Home > 総合 > お言葉ですが

お言葉ですが

  • 2013-07-31 (Wed) 13:22
  • 総合

 今の世に生まれて良かったと思う時がある。それは江戸時代のような主従の厳しい不条理の世に思いを馳せる時だ。
 菊池寛の作品を読んでいて、そのことを思い出した。『忠直卿行状記』。江戸時代初期、越前藩主だった松平忠直卿が臣下に対する不信から過ごすことになるすさんだ日々を描いた小品だ。主君に粗相をしたので、切腹してお詫びする、主君のご機嫌を損じたので夫婦共々自殺するという、今からは到底理解できない武家社会が描かれている。時代を遡ればどこの国でも見かけられた因習かもしれないが、やはり、やり切れないものを感じざるを得ない。
 赤穂浪士の討ち入りの話も昔から納得のいかないことがある。主君の仇討ちをこぞって強いられる家来も哀れだが、それを果たした末にお上から自死を迫られるのは、私などにはたまらない話だ。美談どころではなくなってくる。昭和(平成)に生まれて(生きて)良かったと思う。今の世の醜悪なることは江戸時代に比べるものもなく、私自身の存在そのものがそうした醜悪さの一因となっていることなど露知らないとしてもだ。
20130731-1375244486.jpg
 そう思いながら、毎朝自宅に届く英字新聞のThe Japan News(旧The Daily Yomiuri)を読んでいると 、スポーツ欄に興味深い記事を見つけた。北米カナダで行われていたゴルフのカナディアンオープンでブラント・スネデカー(米)が優勝を飾ったという記事だ。面白いのは、予選をトップ通過していたハンター・メイハン(米)が後半の決勝ラウンドを突如棄権していたことだ。愛妻の出産に立ち会うためだったという。さすが、アメリカと言うべきか。時代は異なるが、彼我の違いを考えさせられるエピソードだった。
 英字紙によると、スネデカー選手は「カンディ(メイハン夫人)にお礼を言わなくちゃ。彼女が予定日より早く分娩に入らなければ、ここでこうやって優勝トロフィーを手にしているかどうか分からない。ゾーイ(新生児)には私から素敵なプレゼントを贈ることにしている」とユーモアたっぷりにメイハン夫妻に謝意を表した。(“Zoe will be getting a very nice baby gift from me. I can’t thank Kandi enough for going into labor early. I don’t know if I’d be sitting here if she hadn’t. But that is a way more important thing than a golf tournament. I missed a golf tournament when my first was born, and it was the best decision I ever made. I’m sure Hunter would say the same thing.”)
 菊池寛の作品を読んでいて思ったことをもう一つ。『青木の出京』という短編で次のような文章があった。―― 彼はその瞬間、青木に対する自分の従僕的な位置が転換して、青木に対して、彼が強者として立って居るのを見出した。――
 私は大学で学生に英語を教えている。例えば、When I entered the room, I found her crying at the corner. という英文を学生に和訳させるとする。学生たちはほぼ間違いなく「私が部屋に入った時、私は彼女が隅で泣いているのを見出した」と訳してくる。(もっとも、菊池寛だけでなく、芥川龍之介の作品でも似たような表現に出くわした。彼らが接した当時の英米文学の影響ではないかと私は個人的に考えている=続きで)
 これに対して、私は「彼女が隅で泣いているのに気付いた」あるいは単に「彼女は隅で泣いていた」と訳したって構わない、そちらの方がより自然な日本語だと説明している。「found=見つけた、見出した」という硬直的な訳はやめようと。
 大正・昭和初期の文豪たちに盾突くつもりは毛頭ない。
 (写真は、スネデカー選手の勝利を伝える The Japan News の紙面)

 その内に信子は長い間、捨ててあつた創作を思ひ出した。そこで夫の留守の内だけ、一二時間づつ机に向ふ事にした。夫はその話を聞くと、「愈いよいよ女流作家になるかね。」と云つて、やさしい口もとに薄笑ひを見せた。しかし机には向ふにしても、思ひの外ペンは進まなかつた。彼女はぼんやり頬杖をついて、炎天の松林の蝉の声に、我知れず耳を傾けてゐる彼女自身を見出し勝ちであつた。(芥川龍之介の『秋』より)
 その内に静な茶の間の中には、かすかに人の泣くけはひが聞え出した。信子は新聞から眼を離して、袂を顔に当てた妹を長火鉢の向うに見出した。(芥川龍之介の『秋』より)

Home > 総合 > お言葉ですが

Search
Feeds

Page Top