- 2020-12-15 (Tue) 14:20
- 総合
前日に触れた話題の続き。私の故郷、宮崎県西都市の銀鏡地区での夜神楽奉納。14日夜からほぼ夜通し、パソコンの前に釘付けとなった。まさか福岡でYouTubeの生中継を通し、銀鏡夜神楽を観ることができるとは思いもしなかった。コロナ禍がもたらした苦肉の策だが、私は親しい友人・知人にこのライブ中継をメール等で連絡し、興味を覚えれば是非観て欲しいと伝えた。銀鏡のような山深い地に一生足を運ぶことのないだろう人たちが銀鏡神楽を少しでも記憶の端に留めてくれたならと願う。
私は神楽が舞われる前の午後4時過ぎからYouTubeを観たが、福岡が薄暗くなり始めても銀鏡神社の境内はまだ明るかった。宮崎県が南の地であることを再認識した。あまりこういうことは書きたくないのだが、銀鏡は世に言う限界集落に数えられる地区。近年では地元の会社、かぐらの里食品の奮闘で若い人の雇用も増えつつあるとの朗報も耳にするが。いずれにせよ、銀鏡地区の住民、出身者の精神的拠り所となっているのがこの夜神楽だ。山村留学生の若者を祝子(ほうり)と呼ばれる舞い手に加えて命脈を保ち続けている。
私は銀鏡夜神楽の笛太鼓の音を聞くだけで懐かしさで胸が一杯になる。子供の頃には親からもらった小遣いを手に境内のおもちゃの屋台店をのぞくのが楽しみだった。もう60年近い昔の話だ。今から考えればたわいないおもちゃだったのだが、子供心には華やいだ気分に浸れた。神楽の独特の笛太鼓の音を耳にするだけでそうした思い出が脳裏に去来する。私のように銀鏡を去って異郷に暮らす者には毎年12月14日の夜にだけ夜通し舞われる神楽は(今は亡き)両親や故郷との絆に思いを馳せるよすがだと思う。
ところで夜神楽を現地で観るのはそう楽なことではない。宮崎県内とはいえ、山間部の冬は冷える。雪こそ降らないものの深夜にはかじかむような寒さとなる。境内に数カ所大きなドラム缶が置かれ、その中で木々を燃やし、見物客は暖を取れるようになっているが、それでも寒かった。さすがに徹夜まではしなかったが、それでも翌日の未明までは付き合った。今回は自宅で風呂上がりにガスストーブでぬくぬくしながら、パソコンの画面に向き合った。平日は断酒を原則としているが、今宵は現地で神楽を観ている気分に浸るため、焼酎をちびりちびりやった。こんな「快適」な夜神楽見物は初めてか。
YouTubeの映像が綺麗だったこともあり、神楽の舞いに魅了された。実際に現地で観ると、見物客も少なくなく、舞台近くに立つことができないと細部の舞いをじっくりと観ることはできない。昨夜は舞い手の顔の表情まで観察できた。私にとっては地元に残った同級生や地区の先輩など懐かしい顔に接することができて嬉しかった。一夜明けた15日には本殿祭での舞いも堪能できた。これもYouTubeでしか味わえないものだろう。
銀鏡神社を囲む山並みの美しさにも目を奪われた。故郷に帰る度に思うことであるが、山の緑が輝いている。自分はなんと美しい地で育ったことかと思う。限界集落であれ、何であれ、銀鏡の地で育ったことを誇らしく思う。
とここまで記して、最後の演目、寸劇のような「ししとぎり」が始まった。今年は大勢の見物客がいないのでなんか妙な印象。それでも老夫婦に扮した村人の言葉がマイクを通してよく聞こえた。心地よい米良弁。地区外の人には理解するのは難儀だったろう。
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