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August 2020

中国の「n-1」

 猛暑は続いているが、台風シーズンにも突入したようだ。NHKテレビの天気予報でも台風がよく話題に上るようになっている。大きな台風の直撃を受けることがないように、これから当分は毎朝神様に祈ることになる。
 政界は一足先に台風が襲来したようだ。長期政権を維持してきた安倍首相が突然の辞任を表明した。後継の首相に誰が就任するのか。NHKテレビで首相の辞任表明会見の生中継を見た。首相職が激務であることは明白。やはり自身の身体の異常を悟り、辞任を決意せざるを得なかったのだろう。その心中は察して余りある。記者団との質疑応答を聞いていて、一つ思ったことがある。私が見ていた限りでは8年近くに及んだ首相職を辞する安倍氏にねぎらいの言葉を発した記者は一人もいなかった。そういう言葉をかける記者が一人や二人いてもおかしくなかっただろうに。安倍政権に対する評価とはまた別次元の話だ。人間味あふれる記者は絶滅か?
                  ◇
20200831-1598833334.jpg 公民館の中国語講座。老師(老师)が中国では今、政府が食べ物を残すことを戒めるために「n-1」を推奨しています、という趣旨のことを言われた。とっさには何のことか分からなかったが、やがて推察がついた。レストランなどで例えば4人で入ったなら、「4-1」で3皿の料理を頼むのだ。そうすることで頼んだ料理をできるだけ食べ残すことを防止しようという狙いだ。
 ロンドンの特派員時代の食事風景を思い出した。中華街のレストランで同僚や友人たちと一緒に食事する時に、4人ならばそれぞれが好きな一皿、計4皿を注文し、それを全員でシェアするのが通例だった。中国では人数に見合ったお皿の料理を注文するのは御法度になるということか。
 土曜朝。CNNのネットでまさにこの話題が取り上げられていた。Watch what you eat という大見出し。クリックすると、In authoritarian China, eating freely is a cherished activity. Now a food waste campaign wants to control meals, too(独裁主義の中国といえども、食の好みは個人の聖域。それが今や食べ物を残さないようにというキャンペーンで制約の対象に)という見出しが続いていた。
 膨大な量の食べ物が消費されずにゴミとして捨てられている現実は中国に限らず、日本を含め全世界の課題だろう。飽食の世紀か。中国でそれが今年特に深刻な様相を呈しつつあるのはコロナ禍もあるが、洪水により食糧生産地が水没したりして食糧難の危機に直面しつつあるからだという。監視カメラが全国至るところに設置されているお国だ。自治体によってはレストランでの食事風景までモニターし、食べ過ぎや浪費を目撃した場合には当局に通報するように奨励しているとか。記事の中ではあるネット発信者の次のコメントが紹介されていた。“Why should I be reported for things I bought with my own money?”(自分自身のお金で買ったものに対し、なぜ当局に通報されなければならないのか?)
 「n-1」は当然、市中の飲食業界にもコロナ禍に加えての追い打ちとなる。まあ、食べ残しをなくし、食べ物を大切にすることはいいことではあるが。日本の「もったいない」精神をお裾分けしてあげたい・・・。

世界最軽量のパソコンで再出発

 愛用しているノートパソコンを買い換えた。ここ8年近く使っていたパソコンに何の不満もなかったが、バッテリーが消耗したようで取り替えろという警告が画面に出始めていた。バッテリーは過去にも取り替えた記憶がある。電気店で尋ねると新しいバッテリーは2万円前後するとか。それなら新しいパソコンに買い換えた方が得策ではと思った。
 その店で展示されているパソコンを見てみる。手にしたとき、信じられないような軽量のものがあった。世界最軽量という案内が見えた(気がした)。私がずっと使っていたパソコンも軽量だったが、はるかに軽い。1キロもしないのでは。手にしたとき、和菓子の最中の外側の上下の蓋の部分を手にしたようにさえ感じた。決めた。これにしよう。私がずっと使っているLifebookと呼ばれるブランドの兄弟機種でもある。
 自宅に持ち帰り、初期化は自分では自信がないので、こういう時にいつもお世話になっている旧知のS君に週末、ご足労願った。彼は手際よく初期化してくれた。週明け、ブログをアップしようとしたが、どうもうまくいかない。仕事で忙しいS君にそうそう頼むわけにもいかず、メーカーの有料出張サービスをお願いすることにした。運良く電話をしたその日の午後に専門の人が来てくれ、問題をほぼ解決して頂いた。だから、こうやって新しいパソコンでブログの原稿を書き、アップしている。文字を打つのは凄く快適で調子がいい。このパソコンで2020年代を乗り切りたいと願っている。
                 ◇
20200826-1598427740.jpg 新しいノートパソコンでブログの原稿を打って(書いて)いる本日(水曜日)、テレビではCNNがアメリカで開催中の米共和党の党大会を生中継している。党大会は四日間の予定で本日は二日目。トランプ大統領支持派の人々が次々に壇上に立ち、トランプ大統領の政治姿勢や業績の素晴らしさを訴えている。あれ、そうなの? CNNのネットをのぞくと、トップの記事で Trump’s policies highlighted by everyday Americans という見出しが立っていた。共和党の有力者やトランプ氏の家族だけでなく、市井の庶民も登壇しているので everyday という語が使われている。
 壇上の人々の「歯が浮くような」トランプ賛歌を耳にした後、トランプ大領が厳かに画面に登場した。場所はなんとホワイトハウス。こうした党大会では最終日に大統領候補に選出された主役が登場してスピーチするのだろうが、トランプ氏は毎日登場してスピーチするらしい。少しでも露出を増やし、有権者にアピールしたいという思惑は見え見えだ。
 この日はホワイトハウスで中南米やアフリカ、アジアの出身者5人にアメリカの市民権を付与する式典が催され、大統領は彼らがアメリカ市民になったことを祝福した。レイシスト(人種差別主義者)とも批判されるトランプ氏が「皆さん、事実誤認です。私は世界各地からアメリカに憧れてやってくる多様な人々を温かく歓迎していますよ」と訴えたいかのようだ。あと二日。トランプ氏や共和党関係者はライバルのバイデン・ハリス民主党陣営を「左派であり社会主義者であり、アメリカを衰退に導く」と「口撃」するのだろう。
 美辞麗句に満ちたトランプ賛歌を耳にしているとストレスがたまる一方だ。それならはなからCNNを見なければいいだけのことなのだが・・・。

水がいない時でも・・

 駅構内や公共施設、一般のビルなどの公衆トイレに「人がいない時でも水が流れることがあります」という注意書きが添えられていることがある。私は用を足しながら、この注意書きに出合うと、よく語を入れ替えて、その違いを一人で楽しむことがある。つまり「水がいない時でも人が流れることがあります」と読むのだ。「人が流れる?」・・・おお怖!という具合に。ただし、「水がいない時でも」という文章は日本語ではおかしいので、「水がない時でも」と修正しなくてはならないなあとちょっとがっかりはする。
 日本語では「いる」と「ある」は根本的な違いがある。「人がいる」と言えても「人がある」とは言えない。同様に「水がある」と言えても「水がいる」とは言えない。「水がない」と言えても「水がいない」とは言えない。
 長々と書いたが、中国語や韓国語ではこの「いる」「ある」が同じ語で済む。「有」(yŏu)と「있다」(イッタ)。中国語の辞書に次の例文が載っている。「我有一个孩子」(私には子供が1人いる)。「院子里有一棵大树」(中庭に大木が一本ある)。どちらも「有」でOKだ。韓国語の方でも「집 근처여 큰 공원이 있다.」(家の近くに大きい公園がある)。「오빠는 미국에 있다.」(兄はアメリカにいる)。どちらも「있다」が使われている。
 日本語でも「いる」と「ある」が中国語や韓国語のように同じ語だったら、冒頭に紹介した注意書きの前後の語を入れ替え、凄く奇妙な、しかしスマートなジョークにすることができるのではと思うのだ。そんなこと考えるのは私ぐらいしかいないかもしれないが。
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20200824-1598240347.jpg 宮崎の妹から宮崎のお菓子が送られて来た。コロナ禍でずっと帰郷できないので先日、ラインメールでお願いしたのだ。届いた宅急便には焼酎のつまみとなる地鶏やささ身の小さなパックも入っていた。週末、有難く頂こう。私は妹がいることでこういう具合に結構助かっている。個人的にはこのことを昔から「イモートコントロール」と呼んできている。テレビのチャンネルをかちゃかちゃと自由自在に変えることができる「リモートコントロール:リモコン」(remote control)を念頭に置いての私だけの他愛ない造語だ。コロナ禍で昨今脚光を浴びている「リモートワーク」とは関係ない。
                  ◇
 米大統領選。民主党のジョー・バイデン氏が指名受諾演説を行うのをCNNテレビの生中継で見た。コロナ禍のため、生の聴衆はおらず、オンラインを活用しての演説だった。特段気負うこともなく、トランプ大統領の失政を的確に指摘し、有権者に11月の大統領選での投票を淡々と訴えた。悪くなかったと思う。CNNの各コメンテーターからも上々の評価を受けていた。
 まあ、今の情勢が続けば、バイデン新大統領が誕生することになるのかと思う。だが、アメリカといえども、政治の世界は「一寸先は闇」なのだろう。失礼ながら、愚劣ではあるが、狡猾であろうことは疑いないように思えるトランプ氏のことだ。どんな悪あがきの手を尽くして再選を目論むか予断を許さない。アメリカの有権者が今後の大統領の言動を冷静に見極めるよう期待したい。

デスバレーに比べれば

20200820-1597895344.jpg Death Valley: What life is like in the ‘hottest place on Earth’ この見出しの下に気温計が見える。華氏で130度。摂氏で59度。信じられないような気温だ。このような酷暑を表現する語があるのだろうか? 炎暑でも足りないだろう。
 BBCのネット記事。カリフォルニア州の「デスバレー」(死の谷)と呼ばれる国立公園で先週日曜日、地球上で「最も暑い」温度が記録されたという。我々には摂氏でないとピンと来ないが、摂氏では54.4度。写真では59度となっているが、あまりの暑さで気温計も狂ったようだ。ただし、デスバレーでは過去にこの温度を上回る気温を記録したとも言われ、史上最高と認定されるかは不明。
 砂漠地帯にあるこの国立公園内に住み、勤務する写真の女性、ブランディ・スチュワートさんはその暑さを「外に出ると沢山のドライヤーの風を当てられたよう」と形容している。あまりに暑いので汗はすぐに蒸発してしまい、汗を感じることはできないとか。暑さに慣れると、摂氏で26度を下回るとchilly(肌寒く)感じるようになるとも。
 福岡も毎日猛暑だが、猛暑が続く限りは台風の心配は無用とも聞く。私は連日の水シャワーを楽しんでおり、ずっと猛暑でも構わないと思い始めている。
                 ◇
 世に言う「アベノマスク」が私のところにもようやく届いた。予想に反し、ささやかな郵便物となってマンション一階の郵便受けに入っていた。あまりにささやかな郵便物だったので、どこかの会社のPRのティッシュペーパー入りのチラシかと思って、危うく郵便受けの下に置いてある共用のごみ入れに捨てるところだった。
 海外でもマスク着用の流れが根付きつつあるが、それでもなお、マスクを敬遠する人々が少なくないことは理解に苦しむ。彼らはマスク着用の訴えを権力の乱用、個人の権利の侵害と考えているのか。そうした中、フランスではマクロン政権が職場でも来月からマスク着用を義務付けるとBBCのネットで読んだ。お隣の英国ではそこまでは徹底する必要はないと考えているようだ。英国では職場での感染ケースが少ないと見られるからだとか。
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 今季からミネソタツインズに移籍した前田健太投手が18日(日本時間19日)素晴らしい投球を披露した。8回までノーヒットの投球をし、9回の先頭打者にアンラッキーなヒットを許し、マウンドを降りたが、それまで球団記録の8連続を含む12個の三振を奪った。クローザーが打たれ、勝利投手の権利を失ったが、最後にチームはサヨナラ勝利。チームのロッコ・バルデリ監督は以下のように語っている。最大限の賛辞と言っていいだろう。
 “That was one of the best games I've ever seen pitched in baseball. Even for people who are in baseball, to watch a performance like that does put you a little bit in awe. I don't even know what else to say.”
 この試合は日本では生中継されなかった。私はパソコンで大リーグのホームページにアクセスしてマエケンの快投を「リアルタイム」で追った。だから実際の投球を見ることはできなかった。マエケンは間違いなくミネソタのファンの心をわしづかみにしたことだろう。

水シャワーが癒し

 八月も半ばが過ぎた。春もそうだったが、今夏もコロナ禍で虚しく過ぎている印象だ。退職者の身の私にはどうということもないが、せっかくの夏休みが台無しとなっている子供たちや若者は多いことだろう。
 猛暑の中、できるだけ、スロージョギングに精を出しているが、さすがに暑い。香椎浜に着いて、今日は歩くだけにしようかと思うが、「惰性」で走り始めてしまう。すぐに汗びっしょりとなる。ジョギング路を二周、約6キロを走り終え、帰途のコンビニでメロンやマンゴーなどの冷菓を食べるのが楽しみ。帰宅後、さっとシャワーを浴び、最後はお湯から水に切り替えるのも気持ちよい。水シャワーが気持ちいいと感じるのはコロナ禍も奪えない癒しだ。先週はお盆だったから、平日でも焼酎のロックを楽しむ口実ができたが、今週からはそれもない。うーん残念。早く週末が来ないかなと願う私は本当に小市民だ!
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 このところCNNも外電もあまり真剣にチェックしていないが、アメリカでは秋に迫った大統領選での郵便投票が物議を醸しているようだ。郵便投票の詳しいところは正直よく分からないが、トランプ氏がこれを蛇蝎の如く忌み嫌っていることは承知している。郵便投票は自宅に送付される投票用紙を郵便で返送したり、指定の場所に投函したりして投票する制度で、不在者投票の手段としては全50州で導入されており、前回大統領選では投票総数の4分の1近くが郵便投票だったという。
 コロナ禍で今回大統領選では郵便投票がさらに伸びると見られているが、トランプ氏はこれにより民主党候補が有利になることを憂慮しているようだ。郵便投票の配達を担う米郵政公社(USPS)への追加経済支援の法案を拒否する姿勢を示しており、彼は「なりすまし投票や投票用紙の偽造を防ぐのが難しい」と主張している。支援策が滞れば有権者の貴重な投票が集計作業に間に合わず、投票が無効となる可能性が大。民主党はさすがに危機感を抱き、議会招集の動きを見せている。世論調査が苦戦を伝えているトランプ氏の悪あがきであることは誰の目にも明らか。彼はgood loser(潔い敗者)となる気はさらさらないようだ。
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20200818-1597712070.jpg 先週は終戦記念日だった。正確には敗戦記念日と呼ぶべきだろう。BBCをネットで読んでいて、久しぶりにVJ Dayという表現を見た。そうだった。英国ではこの日をVJ Day(Victory over Japan Day)と呼んでいるのだ。
 記事の見出しは ——— VJ Day: People celebrate with street patties and kisses ——。1945年8月15日に英米豪などの都市で人々が日本の降伏宣言を狂喜乱舞で祝ったことを当時撮影された白黒写真で紹介していた。ニューヨークの中心部やロンドンのピカデリーサーカスは無数の人で埋め尽くされている。次の文章には日本人として複雑な心境にならざるを得ない。Japan treated prisoners of war very badly, including American and British soldiers who had surrendered. 大戦で死亡した英国及び英連邦の兵士数は71,000人で、そのうち12,000人が日本軍の捕虜となって死んだという。現在の日本人の大半は戦後生まれだろうが、こうした悲しい傷ある過去はいつまでも私たちに付いて回るようだ。

「エモい」と「青」信号

20200812-1597216570.jpg 少し前に大谷翔平君が再び右腕を痛め、今季はマウンドに立たず、打者一本で勝負することになったことを書いた。それで大リーグへの興味が雲散霧消しそうだとも。その翔平君はDHとして復帰後も三振・凡打の山を築き、見るに耐えない感を呈しつつあったが、10日(日本時間11日)のゲームでは見事な同点ホームランを放ち、チームの逆転勝利に貢献した。現地11日のゲームでも複数安打を放ち、低迷するチームも連勝した。
 私は昨日は小倉の英語教室に出かける仕事があり、小倉のうどん屋さんで昼食を食べながら、スマホで大リーグのホームページをチェックした。どうせこの日も駄目だろうなあと思いながら、ホームページを開けるとすぐに飛び込んできたのが、翔平君が同点ホームランを放ったというニュース。ビデオを見ると、例のアナウンサーが “Big fry, Ohtani-san!” と絶叫していた。翔平君を見限るのはまだまだ早そうだ!
                 ◇
 プロ野球も好試合を繰り広げている。福岡はソフトバンクホークスが地元だけにラジオも地上波のテレビもソフトバンクホークス一色だ。昨日の夜、ホークスのゲームをラジオで聞きながら、雑用をしていた。ホークスのスラッガー、柳田選手が彼にしか打てないような逆転ホームランを放つと、アナウンサーが「エモい、エモい!」と興奮気味に叫んでいた。「凄い!」「感動した!」などと言っているのかと推察できたが、違和感を禁じ得なかった。このアナウンサーが若手だったらともかく、そう若手とは思えない。若者言葉に精通しているのだろうが、老若男女が拝聴するラジオで「エモい」はないだろう!
 第一、私は「エモい」がどういう意味なのかよく分からない。ネットで検索すると「若者言葉で感情の高ぶり・興奮などを表現。英語のemotional に由来する新語」などといった説明が出ている。書き方も「エモい」でいいのかどうか知らない。このアナウンサーには興味もないが、そこまでして若者層のリスナーに迎合したいのかと「きもく」なったことだけは確かだ。
                 ◇
 「英日中」の語学読本を読んでいたら、「赤、黄、青は交通信号の色です」という文章が載っていた。英語では Red, yellow and green are the colors of traffic signals. であり、中国語の文章では「红,黄, 绿是信号灯的颜色。」であると記されていた。
 ずっと以前から、そしてこれからも不思議に思い続けるだろうことは、日本ではなぜ交通信号の「緑」が「青」と表現されるのかということ。「青菜」とか「青野菜」「青汁」と言うのと同じことと考えればそれで済むことかもしれないが。英語では「青信号」はgreen だし、許可が出たなどの意の「青信号」は green light と表現する。中国語では「绿」だと知ると、妙に納得してしまう。
                 ◇ 
 今日(12日)はお袋の命日。あれから何年になるのかぱっと頭には浮かばない。19年か20年前か。ひと頃はよく夢に出て来ていたが、近年はそういうこともあまりない。今日は水曜日だが、お袋を想い、焼酎を少し飲ませてもらおう。お袋も許してくれるだろう。

ポカリスエット

20200810-1597020261.jpg CNNのネットに日本の健康飲料「ポカリスエット」の話題が出ていた。The ‘Sweat’ you drink: Inside the meteoric rise of Asia’s answer to Gatorade という見出しだった。アメリカのスポーツドリンクの王様、ゲータレードに相当するアジアのドリンクと持ち上げてはいるが、さすがに商品名に「汗」があるのが気になるようだ。
 冒頭に近いパラに次のような文章があった。That drink was called Pocari Sweat. And despite its name — unappetizing to native English speakers — it's a well-known Japanese sports drink across Asia and the Middle East. 英語のネイティブスピーカーには食指が動きそうにない名前にもかかわらず、ポカリスエットがアジアや中東地域でよく知られた日本のスポーツ飲料であると記している。名称はunappetizing だと。
 ポカリスエットを製造しているのは大塚製薬。私はどこが作っているのか知らなかったし、興味もなかったので、記事を読んで初めて知った。「ファイトイッパーツ!」のCMの「リポビタンD」なら何となく大塚製薬かなと思わないでもない。記事を読み進めて、ポカリスエットがなぜ sweat(汗)を含んだ商品名であるのかが分かった。それまでの清涼飲料水と決定的に異なるのは、運動で失われた水分をすぐに体内に取り入れやすいように研究開発されたのだという。ヒントになったのは点滴だとか。運動で身体から流れ出る汗とほぼ同じ成分で作られているのでsweatが名前にも活かされた。1980年に発売開始。
 それではなぜ「ポカリ」? 普通は「ポカリ」と聞けば「ぽかりと一発叩く」のぽかりを連想するが、全然意味はないとか。要するにヨーロッパ風の響きがあってかつ発音しやすい名前を求めたようだ。意味は「スエット」で十分だったというわけか。
 ここで思い浮かべたのは夏の定番の乳酸菌飲料、カルピス(Calpis)のこと。この語は海外の英語話者には「牛のおしっこ」(cow piss)と聞こえ、失笑を買うことがある。CNNの記事を読んでいて、あと一つ思い出したことがある。我々がいい英語表現だと思って使って(耳にして)いるものがネイティブスピーカーには時として不自然であったり、奇妙な物言いとなっていることを。
 私が思い出したのはかつてある(化粧品?)会社がテレビで流していたCMの “For beautiful human life” という締めの決まり文句。英字新聞時代の同僚(英語ネイティブ)が私にこれは「凄くおかしい英語表現だ」と苦笑しながら語ったことがある。私はその時、彼がなぜ上記の表現を「おかしい」と感じたのか戸惑った。よく考えると、なるほどhuman の一語が余計なのだ。火星人でも地球に訪れたとし、我々人類の代表がどこか山奥の温泉地を案内して、「ご覧ください。これが温泉というものです。これで私たちは日々の疲れを癒しているのです」と火星人に語ったとしたなら、“For beautiful human life” はいい表現となるかもしれない。しかしそうでなければ、分かり切っていることだ。それをことさら、human と言っているのが不自然であり、奇妙ということになる。
 記事を読んで、ポカリスエットが試行錯誤の末に生み出されたドリンクであることが分かった。私もかつては二日酔いの翌朝、よくこれを買い求め、喉を潤していた。週末だけチョイ飲みの今はそうしたお世話になることはほぼ皆無となっている。

巣ごもりのお盆か

 もうすぐお盆がやって来る。宮崎の山里にあるお袋や次姉のお墓に手を合わせたいと思っていたが、難しそうだ。意図せずともコロナを持ち込むのが心配だったが、このところ宮崎県内でコロナの感染者が相次いでいるから、帰郷すること自体そう気楽ではない。
 このコロナ禍はまだ当分続くのだろうか。ひょっとしたら来年の今頃も似たような状況が続いていたりして。そうなると経済は社会はどうなっているのか心配になるが、少なくとも日本に住む我々はこれを契機に都市づくりや日々の暮らしを根本的に見直す好機かもしれない。念頭にあるのは今後30年以内かそこらの間にいつ来てもおかしくないと言われる幾つかの巨大地震だ。南海トラフ地震だの首都直下地震だの日本列島の東側は大地震の巣のようではないか。
 リモートをさらに推し進め、東京一極集中を是正し、人口減少、過疎化に悩む地方都市、町村が活気を呈する道を模索すべし。海辺や河川に面した住宅地では大きな津波の襲来を想定した対策が急がれる。今回のコロナ禍を神様が警告の意味で投げかけてくれた天与の機会としてとらえ、最大限の知恵と努力を注入して、21世紀の国づくりを目指すべきか。
                  ◇
 先に麻雀のことに関し、「平和」という手役について書いた。中国語の一般の語彙としてはこの漢字は「(性質や言動が)穏やかである、温和である」という意味だと辞書に載っている。私が読んでいる英日中の語学読本で丁度、この語が出てきた。英語では peaceful であり、日本語では「平和な」、中国語では「平静的」「和平友好的」の意だと説明されていた。
 そこで挙げられていた例文は He is a peaceful and friendly man and never quarrels with others. 日本語訳は「彼は平和的で友好的な人で、他人とは決して口論をしません」となっていた。中国語訳は「他是个平和、友好的人,绝对不会和他人吵架」。「争いを好まない」という意味での「平和的な」は中国語でも「平和的」でいいということか。
 「吵架」という語はもう何度も目にしているが、その都度辞書を引かされている。「吵」は「 炒饭」(チャーハン)の「炒」と同じ音のchǎo であり、比較的覚えやすい語のはずだが、すぐに忘れてしまうのだ。「口が少ない」と書いて①騒ぎ立てる②口論する・・意だとは皮肉だが。
                  ◇
 プロ野球は巨人が調子がいい。エース菅野は開幕から無傷の6連勝だ。彼もやがて大リーグを目指すのだろうか。私はプロ野球には関心がかつてほどはないが、やはり巨人の調子がいいと見たくなるから、巨人ファンなのだろう。
 大リーグは大谷翔平君がまた右腕を痛めたようだ。チームの名将マッドン監督は今シーズンは彼が再びマウンドに立つことはないと語っている。今季はコロナ禍の異常事態でわずか60試合のシーズン。今季は「失われた一年」として忘れた方がよさそうだ。それはそれで残念なことだが、今さら嘆いてもどうしようもない。大谷翔平君には残り試合でできるだけ指名打者として打席に立ち、猛打を見せてもらいたいと願うが、右腕の損傷は打撃には大丈夫なのだろうか。何にしても大リーグへの興味は雲散霧消しそう。

104歳の大往生

20200803-1596412614.jpg 先日、この訃報をCNNとBBCのネットで読んだ。ハリウッドの往年の大女優がパリで死去という見出しだった。Olivia de Havilland という名前を見て、はなから芸能情報に疎い私にはピンとくるものはなかった。しかしながらその享年にちょっと驚いた。104歳。1916年生まれか。私の亡きお袋は1918年生まれだったから、お袋よりもさらに2年の年長者となる。それだけでも心が動いた。記事を読むと、この故人があの名作「風と共に去りぬ」で心優しきメラニーを演じた女優であると知ってさらに驚いた。
 オリビア・デ・ハビランドさん。生まれたのは東京とか。両親は英国人で下の妹ともども健康にすぐれなかったため、2歳の頃に母親に連れられ、米サンフランシスコに居を移し、10代後半で舞台デビュー。1939年の「風と共に去りぬ」のメラニー役でアカデミー助演女優賞にノミネートされる。その後1940年代に2度もアカデミー賞主演女優賞に輝いた。1960年頃からはパリ在住だった。
20200803-1596412656.jpg 私は「風と・・」の中では溌溂としたヒロインのスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーさんに魅せられたが、その親友のメラニーを演じたハビランドさんの清楚な美しさも印象に残っている。メラニーは主要登場人物の中ではあっけなく早世するが、ハビランドさんは実人生では共演者の誰よりも長生きしたということか。
 英文の記事では彼女を the last surviving star from Gone with the Wind であると紹介していた。1980年代後半には第一線からは身を退いたが、俳優業の地位を高める活動で存在感を示し、欧米で数々の栄誉を受けている。CNNのobituary(死亡記事)では次の一節が印象に残った。78歳の時にインタビューを受け、自身の長寿について尋ねられた時、彼女は次のように答えたとか。“I don’t understand the question … I’m only 78 years old!”  御意でござる、御意でござる!
 なお、アメリカではこのところ、Black lives matter(黒人の命も大切だ)運動が契機となり、過去の奴隷制や人種差別に対するバッシングの嵐が吹き荒れている印象だが、「風と共に去りぬ」も南部の奴隷制が背景にある作品だけに批判を受けているようだ。まあ確かにマーガレット・ミッチェルの原作を読むと、黒人蔑視に満ちた描写に出くわし、複雑な思いをすることになる。拙著『アメリカ文学紀行』ではそうした点に触れざるを得なかった。
 ちなみに映画でハビランドさんから助演女優賞を「奪った」女優はスカーレットを温かく見守った黒人の乳母、マミーを演じたハッティ・マクダニエルさん。私は2011年に上記の紀行本の取材でアトランタのマーガレット・ミッチェル邸とその記念館を訪れた。原作執筆の背景や映画制作の裏舞台を紹介した長尺のビデオを見ることができた。マクダニエルさんが受賞を祝う場で壇上から謝辞を述べるシーンがあった。栄えある賞を受けた興奮や歓喜はあまり感じられなかった。当時はアメリカはまだ醜い人種差別が罷り通っていた時代。映画では威風堂々とした名演を披露していた彼女は白人が占める会場で青菜に塩の観を呈していた。まるで一刻も早くその場から立ち去りたいと願っているようにさえ見えた。
 あのビデオを見れば、誰しもマクダニエルさんに同情の念を禁じ得ないと思う。アメリカ社会の今に続く人種問題の当時の厳しさは推して知るべしというものだろう。

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