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July 2020

麻雀のこと

 最近はYouTubeで色々な映像を楽しむことが増えた。漫才ではナイツやかまいたち、それにねづっちのなぞかけなどを見ている。テレビのお笑い番組を見る意欲は失せてしまう。一般家庭で猫と赤ん坊が戯れるものもあり、猫が大好きな私はついつい見入ってしまう。癖になりそう、いやもうなったかもしれない。その他には結構、麻雀の映像に付き合っている。
 ケーブルテレビでも麻雀番組はあるのだが、最近はあまり見ない。YouTubeだといつでもごろりと横になって麻雀を楽しめるからだ。おかげでスマホは月半ばを過ぎるとデータ容量を超えるのか、通信速度が制限され、すこぶる使い勝手が悪くなっている。
 とまあそんなことはどうでもよく、今回は麻雀について記しておきたい。私は大学に入学し下宿生活で初めて麻雀に出合った。先輩たちが麻雀をするのを「よくこんな難しそうなゲームがテキパキできるものだな」と感心しながら後ろから見学していた。やがて学部は異なるが仲よくなった同学年の友人たちと卓を囲むようになり、病みつきになった。「トンナンシャーペイ」とか「テンパイ」「ピンフ」「タンヤオ」などと、語源は一切気にすることなく麻雀特有の用語を口にしていた。
 先日、公民館の中国語講座での冒頭のショートスピーチで麻雀について話そうと思い、麻雀用語は本家本元の中国では何と呼ぶのだろうと辞書やネットで調べた。思わぬ発見をした。麻雀で最も普通なそして安い上がりの手は「ピンフ」と呼ぶ。これは漢字では「平和」と書く。“peace” の「平和」ではない。その「平和」なら中国語では漢字の順を逆にして「和平」と書き「フーピン」と読む。「フー」は日本語の「フー」ではなく、下あごに力を入れ、「オー」にも似た感じの「フー」だ。この辺りの発音は私のような初学者には説明が難しい。
 中国語には「和平」も「平和」もある。「平和」は「(性格が)温和な、おとなしい」という意味であると辞書に載っている。だから私はこれまで麻雀の「ピンフ」は「穏やかなつまり安い上がりの手」と解釈していた。にしてはどうも全幅の合点は行かない。それで今回、改めてネットで調べてみた。まさにこれだという説明を見いだすことはできなかったが、どうも「一般的な上がり」という意味らしい。
 「平」の語義説明の最後の方に「普通の」「一般的な」という意味がある。「和」は「(マージャンなどで)上がる」という意味があることを初めて知った。我ら日本人に厄介なのはこの「和」も「フー」と発声するが、先に書いた「フー」とは異なる音なのだ。唇を丸めて「フゥー」と発声する感じだ。
 かくして私の今回の「麻雀用語放浪記」は一段落。それにしても麻雀の世界は当然のこととは言え、何と中国語に満ちていることか。例えば何気なく口にしていた「リャンメン待ち」とか「チンイツ」などの表現。「リャンメン」は中国語の「两门」から、「チンイツ」は「清一色」に由来している。「チンイツ」は厳密には「チンイースゥー」のような音だが。
 学生時代には徹夜麻雀の挙句に大事な講義をすっぽかした苦い思い出もある。博才のない身ゆえ、家庭教師の一か月のアルバイト代をもらった晩に卓を囲み、アルバイト代が露と消えたことも。せめてあの時に麻雀がきっかけで中国語に目覚めていたら、今頃はかなりの達人になっていたのではないかと悔いたくもなる。嗚呼、后悔不及(後悔先に立たず)。

大谷君乱調!

 新型コロナウイルスの猛威が一向に収まる気配がない。我が故郷・宮崎県でも感染者数が急増している。これでは帰郷も当分できそうもない。海外でも感染者数は増加の一途のようであり、これでは景気がどうの、経済活動がどうの、といった情勢ではない。神様のご加護を祈るしかないのか。
                 ◇
 月曜早朝。大リーグで待ちに待ったゲームを見ようと早起きしてテレビの前に座した。ロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平君が一昨年秋以来、ようやく投げるからだ。
 結果は嗚呼!先頭打者にヒットを許し、それからはコントロールを欠き、信じ難い、三者連続フォアボール。押し出しで先取点を献上した。見るに耐えられない。私はテレビを消し、ベッドに潜り込んだ。起床後、ネットで確認すると、大谷君はその後も連打を浴び、ワンアウトも取れずに屈辱の降板。自責点は5でもちろん、敗戦投手となった。
 やはり、長い空白期間を経てのマウンドはそう容易なものではなかったようだ。素人目にはその辺りは分からない。次の登板を待とう。大リーグのホームページ上で彼の試合後のコメントが報じられていた。“Today, I felt like I was throwing the ball instead of pitching. So there's a little rust and I need to come up with a gameplan to get efficient outs." 
 通訳を介してのコメントだから、日本語で何と言ったのか分からないが、おそらく「ボールを放っていた(throw)だけで投球(pitch)とは呼べないものだった」類の発言をしていたのだろう。次の登板で一変するのを願い、その間、DH打者として猛打を見せてくれることを期待しよう。大リーグは今シーズンは例年の162試合からぐんと削られ、わずか60試合しかない。一戦一戦の重要性がことのほか増すことになる。
                 ◇
 外国語を学んでいる時によく思うのは、その語を耳にして、どういう感情を抱くかということだ。日本語ならば例えば、「初恋」という語を聞いたら、多くの人が甘酸っぱい、懐かしい思いが頭に浮かんだりするのではないか。英語だと “first love” だが、英語に慣れ親しんでいれば、“first love” と聞けば「初恋」に近い感情が湧き起っても不思議ではない。
 だから、その語を聞いてある感情が湧き起れば、しめたものと考える。最近目にした中国語の語彙は「战争」。「戦争」という意味だ。ピンイン表記だとzhànzhēngであり、その音を聞いても「センソウ」からは程遠い。だから、「战争」の発音を何度聞いても「戦争」という語がもたらす不気味な響きは(まだ)やって来ない。日本語同様の嫌な印象を抱くようになればこの「战争」という語が初めて身近になったと言えるのだろう。これはもう Practice makes perfect. との格言通り、「習うより慣れよ」しかない。
 人を見かけで判断してならないことは承知しているが、私は外国語学習においては初めて接する新しい語彙を見かけで判断するのは「得策」と考えている。つまり「好印象」の語、「不快な印象」の語、「中性的な印象」の語に大別して記憶するのだ。そうすると、年とともに怪しげになりつつある記憶の一助になるような気がしている。「战争」は間違いなく「不快」な語の代表格だ。

アポロからホープへ

20200722-1595382600.jpg マンションの大家さんからよく季節の野菜を頂く。家庭菜園で栽培されているのだろう。最近はキュウリやゴーヤ、ミニトマト、さやえんどうを頂いた。仕事に追われていた現役時代なら冷蔵庫に入れたまま放置していた可能性大だが、野菜の有難さがようやく分かるようになった今では喜んですぐに胃袋に収めている。
 You are what you eat. 人間は普段何を食べているかが重要だと思う。健康状態だけでなく考え方、さらには人生そのものも決まるような気もする。私は残念ながら子供の頃、野菜好きではなかった。山の幸には事欠かない山間部の生まれだからもっと野菜を積極的に食べていたらと悔いることばかりだ。
 それはそれとしてスーパーで美味い冷やし中華を見つけた(と思った)。一袋に2人分が入っていて410円。食べ終わって同じスーパーで探してみたが、見当たらない。それもそのはず、自分が食べたのは冷やし中華と勝手に思っていたが、どうも冷やし中華ではなかった。ネットで検索してそれはモランボンの「韓の食菜冷麺」であることを知った。韓国の冷麺? この商品を再度買い求め、大家さんから頂いたミニトマトやキュウリも添えて食べるつもりだ。嬉しいのは麺をゆでる時間がわずか1分。添付のスープと薬味を入れるだけ。今夏のお昼はこれで済ますことが多くなりそうだ。野菜をたっぷり添えて!
                  ◇
20200722-1595382566.jpg 科学に疎い私にはその科学的な意義はよく分からないが、これは結構画期的な出来事ではないかと思った。
 アラブ首長国連邦(UAE)の火星探査機「ホープ」を搭載したH2Aロケット42号機の打ち上げ成功のニュースだ。週明けの20日朝、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。打ち上げ事業者は海外からの打ち上げ受注で着実に実績を上げつつある三菱重工業。日本のメディアではNHKを含め、さらっと紹介されていた
 UAEは来年が建国50年。UAE初の火星探査機ホープは順調に行けば、その記念すべき年の2月に火星を回る軌道に入るとか。読売新聞によると、赤外線や紫外線で大気中のちりや水蒸気、酸素などを観測するほか、高解像度カメラで火星の姿を撮影する。
 私がこのニュースに引かれたのは英BBCのネットの記事を読み、UAEでこのプロジェクトの陣頭指揮にあたっているのが女性のサラ・アミリ先端技術担当相で、ヘジャブ姿の彼女はUAEが国の威信をかけてこのプロジェクトに取り組んでいると語っていたこと。UAEの技術者たちがアメリカの大学で6年の歳月をかけて探査機の開発に取り組んできたのだという。
 アミリ女史も語っていたが、7月20日はアメリカのアポロ宇宙船があの記念すべき月面着陸を1969年に成しとげた日だとか。私は高校1年生の夏だった。アミリ女史が期待する通り、UAEやその他のアラブの若者がホープの火星探査に触発されて宇宙開発の主役として活躍する日がやがて到来するかもしれない。UAEの地元ではこのニュースをどう扱っているのだろうか。UAEの英字新聞に初めてアクセスしてみたが、想像通りトップニュースで賑々しく報じていた。見出しにpride と joy という語が躍っていた。

風呂敷のこと

 レジ袋が有料化されて以来、マイバッグを持参してスーパーやコンビニに行くようになった。普通はそれでいいのだが、散歩やジョギングの帰りに買い物を考えている場合、マイバッグを携帯して出かける必要に迫られる。私がずっと使っているのは元々本や書類を入れるのに使っていた布製の手提げ袋。お米(5㌔)やスイカも楽に運べる。ジョギングする時には畳んで半分に折り、手ぬぐいを手にしたような感覚で走っている。邪魔ではない。
 それで思った。汗をかけば手ぬぐい、広げれば風呂敷になる、一石二鳥のものはないかなと。それなら常時携帯しておれば、実に便利、使い勝手のいいものとなる。これからはマイバッグ、エコバッグが大切な必需品となる時代。多用途のそうした新商品が発売されるようになることを期待したい。
 風呂敷と言えば、私は亡きお袋のことを思い出す。母は風呂敷が好きだった。社会人になって風呂敷をいくつかあげ、喜ばれたような記憶がぼんやりと残っている。お袋を見習い、私もこれから風呂敷のコレクターになろうかしら。日本を訪れる外国人旅行客にも風呂敷は評判がいいと聞いたような気もする。外出時のアクセサリーや部屋のインテリアなどにも活用しているのかもしれない。
 私の電子辞書では風呂敷は a wrapping cloth と載っている。もう少し付け加えれば、a traditional Japanese wrapping cloth used to carry things とでもなるだろうか。海外旅行の折りなどには日本のお土産としてあげれば喜ばれそうだ。風呂敷ならかさばらず、軽いので、旅先への土産としては最適だ。いかにも日本らしいデザインのものならなおさらだ。どうしてこれまで風呂敷を思いつかなかったのだろう?
                 ◇
 英日中の単語読本を読んでいて、次の文章に出合った。「officer=役人、公務員、将校=官员,公务员,军官」を紹介した一項で、例文は英語だと “Let’s ask that police officer how to get to the station.” と、日本文では「あの警察官に駅へどのように行けばよいかをたずねましょう」と記されていた。中国語だと、「我们问一下那位警官车站怎么走吧」。
 日本語ではまず意識することはないが、英語と中国語では上記の文章は二重目的語を取る動詞の文章となっている。英語では間接目的語がhow to get to the station.”(駅への行き方)となっている。中国語では「车站怎么走吧」(駅にどうやって行くのか)が間接目的語だ。英語では how to で導き出されるが、中国語では私なりに乱暴に言うと、「駅(车站)、どうやって(怎么)行く(走)のか」という感じだ。幾度となく書いているが、中国語では日本語式に頭に浮かんだ語をそのまま口にすれば通じるのではないかと思えてくる。もしそうなら、我々にとって中国語を習得するハードルは英語ほど高くないのでは?
 上記の単語、例文を辞書を引きながら学習していてそう感じた。正しい発音を身につける難しさを棚に上げて言えば、中国語は独学に向いているとも思う。発音に関しては今の時代はネットにアクセスすれば手軽に生の音に触れることもできる。NHKラジオの語学講座もある。自分の口から出る音の拙さをいつまでも言い訳はできない。(現実には私はずっとそうしているかもしれないが・・・)

藤井聡太君の頭の中に curiosity 一杯!

 新型コロナウイルスの感染者数が全国的に増加の一途を辿っている。夏場には下火になるのではと以前言われていたことに「一縷の望み」をかけていたことを思い出すが、それにしてもちょっと増え過ぎではないか。地元福岡でも感染者数が急増している印象。検査数が増えているから当然の帰結なのだろうか。素人なりに考えると、重症者や死者が急増しない限り、そう大騒ぎすることはないようにも思えるが、よく分からない。よく分からないからこの辺でやめておこう!
                 ◇
 藤井聡太君が昨日、将棋の八大タイトルの一つ、棋聖戦の5番勝負で勝利、3勝目をあげ、弱冠17歳で棋聖のタイトルを獲得した。凄い! 私はネットのアベマテレビで生中継していることを知り、昨日はパソコンに長時間、釘付けになった。
 将棋にはそこそこ興味はある。今は友人も少ないから自分で指すことはないが、NHKテレビの将棋番組を時に見ることはあるし、タイトル戦の生中継ならじっくり見ることもある。自分なりに次の一手を考え、それが当たる時は格別だ。そういうことは皆無に近いが。
 囲碁の世界では中国や韓国の棋士が日本の棋士に優勢のようだが、こと将棋は日本独自の発展を遂げた遊戯ゆえ、そこに日本人としても揺るぎないプライドも感じる。と書くと、何だか島国根性丸出しみたいだが、そうではなく、盤上の小宇宙でAI(人工知能)ばりの知性を戦わせるプロ棋士の勝負は私のようなへぼの将棋ファンにも魅力的だ。
 藤井棋士はこれで一冠。7番勝負の王位戦でも2戦2勝の好スタートを切っている。スポーツの世界同様、将棋の分野でもスーパースターの出現は興奮する。ぜひ、息の長いスーパースターに成長して欲しいと願う。
                 ◇
20200717-1594955432.jpg 大リーグの開幕はもう少し先だが、米ゴルフはギャラリー抜きとはいえ、プレー再開となっている。アメリカのゴルフの話題を追いたければ、やはりネットでフォローするしかない。この週末のメモリアルトーナメントのニュースを漁っていて、タイガー・ウッズとブライソン・デシャンボーが一緒に練習ラウンドをしたことがハイライトされていた。この二人は今、米ゴルフ界の話題を独占しているスタープレーヤー。タイガーは説明不要だろう。デシャンボーは素人目にはぎこちないスウィングだが、ドライバーで安定して350ヤード以上飛ばす剛腕。それで直近の大会で優勝するなど安定した成績を残している。
 メディアやゴルフファンの興味は二人が練習ラウンドでどんな会話を交わしたのだろうかということ。ウッズは44歳。デシャンボーは26歳。プレースタイルも異なり、実績ではまだウッズがはるかに上の存在だ。二人とも交わした会話の内容については煙に巻いた。英文ではIf they did talk about it, Woods wasn’t giving anything away either. After all, they say curiosity killed the cat. となっていた。Curiosity killed the cat. という文章は初めて目にしたように思う。辞書を引くと「好奇心もほどほどに」という訳が載っている。語源は諸説あるようだが、ネコは好奇心の塊のように思えなくもない。私は a cat person だが、なるほど、上記の「戒め」はすっと腑に落ちた気がした。

我喜欢独处

 天気予報を見ると、これからの一週間も晴れマークは見えない。曇り空に雨マークが混じっている。7月らしい快晴はしばらくは望めそうにないようだ。閑中閑あり、曇中隙ありで曇天の隙をついてジョギングするしか手はないようだ。
 快晴はなくとも、香椎浜の散策路を走っていると、近くの木々からセミの声が聞こえるようになった。蝉しぐれと呼ぶには程遠いレベルだが、季節の移ろいを感じさせる変化ではある。地上に出てきた、限りある命のセミ君たちにもこの曇天は面白くなかろう。嗚呼、早く滴り落ちる汗を拭いながら走りたいものだ。そうでないと一向に痩せもしない。
                  ◇           
 英中日の語学読本を読んでいたら、「他喜欢独处」という文章が出てきた。「彼は一人でいるのが好きだ」。「独」という語を中日辞典で引くと、一番目に形容詞として次のような説明がある。「(子供が)みんなと仲よくしない、一人遊びが好きな」。「这个孩子很独」(この子は一人遊びが好きだ)という例文が載っていた。
 「独处」は動詞で「一人暮らしをする」という意味だとか。「处」は「処」だ。「他喜欢独处」の「他」を「我」にすれば、私の生き方に思えなくもない。友人や同僚たちと交わるのも嫌いではないが、いつも群れていないと寂しいということは全然ない。以前にこのブログで次のように書いている。——それで思い出したのは先日、アメリカ人女性の友人と交わした会話。私より年長の彼女とは私が福岡に転勤した直後に知り合い、私のことをよく激励してくれるありがたいお人だ。私が独り身の人生を生きていることを彼女は私の記憶間違いでなければ、“Shoichi, you are a solitary person, but not a lonely person.” と表現した。日本語にするなら、「あなたは一人でいることを厭わない性格なのよ。孤独な人ではないわ」。私は彼女の表現がすっと腑に落ちた。そうだ、私は子供の頃からなぜかそうだったのだ。——
 「我喜欢独处」という文章がすっかり気に入った。中国語で自己紹介する場面に出くわしたなら、使ってみたいと思うが、下手すると孤独癖のある厄介なやつと思われるかも。この文章の後にどういう文言を続けるか考えよう。
                  ◇
 トランプ米大統領。今度は姪っ子が大統領の暴露本を出すとか。メアリー・トランプさん(55)。大統領の今は亡き長兄の娘でトランプ氏のことを内輪で見てきただけに、かなりの内容が盛り込まれているのだろう。著者の職業は臨床心理士。父親は祖父やトランプ氏に疎まれ、失意の晩年を過ごし、飲酒がたたり42歳で他界。その辺りから一家に亀裂が生じたようだ。本のタイトルが凄まじい。“Too Much and Never Enough: How My Family Created the World’s Most Dangerous Man”
 ニューヨークタイムズ紙がそのさわりを報じていたが、大統領が高校卒業時に大学受験のための試験で替え玉受験を工作し、替え玉に多額の報酬を払って高得点を得た話など、トランプ氏が “cheating as a way of life”(インチキが茶飯事の人生)を生きてきたことを告発している。彼女はトランプ氏が紛うことなきナルシストであり、通常の心理学では推し量れないレベルの精神病理を抱えていると切り捨てている。さもありなん!

アフリカ再訪の旅からもう10年!

 このブログは備忘録のようなもの。忘れっぽい私にとって去年の今頃ははて何をしていたのか、何を考えていたのか、と思案する時に、一年前にスクロールしていけば、そうしたことがすぐに分かる、有難い存在だ。
 去年の今頃は台北を再訪する準備に取りかかっていた。短期間籍を置いた大学の語学講座の発表会に合わせ、老師や受講生仲間と旧交を温める再訪だった。以来、台湾の地を踏んでいない。今年も一度ぐらいは足を運ぼうと思っていたが、このコロナ禍だ。
 長年勤めた新聞社を早期退社して、念願のアフリカ再訪の旅に出かけて10年になる。2010年に半年の旅を終えた時には10年後にまたアフリカを旅して新たな紀行本を書こうと考えていた。その年がやって来たのだが、どうもこれは実現しそうにはない。アフリカの取材の旅はそれなりの覚悟が必要。体力・気力・財力が先決。体力・気力に不安はないが、財力は心もとない。アメリカや英国で実践したような気ままに歩き回る「貧乏旅行」が必ずしも「安全」を保証はしてくれない。
 最後にそしてこれが最も大切なことなのだが、英語ではこういう時、よく次のような言い方をする———— And last but not least, ———— アフリカの現状は10年前と比べたいして好転しているようには思えない。私が『ブラックアフリカをさるく 声をあげ始めた人々』を書いた当時と大差ないのではと思える。危険を承知で金のかかる取材の旅に出かける意欲はわかない。第一、当面続くと見られるコロナ禍の現状ではアフリカに向けて飛び立つこと自体が甚だ困難だろうと思われる。すべては神様の思し召しか。
 今秋は韓国から友人のJさん夫妻が来福する段取り。二人を楽しい九州の旅に誘いたいのだが、こちらもコロナ禍で果たして実現するのか。甚だ気がかりになりつつある。
                  ◇
 今月1日からコンビニやスーパーでレジ袋が有料になった。一つ3円。10回買い物に出かけ、その都度袋をもらえば30円。100回で300円。大した金額ではないが、気分の問題でもある。よって、大きい買い物になると分かっている時に携帯していた買い物用のバッグを常時使うようになった。
 このレジ袋有料化のニュースを最近新聞でよく見かけるようになって思ったことを一つ記しておきたい。レジ袋は英語では plastic bag と言う。私は昔から語感的にプラスチックは何かもう少し固いものという印象があり、ビニール製のレジ袋をそう呼ぶことに違和感を抱いていた。英語では当然そういう表現をするとして、日本語では「プラスチックの袋」ではなく「レジ袋」か「ビニール袋」の方がしっくりくる。新聞ではレジ袋などの「末路」を「プラスチックごみ」と呼んでいる。こうした表記に慣れ親しんでいれば、これからの若者はレジ袋を英語で plastic bag と呼ぶのに何の抵抗もなくなるだろうし、やがて日本語でも「プラスチック袋」「プラ袋」などと呼び始めるかも・・。
 買い物に使う袋やバッグは「マイバッグ」「エコバッグ」と呼ぶそうだ。地球温暖化対策が喫緊の課題となる現代は「エコ」がキーワード。何事も「エコ」だったら、皆に持てはやされる時代だ。昔の人はそうした行為を「えこひいき」と呼んだと記憶している。

Stunning ignorance of facts

 また新しい一週間が始まった。福岡は悪天候が続いており、気分も滅入る。曇天の隙間をついてスロージョギングを続けているが、何だかなあという感じだ。
 熊本の豪雨被害は胸が痛む。人吉は福岡から新幹線を利用して帰郷すると、八代で高速バスに乗り換え、途中で立ち寄る停留所の一つ。私は人吉周辺をドライブ・散策した経験はないので土地勘は全くないが、郷里の宮崎・西都からそう離れた地ではない。山間部では川幅の狭い地区が多く、そういうところで豪雨が集中的に降れば鉄砲水となりやすい。
 ネットのメディアで「50年に一度の豪雨」という表現を目にしたが、本当にそうだろうか。これからはこうした豪雨が日常茶飯事になるのではないかと私は危惧する。以前に書いたことがあるが、帰郷して、長姉の家に泊まっていた際、急に降り出した雨に驚いたことがある。それまで経験したことのないような激しい雨だったからだ。「これって南太平洋の亜熱帯地方で降るスコールのような雨では」と思った。地球温暖化で亜熱帯が上昇し、日本も亜熱帯でしか見られないような豪雨が当たり前の時代に入っているのではないか。
 南の海でしか獲れなかった魚が今日本の近海で獲れる話はよく聞く。農産物もそうではないのか。地球温暖化の有難くない余波は身近に迫っているのではないか。杞憂であることを心から願うが。
                  ◇
 トランプ氏のことはもうあまり書きたくないのだが、毎朝、米CNNテレビを見ていると、致し方ない。書かずにはおれないような言動を大統領が日々仕出かしてくれている。
 月曜朝はトランプ大統領が新型コロナウイルスは恐れるに足りぬと次のように語ったと報じていた。週末の独立記念日のスピーチの一節だ。“Now we have tested almost 40 million people. By so doing, we show cases – 99% of which are totally harmless – results that no other country can show because no other country has testing that we have. Not in terms of the numbers, or in terms of the quality.”
 コロナウイルスの死者が13万人を超えたアメリカでさすがに「感染者の99%は無害」と主張するのには言葉を失う。しかも発言者は大統領だ。CNNテレビではコメンテーターから一蹴されていたが、さらに驚いたのはコロナ対策を担当している政権幹部がコメントを求められ、大統領の発言を否定・批判することを拒んだことだ。CNNのホームページの見出しは A stunning breakdown of the government’s duty to keep Americans safe というものだった。この日のCNNテレビでは、トランプ氏に仕えた側近の一人がトランプ氏がアメリカの歴史に関する本を一冊も読んだことがないと語ったのを聞いたことがあるとも証言していた。
 トランプ氏の一挙手一投足が米主要メディアにより詳しく報じられるようになってから、stunning という語を幾度となく目にするようになった。本来は「美しい」とか「とても魅力的な」といったポジティブが語彙なのだろうが、ことトランプ氏に関しては his stunning ignorance of history とか his stunning lack of knowledge about the world などと形容されるのに使われている。嗚呼、何をか言わんやである。

Interdependence Day

 中国語と韓国語の独学。頼みの綱のNHKラジオの語学講座がコロナ禍の余波で今月から4月時の再放送に戻った。初級講座は半ばを超え、これから本格的な会話のやり取りを学ぶはずだったのに残念ということは既に書いた。それで復習の意味も込め、再放送を聞いている。一週間が過ぎた。情けないことに大いに参考になっている。中国語に関しては基本的な語彙もすでに忘れているものがある。また、知っていると思っていた語彙も改めて耳から聴き、漢字を書こうとすると、書けないものが少なくない。だいたいの感じは分かるのだが、日中の漢字は異なるケースが多いので、ペンを持つ手が動かない。
 ともあれ、基礎力をまた一から叩き直す意味では再放送はかなり役立ちそう。これも運命と悟り、また謙虚にラジオから流れてくる講師陣の音声に耳を傾けている。日暮れて途遠しとの思いも深いが、語学の学習は普段の習得の蓄積だから致し方ない。
 中国語に関して一つ。友人の家などを訪問し、帰り際に「お邪魔しました」というのは何と表現するかという問いかけがあった。え、4月の段階でこんな表現を習っていたのか? 私はすっかり失念していた。答えは「打搅了。」だった。「打搅」は「邪魔をする」という意味。日本語と全く同じ意味合いの表現だ。嬉しく思ったのは耳から聴いた時、「搅」の音がjiao であり、zhao ではないと認識できたこと。jと zh の音は日本人には区別が難しい。少なくとも私はこれに随分手こずった。今でも手こずっている。舌の位置が異なるのだが、日本語ではこうした舌の位置の違いを意識することはない。だから、音を聴いた時に、あ、これは zh ではなく、jの音だと即座に分かったのが嬉しかった。些細なことだが、こうした喜びを少しずつ重ねていくしかない。
                  ◇
 トランプ米大統領が新型コロナウイルス対策として、マスク着用を「全面的に支持する」(I’m all for masks.)と表明したとか。“Better late than never.”(遅れても何もしないよりはまし)ではあるが、今頃になってやっとかい!と突っ込みを入れたくなるのは私だけではないだろう。
 と思いながら、CNNテレビを見ていたら、どうも心からの推奨ではないようだ。彼はこの週末にサウスダコタ州にあるラシュモア山(国立記念公園)で独立記念日を祝う集会を行う予定だが、この集会では参加者のマスク着用は義務づけられていないと報じられている。social distancing と呼ばれる社会的距離の確保もおざなりで、大統領がコロナ対策に躍起になっているとは到底思えない。
 米疾病対策センター(CDC)によると今後も米国内の感染者は増加の一途の見込みだが、トランプ大統領にはどこ吹く風のようだ。CNNテレビに出ていた医療専門の大学教授が事態を憂慮し、「今年に限っては米国の独立記念日はIndependence Dayではなく Interdependence Day と呼ぶべき」と語っていた。米国民がマスクを着用し、social distancing を守り、自分たちが相互依存の存在であることを確認しようという訴えだ。
 Interdependence Day(相互依存の日)。なるほど。今の時代は毎日がそういう日なのだろう。アメリカだけではなく日本もその他の国々も・・・。

Nature calls me.

20200701-1593564959.jpg 久しぶりに天神に足を運んだ。コロナ禍の昨今では天神に足を向ける気もなかなか起きなかった。日曜は英語教室。スカイプではなく対面で受講生と向かい合った。月曜は4か月ごとに通院している歯科医院。歯石除去はさすがにリモートというわけにはいかない。
20200701-1593564995.jpg 歯科医院の前に天神のジュンク堂書店に行った。ここで購入したボールペンの替え芯が欲しかったからだ。ジュンク堂書店は移転のために文具コーナーが閉店セールの真っ最中だった。ブックカバーの棚を見ていたら、今毎日読んでいる日英中の学習読本にぴったりのブックカバーがあった。普段ならちょっと思案する額だったが、7割引き。有難く購入した。上記の学習読本に掲載されている語彙数は2893語。これまでに学んだのは約240語。まだまだ先は長い。読破する頃には本の表紙はボロボロになっているのではないかと危ぶんでいた。ブックカバーがあれば心強い。
 ジュンク堂書店はよく利用していたのでせっかくだから閉店に際し、何か文庫本ぐらい一冊買って帰ろうと考えた。文庫本のコーナーに立ってすぐに目に入ったのが夏目漱石著の「坑夫」。私は漱石は大好きな作家だが、この作品は読んだことはない。これも何かの縁だろうと購入した。ジュンク堂書店は8月に少し離れたビルに移転開店することになっているようだ。レジで店員さんに新しいお店は売り場面積が小さくなるんでしょ?」と尋ねると、「はい、三分の一程度になります」と答えた。
 私はジュンク堂書店には恩義を感じている。拙著を幾つか棚に置いてくれているからだ。しかし売り場面積が激減すると、私の本など消えてしまうだろう。
                  ◇
20200701-1593564916.jpg 外電も相変わらず、コロナ禍にまつわるニュースが多い。CNNのホームページを眺めていて、英王室に関する次のニュースを思わずクリックしてしまった。People are defecating outside the Queen’s vacation home という見出しだったからだ。
 エリザベス英女王の休暇先として話題に上ることの多いスコットランドのバルモラル城。城外を散策する行楽客がところ構わず排泄しており、その際に使用するウエットティッシュなどがその場に捨てられているのだという。英国ではほとんどの公的な施設がコロナ禍で閉鎖されているが、野外での散策活動などは制限されておらず、そうした人々が自然の生理現象(the call of nature)ゆえにやむを得ない行為に出ている。文中では “… leading many to seek quiet public places if nature calls during a day out” と書かれていた。
 不可解だったのは排泄行為に使われるティッシュペーパーの類が “non biodegradable wipes” と表現されていたこと。普通のティッシュなら「非生物分解性」ではなく、その場に放置されたとしてもやがて土に帰るはずで、レジ袋のようないわゆるプラスチックごみとは異なるのではないかと思った。環境汚染にはならないのではないか。王室の関係者は次のように指摘もしていた。“If you need to defecate, do so as far away as possible from public buildings, paths, water courses and farm animals. Bury faeces in a shallow hole and replace the turf.” まあ、確かに誰もいない山中などでも急に便意を催したとしたなら、排泄した大便を穴に埋め、土を被せて立ち去るのは最低限のマナーだろう。

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