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July 2021

新宮海水浴場

20210729-1627564664.jpg 連日オリンピック観戦と大谷翔平君の大リーグ。これでは全然仕事にならない。へたするとほぼ一日中、テレビとパソコンに付き合わされる羽目に陥る。
 本日(木曜日)。この日は週一の中国語講座がお休みだったこともあり、先日来、考えていることを実行した。最近の暑さもあり、海に出かけ泳ぐということだ。ジム通いをやめ、プールで泳ぐことをやめて久しい。最後に泳いだのはいつか覚えてもいない。鹿児島・南大隅町の友人を訪ね、錦江湾で泳ぐことも頭をよぎったが、このコロナ禍ではさすがに先方が負担に感じるだろう。私はワクチンの接種を二回済ませてはいるが・・。
20210729-1627564711.jpg 郷里の宮崎とてもやはり福岡から戻ってきたとなると、あまり歓迎されないことは分かり切っている。それで、かつてメンバーだったジムで回数券でも購入してプールで泳ぐことも考えたが、気乗りはしない。それで近くの海で泳げないかなと考え始めた。思い出したのは中国語講座の受講生の一人が新宮に住んでいて、時々海辺の話をされていたこと。新宮は私のところからも近い。ひなびたローカル電車で10分ほどの距離。ネットで調べると新宮海水浴場は終点の駅から徒歩5分とある。とにかく現地に行ってみよう。それで本日、水泳パンツを短パンの下に履き、ゴーグルを袋に入れて駅に向かった。
 海水浴場は予想以上に閑散としていた。素早く衣服を浜辺に脱ぎ捨て海に入った。裸足になって波打ち際に行こうとすると、いやはや、砂の熱いこと、やけどしそうなほど熱い。こんなことはすっかり忘れていた。恐る恐る海中に入ると、気持ちがいい。ゴーグルをはめ、とりあえずクロール。
 しばらく泳いだり、海中を歩いたり、仰向けになって浮かんだりした。久しぶりの泳ぎなので、足が海底(水底)に届かないところにはなるべく行かないようにしていた。さてそろそろ上がろうと思った。立ってみると全然足が届かない。あれ、こんなところまで来たつもりはないのに。ゴーグルをつけているから、海底がぼんやり見えるが、何だか深そう。やばい。油断していると体力がつきて浜辺にたどり着けないかもしれない・・。
 仰向けになり小休止し、仰向けのまま水をかいて、浜辺を目指す。目指したつもりだが、姿勢を戻して見ると、浜辺からはさらに離れているみたいだ。まずい。平泳ぎをトライするが、波に逆らっているのかほとんど前に進めない。疲れたのでまた仰向けになり小休止。姿勢を戻してクロールで必死に水をかいた。ゴーグルで見える海底が段々と近づいて見える。頃合いをみて立ってみる。足が届いた。一安心。溺れる危険は消滅した。いや、やはり海は油断できない。特に私のように「元金槌(かなづち)」の身には。
 私はずっと昔にも海で泳いでいて溺れそうになったことがある。新聞社に入社して職場の先輩たちと鎌倉の海に泳ぎに行き、同じような形で溺れそうになった。平泳ぎで力尽きて立ったら、足が海底に届き、辛うじて溺れるのを免れた。今回はあの時ほど切羽詰まった感覚ではなかったが、それでもやばいかなと思うのは気持ちのいいものではない。
 それはともかく、近くにこのように気楽に泳げる海水浴場があるとは、今の住所に落ち着いて10年近くなるが全然知らなかった。この夏はどこへも出かけられそうにないので、これから足繁く通うことを考えている。

女子ソフトに感動!

 東京オリンピック。前回の項で「さあ、これからしばらくテレビの前に釘付けになるのか。大リーグのゲームもある。やがて甲子園の高校野球も始まる。スポーツ好きにはたまらないシーズンだが・・・」と書いたが、本当にそうなっている。陳腐な表現だが、スポーツは「筋書きのないドラマ」。こちらが望むような展開にならないこともしばしばだが、それはそれ、あれもこれも観戦していて楽しいのだから仕方ない。
 すがすがしいシーンも目にしている。火曜日の柔道男子81㌔級の決勝。永瀬貴規選手がモンゴルの選手を延長の末に技ありで倒し、初めての金メダルを獲得した。二人は勝敗が決すると抱き合い、お互いの手を高く掲げて健闘を称え合った。二人の行動が儀礼的なものではなく、心からそうしたいのだということがよく分かった。モンゴルの選手はお手本としたい good loser(潔い敗者)だった。
 女子ソフトボールにも魅せられた。宿敵アメリカとの金メダルをかけた決勝戦。13年ぶりに復活した女子ソフト。次のパリ五輪ではまた「消滅」することになっている。「幸薄い」競技は熱く応援せざるを得ない。熱戦を2対0で制したのは39歳のエース上野由岐子投手を擁する日本だった。信じられないようなプレーも飛び出した。アメリカの6回裏の攻撃中、1死1,2塁のピンチに強烈な打球がサードを襲い、グラブからはねたボールをショートが追いかけ、地面に落ちる前に奇跡的に捕球し、飛び出していた2塁ランナーも差してダブルプレーでピンチを脱したのだ。滅多にお目にかかれるようなファインプレーではない。神様が日本に味方したかのような一幕だった。
 女子ソフトを長年支えてきた元日本代表監督の宇津木妙子さんの解説も日本チームを母親が激励しているようで、味わいがあり耳に心地よかった。
                  ◇
20210728-1627432573.jpg 米CNNのホームページを見ていて、ああ、まさにそうだよなと思わざるを得なかった。もうこの名前はこのブログに記したくないのだが、そう、トランプ氏が先の大統領選では不正があったのだ、本当は自分が再選を果たしていたのだ、と信じ難い嘘八百を今なお吹聴しているというニュースが大きく報じられていた。見出しが ‘Sore loser’ Trump reaps fruits of election lies in Arizona というものだった。“sore loser” という語。まさにトランプ氏に打って付けの形容の語句だ。“good loser” の対局にあるネガティブな語であることは soreの原意が「ずきずき痛む」という形容詞であることを知っていれば推測できる。改めて辞書を繰ると(実際には電子辞書だが)good loserの対義語として bad(sore, poor) loser が挙げられ、「負けてぐずぐず言う人」と載っていた。
 もがけばもがくほど醜態をさらしているトランプ氏をまだ盲目的に支持し、彼の集会に足を運ぶ人々がいる現実はどう考えても私が知るアメリカではない。CNNの記事でトランプ氏が政権にあった当時の対コロナ失政や1月の首都ワシントンの連邦議会議事堂襲撃事件に関し、彼を戦争犯罪人として裁くべきと説く専門家の意見が目をひいた。トランプ氏のスピーチをYouTubeで見たが、常軌を逸した発言の数々を聞くと、失礼ながら彼はもはや監獄か精神病棟に送り込むべき人物ではないかと思えてならない。

東京オリンピック開幕!

20210724-1627113683.jpg 東京オリンピックが開幕した。中国語でも「开幕」。SOVの日本語では本来「幕開」と表現すべきでは、などと考えてしまうのも、中国語を勉強し始めたからだろう。とまあ、そんなことはともかく、昨日夜(金曜日)8時に始まった開会式を最後までみる羽目に陥った。誰が聖火の最終ランナーになるのか見たかったからだ。
 私は去年、予定通りに開催されていれば、白血病で伏せっていた水泳の池江璃花子選手で決まりだろうと思っていたが、彼女は奇跡的に回復し、何と選手としてカムバックを果たした。それならマラソンのQちゃん、高橋尚子さんかな?そして迎えた本番。最後に登場したのはテニスの大坂なおみ選手だった。なるほど、そういうことか。
 それにしても4時間近い式典は長かった。何か訳の分からない寸劇のような出し物もあったような。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長の演説も何だか随分長く感じた。全体的にもう少し簡略化してできれば3時間を切る程度にまとめて欲しかった。いいものもあった。歌手のMISHAさんが歌い上げた「君が代」は良かった。あんなに心地よい「君が代」は初めてだった。彼女のますますのファンになった次第だ。
 さあ、これからしばらくテレビの前に釘付けになるのか。大リーグのゲームもある。やがて甲子園の高校野球も始まる。スポーツ好きにはたまらないシーズンだが・・・。
                  ◇
 公民館の中国語講座。ショートスピーチで東京オリンピックを話題に取り上げ、個人的には器械体操の種目別、鉄棒だけに出場する内村航平選手に頑張って欲しいと話した。その前段で「私はさらに一つの願望があります」と言ったが、中国語では「我还有一个愿望」。中国語ネイティブ話者の先生は黒板に「愿望」を「願望」と書いた。あれ、中国語にも「願」という漢字があるのかと思い、帰宅後、中日辞典で調べてみたが、やはり「願」は「愿」と表記されると載っていた。先生は日本語にも堪能なので日本語の「願」の字を書いたようだ。
 「愿望」のピンイン表記はyuànwàngで、敢えてカタカナ表記すると「ユエンワン」。「ガンボウ」からはほど遠い。このスピーチのために日本の金メダル数の変遷を調べてみたが、日本の過去最高は64年の東京と04年のアテネ五輪でその数16個とか。今回は30個を目標にしているとの報道も見かけたが、コロナ禍もあり、無事に大会を乗り切ることができるのが一番の金メダルだろう。「金メダル」は中国語では「金牌」(jīnpái)。こちらは発音はともかく、意味合いは容易に類推できる。
 とここまで書いて、何気なくテレビを付けると、器械体操を中継していた。アナウンサーが「内村選手の演技はもう見られませんね」みたいなことを語っている。え、オリンピックって始まったばかりだろと思って慌てて、ネットで確認すると、鉄棒から落下して、種目別の決勝に進む道が閉ざされたようだ。嗚呼、何ということか。本人が一番残念だろうが・・。
 BBCでも次のように速報していた。Widely considered the greatest male gymnast of all time, the 32-year-old lost his grip during his horizontal bar routine in qualifying on Saturday. A seven-time Olympic medalist, he was the first man in 44 years to win back-to-back all-around golds at Rio 2016. He will retire after the Games.

約1.2度の変化

 世間では本日(木曜日)から4連休らしい。浮世離れの日々を過ごしているので全然知らなかった。東京オリンピック・パラリンピックもいよいよ開幕する。ソフトボールや女子サッカーは一足早くゲームが行われた。コロナ禍があり、オリンピック開催を冷ややかに見つめている人たちも少なくないようだ。
 高度成長期に行われた1964年の東京オリンピック。私は小学校5年生だった。小学生なりに興奮して競技中継をテレビで見たことを覚えている。今のムードとは比較することさえ無理があるだろう。メダルを目指す選手には何の罪もない。オリンピックが事実上スタートした以上、何とか無事に大会が最後まで遂行されることを願わざるを得ない。
                  ◇
 幾度かこのブログでも書いてきているが、私は外国語学習の要点は語順の習得にあると思っている。月曜朝のNHKラジオの中国語講座を聴いていて、この語順に関する考察が出てきた。例文は「私は彼女に告白する勇気がありません」という文章。中国語ではこの文章を二つの言い方で表現することが可能だとか。
 まず最初の訳文は「我没有向她表白的勇气」。次の訳文は「我没有勇气向她表白」。いずれの文章も「私はありません=我没有」という主語動詞が冒頭に登場しており、日本語とは大いに異なる。続く「向她表白的勇气」は「彼女に対して告白(表白)する勇気」という意味で、何となく日本語感覚で分かるかと思う。二つ目の文章中の「勇气向她表白」は「勇気、彼女に対して告白する」という語順で、勇気の内容を後ろから説明している。
 後者は英語的な語順と言えるかと思う。英語なら上記の文章は “I don’t have the courage to confess my love to her.”とでもなるのだろう。courage(勇気)の内容を後ろから説明している。中国語では英語のように名詞(目的語)を後ろから説明することも、日本語のように前から説明することも可能な言語だと言えるようだ。この「融通無碍」なところが中国語の面白さであり、不思議さであるのだろう。
                  ◇
 先週、ドイツやベルギーで集中豪雨により住宅街で洪水が発生し、多くの死者が出ていることを書いた。そうしたら、今度は中国内陸部の河南省でも洪水が発生し、大きな被害が出ていることを知った。想定をはるかに上回る豪雨による被害は全世界で同時進行形で起きているということか。これに近年勢力が増す一途の台風やハリケーンの襲来を考えると、その甚大な被害の規模は想像するだに恐ろしい。
 英BBCの記事を読んでいて、次の記述があった。地球温暖化の影響による異常気象の深刻さを憂えた後の文章だ。Experts say global warming makes torrential rainfall more likely. The world has already warmed by about 1.2C since the industrial era began.
 私が驚いたのは、世界の平均気温が産業革命前の1850~1900年の平均に比べ、約1.2度上昇しているとの記述。え、わずか約1.2度なの? どうやらこの約1.2度の変化がいわゆる異常気象をもたらしている原因のようだ。人間の基礎体温も1.2度変化すれば一大事だろうが、地球という惑星にとってもただ事ではないようだ。

「耳を覆ったところで・・」

 前回の項で、蝉時雨のことを書いた。「マンションの自室にいても毎夏、蝉時雨が聞こえていたような気がするが、今夏はまだそういう経験はない。これからあるのか分からない」と。日曜朝、窓を開けて、聖書関連の書を読み、新聞に目を通していると、おっ、聞こえるではないか。まさに降るような蝉時雨が。慣れてしまえば気にならないのだろうが、さすがにうるさい。窓から前方にはマンションしか目に入らないが、どこにこれだけの鳴き声を聞かせる蝉が群れているのか不思議でならない。
 わずか一週間の命。とはいえ、それは80年前後の人生を生きる我々の視点から見た思いに過ぎないのだろう。1万年前の化石が見つかるとかいったニュースに接すると、1万年前ってどれほど前の話なんだよと突っ込みたくもなる。想像もつかない。人類は立って歩いていたのか、言葉を文字を持っていたのか?
 仮にそうした気の遠くなるような「寿命」の生命体がいたとしたら、我々の一生は蝉のようなものに見えるのかしれない、などと考えたくなるのも、この気の滅入る暑さのせいか。
                  ◇
 公民館の中国語教室で「掩耳盗铃」(yǎněrdàolíng)という表現を学んだ。中国の故事にまつわる表現で、「耳を覆って鈴を盗む」つまり「自分で自分を欺く」という意味。人に気づかれたくないからと耳栓をして鈴を盗んだとしても、鈴の音で人にはその盗みがばればれとなっている。鈴はもともとは大きな鐘だったらしい。
 日本語には中国由来の諺が少なくない。似たようなものがあるのではと頭をひねってみたが、思い浮かばない。強いてあげれば、「頭隠して尻隠さず」ぐらいのものだ。でもこれにしてもぴったりという感触はない。
 なぜこの「掩耳盗铃」という成句が印象に残ったかというと、私はこのところ、この成句が戒める生活習慣になっているのではないかという危惧があるからだ。例えば、体重。運動不足がたたり、自己最高を更新しているのではないかと恐れているが、体重計にのることはしない。まさに「掩耳盗铃」の典型的例だろう。
                  ◇
 大相撲。日本人の関取が情けない状態に陥ってからはそうは熱心に見ていないが、それでも小兵力士が活躍すると応援したくなる。
 名古屋場所。久しぶりに東京を離れての場所となった。注目は大関照ノ富士が横綱昇進を決めることができるか。千秋楽の結びの一番は果たせるかな、照ノ富士と横綱白鵬の全勝対決となった。私はもとより横綱の風格に欠ける白鴎のファンではない。照ノ富士のファンでもなかったが、体調を壊し、序二段まで落ち、奇跡的なカムバックを果たした大関には敬意を表せざるを得ない。
 かくいう次第で照ノ富士に声援を送りながら、結びの一番を見たが、白鵬があっけなく勝利した。それにしても、立ち合い時に例によって右肘を使ってのかち上げなど、横綱相撲からはほど遠い内容。耳よりも目を覆いたくなるような一番だった。あれではいくら優勝回数を重ねても名横綱として記憶されることはないだろう。少なくとも私にはそうだ。

We are truly living in a global village!

20210716-1626402889.jpg 大リーグのオールスター戦は大谷フィーバーが席巻したようだ。全米の野球ファン、いや米国民を魅了したショウヘイ・オオタニは凄い青年だ。野球はアメリカでは4番目の人気スポーツだと聞いたことがある。バスケットボールが1番でフットボールが2番で・・・。大リーグ機構が一丸となってショウヘイ人気をあおっているのを目にすると、彼が大リーグの裾野を広げるダイバーシティー(diversity)を象徴する人物であり、また野球に対する国民の好感度を従来のファンベースから一気に拡大する好機到来と考えているような節も見える。まあ、それはともかく、根っからの野球ファンの一人である私はすぐに始まる後半戦でもショウヘイいや翔平君の活躍を願いながらテレビの前に座すことになる。
 翻って日本のプロ野球はオリンピックを挟んだ長期の休みに入るそうだ。セパともに上位争いが熱を帯びているが、1か月の休みは何とも長い。オリンピックの野球もあるにはあるが、ペナントとはまた別の舞台であり、アメリカのチームには大リーグを代表する選手は加わっておらず、興味を抱けない。とにかく8月中旬にプロ野球が再開される頃に優勝争いが気の抜けたビールみたいになってなければいいが。ビールと言えば、猛暑が予想される今夏のビールはひときわ旨いだろうなあと思う。風呂上がりにキンキンに冷やしたビールで喉を潤したい、ぜひ近い将来!
                  ◇
 香椎浜を久しぶりに歩いた。本当はジョギングの方がいいのだが、水は低きに流れるもの、情けないが歩くことを選択した。それでも汗びっしょり。蝉時雨も今夏初めて耳にしたように思う。やはりあの蝉のやかましいほどの鳴き声を聞かないことには夏が到来した気がしない。マンションの自室にいても毎夏、蝉時雨が聞こえていたような気がするが、今夏はまだそういう経験はない。これからあるのか分からない。
 香椎浜を歩いていてもう一つ気づいたことがある。空を飛ぶ飛行機の数が幾分増えたような気がする。福岡空港発着かどうかは分からないが、両方向に飛ぶ飛行機を同時に目にもするようになった。コロナ禍は以前猛威を振るっているようだが、航空機の往来は確実に戻りつつあるように思える。
                  ◇
 昨日(木曜)夜、早めに寝たためか、未明に目覚めてしまった。クーラーをつけて涼んだが、中途半端な眠りがたたり、寝付けない。暇を持て余し、深夜には滅多に見ないテレビをつけた。全英オープンの生中継が流れていた。松山英樹選手でも出場していれば熱心に観戦したかもしれないが、日本のエースはコロナ禍で欠場しており、あまり食指は動かない。
 BBC放送をのぞくと、ドイツやベルギーで集中豪雨が発生し、家屋が流され、多くの死者が出ていることを中継していた。日本の各地で起きている豪雨被害とほぼ同じ光景。きっと、過去に体験したことのないような雨が降り、予想もしない被害に見舞われているのだろう。地球温暖化の異常気象はやはり全世界で被害をもたらしているようだ。この項をアップしている今、次の言葉が頭に浮かんだ。It seems to me that we are truly living in a global village. We can’t hide anywhere.

「俏皮话」(qiàopihuà)

 アメリカで刊行されているキリスト教信仰にまつわるエッセイ集 “Daily Guideposts 2021” を毎朝読んでいることを今年初めの頃に書いた。芦屋市に住む敬愛する人から毎年頂いている本で、今年は読みそこなっていた2011年本も同時進行形で読んでいる。日々生きている、生かされていることを神様に感謝する思いに浸る。興味深い文章にもよく出くわしている。
 最近の例を記しておきたい。あるご夫人が書かれていた。海外の旅で訪れたインドネシアでの体験。ジャカルタでは “belum” という語があり、英語だと “not yet” という意味らしい。交渉の余地のない、取り付く島もない “no” ではなく、“not yet” なのだとか。この後の文章がすこぶる面白かったので、以下に記すことを許してもらいたい。
 Belum leaves room for dreams. Asked in a job interview, “Do you have a college degree?” a fifty-year-old man who left school at nine will answer, “Belum.” And during a doctor’s exam, if an eighty-year-old woman is asked, “Do you have any children?” she’ll smile and reply, “Belum.”
 素晴らしい表現だと思う。生きてさえいれば、チャンスはあるはず。人生に不可能なことなどないのではないか、と思わせてくれる言葉ではないか。私は上記のエッセイを読んだその日は凄く気分が良くなった。日本語だとどういう表現になるのか。「あなたは大学を出ていますか?」「まだです」。「あなたは子どもさんがいますか?」「まだです」。こんな感じだろうか。「まだです」。私もこれからこう答えて行こうかな?
                  ◇
 公民館の中国語講座。毎週できるだけ通っているが、力をつけているのかどうか甚だ心許ない。まあしかし、NHKラジオの中国語講座(初級)がテキストなしで何とか理解できるのだから、少しは力はついているのだろう(と思いたい)。
 先日の公民館講座。例によって私が駄洒落をかます。一応、世間的には「ウイット」と称しているが、まあ「親父ギャグ」と大差ないか。広辞苑で「親父ギャグ」を引くと「年配の男性が口にする、時代感覚からずれた面白くない冗談や洒落(しゃれ)」とある。自分で言うのも何だが、私がかますのは「面白くないことはない」と思う。それで、厚かましくも「ウイット」と称しているのだ。
 少なくとも受講生の一人であるご夫人は私の駄洒落を「面白い」と感じてくれているようだ。彼女は私の駄洒落を「俏皮话」(qiàopihuà)と中国語で表現してくれた。私が使っている日中辞典では「駄洒落」と引くと、確かに「俏皮话」が真っ先に載っていた。しかし、ここからが大切なのだが、「俏皮话」を中日辞典で確認すると「才知あふれる言葉、機知に富む言葉」と出ている。どうやら単なる「親父ギャグ」ではないようだ。「俏」(qiào)は「垢抜けした、気のきいた」という意味の形容詞らしい。
 私は「駄洒落をかます」をこれまで「开玩笑」と表現していた。これからは「我喜欢说俏皮话」と言うことにしよう。「親父ギャグ」ではありませんよ、「才知にあふれた言葉」なんですよと。先方がどう受け取るかはまた別の話だが・・・。

いよいよ “Klara and the Sun” の世界に

 昨日(日曜日)新型コロナウイルスのワクチンの二回目の接種を受けた。今回は自宅近くの区役所出先が接種会場だったため、手間暇かからず楽だった。接種を受けた左腕の痛さもほとんど感じないほどで、一夜明けた月曜朝も体調に何ら変わりはない。これで終了ならありがたいのだが、海外からのニュースだと効果を持続させるため、3度目の接種の可能性を示唆する報道もあり、あまり安心はできないようだ。いずれしろ、今後とも外出時はマスクを付けることが求められるのだろう。一日も早く終息(収束)して欲しいと祈る。
                  ◇
 天神のカフェで毎月第2,4日曜日に実施している「小説を読む」英語教室もコロナ禍のため、ずっと自宅からオンラインで続けている。昨日から読み始めたのが日系の英国人作家カズオ・イシグロ氏の近作 “Klara and the Sun”。
 初回には20頁程度を読んだ。書き出しから不思議な描写がある。BoyAFとかGirlAF という表現だ。読み進めるにつれ、なぞが解けていく。AFとは Artificial Friendのことなのだ。ヒロインのGirlAF であるKlara はまるで人間のようにきめ細やかな心情の揺れを感じ取るように成長していく。お店の中で他のAFと一緒に展示され、子どもたちがやってきて「購入」されるのを待つ。GirlAF をどう訳そうか。今頭にあるのは「ロボ友少女」。この小説はすでに邦訳が出ているが、翻訳者が何と訳しているか興味深い。
 購入された家庭でその家の子どもの遊び相手、時には勉強相手になることが求められていることが分かる。一人っ子が当たり前の社会なのか。どこの国とは明示されていないが、英語が主要言語であり、着ている衣服で貧富の差が明確に認識できる格差社会でもあるようだ。Klaraを購入することになるのは、Klaraの見立てでは14歳半ばのJosie という名の少女。笑顔が魅力的な明るい少女だが、病弱な身体で歩行にも若干困難を感じている節がある。Josieには冷たい印象を与えるキャリアウーマンの母親がいつも付き添っている。
 KlaraのようなAFにとって死活的に重要な意味を持つのが Sun(太陽)であることも冒頭から描かれている。太陽光をエネルギー源としているのだ。KlaraはB2の第4シリーズと呼ばれる型式のAFであり、今はさらに新しい型のB3が「発売」され始めたことも紹介されている。人間界も次から次へ「新人類」が誕生しているようで、私など時として肩身が狭く感じており、世代交代はロボットの世界だけの話ではないかもしれない・・。
 冗談はともかく、次のようなKlaraの心理描写は心に染み入る。「そのロボ友少年は少女の数歩後をついて歩くということを受け入れていた。すれ違う人々は二人の姿を目にすれば、ロボ友少年が少女には愛されていないということが分かったことだろう。私はロボ友少年の足取りに気だるさを見て取った。家庭に引き取られて行ったとしても、その家の子どもに気に入れられなかったら、どういう気持ちになるのだろうとあれこれ想像せざるを得なかった。私はこの二人を見るまで、そういうことは思いもしなかったのだ。ロボ友が引き取られた家の子どもに疎まれ、いなくなって欲しいと嫌われながらも、一緒に暮らし続けるなんてことは
 何だか、同じ作家の2005年の名作 “Never Let Me Go” をほうふつとさせる描写だ。

“He did it again. He’s a beast!”

20210708-1625710096.jpg 大谷翔平君がまた打った。もちろん、ホームランだ。今季32号。ホームラン王を目指して一直線。ひょっとしたらひょっとするかもしれない。長打力を秘めた二刀流の選手とはいえ、強者たちがひしめく大リーグでその頂点に立つとは少し前まで想像すらできなかった。恐れ入谷の鬼子母神だ。私はなぜか「きしぼじん」と読んでいたが、どうも「きしもじん」らしい。
 アリーグ東地区を突っ走る強豪、ボストンレッドソックスを迎えたホームでの3連戦。3タテを食らっても不思議ではないと思っていたが、2勝1敗と勝ち越して終えた。そのうち2戦目の1勝は翔平君が力投で挙げたもの。語源は知らないが、rubber match(ラバーマッチ)と呼ばれる決着をつける本日の3戦目で、DH出場した翔平君は初回のチャンスを作るヒットを放ち、同点に追いつかれた5回裏には上述の32号を右翼席にかっ飛ばした。あの松井秀喜先輩の日本人選手大リーグ最多本塁打(31本)をシーズン半ばであっさりと抜き去ったのだから驚きだ。いや、こと翔平君に関する限り、驚きには値しないかもしれない。
 この日は日本時間では午前5時からの試合開始だったため、寝ぼけ眼でテレビを見ていたが、5回裏の攻撃では自打球を足に当てたのか痛がるそぶりを再三見せていた。こういう時にこそ打つんだよなと思って見ていたら、期待通り、文句なしの弾丸ライナーを右翼席に突き刺した。現地のアナウンサーが快哉の余り、“He did it again. He’s a beast!” と叫んでいたが、翔平君のパワーに対する最上級の誉め言葉だろう。本当に凄い選手だ!
 水曜日付の読売新聞朝刊の文化欄で大谷選手の魅力について、野球に詳しい作家が論評していた。作家は大谷選手が「努力のにおい」を全然感じさせないところ、「スポ根」の呪縛もなく、ストイックな「求道者」のイメージが皆無なことに特徴があり、ただただ好きなことに専念している、そうした姿が見る者を魅了しているのではないかと論じていた。
 私は翔平君の魅力はあの「胸がすかっとする」ホームラン、これぞホームランというような一打にあると思っている。それが見たくて早起きしてテレビを見ている。日本のプロ野球であのような快打を「常時」見せてくれる選手は皆無に近いのではないか。その上でマウンドに立てば160㌔近いストレートを投げ、強打者をねじ伏せる。スーパーマンとでも呼びたくなるような現代のヒーローだ。かてて加えて彼が好人物であることはあの端正なマスクを見れば分かる。昨日聴いたNHKラジオの中国語講座で「没有人不喜欢他」という文章が流れていた。「彼のことを好きでない人はいない」という意味だったような。「誰だって彼のことを好きになる」とも解釈できるのだろう。翔平君はそういう若者だ。
 大リーグは間もなく前半戦が終了し、来週15日にはオールスター戦がある。その前日の14日には翔平君も出場するホームランダービーがある。NHKではこのホームラン競争をBS1で午前8時から生中継するようだ。コロナ禍は一向に収まらないわ、水害は全国各地で人々を悩ましているわで憂鬱な日々を送っている方々も多いことだろう。海の向こうの野球を楽しむ気分ではないと憤慨している方もおられるかもしれない。(こういう言い方、書き方は好きではないが)私的には翔平君の目の覚めるような大飛球のホームランを見てしばし陶然としたい思いだ。

主席と主食

 大谷翔平君がホームランを3本も打ったニューヨークでの対ヤンキース戦。彼が先発のマウンドに立った第3戦を楽しみにしていたが、制球が定まらず、塁を埋めては自滅し、1回も投げ切れずにマウンドを降りた。救援の投手も打たれて、自責点は何と7点。これでは防御率が酷い数字に落ちるのは避けられない!
 私は途中でテレビ観戦を諦め、散髪に出かけた。帰宅してパソコンを開けると、なんとまだゲームが続いている。どうやら途中で雨が降り、かなりの時間、中断していたらしい。大リーグの凄いところは長時間でも雨が止むのを待ち、ゲームの成立を目指すところだ。プロ野球だったら、とっくに雨天コールドが成立していたことだろう。
 ゲームは信じられない展開を見せていた。何と、貧打のエンゼルス打線から最終回表に満塁ホームランが飛び出し、8対8の同点に追いつき、さらに猛攻、最終的に11点を上げて逆転勝利。翔平君はとっくにゲームを離れていたが、負け投手として記録に残るのを奇跡的に回避できた。
 一夜明け、本日(2日)未明の第4戦は悪天候により中止となった。私はDHとして打者に専念する翔平君が再び目の覚めるようなホームランをかっ飛ばすのを期待してスマホの目覚ましで中途半端に早起きして中止を知り、大いに落胆した。とはいえ、打者としてはニューヨーカーやヤンキースファンに強烈な印象を与えたことは間違いない。ヤンキースのスター選手、アーロン・ジャッジ外野手は翔平君を称して “He’s a generational talent, that’s for sure.”(世代を代表する才能の持ち主)と語っていた。generation は一世代のことだから、まあ30年ぐらいの感覚だろうか。ベーブ・ルースの再来とも称される翔平君なら「100年に一人の逸材」とでも称してもらいたいぐらいなのだが。
                  ◇
 翔平君が乱調で早々とマウンドを降りたのを見た直後に1日は中国共産党の創設100年の記念すべき日であることを思い出し、中国の国営テレビ局にチャンネルを合わせると、天安門広場で催されていた記念式典が生中継されていた。習近平総書記(国家主席)が演説していた。中国語の勉強のために耳を傾けたが、残念ながら理解できるところは少なかった。
 本日の読売新聞を読むと、習氏の演説は中国の「強国」路線を堅持し、米国への対抗心を強くにじませていたと総括している。「中華民族の偉大な復興」という政治スローガンを21回も繰り返したとか。どのような政治体制であれ、一党独裁が永続的に許される社会はいびつだと思わざるを得ないが、習氏や党の指導部はこのことについて何の不安も疑念も感じていないのだろうか。
 公民館の中国語講座の冒頭のショートスピーチを作文していて面白いと思ったことがある。主席は中国語のピンイン表記ではzhǔxí。主食のピンイン表記はzhǔshí。日本人には両者の区別が容易にできる人は少ないのではないかと思う。私にはそうだ。ネットでその辺りを調べてみてもヒットすることはないので、この二つの語の発音の酷似はたいしたことではないようだ。私の印象では主席のxíは涼しげなシーに聞こえ、主食のshíは喉の奥でこもったシーに聞こえる。両者の区別が難なくできる日が来ることを祈りたい気分だ。

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