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ウィラ・キャザー (Willa Cather) ⑤

  • 2011-07-25 (Mon) 09:06
  • 総合

 ネブラスカに住む人々の大多数は白人であり、彼らはキャザーの作品が描くように、19世紀後半にドイツやフランス、スウェーデン、ボヘミア(チェコ)などヨーロッパからやってきた移民の末裔か、キャザーの家族のように東海岸からさらに西進した白人だ。
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 しかし、ここはアメリカインディアンがかつては狩猟の場としていた地でもある。ネブラスカ歴史博物館の展示によると、彼らの足跡は12000年前まで遡るという。ネブラスカという地名は彼らの言葉でflat water(浅い水)を意味する。キャザーが住んでいたレッドクラウドの地名は先述したように、ラコタ(スー)族の指導者、レッド・クラウド(1822-1909)に由来する。カリフォルニアの金鉱を目指し、白人が強力な政府軍の支援を受けて西進するのに伴い、アメリカインディアンの生活圏が侵されていく。レッド・クラウドは当初、政府軍と激戦を繰り広げ勇名を馳せるが、自分たちをはるかに凌駕する武力を誇る政府軍に圧倒され、やがてIndian Reservation(インディアン保留地)と呼ばれる居住地に追いやられる。その彼が失意の晩年に語ったと伝えられることばが次の吐露だ。
 “I was born a Lakota and I shall die a Lakota. Before the white man came to our country, the Lakotas were a free people. They made their own laws and governed themselves as it seemed good to them. The priests and ministers tell us that we lived wickedly when we lived before the white man came among us. Whose fault was this? We lived right as we were taught it was right. Shall we be punished for this? I am not sure that what these people tell me is true.”(私はラコタとして生まれ、ラコタとして死んでいく。白人がこの国にやって来る前は、我々ラコタは自由な人間だった。我々は自分たちの法律を定め、我々の意にかなうように物事を治めてきた。キリスト教の司祭や牧師は我々に言う。白人がやって来るまでは、我々は邪悪に生きてきたと。一体誰に落ち度があるというのだ?我々は正しいと教えられた通りにずっと生きてきた。我々はそれで罰せられるのであろうか?白人が私に向かって言うことが本当のことであるのか、私は分からない)
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 キャザーがこよなく愛したレッドクラウドの町や自然もこういう歴史が背景にあることを忘れてはならないだろう。
 ネブラスカはアメリカの他の州と比べ、文学作品の舞台となるような魅力がある土地柄とは一般的に思われていなかったようだ。ニューヨークの批評家が当時の雰囲気を伝える次のような一言を発したことをキャザー自身が後年、明かしている。批評家は語ったという。「私はネブラスカで何が起きようが、たとえそれを誰が書こうが、知ったことではない」(“I simply don’t care a damn what happens in Nebraska, no matter who writes about it.”)。彼女のネブラスカに対する愛着が一層増したであろうことは想像に難くない。
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 (写真は上から、リンカーン郊外の住宅街。見渡す限りのコーン畑。ダウンタウンの古書店の店頭で寝そべる猫君)

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