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January 2020

『シエラレオネの真実』

20200129-1580262161.jpg 『シエラレオネの真実 父の物語、私の物語』(亜紀書房)というノンフィクションの作品を読んだ。原題は “The Devil that Danced on the Water: A Daughter’s Quest”。著者は西アフリカ、シエラレオネ人の父親とスコットランド人の母を持つ作家のアミナッタ・フォルナ氏。1964年生まれとあるから五十代半ばの女性だ。
 邦題が示す通り、1960-70年代のシエラレオネを主な舞台に、著者の父親で当時、財務大臣の要職にあったモハメド・フォルナ氏が独裁的なシアカ・スティーブンス大統領に疎まれ、国家転覆罪で絞首刑に処せられた経緯を知るために、著者が祖国を再訪し、関係者に取材、真相を追求していく物語。父親を失った娘としての喪失感とともにシエラレオネの恥辱的な現代史が明らかにされる。普通に読めば、頭脳明晰なモハメド氏がなぜ、狡猾で残忍な大統領の魔の手が迫って来る前につてのある英国に亡命しなかったのか、家族の大切さを第一義に考えなかったのかという疑念がわく。そうした機会は何回かあったのだ。
 物語の冒頭は1974年7月30日。著者は10歳とある。シエラレオネの首都フリータウン。「言いようのない危険な雰囲気を感じさせる」二人の男がやってきて、私(アムナッタ)の父親をどこかに連れていく。「お母さんに遅くなると言いなさい」という言葉が耳にした父の最後の言葉だったとある。
 物語の舞台はロンドンに跳ぶ。「父の死から25年が過ぎたにもかかわらず」父の夢を見なくなることはなかったと記されている。著者はロンドン大学で学び、ジャーナリストとなっている。著者は父親の逮捕後、兄や姉、義母とともにロンドンに逃れており、シエラレオネの記憶は薄れている。かすかに残っている記憶を基に父親の足跡をたどるのだが、祖国はまだ反政府軍との間で激しい内戦状態にあり、危険と隣り合わせの取材を続けていく。父親に対する深い愛慕の念がなせる業だろう。物語の中で反政府軍により両足首や腕を切断された無垢の住民が描かれ、その酷さに胸がつまった。それでも彼らは希望を捨てていない。
 私はシエラレオネを訪れたことはない。アフリカ特派員時代、支局は東アフリカ・ケニアのナイロビにあった。アフリカの地図を見ると、東西アフリカはそうは遠くない印象だが、地球が一番出っ張ったところであり、見た目以上に距離がある。加えて東西を結ぶ航空路線は多くなく、決して近いという印象ではなかった。また、西アフリカはフランス語圏の国が多いことも英語しか解さない日本人記者には取材意欲を削がれた。シエラレオネは英語が公用語であるもののだ。
 言い訳ではないが、私がナイロビ支局に勤務していた1980年代末、シエラレオネは比較的静かな情勢が続いていた。敢えて書くと、この本に登場する大統領のように国民の幸福を一顧だにしない独裁的指導者はアフリカでは当時も今も珍しくない。そうした邪悪な指導者を一掃すべく、国際社会の断固とした対応が求められている。
 訳者は1985年から2004年まで国連児童基金(ユニセフ)広報官を務めた澤良世氏。惜しむらくは著者の回想と四半世紀後の再訪の場面などが交錯した記述が多く、原文では違和感なく読み進めることができるのだろうが、日本語ではかなり戸惑う場面が少なくなかった。登場人物一覧も冒頭に別記してあれば役に立ったことだろうと思われた。

brand-new

 平日は毎朝、毎夜、NHKラジオの語学講座のお世話になっていることはこのブログで何度も書いている。本当にNHKの語学講座がなかったら、私の今の生活は何とも味気ないものになっていたころだろう。退屈をかこっていたかもしれない。小人閑居して不善をなすか。
 ただ、正直に書くと、夜10時台に再びラジオに向き合うのは難儀に思うことも少なくない。時には早く就寝したいと思うこともあるし、見たいテレビ番組もある。講座が難解と思う時には投げ出したくもなる。でも、いつか、すっと意味が分かるようになるときがやって来るはずだと信じて聴き続ける。だから講座の内容が比較的容易に理解できる時があると、嬉しくもなるし、少々大げさに書くと前途に希望の光が見えるような気もする。
 NHKでは毎朝の韓中両言語の講座に続いて、英語の講座が流れる。これも惰性で聞くことが多い。さすがにすっと分かるので気分が楽だ。それだけでなく、思いがけない復習になったりするのも有難い。最近の放送で言えば、次のような会話が紹介されていた。マンションの住民とそのマンションに転居したばかりの人の会話だ。“Are you new to this condo?” “Yes, I’m brand-new, just got moved in.”
 「新品」を英語では brand-new と表現することは知っていた。「新車」なら a brand-new car だ。だが、上記のように、マンションに越して来たのかどうかを問われ、「はい、越して来たばかりです」と言いたい時に、“Yes, I’m brand-new, just got moved in.” と表現できるとまでは思い至らなかった。なるほど。参考までに、職場やサークルなどの場で「私はここでは新入りです」と言うときなどには “I’m new here.” と表現できるようだ。
                 ◇
 中国の春節(25日)を盛大に祝う特別番組をケーブルテレビが生中継していた。NHKの紅白歌合戦をさらに豪華にしたような番組だった。歌あり、踊りあり、コントあり、漫才ありのバラエティーに富んだ内容で、生中継だけに同時通訳は少なかった。コントでは老若男女の観客は大笑いしていたが、私にはまだ日本語の字幕がないと無理。せめて中国語の字幕があれば少しはついていけたかとも思うが。果たして来年の今頃はもっと笑えるようになっているだろうか。
 それはさておき、中国の人々は地域によっては今、春節を祝うどころの気分ではないのかもしれない。新型コロナウイルスによる肺炎により、感染の中心地である湖北省の武漢市が封鎖に追い込まれるなど危機的状況にあるからだ。武漢市は揚子江(長江)沿いの内陸部屈指の都市で、昔から交通の要衝の地として知られる地。読売新聞によると、武漢市の人口は東京23区内の人口を上回る約1,100万人。これだけの大規模な都市が「封鎖」されたわけだから、そこに住む人々は経験のない恐怖と不便を強いられているのだろう。
 今朝の朝刊は中国当局が海外への団体旅行を27日から禁止する決定を下したと報じている。願わくは中国国内での感染拡大に歯止めがかかり、これ以上、世界的に猛威を振るうことがないことを祈るばかりだ。
 それにしても、昨今の新たな疾病の発生は不気味と言うしかない。世界各地での異常気象、自然災害。核兵器の恐怖。聖書が説く世紀末の様相を呈しつつあるのか、と憂鬱になる。

口髭(mustachio, moustache)

20200122-1579668724.jpg 英字新聞「ジャパン・ニュース」を購読しているが、最近は紙面が薄っぺらい時もあり、そろそろ購読をやめる潮時かなと思うこともある。英文ニュースはケーブルテレビのCNNやBBCで接することができるし、ネットだとリアルタイムでフォローできる。ただし、紙の新聞を取っていると、テレビやネットの記事では見逃すであろうニュース、話題に触れることがあり、やはり、日々、英字新聞を購読している価値はありかなとも思える。
 最近読んだ中では次の記事が印象に残った。“U.S. ambassador becomes mustachioed face of S. Korean discontent” という見出しで、アメリカのハリー・ハリス駐韓大使が口髭を生やしていることから韓国の大衆・メディアに不興を買っているという内容のロイター電。米韓関係が北朝鮮政策や中韓米軍の駐留費の負担問題などから緊張をはらんでいることが大きな要因だが、ハリス大使の特徴ある風貌も一因しているとか。
 ハリス大使の口髭が韓国社会には植民地時代の日本の政治家や軍人を想起させているのだという。ハリス大使の母親が日本人であり、日本人の血を引いていることが背景にあるようだ。大使も十分にこのことを承知しており、ジャパン・ニュース紙によると、彼は「私は駐韓の日系アメリカ大使ではなく、駐韓のアメリカ大使だ」と語っている。
 ジャパン・ニュース紙に掲載されている彼の風貌から「日系」を読み取ることは難しいが、口髭のくだりは興味深く読んだ。確かに韓国を旅していて、口髭を生やしている韓国人を見ることは稀な印象がある。私が韓国ですぐに日本人と「看破」されていたのは短足短躯にハンチングという姿だけからではなかったのだ。口髭も絡んでいたのか、と改めて気づかされた。まあ、それはそれとして、このような興味深い記事は紙の新聞を購読しているからこそ巡り合える。まだしばらくはジャパン・ニュース紙とお付き合いすることになりそうだ。
                  ◇
 英王室のヘンリー(ハリー)王子が妻のメーガン妃とともに王室の活動・行事から完全に身を退くことが英王室より正式に発表された。二人はこれにより王室のメンバーとして公費を受け取ることはできなくなり、 “Royal Highness” (殿下・妃殿下)という敬称も失う。束縛よりも自由・独立を選択したヘンリー王子は完全に王室と袂を分かつことまでは考えておらず、彼にとっても驚きの展開だったようだ。祖母のエリザベス女王の意向が強く働いているのは間違いないと思えるが、チャールズ皇太子の風貌には似ても似つかぬヘンリー王子に対する厳しい対応の裏事情を詮索したくもなる。
                  ◇
 大晦日以降、たるみきった身体を鍛え直すべく、香椎浜でのスロージョギングも隔日には続けたいと思ってはいるものの、このところ、雨模様の日々が多く、なかなか腰を上げることができない。雨が降っていなくとも、曇天だと、走る意欲は失せてしまう。残念ながら、今週も天気予報だと雨マークが連なっている。月曜は何とか走った。水曜。午後からは雨が降るとかで、午前中に走った。途中から冷たい小雨が降り始めたが、なんとか二周、約6キロを走り終えた。明日以降は無理かもしれない。今の心持ちを中国語で書くと、我想在蓝天下跑步。<私は青空の下でジョギングしたい>

デジカメ戻る!

20200119-1579395503.jpg 北陸・関西方面への正月の旅で紛失していたデジカメが戻ってきた。大阪の曽根崎警察署の落とし物係から着払いで届いた。包みを開けると見慣れた銀色のデジガメ。撮影済みの写真を確認すると、最後に写っているのは、金沢から京都へのJR特急サンダーバードの車中で撮った金沢名物の駅弁。そうか、この駅弁を食べながら写真を撮り、リュックにデジガメを収納すればいいのに、おそらく座席のお尻の辺りに置き、そのまま忘れてしまったようだ。
20200119-1579395789.jpg 何度も書くが、これは2010年のアフリカ放浪の旅以来、苦楽を共にしてきた「戦友」のようなデジカメ。手の中にすっぽり入り、一見すると携帯電話のようにも見え、被写体に向けても、相手に警戒心を抱かせることがない。アフリカでは写真撮影の是非が微妙なときが少なくなく、まさに取材の旅には打って付けだった。
20200119-1579395833.jpg20200119-1579395883.jpg デジカメのメモリーカードに残っている写真を改めてチェックして見ると、最初の撮影は2016年3月初旬の韓国・釜山への初めての旅。以来、数多くの忘れ難い人たちや光景が収められている。デジカメを紛失することも痛いが、こうした旅の思い出が消失することも辛い。ある程度の写真はブログに記載しているとはいっても、大半は未掲載だ。
 さて正月の北陸・魚津では良く飲み、良く食べたが、デジカメにもそうした思い出がちゃんと残っていた。
                  ◇
 最近はホテルの部屋に外国語の案内文を見ることは珍しくない。韓国語や中国語のものもあるが、やはり圧倒的に多いのは英語の案内文だろう。だが、そうした英語の文章が意味不明だったりすることもある。上記の旅では最後の晩は神戸のビジネスホテルに泊まったが、トイレ兼バスルームに置かれていた案内文が実に難解だった。日本文も?だったが、英文は何度も読み返した。それでも意味がよく分からない。
 デジカメを紛失していたため、スマホでとりあえず撮影し、英語教師でもある旧知のアメリカ人の友人に画像を送り、彼の意見を求めた。結論を書くと、彼にも??ということだった。その文章は以下の通り。For customers staying: In order to cherish resources, we do not replace used toothbrushes, etc., and we are supplementing new items. If you wish to discard it, please do so as you discard it in the garbage box. 今改めてこの英文を読んでも、私には納得のいく日本文にすることは不可能だ。
 要するに「エコフレンドリー」を掲げるホテル側が主張したいのは次のようなことか。私たちは資源を大切に扱っており、資源回収にも積極的に取り組んでいます。お客様が使った歯ブラシやシャワーキャップなどはゴミ箱に捨てないでください。捨てたいとお思いなら、そうなさっても構いませんが、ということだろうか。それにしても凄まじい英文だ。
 よく利用する郵便局でもこっけいな英文案内に出くわしたことがあり、そのことを指摘すると、窓口の職員は「あら、そうですか。でもスマホの翻訳機能を使って作ったんですよ」と表情が曇った。ひょっとしたら、神戸のホテルでもスマホか何かの翻訳機能を使っていたのかもしれない。チェックアウトの際にフロントのスタッフに老婆心ながら、私の考えを文章にもして伝えはしたが、おそらく変更されることはないだろう、きっと。

狐につままれたような

 スポーツ中継もこの時期は数が少なく、テレビに釘付けになることは稀だ。タイのバンコクでは若手主体のサッカーのアジア選手権が開催されているが、名前を知った選手も少なく、放送時間帯も時差の関係で微妙なずれがあり、熱心には見ていない。日本代表は予選3戦を戦い、2敗1分けと無残な結果に終わった。
 日本の最初の試合はゲーム終了が午前零時過ぎ。最後までゲームを見ず、どうせ負けているだろうから、結果は翌日の朝刊で確認しようと思い、就寝。翌朝、朝刊を見やると、あると思っていた結果が報じられていない。不思議だなあと思ったものの、そう熱心なサッカーファンではないのであまり気にはしていなかった。2試合目も全く同じ状況。不思議だ。
 手にした新聞の一面の左肩を何気なく見やると、13sという文字が目に入った。あれ、14ではなかったかいな? 一般の読者にはこの数字は全然気にならないだろうが、新聞記者出身の私には驚愕の数字。これは「版建て」と言われる数字で、その日の最新のニュースが入っていることを示している。東京都心や大阪都心で配達される新聞は14版だ。福岡でも中心部は14版の新聞。私が住む東区もずっと14版が配達されていた。それが突然の13sへの「格下げ」。14版なら上記のサッカーのゲーム結果も楽に含めることができるが、締め切り時間の早い13sでは無理。私の購読新聞に結果が報じられていないのは当然の帰結だ。
 すぐに販売店に電話を入れた。販売店の人の話によると、昨年秋ごろか、お店にやってくるトラックが変わり、時間帯も早くなったとか。なるほど、そういうことか。事情は呑み込めた。ただ、不思議なのは、紙面でこの「版建て」変更のお知らせを読んでいないこと。これはとても重要なことだ。言わば「商品価値」にも直結する。読者に何ら知らせることなく、版建ての変更を、この場合は格下げになるが、実施していたとしたなら、???。私が小旅行に出ていた間に告知されていた可能性や見落としていた可能性もあるにはあるが、どうも釈然としない。古い新聞は手元にはないから確認しようもない。古巣の新聞社だから、あまり酷なことは記したくはないのだが、これは全く別の問題だ・・・。
                 ◇
 大リーグでサイン盗み疑惑(sign-stealing scandal)がついに監督やゼネラルマネージャーの解任劇にまで発展した。渦中の球団がワールドシリーズで優勝を果たしたヒューストンアストロズとボストンレッドソックスであることも驚きだ。プロ野球なら巨人やソフトバンクホークスが絡むような事態で、野球観戦どころではない重大な不正行為だ。
 アストロズの場合は本拠地球場の外野に設置したカメラで保守のサインを撮影し、ベンチのゴミ箱を叩く音などで打者に球種を伝達していたという。投手が投げる球種が分かれば、打者には圧倒的に有利であることは素人にも理解できる。選手の処分は対象者があまりにも多いことや移籍しているケースもあることから見送られるとか。上記の球団と対戦してワールドシリーズから敗退したチームやファンにとっては納得のいかない裁定かもしれない。アストロズ、レッドソックスのそれぞれ2017、2018年のワールドシリーズ制覇が色あせることは不可避の情勢だ。両球団は今シーズンはアウェイのゲームでは対戦チームのファンの罵声を浴びることになるのだろう。それは致し方ない。

「游」は「泳ぐ」

 さあ、本格的に新しい一年が始動した。小倉と天神(博多)の英語教室。少しは受講生が増えてくれないものかと願ってはいるが、どうなることやら。まあ、今の受講生はどちらの教室も熱心に受講しているようなので、それだけでも感謝、感謝だ。
 今年は中国語・韓国語ともに長足の進歩を遂げたいと思っている。頼りにしているのはNHKのラジオ講座だ。再放送が多いので復習しながら力をつけていくにはもってこいの講座だ。金曜日の講座では次の二つの文章が出ていた。「我会游泳。」と「我能游一千米。」。最初の文章は「私は泳げます」で次の文章は「私は千㍍泳げます」という意味。「游泳」(yóu yǒng)は「泳ぐ」という語。二つ目の文章では「游泳」のうち、「游」という漢字は出ているが、「泳」という漢字はない。我々日本人には「泳ぐ」と言えば、「游」ではなく「泳」という漢字が頭に浮かぶかと思う。中国語では「游泳」という語句はあっても、数量を付加して表現する場合には「游」が言わば「代表」して表に出てくるということか。この辺りは私には実に頭が混乱する。「游」を中国語の辞書で引くと、①「泳ぐ」の次に②「ぶらぶらする」という意味が出ている。②の方が何となく分かるような気がする。
                 ◇
 欧州連合(EU)のくびきから自らを解き放つブレグジット(英国のEU離脱)で揺れ続けている英国で、今度はまた新しい「離脱」が波紋を広げている。王位継承順位6位にあるヘンリー王子(35)が妻のメーガン妃(38)とともに王室から一歩身を退くと表明したのだ。日本のメディアでは二人が「王室の中心メンバーから退く」と紹介されている。「中核メンバー」あるいは「主要メンバー」と訳出したメディアも散見した。初めてこのニュースをNHKテレビで耳にした時に「中心メンバーって英語ではどう表現しているのだろう?」と思った。
 BBCのホームページにアクセスして上記の表現は “senior members of the royal family” となっていることを知った。なるほど、senior か。私は central とか leadingという語が頭に浮かんだが、senior members が自然な表現ということだろう。この辺りも英語のネイティブスピーカーでないと苦労するところだ。
 ところで、ヘンリー王子夫妻の決断はエリザベス女王を筆頭に王室の他のメンバーには一切、寝耳に水だったようで、女王も心を痛めているとか。これからさまざまな説得工作、駆け引きが展開されていくのだろうが、報道によると、二人は自分たちのプライベートな生活に対する英国メディア、特にタブロイドペーパーと呼ばれる大衆紙の取材攻勢に辟易していたことがうかがえる。これからは生活のベースを北米、特にメーガン妃がかつて暮らしたことがあるカナダに移したい意向であると伝えられている。
 とはいえ、二人は英王室から完全に身を退くわけではなさそうで、果たしてどのような妥協案が出て来るのか。BBCの記事によると、カナダの国民はヘンリー王子夫妻がカナダを「半定住」の地に選んだことに概ね好意的な見方をしているようだ。英国民はどうか。二人が王室の一員として種々の(経済的)特権を保持したまま、海の向うで優雅な暮らしをエンジョイすることを許容するのか。それは分からない。

デジカメ見つかる!

 正月早々、中東情勢がきな臭くなっている。民放テレビのテロップでは第三次世界大戦の勃発を憂えるものもあったようだ。第三次世界大戦はともかく、アメリカとイランが本格的な戦争状態に突入する危険性は確かに否定できない。
 ただ、イラン政府はイラク領内の米軍基地へのミサイル攻撃に出た8日(日本時間)、報復攻撃が「完結した」と表明しており、トランプ米政権が新たな重大な挑発行為に出ない限り、対立がこれ以上激化する可能性は薄そうにも思える。収束することを切に祈りたい。
                  ◇
 正月早々紛失したデジカメ。前項で書いたように、新聞社を2010年に早期退社した際、会社から記念品としてもらい、アフリカの旅以降、ずっと私と一緒に旅してきた「戦友」だった。それで福岡に戻って以来、ベッドで横になっている時など、魚津のママさん家を出る瞬間から亀岡の兄の家を出る直前の荷造りまで、何か思い出せないものかと再三試みた。魚津を後にした宇奈月温泉駅から金沢駅までの北陸新幹線の車中、金沢駅から京都駅までの特急サンダーバードの車中の行動も。だが、デジカメをどうこうした記憶がない。
 半ば諦めかけていた時に神戸で会食した新聞社勤務時代の同僚Iさんからメールで「警察に紛失届を出したらいかがですか」と促された。そうだなと思い、とりあえず、JR西日本の忘れ物センター(金沢)に電話を入れてみた。最終的に大阪の曽根崎警察署に問い合わせることになった。どうも、該当するような忘れ物がこの警察署に保管されているようだ。
 忘れ物担当の部署に回され、担当者に尋ねてみると、確かに私のデジカメと酷似したものが届いているとの由。「どんな写真を最後にお撮りですか」との問いに「魚津の訪問先でご馳走になった海の幸がテーブルに並んだものや鍋料理の写真です。英語の四コマ漫画をフレームごとに撮ったものもあるはずです」と答える。本当に嬉しいことに、私のデジカメであることが判明した。
 やはり、サンダーバードの車中で座席かどこかに忘れていたようだ。おそらく、金沢駅の地下の商店街で買った駅弁を食べようとした際にその駅弁をデジカメで撮影し、そのまま座席のお尻の辺りに置き、バッグにしまうのを忘れた可能性がある。私が京都駅で下車した後、親切な乗客が車掌さんに届け出てくれたのだろう。その人と神様に感謝!家中を探してくれたママさんや兄にもすぐ電話を入れ、詫びた。日本はやはりいい国だ。
                  ◇
 実はデジカメが出てこないものと思い、引き出しにしまっていた古いデジカメ二個を引っ張り出していた。一つは新聞社を辞めるまで仕事で使っていたデジカメ。これは多機能の付いた本格的なデジカメ。それと、会社を辞める直前の2009年に購入していた小型のデジカメ。この二つを取り出し、使ってみようとしたが、ともに十年以上触っておらず、使い方をすっかり忘れていた。取り扱い説明書などどこにあるかも分からない。
 メモリーカードも残ったままで、確認すると2009年に当時の若い女性スタッフらと食事した時の記念写真などが目に飛び込んできた。懐かしく思うと同時に複雑な気持ちにもなった。この10年、私は一体何をしてきたのだろうか。何を考えてきたのだろうか。

デジカメ紛失!

 大晦日から正月にかけ、実によく飲み食いした。正確には飲み食いさせてもらった。体重は今80キロに限りなく近いかと思う。恐ろしくて体重計になど乗りたくない。身長のない私には限界だ。よし、今年は真面目に減量に取り組もう。目標体重とりあえず70キロ。つい先日の記憶では77キロ程度あったはずだから、少なくとも7キロの減量となる。9月の定期健診までに70キロを目指そう。本当はこの数値でも標準体重からは程遠い。
 そういえば、昨年最後のこのブログで、「从明天开始,我一定要减肥」という中国語の文章を紹介していた。これを再利用するなら、「从今年开始,我一定要减肥」となるだろう。「今年から私は絶対ダイエットするつもりだ」
                  ◇
 などと、このブログを今、関西から福岡に戻る新幹線の車中で(ラップトップのキーを叩いて)書いている。頭の中はこの一週間の酒(ビール・日本酒・焼酎・赤ワイン)でまだぼぉーとしている。実はけさ神戸のホテルでいささかショックを受けた。いつも旅に持参しているデジカメが見当たらないのだ。愛用のバッグ(リュック)に入れていた(つもりだった)。ホテルの部屋をくまなく探したが、キャリーバッグも含めどこにもないではないか。
 前日の昼、関西に住む古い知己の方々とホテル近くの和食のお店で一年ぶりの会食を楽しんだ。その際、写真でも撮ろうと思っていたので、そのお店に置き忘れたのかと思い、朝電話を入れてみたが、デジカメの忘れ物はないとの由。写真を撮りたいとは思っていたが、デジカメをバッグから取り出した明確な記憶はない。魚津を出て途中二泊した亀岡の兄の家にも電話を入れたが、忘れ物はないという。
 そうなると一番可能性のあるのは魚津のママさんの家。そこでご馳走になった海の幸や鍋をスマホで撮影し、宮崎の妹や帰省している姪っ子にラインで送付していたが、私はブログ用にはいつもデジカメを使用している。福岡に戻って改めてブログで書き残す際にブログ用の写真を別途、デジカメで撮影した記憶があるようなないような・・。
 ひょっとしたら、デジカメを自宅に残したまま、今回の旅に出た可能性もある。いずれにせよ、福岡の自宅に戻ったらはっきりする。デジカメがあることを願ってはいるが、そうなれば私がすっかりもうろくしたことの証左ともなるので、実に情けない。
                  ◇
 そしてようやく先ほど新幹線で帰福。マンションに戻り、ひょっとしたらという思いで机の上やテーブルの上を探すが、デジカメは見当たらない。やはり、バッグに入れて旅したようだ。どこかに置き忘れたか落としたか。
 あのデジカメは新聞社を早期退社した際、会社から記念品としてもらったもので、アフリカの旅以来、これまでずっと私と一緒に旅してきた。戦友のようなものだ。心がふたがる。ここは亡きお袋がこういう時によく口にしていた言葉を思い出すことにしよう。あのデジカメは私の替わりに遺失物となってくれたのだ。もっと悲惨なことが我が身に降りかかっていたやもしれない。デジカメが身代わりになってくれたのだ。その程度で済んだことを神様に感謝しよう。お袋が生きていたら、きっとそう諭したはずだ。嗚呼、それにしても!

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