Home > 総合 > 改めてハングルについて

改めてハングルについて

  • 2019-10-25 (Fri) 13:12
  • 総合

20191025-1571976851.jpg 先のソウル訪問。うららかな秋日和の一日、国立ハングル博物館(국립한글박물관)を訪ねたことを書いた。初めての土地・場所はその時の空模様、雰囲気とともに記憶に残るような気がする。その意味ではハングル博物館は私は好印象で思い出すことだろう。
 ハングルを創設したのは朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)であり、1443年にハングル文字が誕生している。以下の展示紹介文があった。<1443年、ハングルが「訓民正音」という名称で創製された。朝鮮4代王世宗は文字の知らない不便な生活を耐えていた普通の民を哀れに思い、新しい28個の字母を創った。ハングルは世宗の愛民精神の産物である。ハングルは韓国語の音を表記するに最適な文字である。現代言語学の観点からも劣りしない優れた製字原理を整えている。世界の言語学者はハングルの独特性や科学的制字原理に賞詞を送っている。>(原文のまま)
20191025-1571976640.jpg 「訓民正音」の序文は以下のように紹介されていた。<わが国の音韻は中国とは異なり、漢字とは噛み合っていない。漢字が分からない一般の民は、言いたいことがあっても、自分の考えを書き表せずに終れることが多い。私はこれを哀れに思い、新たに28個の字母を作った。これは人々が簡単に学び、日々用いるのに便利にさせるためだ。>(同)
 以前に紹介した『漢字と日本人』(高島俊男著・文春新書)には以下の記述があった。<漢語と日本語とがあまりにもかけへだっていたために、日本語を漢字で書く、ということには、非常な困難と混乱とがともなった。その困難と混乱とは、千数百年後のこんにちもまだつづいている。そんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。
 『言語学者が語る漢字文明論』(田中克彦著・講談社学術文庫)では次の記述が印象に残っている。<日本の将来を考えるならば、むしろやるべきことは、「漢字文化圏」という牢獄の鎖をたち切って、そこからさっさと脱出し、日本語独自の道をさがすことにこそ力をそそぐべきだ。(中略)そして今、やはりこれからも何かマネをしなければならないとすればむしろ朝鮮人のやったハングル化の道である。言うまでもないことだが、朝鮮のハングルではなくて、日本のハングル=かな、あるいはローマ字によってである。
 私はずっと以下の疑念を抱いていた。大国・中国に隣接する韓国、当時は朝鮮王朝にとって、漢字と決別した独自の文字、ハングルを作ることは、単に言語的な利便性だけでなく、中国のくびきや影響からも逃れたいという隠れた意図があったのではないかという疑念だ。中国語にも精通している韓国の友人、Jさんにこの疑問をぶつけてみた。
 「いや、そこまでの意図はなかったと思います。『訓民正音』の序文にあるように、世宗大王は漢字を知らない庶民を哀れみ、ハングルを創設したのです。それで朝鮮王朝の人々は経済的・文化的に豊かな生活を送れるようになったわけです」とJさんは語った。
 私は中国語の独学を始めて以来、それまでの韓国語より中国語に力点を置いて学習してきた。やはり漢字を介しての学習は面白いからだ。認識を改めよう。ハングルの歴史も恐るべしである!

Home > 総合 > 改めてハングルについて

Search
Feeds

Page Top