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J.D.サリンジャー(J.D. Salinger)④

  • 2011-09-23 (Fri) 04:43
  • 総合

 私はこの小説を読んだのは50歳代になってからだが、爽やかな読後感とともに、時代背景も国も異なるが、不思議とイメージが重なる小説を思い浮かべた。19世紀のロシアの作家、ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』だ。
 小説の大団円でカラマーゾフ家の三男アレクセイ(アリョーシャ)が少年たちを集めて激励する場面がある。彼らの友人が夭折したことを受け、その少年の死を無駄にしないよう長く記憶にとどめておくことを訴える感動的シーンだ。彼は自分たちが将来どのような人生を送ることになろうと、今共にしている少年時代は純真な心を持ち合わせていたことを忘れることのないよう力説する。友情で結ばれた少年たちも熱烈に応える。
 私はホールデンが妹のフィービーに対し、「将来は小さな子供たちを危険から守る」仕事をしたいという主旨の希望を語る場面に接して、なぜか、アレクセイの姿が頭に浮かんだ。
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 サリンジャー研究で知られる気鋭の大学教授に話を聞く機会を手にしたので、この先生に尋ねてみた。NYから電車で2時間近い距離にあるニューヘイブンという地にある名門エール大学で文学を教えるエイミー・ハンガーフォード教授だ。
 「私はこの小説を読んで、『カラマーゾフの兄弟』を想起しました。私には青春賛歌に感じました。アメリカの読者はどういう印象を抱いているのでしょうか」
 「アメリカでもそういう風に読み取る向きは昔からあります。ただ、作品自体は当時の社会階級の問題が人間関係に及ぼす緊張、確執が色濃く反映されています。スーツケースの質の違いがルームメートにもたらした微妙な感情(注)についてホールデンが語る場面を覚えていますか。あれなど象徴的な場面です」
 「サリンジャーはこの作品で名声を得て、その後、1960年代以降は世間から隔絶した生活を2010年に死去するまで続けますが、何がそういう隠遁生活を選ばせたのでしょうか。第二次大戦で米軍の情報将校として働き、ナチスの収容所など人間の愚かさについて強烈な経験をしたことが一因していると言われていますが」
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 「そういうこともあるかとは思います。ただ、彼の他の作品を合わせ読むと良く分かるのですが、サリンジャーは彼自身の家族に向けて言葉を発する、つまり、作品を書き続けたのだと思います。彼には名声など迷惑な話だったのです。だから、ずっと、親しい家族にだけ顔を向けて、言葉を発し続けることを選択したのでしょう」
 「他の著名の作家のように、将来、サリンジャー記念館のようなものができる可能性はあるのでしょうか。あるいは、あっと驚くような自伝が出てくるような可能性は」
「私の知る限り、ないかと思います。彼はプライバシーをどこまでも頑なに守る作家でした。作品一切に対し、あらゆる法的な縛りをかけています。当面は彼に関する驚くような新たな書が刊行される可能性は皆無に近いと思います」
 (写真は上が、ハンガーフォード教授。下が、彼女が教える大学のキャンパス。ブッシュ前大統領が先輩だねと学生に声をかけると、あまりありがたくない顔付きをされた)

 (注)これはホールデンが高校の寮で部屋を共有していたルームメートとの思い出を語る場面。このルームメートは常にホールデンの持っている物を「ブルジョア的」と皮肉っていた。しかし例えば万年筆が「ブルジョア的」だと批判する一方、その万年筆を始終借りて使っていた。スーツケースも同様で、ルームメートのものはホールデンのものに比べ、いかも安っぽいもので、劣等感からか彼はそれをベッドの下に隠すように置いていた。ホールデンもこの差異に耐えかね、ある日、自分のスーツケースを棚からベッドの下に入れ、見えないようにするが、ルームメートはそのスーツケースを再び棚に上げる。周囲の者たちが、それが自分の物であると誤解することを期待していたからだ。ここでは自分が全然そうした差異を気にしなくとも、相手はスーツケースの品質がその所有者の人間の「価値」を規定するかのように、持ち物の差異を気にすることがあるという「人間の悲しい本性」が述べられている。そのくだりは小説の中では以下のように綴られている。
 The thing is, it's really hard to be roommates with people if your suitcases are much better than theirs — if yours are really good ones and theirs aren't. You think if they're intelligent and all, the other person, and have a good sense of humor, that they don't give a damn whose suitcases are better, but they do. They really do. It’s one of the reasons why I roomed with a stupid bastard like Stradlater. At least his suitcases were as good as mine.

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