のような特別な期間は存在しないと考えている」と懐疑的だ。年齢の要素も重要だが、それよりも「年齢が他の要因と複雑かつダイナミックな相互作用を繰り広げているのだと提案したい」と。
文科省は2020年からは全国の小学校で3年生からの英語教育導入を図る計画だが、英語早期教育に否定的な考えに立つ教育関係者も少なくない。バトラー後藤裕子氏はこの点について次のように論じている。「日本のように、世界的にみるとかなり言語的にも文化的にも同一性の高い社会では、外国語の学習を早期に開始したとしても、それによって母語との接触が大きく制限されることはないだろうから、母語の習得が危ぶまれるということはない。日本の早期英語教育をめぐる議論で、早く英語を導入すると、日本語に悪影響を及ぼすことを懸念する人もいるようだが、そのような懸念を裏づけるような実証データは、筆者の知るかぎり存在しない」
英語教育のプロの主張だけに拝聴に値する。バトラー後藤裕子氏はただし「早期に英語学習を始めても、ネイティブ・スピーカーのような発音にはまずならない」とも断じている。そもそも始めからネイティブのような発音や英語にこだわる時代ではなく、「現代では英語を母語としない人同士の英語でのコミュニケーションが爆発的に増大している。だから、特定の母語話者の発音の習得にこだわる必然性はなくなってきている。そうしたことに膨大なエネルギーと時間、資金を使うよりも、コミュニケーション上、誤解されないような聞きやすい発音をめざせばよいのだ」とも。全く同感だ!
英語教育に日本以上に熱心な韓国及び韓国人の英語についても、『英語学習は早いほど良いのか』には興味深い記述があった。それは続で。
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貧富の格差
- 2016-01-20 (Wed)
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ケールテレビで「KBS演技大賞」とかいう、韓国では昨年末に放映された特別番組を見た。延々4時間近い番組だった。KBSは日本で言えば、NHKのようなものかと思っていたが、登壇した美男美女の俳優陣がKBSへの感謝を異口同音に口にしていた。韓国のテレビ局の存在意義は日本のそれをはるかに超えるようだ。これもやがて韓国の旅で確認したい。
私がこのところずっと楽しみに見ている番組も昨年の制作であり、番組の出演者が何か賞を取るかと興味を持って見たが、案外の結果だったようだ。一つにはストーリーがあまりに「出来過ぎ」というか、ステレオタイプ的な人物描写が災いしたのではと感じた。私は韓国語の学習という目的がなかったら、途中で
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大学の授業で異文化理解というテーマで教えている関係で、世界の貧富の差のことについて調べていて、国際NGO「オックスファム」が発表した報告書のニュースに出くわした。読売新聞夕刊(19日)でも小さく報じられていた。「世界の富豪上位62人が持つ資産が世界人口のうち経済的に恵まれない下位半分(約36億人)の資産総額に等しい」という推計結果が出たという。
62人の資産の合計は1兆7600億ドル(約206兆円)。過去には2010年は上位388人、14年は80人で下位半分に相当していたという。NHKによると、最上位の富豪62人の中にはマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏や投資家のウォーレン・バフェット氏、日本人としてはユニクロで知られる柳井正氏が含まれる。
英BBCはこのニュースを “The richest 1% now has as much wealth as the rest of the world combined, according to Oxfam”(世界人口のわずか1%の富裕層の総資産は残りの99%の資産総額と同じ)と報じていた。貧富の差の拡大ここに極まれりという観がしなくもないが、BBCのニュースをネットで読んでいて思わず手がとまったのは次のくだりだ。
It takes cash and assets worth $68,800 (£48,300) to get into the top 10%, and $760,000 (£533,000) to be in the 1%. That means that if you own an average house in London without a mortgage, you are probably in the 1%.(富裕層の上位10%に入るためには現金及び不動産で6万8800ドル[約800万円]の資産が必要だ。さらに最上位の1%に含まれるには76万ドル[約8900万円]の資産を有していなければならない。もしあなたがロンドン市内にローン返済が済んだ標準的住宅を一軒所有しているとすれば、おそらく上位1%の中に入っていることでしょう)
ロンドンの標準的住宅の資産価値の見立てに驚いた。ずっと賃貸暮らし、そしてこれからも賃貸暮らしの身としては複雑な心境になる記事ではあった。
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再びラブレイン
- 2016-01-13 (Wed)
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大晦日に焼酎を少しだけ飲んだ。禁酒の誓いを守り通したご褒美として。正直に書くと、久しぶりに飲む焼酎の味は期待していたほど美味くは感じなかった。年が明けて一週間後、宮崎市内で一泊宿を取り、その晩、小中時代を一緒に過ごした郷里の幼なじみたちと会食した。昔懐かしい友との語らいの場では禁酒はさすがに無理だ。最初に乾杯の生ビールを飲んだ。この時のビールの美味かったこと! 嗚呼、ビールってこんなに美味かったのか。ジョッキを思わず両手でいとおしんでしまった。次は赤ワインを試したい。すっかりご無沙汰している街のお店でもそのうちのぞこう。月に一度ぐらいは神様も許してくれるに違いない!
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夜、ケールテレビのチャンネルを走らせていたら、とあるチャンネルで昨秋、熱心に見た韓国のドラマをまたやっていることに気づいた。純愛を描いた「ラブレイン」(愛の雨)だ。「
それで肝心の韓国語。聞き取りの力は確実についているように感じた。青年イナがユナに出合ったばかりの頃のワンシーン。雨に降られた大学図書館の玄関で傘を探しに走るイナがユナに放つ言葉、
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トルコのイスタンブールでイスラム過激組織派組織「イスラム国」の犯行と見られる自爆テロが発生した。英字紙「ジャパン・ニュース」で西アフリカ、ナイジェリアで同様のテロを繰り返しているイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」を追った米ロサンゼルスタイムズの記事を読んだ。日本では時々思い出したように報じられるテロ組織だが、ボコ・ハラムはイスラム国を上回る凄まじいテロを続けている。
“A scourge worse than Islamic State” という記事の見出しでその内容が推測されよう。scourge は「天災、災難」。類義語としては curse やdisasterを思い浮かべるが、scourge (スカージ)は普段滅多に目にしない。それほど甚大な被害をもたらしていることが見出しから伝わる。厄介なのはボコ・ハラムがしたたかなテロ組織だということだ。アル・カーイダからイスラム国へ同盟関係を変えて新たな支援を獲得、組織を強固にしていったという。今はナイジェリア及び国境を接した近隣国でのテロが中心だが、やがて彼らのテロがアフリカ域外に及ぶ危険性も懸念されている。対岸の火事ではない。
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ガリア戦記
- 2016-01-11 (Mon)
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年末年始留守にしていたこともあり、帰福して今冬初めて暖房(ガスストーブ)をオンにした。暖かい。韓国語だと、따뜻함니다(タットゥタムニダ)。日本人には厄介な発音の濃音が二つも出てくる。韓国に旅して果たして私の発音で通じるか楽しみだ。よく見ている韓国語ドラマは一週間余の空白があったが、筋立てに大きな変転はなく、いつものように物語が流れている。字幕がなくても理解できるようになるのはまだだいぶ先のことだろう。
◇
帰福してマンションのドアを開けると、この間にたまっていた新聞がどさっとたまっている。例によって正月紙面は分厚いが、新年も一週間以上も過ぎていると、とても読む気になれない。私は現役の頃から思っていたのだが、日本の新聞各社の正月紙面制作はもうそろそろ方針変更してもいいのではと思う。この時期は海外(国内)旅行や里帰りなどで多くの読者が自宅を留守にしているかと思う。正月明けで帰宅して、留守にしていた間の新聞を読み返すのは一仕事だ。正月の特集はラテ欄程度にとどめ、その他の特集は12月の中下旬とか1月の上旬とかに配達(編集制作)してもらった方がずっと読者サービスになるだろう。
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岩波文庫の『ガリア戦記』(カエサル著、近山金次訳)を読んだ。1942年の刊行で2015年に第77刷発行とあるから、根強い人気の一冊なのだろう。表紙には「カエサル(前102年頃―前44年)の率いるローマ軍のガリア(今のフランス)遠征の記録。現地から彼が送る戦闘の記録はローマ全市を熱狂のるつぼに化したという。文筆家カエサルの名を不朽にし、モンテーニュをして『最も明晰な、最も雄弁な歴史家』と賞讃せしめたものである」と記されている。読までかいな!
この本を読みたかったのは、カエサルすなわちシーザーのブリテン島遠征のことを知りたいと思ったからだ。イングランド及び英国民にとってはローマ帝国の侵略を受けたことは歴史の大事な一コマとなっている。ただ、残念ながら、『ガリア戦記』にはそう詳しい記述はなくあまり参考にはならなかった。以下のくだりにはマーカーを走らせた。
ガリアを通じて尊敬され問題にされる人間は二種類ある。民衆は殆ど奴隷と見做され、自主的に何もできず、何も相談されない。(中略)二種類の人間の一つは僧侶であり、もう一つは騎士である。僧侶は神聖な仕事をして公私の犠牲を行い、宗教を説明する。教育を受けようと多数の青年が集ってきて、尊敬されている。(中略)その教えはブリタンニアで始まり、ガリアに伝えられたものらしい。現在その事柄について更に詳しく知ろうと思うものは勉強のためにブリタンニアへ行く。
僧侶と騎士以外は民衆が奴隷状態の社会とは住みにくい世の中だったことだろう。まあ、日本も似たような状況だったのだろうが。それはさておき、英国にとって欧州連合(EU)との関係をどう保つのかは今も悩ましい難題だ。シーザーが乗り込んだブリテン島の住民は今のゲルマン系のアングロサクソンではなく、異民族のケルト系の人々だったはずだ。だからであろうか。この当時はブリテン島の人々とガリアの人々との関係は意外と友好的だったようだ。それが分かっただけでも「収穫」だった。
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瀬戸の極み
- 2016-01-07 (Thu)
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はて、去年の今頃は年頭に際し、どのようなことをブログに書いていたのだろうとスクロールして見てみると、「正月早々」と題して、古里の山中で見た不思議な飛行物体のことを書いている。実は今年もまた長姉の家の前庭から夜空を見上げた。同じような不思議な物体が飛び交っていた。もっとも、正月でいつものように甥っ子と一緒に来ていた甥っ子の嫁さんは「きっと人工衛星でしょ」とにべもない反応。案外そうかもしれない。私はまだ腑に落ちない気分なのだが。ここで動画でもお見せすることができれば、私が感じている不可解さは分かって頂けると思うのだが、アナログ人の私にはそうしたテクはない。アナログビト。私の勝手に造語だが、英語でよく言われる、endangered species(絶滅危惧種)の一つにそのうち入るかも。私にはブログを時にアップすることが関の山だ。(Updating this blog is the most I can do in this high-tech age.)
◇
ネットからも解放され、ぼけっと過ごした一週間余だった。異常なほどに暖かい年の瀬から正月だった。宮崎とはいえ、山中はこの時期は零下になることも少なくなく、一階の炬燵とストーブの部屋を出て、暖房のない二階に敷いた布団に潜り込む時はいつも震えがきていた。今年は震えることは皆無に近かった。戸外でつららも見なかった。里帰りした親に連れて来られたのか、小さい子どもがTシャツ一枚で歩いているのを見た。こうした光景が真冬にも日常茶飯事になれば、暖冬だと珍しがってばかりはいられない。
炭火でやいた餅や肉、魚をたらふく食った。新しい社殿ができた銀鏡神社にも大晦日の日中に参った。この社殿は郷里出身で国の行政府で活躍されたH.E.さんが大枚をはたいて寄贈したもので、凡夫には到底できっこない志だ。そのとても有難い社殿の中に据えられた賽銭箱を狙った賽銭泥棒が出たとかで、私がお参りに上がった時には警察の鑑識が来ていた。こんな田舎にも賽銭泥棒が出没するとは! 罰当たりな盗人がいるものだ。
◇
世界では年末年始にかけ、懸念された大きなテロはなかったようだ。昨日だか、北朝鮮が2013年2月以来の核実験、それも破壊力で原爆をはるかに上回る水爆実験に成功したと発表したこと以外はこれといったニュースはなかったかのように思う。いや、北朝鮮に隣接する日本にとってはこれ以上の迷惑極まりない深刻な出来事はないが。今回の核実験成功表明の狙いが何にあるのか。単なる国威発揚ならそれはそれでいいのだが(いや良くないか!)、いつ暴発するか分からない核兵器を掌中にした意思疎通不能の隣人がすぐそばにいるのは何とも不気味な話だ。北朝鮮のやり方はかねてより、「瀬戸際政策」とか「瀬戸際外交」と呼ばれてきたが、今回の核実験の成功表明はその最たるものだろう。
「瀬戸際政策」とは危険なかけで交渉相手の譲歩を迫る政策・戦術のこと。英語では brinkmanship という。辞書によると、brink が「縁、瀬戸際」という意味で、(on the brink of warは「開戦の瀬戸際に」という意味)、冷戦さなかの1950年代に生まれた語であり、語源(etymology)はよく分からないが、sportsmanship という語の類推で brinkmanship という語が派生したようだ。なんとなく分かるような気はする。
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