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教え方はrustyになりたくない!

  • 2017-03-29 (Wed) 12:45
  • 総合

 久しぶりにゴルフの練習に出かけた。コースに最後に出たのはいつだったか、記憶にない。去年は一度もクラブを握っていないから、もう少なくとも1年半以上はゴルフから遠ざかっている。石部金吉的日々でもたまのゴルフぐらいはできるかと思うのだが、不善をなすばかりの小人にしても色々やることがあるとそうもいかない。
 来週宮崎に戻る用事があり、それに乗じて親しいゴルフ友達とプレーを約束した。それで重い腰を上げ、久々のスウィング。休眠中に少しはましになっているかと密かに期待していたが、やはり、駄目なものは駄目。まともに真っ直ぐ飛んでくれた球は少なかった。英語で表現すれば、“My lousy golf swing was the same as ever.” (私のスウィングの下手さは全然変わっていなかった)あるいは “My golf swing was as rusty as ever.”(私のスウィングは相変わらずお粗末だった)だろうか。lousy(下手な、ひどい)も rusty(さびた、下手になった)もできれば親しく付き合いたくない語だが・・・。
                  ◇
 『第二言語習得論に基づく、もっとも効率的な英語学習法』(佐藤洋一著・ディスカヴァー携書 2015年)という本を読んだ。短期間でTOEICの点数アップを目指す英語学習者を念頭に書かれたマニュアル本で、英語文法の基本を押さえる大切さが強調されていた。著者の言葉を借りれば、「文法のコアを徹底的に押さえる」ことがTOEICの点数アップのかぎを握る。それは端的に言えば、英語学習では「肯定文、疑問文、否定文」を理解することと「品詞の役割」を理解すること、この二点に尽きるのだという。
 動詞はbe動詞と一般動詞から成るが、著者は「英語では一文中に動詞の数は一つという絶対のルールがあります。そのため、be動詞のすぐ後ろに動詞の原形を置いてしまうと、それは文法的ではないということになってしまいます」と述べている。
 次の例文。“I am play baseball.” 英語学習者はなぜこのような文法的に正しくない文章を書いてしまうのか? 諸説あるだろうが、著者は “I am play baseball.” に対応する日本文「私・は・野球をします」から、このような間違いを犯す学習者はbe動詞が日本語の「は」や「が」に対応しているという勘違いをしている可能性を指摘している。
 私はこれまで四年間、大学で英語を教えてきた。実は上記のような英文を書く学生が幾人かいた。そういう文章に出くわす度に「amと play はここでは『共存』することなどあり得ないだろう!」とショックを受けていた。そうか、彼女たちは一つの文章の中でbe動詞と一般動詞を立て続けに書くことにあまり「抵抗」を感じていなかったのか。だから、例えば「私はテニスをするのが好きだ」という文章を英訳させると、“I am like to play tennis.” といった文章が生まれることになる。私はbe動詞と一般動詞をそのまま「混在」させてはならないというのは英語学習者の「常識」と思い、特段そのことに注意を喚起することはしなかったが、ひょっとしたら、こういうこともあえて説明してやっていれば、基本的なことに気づきが及んだ学生もいたのかもしれないと、今にして思い至っている。大学レベルでそういうことを知っているのは当然のことと突き放す考え方もあるだろう。しかしながら、私には示唆に富んだ「指摘」となった。これからの授業に活かしたい。

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