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ウイリアム・サロイヤン(William Saroyan)③

  • 2011-07-13 (Wed) 00:06
  • 総合

 アルメニアは1991年に当時のソ連の解体により独立した。正直に言うと、私も頭の中ではその場所がおぼつかない。世界地図を見ると、グルジアやトルコなどに囲まれている小国であることが分かる。国際社会では、オスマントルコ帝国に支配されていた時代に帝国の圧政に苦しみ、第一次大戦中の1915年から1917年にかけ、150万人のアルメニア人が殺害されたと言われるホロコースト(大虐殺)の犠牲者となったことで知られる悲劇の民族だ。アメリカ政府は友好国トルコへの配慮から、依然、この大虐殺の事実認定を拒絶し続けている。
 アメリカにアルメニア移民が多いのはこうした歴史ゆえのことだ。さて、そのフレズノはサロイヤンが少年時代、さらには晩年に暮らしたころとはだいぶ趣が異なるようだ。多くのアルメニア人はダウンタウンから豊かな郊外に移り住んでいる。夜間になると、ダウンタウンからは人がいなくなり、殺伐感さえ漂う。気ままに歩ける雰囲気ではない。
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 とはいえ、ダウンタウンにはアルメニア系の人々が集う教会が今も健在であり、日曜礼拝をのぞいてみた。教会入口で来訪の趣旨を伝えると、「ウエルカム」と歓迎してくれた。アルメニア正教は詠唱するように祈るものらしい。パイプオルガンの演奏で司祭が詠唱し、聖歌隊のような人々が続く。教会やフレズノの歴史を英語で記したパンフレットには末尾にサロイヤンのことも記してある。サロイヤンへの誇りがしのばれる。
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 アルメニア人移民がフレズノに初めてやって来たのは、1881年のこと。上記の大虐殺などを経て、その数は急速に増え、今ではフレズノの人口50万人のうち、1割、5万人がアルメニア系と見られている。
 ここで『人間喜劇』でもう一つ印象に残っているシーンを紹介したい。ホーマーがクラスメートの家柄も頭脳も優秀なクラスメートとハードル競争に挑む。体育教師のバイフィールドは家の裕福さで生徒を差別する劣悪な教師で、ホーマーの擁護に出たイタリア系の生徒のジョー(ジョセフ)を”wop” (イタ公)と言って罵る。その場に居合わせた良識ある歴史のベテラン女性教師のヒックス女史が体育教師を諌める。暴言を謝りなさいと。ジョーやイタリア系移民社会に対しての謝罪ではない。アメリカという国に対して!
 “Joseph!” Miss Hicks said. “You must allow Mr. Byfield to apologize. He is not apologizing to you or to your people. He is apologizing to our own country. You must give him the privilege of once again trying to be an American.”null
 移民で成り立つアメリカならではのエピソードだろう。フレズノでも勤労意欲の旺盛なアルメニア系移民はその数が増え、経済力をつけるにつれ、地元の人々の冷たい視線を浴びた。「犬とアルメニア人はお断り」という張り紙を張り出す商店主もいたという。それは西海岸で同様に蔑視されることの多かった日系移民の姿と重なる。
 (写真は上から、アルメニア教会。1914年に建設された古い教会だ。お祈りを二階席から撮影。礼拝が終わり、歓談するアルメニア系市民)

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