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November 2019

柿食えば・・

20191129-1574997263.jpg 宮崎の山間部で育った私は山の幸には恵まれていた。秋の柿もその一つ。私の家は決して分限者(この語が分かる人は少数だろうか)ではなかったが、柿の木は家の近くにも、遠く離れた山にもあった。柿の枝をむしり取りやすいように先が分かれた長い竿を伸ばして柿を取ったことを覚えている。冬には両親や姉たちが渋柿をむいて「吊るし柿」を作っていた。
 そういう記憶があるからか、社会人になってからは柿を買って食べることは何となく気が乗らなかった。郷里ではただの柿をお金を出して食べることに複雑な思いがしたからだろうか。先日、大家さんから柿を頂いた。食べてみたら、ことのほか美味かった。よく利用する八百屋さんの店頭に並んでいる柿とそっくりだ。一山(4個)250円。買って食べてみた。これも美味い。食後のデザートとして癖になりそうだ。実際そうなった。
 それでふと思った。自分が子供の頃、庭先や山で気の向くままに取って食べていたあの柿はこんなに美味くなかったのではと。あの柿の味は実は覚えていない。正直に書くと、そう美味くはなかったような気もしないでもない。野イチゴや山桃、あけびは美味かったという記憶がある。いや、あの柿を今食べたら、これは美味いと感嘆するのかもしれない・・。いや、どうだろう?
                  ◇
 女子プロゴルフが熱い。賞金女王争いが熾烈なデッドヒートを繰り広げている。賞金女王が決まる最終戦が宮崎のゴルフ場で始まり、日曜日まで鈴木愛、申ジエ(韓国)、渋野日向子の賞金ランク3人がしのぎを削っている。
 私はミーハーかもしれないが、今年彗星のごとくゴルフ界に登場したしぶこちゃんに魅せられているゴルフファンの一人。弱冠21歳の彼女が最終戦にも勝利すれば、現在ランクトップの鈴木選手の成績によっては賞金女王になる。注目の大会だけに、ケーブルテレビでは朝から生中継しており、私も付き合わされている。うーん、他にやることはあるのだが・・。
                  ◇
 お気に入りの米風刺番組をネットでのぞいていたら、俳優ロバート・デニーロ氏がゲスト出演していた。マフィアを描いた映画に数多く出演している彼は歯に衣着せぬ政治的な発言で話題を呼んでもいる。
 デニーロ氏は反トランプ大統領派の立場を鮮明にしている。この番組でもホストのスティーヴン・コルベア氏に大統領のことを問われると、“He is a fake President.” とあっさりこき下ろし、スタジオの聴衆の拍手喝采を浴びていた。CNNテレビでは進行中の大統領弾劾の動きについての世論調査結果を報じていたが、私の記憶が正しければ、女性回答者の61%、男性回答者の40%が大統領解任を支持していた。女性の間で大統領への反発が強まっていることを物語っている。
 来秋に迫った米大統領選。野党民主党の大統領候補の一人として、また新しい候補者が名乗りを上げた。前ニューヨーク市長の富豪マイケル・ブルームバーグ氏。デニーロ氏もブルームバーグ氏のことを評価していた。かつては共和党に属していたブルームバーグ氏が民主党の先行している各有力候補を破るのは並大抵ではないだろうが、果たして・・。

二人称について

20191125-1574656378.jpg 公民館の中国語講座で「爱人」(アイレン)という語が出てきた。日本語ではドキッとする語だが、中国語では「夫」や「妻」を意味する普通の呼称。ただ、今ではこの呼称は古めかしくなってしまい、夫は「丈夫」(ジャンフ)、妻は「妻子」(チーズ)と呼ぶのが一般的らしいと教わった。
 日常会話の場で相手に対する適切な呼称を選択するのはなかなか難しい。私が中国語を学んでいて楽に思うのは、初めて会った人をどう呼ぶかについてあまり悩まずに済ませられることだ。普通は「你」(ニィ)という語で何の問題もない。相手が自分より年長者なら、敬意を込めて「您」(ニン)とすればよい。「你」は英語ではyou に当たり、英語ではあらゆる場面でyouを使えるが、「你」も同様で、この点だけでも中国語と英語はよく似ている言語だと思う。日本語には「あなた」があるが、これは「你」やyou のようにあらゆる場面で広く使える語ではない。だが、韓国語はもっと「窮屈」な気がしないでもない。
 先のソウル訪問で再会した友人の韓国人のJさん、Pさんと二人称について議論した。私は韓国語には日本語の「あなた」のように比較的多くの場面で使える二人称はないのではないかと尋ねた。結論はそのようだということに落ち着いたかと記憶している。例えば韓国語では男性に呼びかける場合には課長とか係長とか肩書きを付けて呼ぶのが一般的だ。肩書きが分からない場合は「선생님」(先生様・ソンセンニム)という敬称を付けて呼ぶ。女性を呼ぶ場合はさらに面倒なようだが、それはまたいつか記したい。
 日本語ではしかし「あなた」という呼称は、見知らぬ、あるいは初めて会った年長者にはなかなか使えない語だ。場合によって相手が年下であっても、いきなり「あなた」と呼びかけるのは憚られる。空気を読みながら使うのが無難だ。
 電車の中で年配のご婦人が席を立ち、下車する際にハンカチを落とした場面に遭遇した。私は「ハンカチ、落とされましたよ」と思わず声をかけた。ご婦人は振り返り、頭を下げてハンカチを拾い、下車された。英語なら “Excuse me. You dropped your handkerchief.” とでも声をかけたことだろう。you で何の問題もない。中国語なら「你」を使えばよい。日本語では「あなた」を見ず知らずの年長者にいきなり使っていいものか迷う。だから、主語を省略することになる。それで日本語として成立する。
 なお、冒頭の「爱人」は中国語の簡体字なので「爱」の字は日本語の「愛」とは若干異なる。日本語の「愛人」の意では「第三者」という語もあるそうだ。「二奶」という語も教わった。「お妾さん」という意味。日本語の「二号さん」を想起した。
 以前にこのブログで日中韓の二人称について書いたことがあり、参考になりそうなので、続の項で再録しておきたい。
                  ◇
 日曜日。知己のシャンソン歌手、浜砂伴海さんと一人芝居の岩城朋子さんのコンサート「ふたりのピアフ」が今年も催された。会場は今年は中洲のレストランで、コンサート後の食事会で私は隣席の初対面の男性と楽しく語らったが、相手の名字を知った後は「〇〇さん」と呼びかけ、失礼のない二人称に気を遣うことはなかった。

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再び「年齢七掛け論」

20191121-1574304553.jpg 英BBCをネットでチェックしていたら、Old age: Why 70 may be the new 65(老年:なぜ70歳が新しい65歳なのか)という見出しの記事に引きつけられた。年を取ると、やはり、老年にまつわる話題には素早く目がいくようになる。
 上記の記事によると、英国ではこれまで65歳が老年の始まりと考えられてきたが、同国の権威ある国家統計局ではこれからは70歳を老年の始まりとするべきという考えに傾いている。65歳を過ぎても、おおよそ15年は健康に生きる高齢者が増えているというのがその理由だ。65歳は英国の定年の開始年でもあるとか。
 私が興味深く思ったのは英国では1951年には60歳に達した男女はさらに15年生き長らえると考えられていたということ。90年代には基点となる年齢は65歳となり、今ではその基点は70歳にまで上昇。2057年にはさらに75歳に達すると見られるとか。
 お年寄りが長生きするということは最後の何年かは超高齢になって健康面の難しい問題を抱えるようになるということでもあり、手放しで歓迎すべきニュースではないということだが、専門家の次のような意見が紹介されていた。"We know that older people make really important contributions to our society both through their paid work and through their caring responsibilities and volunteering. Age is just a number and for different people it means different things."(私たちは高齢者が報酬を得て働く仕事や介護の責務、ボランティア活動などを通して本当に大切な社会貢献をしていることを知っている。年齢は単に数字に過ぎなく、意味するところのものは人それぞれである)
 全く同感。これまでこのブログで何度か書いたように、私は「年齢7掛け論」の「信奉者」だ。現代の人々は医療の発達や食生活の改善などの恩恵を受け、昔の人々に比べ健康で長寿の人生を送ることが可能になっている。だから、今の70歳は昔の49歳。80歳は56歳に相当。私の65歳は46歳となる勘定だ。ただし、「年齢7掛け論」を説得力あるものにするためにはいつまでも健康であることが大前提であることは言うまでもない。
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 トランプ米大統領に対する弾劾の是非を問う米議会下院の情報委員会の審議が連日、CNNテレビで生中継されている。私も時間が許せば見ているが、14時間の時差をはさんでおり、一晩中付き合わされることになる。いかんせん、それはたまったものではない。
 それで午前1時頃まではテレビの前に座して見ているが、何とかトランプ大統領がウクライナ疑惑で国益よりも自身の利益となる行動を取っていた動かぬ証拠を手にしたい野党民主党議員と、疑惑は弾劾には値しないものだとしたい与党共和党議員の思惑が絡み合った各証人への質疑応答はなかなか見応えがある。
 昨日の委員会ではソンドランド駐欧州連合(EU)大使がトランプ大統領を始め、政権中枢部が焦点のウクライナ疑惑の真相を認識していた(in the loop)ことを明らかにした。私が戸惑ったのは in the loopという語句。反対は out of the loop でこちらは「蚊帳の外」という綺麗な訳語が当てはまる。大使は "Everyone was in the loop. It was no secret."と証言している。日本語に「蚊帳の中」という表現がないのが惜しまれる。

プレミア12

 NHKラジオの講座「まいにち中国語」の再放送が2月目に入り、「歯応え」のある語彙が再出するようになった。「歯応え」あると書いたのは、私にはうろ覚えの語彙で、改めてああ、そうだったと再確認することがしばしばだからだ。情けないと嘆きたい気持ちもないではないが。しかしながら、中国語は簡体字、発音、声調の三つを同時に記憶せねばならず、(本人は全然その認識はないものの)還暦をとっくに過ぎた身には、これはそう簡単なことではない。三つともに完ぺきに記憶している語彙はそうそうない。
 最近出てきた文章を二つここで紹介すると。「我在食堂吃饭。」この文章は「私は食堂でご飯を食べます」という意味だとおおよそ推測できる。「食堂」は中日同じ漢字だ。発音は幾分異なる。中国語ではともに上がり調子で「シータン」。韓国語の「식당」の「シクタン」の方がより中国語の音に近いような気がする。次の文章は。「明天在哪儿集合?」。これも「あしたはどこで集合しますか」という意味だと類推できるかもしれない。「集合」の発音はこれも上がり調子の「ジーフー」。「シュウゴー」とはだいぶ違うが、韓国語の「집합」の「チパプ」よりは近いような気もする。
 嗚呼、上記のような割と簡単な文章なら即座に適当な中国語(韓国語)が頭に浮かぶようになりたいものだと心から願う。
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 「プレミア12」と呼ばれる野球の国際大会が日本代表チームの優勝で終了した。当初あまり関心はなかったが、野球だけにさすがにずっとテレビ観戦した。それにしても気の抜けた大会だった。どう考えても解せないのは、前日に戦った2チームが翌日、決勝戦で再びまみえたこと。前日の試合の意味がないではないか。そんな日程・システムでは真剣に応援する気持ちも興味も失せてしまう。
 もう一つ、テレビの前でげんなりしたのは、公式サポートキャプテンに就任したとかいうタレントの中居正広氏が試合中にはさんでいたレポート。彼が試合前に話を聞いた選手の談話を伝えるのだが、例えば「〇〇選手は『今日は失敗を恐れず、思い切ってプレーしたい』とおっしゃってました」などと、話の末尾をことごとく「おっしゃってました」と締め括っていた。彼の方が選手たちよりずっと年上だろう。それにテレビの視聴者に伝えているわけだから、「おっしゃってました」という選手への敬語表現は不要だろう。むしろ耳障りだ。
 まあ、当分、このような国際大会はないだろうから忘れるとしよう。
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 トランプ米大統領に対する米議会の弾劾のニュースも目が離せず、緊迫する香港の情勢も悪化する一途のようだ。私はどうしても取材する立場からニュースを見ることが多いので、香港の警官隊とデモ隊の対立を現場で身の安全を図りながら取材し、落ち着いて文字化するのは並大抵のことではないだろうと拝察している。香港駐在の読売の特派員はK嬢。国際部の後輩記者だから面識はある。彼女の身に危険が及ばないことを祈らずにはおれない。
 翻って我が身は緊張感のない安逸な日々を過ごすようになって幾年月を過ごしていることやら。まあ、しかし、こればかりは致し方ない。いや、あるか?

改めて『歎異抄』

20191115-1573781922.jpg 一昨日、このブログを打っていると、パソコンが突然、上書きモードとなった。以前にも何回かそうなったことがあり、キーボードを適当に触っていたら、いつの間にか元に戻っていた。今回も多分そうなるだろうと考え、適当にかちゃかちゃとキーボードを触っていたら、ますます泥沼にはまった。入力モードがローマ字とひらがなの「混在?」のようになり、ひっちゃかめっちゃか状態に陥ってしまった。
 困った時はパソコンを再起動させるといいことを思い出し、再起動させたが、効果なし。そのうち、パスワードまでが拒絶されるようになり、パソコン自体が開かなくなった。仕方なく、パスワードを変更し、新しいパスワードをスマホで二度も受け取り、パソコンを立ち上げようとしたが、これもはねつけられた。
 パソコンが動かないと、仕事にならない。だが、私にはもうどうにもならないので、昨日、天神に出かけ、パソコンに詳しい友人のS君にみてもらった。そうしたら、どうもナンバーロックがかかっていたみたいで、ほどなく元通りにしてくれた。やはり、「生兵法は大怪我のもと」のようだ。今、こうして心穏やかにパソコンのキーを叩いている。
                  ◇
 NHKのテレビを何気なく見ていたら、うろ覚えだが、「知の巨人」と称して、哲学者の井筒俊彦氏(1914-1993)のことを取り上げていた。私も名前ぐらいは知っているが、著作は読んだことがない。番組ではこの哲学者が「イスラムに愛された」人物で、東西の文化・宗教の架け橋たらんと奮闘されていたことが紹介されていた。
 言語学者でもあった井筒氏の著作を読みたくなり、書店で岩波文庫の棚を漁ったら、『意識と本質』があったので購入。結論から言うと、途中で投げ出した。難解な哲学用語にも閉口した。悔しいが、私の知能ではとてもついていけない。
 それでふと思った。これなら、以前に購入して「積ん読」状態になっているあの書の方がずっと読み易いのではと。その書とは親鸞聖人の語録を記した『歎異抄』。読み始めたら、直後の読売新聞の広告欄で奇しくも『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)という本の広告が目に入った。広告文によると、哲学者の西田幾多郎氏は「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったとか。読者(東京都・70歳・男性)の声も紹介されていた。<もう何十年も前に「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」という司馬遼太郎の言にふれて、人生、ある時期に達したら『歎異抄』を読みたいと、ずっと思っていました。私のあこがれの書でした>
 私が積ん読状態にしていた『歎異抄』は岩波文庫で金子大栄校注の書。100頁にも満たないが、私はなぜか、この書を途中で投げ出していた。改めて手にしてみると、『意識と本質』に比べればはるかに取っ付き易い。よし、これからじっくり読み進めていくことにしよう。
 親鸞聖人(1173-1262)は広辞苑によると、念仏弾圧で越後に流された後、「愚禿」と称して非僧非俗(僧侶でもなく俗人でもないこと)の暮らしに入ったとか。私は友人へのメールの末尾に「愚禿凡夫」と書くこともあるが、これは単に自分の禿げ頭を自嘲しているに過ぎない。幸か不幸か、完璧な禿げ頭ではないが、凡夫であることは間違いない。

ジョギング1年

 卓球(中国語・乒乓球=pīngpāngqiú 韓国語・탁구(タック)のワールドカップ団体戦で日本女子は中国に0-3で敗れ、銀メダルに終わった。来年の東京オリンピックのテスト大会の意味合いもあった大会だが、やはり中国の壁は厚かったようだ。第2試合でエースの伊藤美誠選手が中国の同い年のエースにフルセットの末に逆転負けを喫したのを見て、私はテレビを切った。生中継のアナウンサーや解説者がいくら日本女子の粘り強さを力説しても、力の差は歴然としているように感じた。この差は東京五輪までに詰まるとも思えない。目指せ、銀メダルだろう!それでも十分、称賛に値する。
 試合を見ていて思ったことが一つ。ゴルフの渋野日向子ちゃんはプレー中の笑顔で一躍、世界のスターになった感があるが、卓球の試合では選手があまり喜怒哀楽の表情を示すのはちょっとなあと思うシーンが何度かあった。ポイントを挙げて、好プレーをして、笑顔がこぼれるのは当然だろうが、テレビカメラを意識しての所作だとどうもなあと感じてしまう。その点、中国の選手は比較的ポーカーフェイスの選手が多かったような気がしたが、勝利が確定するまではそちらの方がベターなように感じた。考え過ぎかもしれないが。
                  ◇
 トランプ米大統領に対する弾劾の動きが米議会でいよいよ今週から本格化するようだ。現実に弾劾にまで発展することはほとんどなさそうだが、来年秋に迫った大統領選の行方を左右する可能性はありそうだ。
 先週、CNNでソンドランド駐EU大使がトランプ大統領と交わした電話のやり取りなど議会での非公開質疑の内容が報じられていた。その記事の見出しは Transcripts depict Trump as fickle, susceptible to flattery and prone to grudges となっていた。トランプ大統領が「気まぐれ」で「お世辞に弱く」「人を妬む傾向がある」と酷評している。まさにそうなんだろうなあ、と納得してしまうのだが、そういう御仁が大統領の重責にあり、北朝鮮の核問題に重大な影響力を発揮する唯一無二の立場にあるのだから、あまり笑ってもいられない。誰でもいいから、一日も早く良識ある人に交代して欲しいと願うばかりだ。
                  ◇
 香椎浜のジョギング路を走りながら、もう一年になるかなと思っていた。過去のブログを遡ってみると、昨年の11月2日の項で「スロージョギング宣言」と題して、プールでの泳ぎからジョギングに路線変更したことを書いている。「プールで泳ぐよりずっと疲れた。翌日、太ももが張って歩くのにも苦労した。特に駅の階段などで下る時に足が突っ張ってなかなかスムーズに足が出せなかった。やはり、普段使っていない筋肉を使ったのだろう。でも充実感はあった。よし、これからしばらくはスロージョギングで鈍った身体を鍛えよう」と書いている。そうか、あれから一年が経過するのか。
 確かに走った後の充実感は今もある。その後のお風呂も気持ちいい。ただ、スローゆえにへとへとになることはない。もう少し負荷をかけた走り方をしなくてはならないかなとずっと思っている。でもそうなると、スロージョギングとは呼べなくなるが、ちょっとだけスピードをアップさせてみようか。そろそろいろいろ工夫する必要があるようだ。

「自在」な日々

 ぐっと冷え込んできた。大好きな秋が短過ぎるような気がする。これも地球温暖化の影響かと愚痴の一つも言いたくなる。「秋」は中国語では「秋天」。ここで中国語で秋にまつわる気の利いた表現の一つでも書こうかと思ったが、残念ながら思い浮かばない。
 それでNHKラジオの講座「レベルアップ中国語」で最近見かけた一文を記しておきたい。「退休以后在家看看书,养养金鱼,倒是挺自在的」(定年退職後、家で本を読んだり、金魚を飼ったりするのも、のんびりしていますね)。「自在」が「のんびりしている」という意味合いのようだ。まあ、私には金魚を飼う趣味もゆとりもないが、「看看书」つまり本を読む喜びは分かる。残り少ないと思われる秋の一日を「自在」な心境で過ごしたいと願っている。
                 ◇
 今手にしている本は英書の童話 “Alice’s Adventures in Wonderland” (邦訳『不思議の国のアリス』)。ルイス・キャロル(Lewis Carroll)の手になる作品だ。1865年刊。拙著『イギリス文学紀行』でも舞台となったオックスフォードの土地を訪ね歩き、取材している。天神のカフェの英語教室(翻訳講座)でこれからこの作品を読み進めて行こうかと思い、再度頁を繰り始めた。
 少なくとも一度は読んだことがあり、世に知られた幾つかのエピソードの部分は大学の授業でも取り上げたため、何度も目を通したことがある。・・と思っていた。今回改めて読み進めると、あれ、こんな個所があったかしら、いや、これは忘れていた、というところが少なからずあった。不思議な気がした。
 少し考えて思い当った。私は当時この作品を愛用している電子辞書に収蔵されている世界名作から偶然拾い読みしたのだ。だから、後に現地で購入した書籍を手にして読むのと若干勝手が違っているのだ。ともあれ、面白い。少し難解な表現もあるにはあるが、ブラックユーモアあふれる不思議な物語の世界に引き込まれてしまう。
 これが英語教室の題材として適当かどうかはともかく「歯応え」のある教材となることは間違いないかと思う。もう少し読み進めてみよう。
                 ◇
20191108-1573178778.jpg 米CNNで “Why Tom Watson is stepping down” という見出しの記事を見かけたので、はて、あのアメリカのゴルフのレジェンド的存在、トム・ワトソンがなぜ、そもそも何からステップダウン(辞任)しようとしているのだろうか?と思い、その記事をクリックしてみた。そうしたら、記事はゴルフのワトソン氏のことではなく、英労働党の副党首、トム・ワトソン氏にまつわる話題で、来月12日に投票が行われる総選挙にワトソン氏が立候補をせず、副党首の座からも辞任するという記事だった。
 私はこのワトソン氏のことは全然知らなかったが、まだ52歳の若さの彼は党内では焦点のブレグジット(Brexit)では欧州連合(EU)残留支持派に属しているとか。私はこの総選挙でEU残留支持派が大勢を占め、来年再度、英国のEU残留か離脱かを問う国民投票を実施し、最後には残留支持派が逆転勝利して欲しいと願っている。その実現可能性はなきにしもあらずだろう。

「警告」と「敬告」

 ラグビー・ワールドカップに大リーグやプロ野球も店仕舞いし、退屈だと書いたら、「プレミア12」とかいう野球の国際大会が始まった。来年の東京五輪の予選を兼ねているらしいが、どうも緊張感にかける印象がある。昨日の1次ラウンドの日本対ベネズエラの一戦も日本が何とか8対4で辛勝したが、相手の守備エラー、自滅に乗じての勝利のように見えなくもなかった。日本のライバル、若手主体の米国もドミニカ共和国を相手に10対8の大味なゲームで勝利したようだ。終了したばかりのラグビーの命がけの熱戦を見た後では、何だかなあーと思わざるを得ない。
 東京五輪の野球にもさして興味はわかないが、ネットで調べてみると、出場チームはわずか6チームだというではないか。3チームずつに分かれて予選を戦い、それからノックアウトステージを経て、準決勝、決勝となるとか。ノックアウトステージは要するに敗者復活戦で予選を含め何度か負けても決勝戦まで勝ち上がることができる可能性があるようだ。少数精鋭と言えば聞こえはいいが、わずか6チームで金銀銅のメダル争いとは・・。野球は日本のお家芸とは言え、すでにして興味半減だ。
                  ◇
 ソウル訪問で再会した友人のJさんのことを時々思い出している。中国語に精通している彼と交わした中国語談義が興味深かったからだ。中国語の発音に四苦八苦している私に彼はこう言った。「発音も大事だが、少々間違ってもあまり気にすることはない。しかし、声調を間違えてはいけませんよ。声調を間違えるととんでもないことになる」
 Jさんが例として挙げたのが、「警告」と「敬告」の2語だった。日本語と全く同じ漢字・意味合いの「警告」はピンイン表記だとjǐnggào で、声調で言えば、最初のjingが低く抑えて音を出し、次のgaoは上から一気に下げて発声する。「敬告」は日本語にはない語句で「謹んでお知らせする」という意味らしい。ピンイン表記はjìnggào で最初のjing も次のgao も上から一気に下げて発声する。声調を間違えると、自分としては相手に敬意を込めて申し上げているつもりでも、「警告の言葉」となり、甚だ礼を欠く表現となる危険があるというわけだ。声調に右往左往する日本語話者の我々にはどきっとする指摘だ。
                  ◇
 トランプ米大統領が地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱を国連に正式に通告した。一年後の来年11月4日に離脱が発効する見通しで、新大統領を選ぶ米大統領選の投票日の翌日に当たるとか。私の頭にぼんやり浮かんだのは温暖化対策が大統領選の争点の一つとなり、離脱に反対する民主党候補がトランプ氏に勝利し、勝利演説の中でパリ協定復帰を高々と宣言するシナリオ。事実、民主党の有力候補、エリザベス・ウォーレン上院議員は「大統領に就任した初日にパリ協定に復帰する」と語ったと報じられている。
 日本を襲うスーパータイフーンや夏の猛暑、世界各地で相次ぐ水害や旱魃、さらには森林火災など、地球温暖化が元凶と目される災害を直視すれば、パリ協定からの離脱は人類の自殺行為と言えるかもしれない。それでもトランプ大統領が再選されるとしたなら、世界が辛うじて米国に対し抱き続けている「良識の国」のイメージは地に落ちるだろう。

スペアタイヤ

 ラグビーのワールドカップもつつがなく終了した。決勝戦のイングランド対南アフリカ。どちらにも勝って欲しかったが、日本が南アに敗れたことを思えば、やはり南アがイングランドを降せば、それだけ日本に対する評価は相対的に上がることになるだけに、幾分多めに緑のジャージーを応援していた。
 一夜明け、読売新聞のスポーツ欄で改めて決勝戦の結果を読んでいると、南アのエラスムス監督の談話が目に入った。談話の末尾は次のような文章だった。「国ではいろいろなことがあるが、ラグビーを見て幸福をもたらせるようにやってきた」。おそらく多くの読者は「国ではいろいろなことがあるが」というくだりは何気なく読み飛ばしていただろうと思う。
 時々読んでいる南アの代表的新聞のホームページに跳んだ。ワールドカップ二回目の優勝を賑々しく報じているのではないかと思ったが、一行の記述もなかった。時差の問題もあるし、この新聞は速報を売りにしているメディアではないからかもしれないが、それにしてもつれない。うがった見方をすれば、南アの国内情勢がスポーツに一喜一憂するほど余裕がないことと無縁ではないだろう。
 南アではこのところ、南アの人々がナイジェリアやジンバブエ、モザンビークといったアフリカ諸国から来た同胞アフリカ人を「俺たちの仕事を奪っている」として襲撃する血なまぐさい暴力事件が相次いでいる。外国からの移民に対する憎悪の念が募っているのはトランプ大統領にあおられた一部の米国民だけではない。命からがら母国に戻った、あるいは今も恐怖の中で暮らしている南ア国内の出稼ぎ外国人には、南アの勝利を「アフリカの誇り」として共に歓喜する気持ちには到底なれないことだろう。
 エラスムス監督がおそらく優勝後の共同記者会見の場で、偉業達成の興奮に流されることなくきちんとそのことに触れたことに監督の人間性を見る思いがしたし、その一言をきちんと付記した読売運動部記者に敬意を表したい。
 ラグビーのワールドカップも終了したし、大リーグのワールドシリーズもプロ野球の日本シリーズもしかり。私のような者には退屈な日常生活が戻ってくる。まあ、テレビから解放されることになるのだから、これはこれで喜ばしいことではあるが・・。
                  ◇
 読売新聞の日曜日の英語コラム「特派員・とらべる英会話」に「別腹」という表現の日本語訳が紹介されていた。ランチをお腹一杯食べた米国人スタッフが職場に戻り、さらにメロンパンを食べようとしているのを見て驚くと、“My dessert stomach is empty!” と切り返されたとか。
 このコラムを読んで、自分が英字新聞の編集長だった頃に手がけた日常生活の英語表現を紹介する『コレって英語で?』でも「別腹」を扱ったような記憶があり、本棚からこの本を取り出し、繰ってみた。紹介していた。「デザートは別腹」は英語では “I have another stomach for desserts.” や “I have a separate stomach for sweet things.” と記してある。
 『コレって英語で?』では「お腹の周りのぜい肉」のことを a spare tire と説明してもいる。私は車もないのに、立派なスペアタイヤをいつも携帯して歩いている。嗚呼!

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