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懐かしきフィラデルフィア

  • 2011-09-05 (Mon) 08:56
  • 総合

 ワシントンを出て、ペンシルベニア州のフィラデルフィアに入った。トーマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンらによって、1776年、この国の独立宣言が署名された地として知られている。アメリカはここから生まれた。英国から独立を果たすまではフィラデルフィアこそアメリカを代表する都市、当時はロンドンに次ぐ大都会であり、独立後も1790年から1800年まではここが首都とされていた。
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 実はフィラデルフィアは1974年の冬、留学していたジョージア州から一度だけ足を運んだことがある。37年ぶりの再訪だ。今回の旅でぜひ、訪れたいところがあった。当時、貧乏学生の私を快く受け入れてくれた日本人宣教師、ピーターさん夫妻の家だ。ご夫妻は既に帰国されており、もはやその家に知っている人が住んでいるわけではないが。
 記憶も定かではないが、その家で新年をはさんだ2週間程度お世話になった。クリスチャンでもない私はただ単に日本人というだけで、その家を訪ね、食事から何から面倒を見ていただいた。私は世間知らずの20歳の学生。今から考えると、よく見ず知らずの人の家にお世話になったものだと思う。ずっと南部ジョージア州の小さな町での暮らしだったから、北部の州の大都市の空気が吸いたかったことだけは覚えている。
 ピーターさんの奥様の久子さんは確か、2人目の赤ちゃんが生まれたばかり。上のまだ幼児の男の子と時々一緒に遊んだような、いや、彼が遊んでくれたような。夕方になると、この子が最上階(3階)の部屋をあてがってもらっていた私に “Nasu-saan, the dinner is ready” といつも澄んだ大きな声で呼んでくれたことを覚えている。
 久子さんとは私が大阪勤務の時に再会した。ピーターさんは今では芦屋(兵庫県)を拠点に「子羊の群れキリスト教会」という布教活動を世界中で展開されている。今回の旅の前にも久子さんとは芦屋で会い、旅の無事を祈っていただいた。
 久子さんと私は偶然だが、誕生日が同じ2月5日。ジョージア州の大学に戻って間もなくその年の誕生日に彼女からバースデイカードが届いた。封を開けると、50ドル紙幣が1枚入っていた。「今のあなたにはこれが一番ありがたく思うことでしょう」との添え書きも。事実その通りだった。山間部の農家の出身で、親父がなくなり、長兄が跡を継ぎ、その長兄に無理言って、1年間留学させてもらっていた身。お金がなくて侘しい思いをしたことはないが、可能な限り「質素」な留学生活を送っていたことは間違いない。カードに包まれていた50ドル紙幣が輝いて見えた。
 さて、そのフィラデルフィア。さすがに何も覚えていない。もともと駆け足で訪ねた地である。ここはエドガー・アラン・ポーが一時期住んで代表作が出版された地でもある。彼の住居が国の史跡となっており、私もかつて足を運んだことがある。少しだけ、ポーの文学について書いてみたい。
  (グレイハウンドバスの停車駅はチャイナタウンに隣接していた。あなうれし。最初に目に入ったお店に飛び込み、チャーハンとスープをかき込んだ。味はぎりぎり及第点)

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