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August 2021

全家福=家族写真

 じんましんを発症して以来、脳内が夏休みに入ったみたいで、ブログをアップするのも難儀になった。ふと気がつくともうすぐ9月だ。2021年も残すところ4か月。あっという間に過ぎ去ろうとしている。年を取るのが早いはずだ。
 いつから見始めたのか覚えていないが、このところずっと毎週土曜日夜にケーブルテレビで観ている中国の放送局のドラマがあった。中国語では「全家福」というタイトルで、邦訳は「家族写真」。はまるつもりはなかったが、はまってしまい、土曜夜は野球中継が佳境になっても、このドラマにチャンネルを変更し、一時間半ほどたっぷり付き合わされた。
 放送局の解説文によると、1940年代から2008年の北京五輪までの期間、北京の伝統的な家屋に住む3世帯の家族の生活を通して中国社会の変遷を描いたドラマとか。主人公は昔気質の大工王满堂。もちろん日本語字幕があるからフォローできたのだが、時に私の耳でも聞き取ることができる会話もあり、それなりに楽しめた。
 土曜日(28日)が最終回だった。最後の最後に、老いた大工の王满堂から耳の痛い言葉が飛び出した。40過ぎても独り身の息子に彼が早く身を固めるよう諭す場面の言葉だ。
 ネットの助けを借りて彼のセリフをここに採録すると、「一个男人 无论他干成多大的事 这辈子如果没被一个女人喜欢过 真心爱过 不能挑起一个门户来 他就不算一个真正的男人 就不配我夸他」。字幕の日本語表現は一瞬だからここに採録は到底無理。上記の文章を私の拙い訳で勘弁してもらう。「男というものはだな、どれほど大きなことをやり遂げたとしても、人生で一人の女性に好きになってもらえなければ、心から愛してもらえなければ、一家を成したとは言えないし、本物の男とみなすこともできない。私はほめることもできない」。だいたい、こんな意味合いだったような気がする。
 「真正的男人」は中国語の素養がなくとも、「本物の男」ぐらいの意味ではないかと推察できるような気がする。英語だと “a real man” とでもなるのだろう。上記のセリフがテレビから流れた時、ずっと独り身で暮らし、これからも一人で生きるであろう私は頭を垂れるしかなかった。おとっさん、おっかさん、許してたもれ!
 中国語のタイトル自体が家族の大切さを説いたものだとか。家族は多ければ多いほど幸せであり、だから家族全員が映った写真が「全家福」と呼ばれるらしい。私は幼い頃に母方の祖父母の家に親戚一同が大勢集まり、田んぼに勢揃いして撮影した写真を今も大切にしまっている。昭和30年代の日本の農村が香り立ってくるような白黒写真だ。これなどまさに「全家福」だと思う。残念ながら私には叶わない福だ。
 中国のドラマ「全家福」を見終えて、正直ほっとしている。NHKの朝ドラをなぜ見ないかというと、癖になるからだ。癖になると、身動きが取れなくなる。それでなくとも見たい、見ているスポーツ中継、将棋中継などが目白押しだ。韓国ドラマも最近はすっかり遠ざかり、たまにちょっとの間、つまみ食い的に観ている程度だ。ケーブルテレビの番組表を先送りすると、「全家福」の後にまた面白そうなドラマが始まるようだが、もう付き合うのはよそうかと思っている。思ってはいるが、土曜日夜がやって来ればまたチャンネルをカチャカチャしているのかもしれない!

食あたり?

 ブログを前回アップしてから突然、体調を壊した。何が原因なのか分からない。全身にじんましん、熱も出た。火曜日夜が酷かったか。ほとんど寝れなかった。思い当たるのは食あたり。関西の人から送られてきた食品に賞味期限直前の物がいくつかあった。私は胃腸が丈夫だから、気にはしなかった。で、その肝心の食品を二つ食した。関西の名店のものだったが、とても旨いとは思える代物ではなかった。ただ、頂き物だしと思い、有り難く平らげた。その晩からお腹の具合が宜しくなくなった。
 コロナを心配したが、熱はさほどでもなく、味覚もしっかり残っている。じんましんが一向に消えないため、皮膚科医院を訪ね、診てもらい、飲み薬を処方してもらった。まだ微熱があるような感じだが、測ってみると、ほぼ平熱に戻っている。うーん? よく分からない。まだぼぉーとしている。それで昨日(金曜)夕刻も週末の楽しみにしている焼酎に手をつけなかった。そういう気にもならなかったと言うべきだろうか。じんましんに飲酒がタブーなことは承知している。
                  ◇
 体調の回復を感じたのはこの項を書き始めた昨夜から。今こうやって続きを書いている本日(土曜)朝、体調はほぼ回復したような印象だ。じんましんはところどころに「出没」しているが、痒くてたまらないということはなくなった。今日一日静養すれば大丈夫かなと願っている。
 本当ならまた海に行き、泳ぎたいのだが、窓の外は曇天。天気予報によると、台風が発生し、来週にかけ九州に向け、北上する可能性があるとかで、泣きっ面に蜂か。まあ、テレビをつければ高校野球に大谷翔平君が活躍する大リーグ、プロ野球、さらには海外のゴルフ中継とほぼ一日中、スポーツ放送が楽しめるありがたい夏。
 高校野球と言えば、我が郷土の代表、宮崎商業は部員にコロナの感染者が出て、土壇場で出場を辞退した。戦わずして敗退。一生一度の甲子園でのプレーを楽しみにしていた部員たちは残念極まりないことだろう。ところで、先ほどNHKラジオをかけ流していたら、西東京の東海大菅生が大阪桐蔭に8回表1死で降雨コールドゲームとなった試合が話題となっていた。大阪桐蔭に7対4と3点差に詰め寄っており、東海大菅生ファンは内心忸怩たる思いだったことだろう。
 私が気になったのは上記のラジオの中でこの試合が雨のため、降雨ノーゲームとなったと説明されたような気がしたことだ。ノーゲームは試合が成立せず、再試合となることで、コールドゲームとは天と地ほどの違いがある。当然訂正があるものと思い、しばらくラジオを聴き続けたが、訂正はなかった。私の聞き間違いだったかもしれない!
 降雨コールドゲームは英語では called game と書くが、私はいまだに語感的には cold game という気がしてしまう。負けを宣告されたチームに「冷たい」仕打ちという感じがするからだ。この表現で当然、想起するのは仕事の場などで「今日はこの辺で終わりにしよう」という嬉しい呼びかけの “Let’s call it a day!” だ。私は新聞記者稼業を56歳で「引退」したが、その時に “Let’s call it a career!” と思っていたのかどうか・・・。

アフガニスタン、再びタリバン支配へ

20210817-1629181487.jpg アフガニスタンの親米民主政権が遂に崩壊した。あまりにもあっけない終焉だった。政権を奪取したのはかつてアフガンを支配していたイスラム主義勢力のタリバン。2001年9月にイスラム過激派のテロ組織、アル・カーイダによる米同時テロを受け、米軍がアフガンに進攻し、政権の座を追われて20年。アル・カーイダやイスラム過激派勢力が再び活気づく可能性も否定できない。なにより、西側の民主主義を全面的に否定し、特に女性の社会進出を忌み嫌うタリバンの再興は国際社会にとって悲報であり、脅威でもある。
 首都カブールから多くの外交官、国民らが逃げ出す中、現地にとどまったとみられるCNNの女性記者が銃を手に意気軒昂のタリバンの幹部戦闘員らにマイクを向けていた。この幹部は流ちょうな英語で「婦女子はこれからも教育を受けることができる。ただし、顔全体を覆うヘジャブをかぶらなければならない」と話していた。アフガニスタンの女性のためにもそうした「柔軟さ」がリップサービスでないことを祈りたいが、タリバンが具体的にどのような施策を打ち出すのか?
 私は国際情勢の取材の現場を離れて久しいが、今回のアフガン民主政権崩壊すなわち米国のアフガン撤退はベトナム戦争のサイゴン陥落のような衝撃(大事件)ではないかと思える。「瓢箪から駒が出る」みたいにアフガニスタンが安定することにつながれば、まさに奇跡的な展開だが、そんなに甘くはないだろう。
                  ◇
 数日前、次の文章が頭に浮かんだ。「私は中学生時代に一人でアメリカに旅した男を知っている」。続いてこの文章をそれぞれ、英語と中国語、韓国語に翻訳したら、どういう文章になるだろうかと考えてみた。英訳はまあこんな感じだろうか。I know a man who traveled to America alone in junior high school. 中国語と韓国語の対訳はネットの助けも得ながら考えてみた。それぞれ次のような文章となるのではないか。「我认识一个中学时代独自去米国旅行的男人」。「저는 중학생때 혼자 미국으로 여행갔던 남자를 알아」。
 日本語は「私は・・・男を知っている」と主語と述語が遠く離れ、述語は文末に置かれている。韓国語も同様に「저는・・・남자를알아」と主語と述語が離れ、述語は文末にある。これに対し、英語は「I know a man」と始まり、中国語も「我认识」と「私は・・・知っている」が文頭に出てくる。ただし、英語ではその男が「中学生時代に一人でアメリカに旅をした」という大事な情報は、関係代名詞を使い、そっくり後ろから説明されている。
 これに対し、中国語では「一个・・・男人」の間にそうした情報がぎっしり詰め込まれている。この点では日本語に近いと言えるかもしれない。
 このブログでも何度か書いているが、外国語学習の要点は語順の習得にあると考えている。英語では大事な情報は後ろから添えられる。日本語と韓国語では大事な情報は基本、前から順序よく付け加えていく。私は中国語はSVOを念頭に置きながらも、大事な情報は前置きしてもOKという印象を抱いている。だから、「一个・・・男人」というように言わば、英語の a と manの間に諸々の情報を詰め込むことが許される、と理解している。こんな感じで英中韓の言語の学習が進めばいいのになあと願っているが、はてさて? 

再び豪雨

20210815-1628999258.jpg 本日は日曜日。窓から少し晴れ間も見える。このところの陰鬱な雨模様とは雲泥の差だ。この晴れ間も長続きはしないのだろう。ほどなく曇天、雨天が戻ってくるものと思われる。それにしても全国的に信じ難いほどの雨が降っているようだ。NHKテレビを見るのも億劫になるほど洪水や水害に備えるようにとの警告が流れ続けている。
 お天道様が東京オリンピックの閉幕を待っていたかのようだ。この豪雨被害がオリンピックと重なっていたら、海外から来日していたオリンピック関係者は日本の防災の脆弱さの印象をも抱いて帰国の途に就いていたことだろう。まあ、それが日本の現実だから致し方ないことではあるが。地震に台風、水害。こうしたものは備えるにしても限度がある。
 米国に戻った大学時代の恩師からも九州の友人たちの身を案じるメールが届いた。Nearly two million people have been urged to evacuate their homes amid heavy rainfall in parts of Japan. (日本各地を襲っている豪雨で200万人近い人々が自宅から避難するよう求められている)というBBCの見出しを目にすれば心配にもなるだろう。
 豪雨の一方でコロナ禍は一向に収りそうにもない。いやそれどころか、感染者数は上昇の一途だ。ワクチン接種を終えたからと言って安心するわけにはいかない。いやはや、メダルラッシュで沸いた2021年の夏は別の意味で記憶に残ることになるのかもしれない。
 事の重大さは承知している。それにしても、テレビやラジオで「災害の危機が迫っています」とか「命を守る行動を取ってください」とか繰り返し放送されるとますます滅入ってしまう。気象庁などの専門家の警告もほとんど同じ内容で定時ごとに繰り返されると、もっと他にやり方はないものかと思ってしまう。彼らも仕事だから、苦情を呈するのは間違っていることは理解しているが。
                  ◇
 海外のニュースもきな臭いのが多いが、その中でもやはり気になるのはアフガニスタン情勢だ。一国の内戦は所詮、その国のことだから、他国がとやかく言うことは筋違いかもしれない。心穏やかでなくなるのは結果的にその国の国民が理不尽な圧政で困窮するのを見聞するときか。アフガニスタン全土を席巻する勢いのイスラム過激派タリバンはまさにそうした統治を実現しそうな旧支配勢力だ。
 タリバンの復活で最も懸念されるのは、タリバンがその社会進出を忌み嫌う女性たちの行く末だろう。BBCではそうした女性たちの嘆きを紹介していた。米英軍が軍事侵攻によりタリバン政権を崩壊させ、現在の穏健な政権を樹立して20年になる。その間に生まれ育った若者、特に女性にとっては男女の性差のない自由で平等な統治が当たり前の社会だったのだろう。
 それが間もなく瓦解し、かつての閉塞的な社会に逆戻りする。彼女たちの落胆は容易に想像できる。閉塞的だけでなく、米軍に協力的な言動をしてきた人々にとっては報復の死が待っている可能性が大だ。国際的テロ組織アル・カーイダの台頭にもつながるタリバンの政権復帰は日本を含め国際社会にとっても容認しがたい動きであることは間違いない。駐留米軍の撤退は「誤り」(ベン・ウォレス英国防相)との見方も報じられ始めている。

母が逝って20年!

 東京オリンピックが終わった途端に福岡は曇天が続いている。海も荒れ模様だ。昨日は新宮海水浴場に足を運んだが、波が荒くて泳ぐ気は失せてしまった。天気予報を見る限り、今後も雨か曇りマークがずっと続いている。困った。
 オリンピックが終わったと思ったら、甲子園の高校野球が開幕した。プロ野球も間もなく再開する。大リーグはずっと続いているが、大谷翔平君の打棒がすっかり湿っており、あまり見る気も起きない。とはいっても、YouTubeで生中継が楽しめるから、付き合っている。
                  ◇
 ふとカレンダーを見上げて、明日は12日か。そろそろお盆だな。毎年のことだが、12日はお袋の命日ではないかいな。妹と姪っ子に確認のラインをすると、そう、もう20年になるとよ、との返事が来た。え、20年も経つのか!当時はまだブログを始めておらず、頼りになるのは新聞記者時代の手帳しかない。引き出しの奥にしまってある2001年の手帳を取り出す。大阪で英字新聞課に勤務していた。パチンコ店で妹から母危篤との電話を受けると記してある。愚かな息子だった。あれから20年。私はこの間、一体何をしていたのだろう?命日は明日だが、一日早くお袋を思い出し、今夜は一杯やろう!な、おっかさん!
                  ◇
 海外のニュースも憂鬱なものばかり。地球温暖化の進行で異常気象がますます深刻な様相を呈しているとか。イスラム過激派勢力タリバンが攻勢を強めているアフガニスタン情勢はいよいよ危機的状況にあるとか。飢餓が懸念されるエチオピアでは北部のティグレ地区での内戦が沈静化しつつあると思っていたが、再び戦闘が激化する雲行きだとか・・・。
 ところで「深刻」という語は中国語では日本語とは若干ニュアンスが異なるようだ。中日辞典を眺めていて気づいた。日本語では「深刻」はネガティブな場面でしか使われないかと思う。誰も深刻な場面に遭遇したくないだろう。中国語ではその意味は①深い、本質をついた②(感情、印象などが)深い、強いと載っている。ポジティブな意味合いで使われるようだ。発音を敢えてカタカナ表記すると「シェンクー」。
 明るいニュースは皆無に近い中、笑えなくもない話題も。例えばトランプ前米大統領にまつわるニュース。トランプ氏の長年の不正に対し法の手が着実に伸びつつあるとの諸々の報道がYouTubeで賑々しく流れているが、ジュリアーノ元ニューヨーク市長の状況も切迫しているようだ。彼はトランプ前大統領支持の急先鋒となっていたが、トランプ氏が失脚して以降、火の粉を一身に浴びつつある。だが、トランプ氏陣営からは一切の助け船がないらしい。ジュリアーノ氏はトランプ氏を擁護したために膨大な額の損害賠償訴訟も抱えており、投獄・破産の危機に瀕しているとか。自業自得と言えようが、私が見たYouTubeではトランプ氏自身は盟友の苦難さえ平気で傍観できる人物だと評していた。
 ジュリアーノ氏が最終的にトランプ氏に反旗を翻し、トランプ氏を告発する証言に出る展開になればアメリカの民主主義に深刻な亀裂をもたらしてきている「トランプ劇場」は大団円を迎えることになるのだろう。果たして・・・。

東京オリンピック閉幕

20210808-1628431844.jpg (パラリンピックはこれからだが)東京オリンピックが終了した。コロナ禍があり、賛否両論の中での開催となったが、とにもかくにも最後までやり終えることができて良かったと思う。評価はどうあれ、国際社会に対して約束した公約は果たさなければならなかっただろう。男子体操の橋本大輝選手の個人総合優勝、水泳の大橋悠依選手の金メダル2個の力泳、男女卓球の団体戦での奮闘など感動的なシーンを目にすることができた。驚いたのは何と言っても、(突如として出現したような気がした)女子バスケの大躍進。「なでしこジャパン」の称号は彼女たちに捧げたい。
 今回のオリンピックではテレビに釘付けとなった。テレビの力を再認識させられた。ただ私はテレビ、いわゆる地上波テレビの力は着実に衰えつつあるのではないかと思っている。私はニュースとスポーツ中継以外はほとんどテレビを見ない。ドラマやバラエティ番組などは興味もない。将棋や麻雀、外国語ドラマなど特化した番組はケーブルテレビやパソコンで好きな時に自由に楽しめる。パリ五輪は3年後だ。その時も我々は地上波テレビの前に釘付けとなるのだろうか。東京五輪はそうした光景が最後の五輪の気がしてならない。
                  ◇
 新宮海水浴場。クラゲに刺された左首の腫れは一週間過ぎてもまだ残っている。しかし痛みはほとんど感じなくなった。クラゲ防御にも効果を発揮する日焼け止めクリームがあるとネットで知り、薬屋さんを何軒かのぞいたが、売ってなかった。仕方ない。それで時々お世話になっている皮膚科医院に行き、塗り薬をもらった。
 クラゲ対策になるか分からないが、その塗り薬を塗り、海に入っている。幸い、その後はクラゲに刺されてはいない。ゴーグルで海中に目を光らせ、警戒しながら泳いでいる。週1で英語を教えている専門学校がしばらく夏休みに入ることもあり、できるだけ泳ごうと思っている。少しはシェイプアップするかしら。いや、この程度では到底無理だろう!
                  ◇
 NHKラジオの中国語講座に関し、部屋の外から「入ってもいいですか?」と尋ねる文章は中国語では英語と同様、部屋の中にいる人(聞き手)の立場に立った「可以进来吗?」という言い方が標準的だと書いた。聞き手の立場から見たら、許可を求めている話者は「来」(come)なのだ。日本語の「発想」では話者が許可を得て部屋に入っていくのは「去」(go)と思える。だから、我々日本人は上記の英語表現はつい “May I go in?” と言いそうだが、正しくは中国語のように “May I come in?” になる・・・。
 もう一つ付け加えておきたい。上記の放送の翌日だかに「彼がアメリカに帰って来た」という文章が「他回美国来了」と紹介されていた。この例文自体が不自然だとは私は思う。講座の聴取者がアメリカにいるのであれば自然な表現だろうが、聴取者は日本にいるわけだから、「アメリカに帰って来た」という文章はあり得ない。「彼がアメリカに帰って行った」とすべきだろう。「他回美国去了」となる。語学の学習であまり細かいことにこだわるのは野暮とも思うが、私はこうしたことが気になってしまう。「山を見ずに木ばかりを見て」いるのかもしれない。

憎っくきクラゲ

 日曜日に新宮海水浴場でまた泳いだ。それはいいのだが、泳いでいてクラゲに左首の辺りを刺されてしまった。激痛が走った。帰宅後も痛みが消えない。触ってみると、腫れはこんもりと盛り上がり、痛い。一晩過ぎれば大丈夫だろうと考えたが、身体のほてりが収まらない。そのうち、寒気がしてきた。悪寒さえ感じるようになり、冷房を消したり入れたり。風呂に入ってベッドに横になったが、熱があるのか、全然寝付けない。午前5時頃までうつらうつらしながら、気がついたら朝になっていた。
 左首に手を当てると、腫れはそのまま。痛みは若干治まったように感じたが、まだ痛い。時々お世話になっている皮膚科の医院に行こうかとも考えたが、自然治癒を待つのが一番かと思い直した。このブログを書いている水曜朝も腫れはまだかなり残っている。痛みはだいぶ楽になった。ネットで調べると、クラゲに刺されないようにするクリームもあるのだとか。この次泳ぐ時にはそのクリームを買って行こう。
 それでふと思った。新型コロナウイルスのワクチン接種の前後にクラゲに刺されていたら、大変なことになっていたかもしれないと。ど素人の考えだが、これだけの痛みが残る毒を体内に「注入」されたのだから、ワクチンがもたらす副反応で想定外の深刻な症状を呈していた可能性もあるのでは。くわばら、くわばら。接種完了後しばらく経過してから海で泳ぐようになった展開に神様のご加護があったと感謝したい!
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 コロナ禍の猛威の中、オリンピックが佳境を迎えつつある。火曜日の夜は男子サッカーの準決勝戦に出場した日本チームに熱心に声援を送ったが、最後の最後に力尽きた。0対0で推移していたところで日本が何度かゴールできる惜しいシーンもあっただけに悔やまれる。
 男子体操の最後の競技。種目別決勝の鉄棒。個人総合で金メダルを取っていた橋本大輝選手が二つ目の金メダルで有終の美を飾った。手足の先まで伸びきった美しい演技だった。体操日本ここにありという感じだった。あっぱれ!
                   ◇
 NHKラジオの中国語講座。部屋の外にいる人が中にいる人に対して入室する許可を求める表現が紹介されていた。日本語では「入ってもいいですか?」となるが、中国語では相手の立場に立った「可以进来吗?」という言い方が標準的だとか。日本語だと「入って来てもいいですか?」という訳文となるか。
 英語では上記の場合、相手の立場から見た “May I come in?” となる。”May I go in?” という言い方はしない。英語と中国語が似ていると感じるときが多々あるが、この表現もその一つだ。
 もっとも、講師の先生は「日本語では入って来てもいいですか?」とは言わない。それは中にいる人から見た言い方だから、というようなことをおっしゃっていた。私はそうは思わない。多くの日本人が今では「入って来てもいいですか?」とも言っているような気がする。なお、中国語では上記の表現は「可以进去吗?」(入って行っても)という自分の視点から見た言い方も可能だとか。それだと日本語とほぼ同じようだと感じてしまうのだが・・・。

“twisties”

20210802-1627861815.jpg 旧聞に属する話題で恐縮だが、東京オリンピック男子体操。団体では銀メダルに終わったが、個人総合では若きエース、橋本大輝選手が初めての金メダルを獲得した。まだ20歳前の若さ。内村航平選手の後継者の誕生だ、なんてことはこのブログでとっくに書いていたと思っていたが、友人とラインでやり取りしていたに過ぎなく、このブログでは何の言及もしていないことに気づいた。
 私は高校時代に器械体操クラブに所属して、日々練習に励んでいた。だから体操には懐かしさもあり、熱心に見入ってしまう。私の体操自体はお粗末極まりないレベルだったが、床運動ではバク転や宙返りも何とかこなしてはいた。あの頃の体型が欲しい!
 橋本選手が個人総合で逆転優勝を決めた鉄棒の演技を見たが、素晴らしいの一言だった。最後の着地で少し動いたが、数々の離れ業は見事に決め、実に雄大な演技だった。身長は166㌢らしいが、もっと高くあるように思えた。手放し技をあれほど綺麗に正確に決めることができるのは人間業とは思えない。一つ小さなミスが出たら、大けが、場合によっては命にかかわる大事になるだろう。
 私はそんなことを考えながら体操競技を見る。床運動や平行棒など他の種目でもそうだが、特に危険が一杯なのは男子では鉄棒が筆頭だろう。女子では文句なしに平均台か。あの幅10㌢の狭い木製の台の上で跳んだり、宙返りしたり、これも人間業とは思えない。全然「平気ん台」ではないではないか。そんなことを考えていたら、女子体操の第一人者でアメリカチームのエース、シモーン・バイルス選手が途中棄権したというニュースに接した。
 団体総合決勝で最初の跳馬を跳んだ後に急遽、次の種目から欠場したのだという。米国チームは「心の健康の問題」をその理由として挙げていた。これだけではよく分からない。外電を読んでその理由が分かった。彼女は体操競技関係者が言うところの “twisties” に悩まされていたのだとか。“twisties”とは “a loss of air awareness during routines” と説明さていた。日曜日のジャパン・ニュースが掲載していたAP電が分かりやすかった。次のような記述があった。Biles said on social media Friday that she is dealing with what is defined as “the twisties”: the sudden inability to feel comfortable while twisting in midair.
 跳馬(vault)や床運動(floor exercise)などの種目で空中でひねりを加えたり、宙返りを試みている時に、突然、脳からの信号に身体がうまく調和しなくなるということのようだ。両者がかみ合わなければひねりも効かないだろうし、着地も不安だ。空中に浮かんだ状態で突然そのような事態に陥れば、着地に失敗し、重大な事故を招く危険性もある。その恐怖感は察して余りある。
 世界の一流選手がなぜこのような異常事態に陥るのか。素人なりに考えても、おそらく心理的な要因が絡んでいるのだろう。“twisty”は辞書には「曲がりくねった」という意味が載っている。ゴルフではグリーン上のパッティングなどの場面でプレッシャーから簡単なパットを外したりする現象をイップス(yips)と呼ぶことが広く知られている。将来、体操や類似の過酷なスポーツの場で上記のような突然の機能不全の出現をトィスティーズと呼ぶことが当たり前のことのようになるのだろうか。

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