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アメリカンジャズ・ミュージアム

  • 2011-07-31 (Sun) 08:24
  • 総合

 リンカーンからカンザスシティに来て、最初に感じたことはここが都会であること、それに黒人の人々が比較的に多いことだ。
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 黒人の人々がかつて闊歩していた地区を訪れた。通りの名を取って、”18th&Vine Historic Jazz District”と呼ばれている地区だ。日本語だと「18番&ヴァイン街ジャズ名所地区」とでも表現するのだろうか。ここに「アメリカンジャズ・ミュージアム」がある。「ニグロリーグ」と呼ばれた黒人野球の歴史を紹介したミュージアムも隣接されている。
 カンザスシティは東西南北の交通の要衝であったことから、南部の黒人を吸収して成長した都市だ。国勢調査によると、白人は1910年に224,812人(89%)だったのが、2000年に267,931人(61%)。黒人はその間、23,556人(8%)から137,879人(31%)に急増。「18番&ヴァイン街」の一帯は黒人が住み、働き、憩う地だった。それはもちろん、奴隷制度以来の人種差別の歴史と無縁ではない。カンザスシティでは1960年までこの一帯でしか黒人は居住も商売も許されなかったからだ。黒人はここにいる限り、自分が「二級市民」であることを忘れ、自己主張できた。
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 しかし、人種差別の施策が終焉を迎え、黒人がどこに住もうがどこで商売をしようが自由な時代になると、「18番&ヴァイン街」の一帯はその存在意義が薄れ、活気を失っていく。その象徴がかつては200軒以上のバーが林立し、一晩中、その音色が通りを彩ったジャズ音楽だ。私は前回の項で、カンザスシティがジャズの「誕生」の地であると書いた。何人かの人がそう言っているのを耳にしたからだ。正確な表現ではなかったようだ。話を聞かせてくれたアメリカンジャズ・ミュージアムで働くカレン・アンダーソンさんが次のように訂正してくれた。”Jazz was born in New Orleans, but grew up in Kansas City.”(ジャズはニューオーリンズで誕生し、カンザスシティで育った)。なるほど。
 ミュージアムがオープンしたのは1997年。年間20万人以上の来場者があるという。ルイ・アームストロングやデューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルドらのミュージシャンの演奏、歌が当時の録音でたどれるようになっている。私はしばし時間を忘れて彼らの演奏に聞き惚れることができた。ジャズには黒人がアフリカ大陸から持ってきた「思いや感情」が残っているのではないか。
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 20年以上前のこと。アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカのシビーンと呼ばれていた非合法の酒場で目にした光景を私は思い出していた。各テーブルを隙間のないほど埋めた男女の若者が好きな音楽がかかると、それぞれ立って、体をくねらせて、それぞれ独特のリズム感で気持ちよさそうに踊っていた。周囲の若者は黙ったまま、踊る数人の仲間を見守る。そして代わり番こに「行儀よく」踊っていく。そうした奇妙な光景だ。
 (写真は上から、アメリカンジャズ・ミュージアム。中は写真撮影禁止。外の通りは「空き家」が目立ち寂れた印象。今、かつての賑わいを取り戻す動きも起きていた。ミュージアムから遠いダウンタウンの無料ロックコンサート会場はそれなりの賑わいだった)

Comments:2

和おん 2011-08-01 (Mon) 15:11

特ちゃん元気ですか?
かあちゃんも、私も汗だくで頑張ってます!!!
また、楽しい旅の話しを聞かせて下さいね!!

那須 2011-08-01 (Mon) 22:18

和おんさん 元気ですよ。今、カンザスシティーを出て、夜行列車で隣のカンザス州に来たところです。名前が似ているので紛らわしいですが。新しい土地に来るとわくわくします。私も汗だくでやっています。そちらの汗だくはお金になるからいいです。あちきの汗だくは流しっぱなしです。ブログ読んでいただきとてもうれしく思います。あ、ついでに注文いいですか。豆腐サラダにウインナー焼き、砂肝もお願いします! う、食べたい!

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