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June 2019

雨、雨、비・・・

20190630-1561859170.jpg やはり神様は私にそんなに甘くはなかった。南大隅町は到着して以来、ずっと雨模様。宿の近くの海水浴場は人っ子一人いず、波も荒い。足をまだ冷たい海水につけて引き返した。
20190630-1561859196.jpg 温泉で癒された後、宿のベッドに寝転んで(畳の上に、といかないところが切ない)手にしているのは『唐宋伝記集 南柯の一夢 他十一篇』(今村与志雄訳・岩波文庫)の文庫上下本。中国語を学習していなければ一生出合うことはなかった書だろう。書店で何気なく視界に飛び込んできたので買い求めた。
 表題ともなっている「南柯の一夢————南柯太守伝」が印象に残った。酒に酔いつぶれて眠りに落ちた男が不思議な魔界のような世界に誘われ、とある王国で立身出世し栄華を味わうが、やがて国王の妬みを買って失脚し、再び人間界に追われ、眠りから覚める物語。夢の中では20余年の歳月を送っていたが、目覚めると眠りに落ちる前と何ら変わっていなかった。男が覚えていた魔界への入り口、古い槐の木の下を掘って見ると、自分が暮らした王国とそっくりの蟻の王国があった。
 男はしみじみと述懐する。「ああ、蟻の神秘と不思議は、奥深くて判らない」。そして男は「南柯の虚無をしみじみ感じ、人の世のはかなさを悟って、それからは道教の教えを一心に学び、酒と女色を絶った」という。唐代(618-907)の伝記作家の作品で「人の世の営みのはかなさ」を説いているが、こうした伝承・物語はおそらくどの国(地方)にも似たようなものが残っているのだろう。「酒と女色を絶った」というくだりが耳に痛い。
 ところで、この物語の中で男が国王に気に入られ、その娘を妻とする場面が出てくる。その中で天女のように美しい「金枝公主」という娘が登場する。少し前にこの「公主」という語に出合っていた。「プリンセス」という意味だと知っていたので、なるほどと思った。そうでなければ「公主」=「プリンセス」とは到底思い浮かばなかっただろう。
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20190630-1561859221.jpg テレビをつけると、世の中は大阪G20サミットの首脳会議や陸上日本選手権の白熱のレースが話題を呼んでいる。見たくなないのだが、いやでもトランプ米大統領の得意満面な笑顔が飛び込んでくる。彼は素顔はどういう人物なのだろう。案外、気さくで人懐っこくて話の分かる好人物だったりして、と思わなくもない。
 だが、世界の平和と安定が彼の頭脳に大きく左右されると考えれば、そう楽観的に思考することも許されない。米CNNはTrump embraces dictators and despots in deal-making G20 summitという見出しで、トランプ大統領が今回のG20サミットでロシアのプーチン大統領、サウジアラビアのムハンマド皇太子らと睦まじく会談したことや、北朝鮮の金正恩氏に直接対話を呼びかけた政治姿勢を皮肉っていた。
 CNNの記事ではカーター元大統領がトランプ大統領は「違法な大統領」(an illegitimate president)だと批判しているものもあった。カーター氏は大統領選に介入したと言われるロシア疑惑を念頭にトランプ氏の違法性を指弾している。彼はこれまで意外にもトランプ大統領に好意的な対応を見せていたが、世界の不安定化の最大の要因ともなりかねない米大統領の「暴走」にさすが我慢の限界にきたということだろうか。

再び南大隅町に

 宮崎を経由して鹿児島・南大隅町に来ている。久しぶりに海で泳ぎたかったからだ。南大隅町の海では以前に泳いだことがある。地元のTさんとの再会も楽しみで、夏休みの行楽客で賑わう前のこの時期を選んだ。ところが、出発直前に天気予報でどうも台風に発展する可能性のある熱帯低気圧が九州の南海上を北上していると知り、わざわざ悪天候のど真ん中に飛び込むのも嫌だなとキャンセルすることも頭に浮かんだ。
 しかし、宮崎から妹に車の運転を頼んでいたし、南大隅町の宿にドタキャンの連絡を入れるのも気がひけた。何度かこのブログで書いているかと思うが、私はこの歳になって思うことは、すべては神様の思し召し—— providence(摂理)——。だから、せっかくの旅が悪天候に見舞われるのも神様の差配であり、自分自身の不徳の致すところと納得するのが常。ひょっとしたら、思ったほどの悪天候にはならないかもしれないし・・・。
 新幹線と高速バスで到着した宮崎は雲ってはいたが、雨は降っていなかった。いつも思うのだが、新八代から宮崎に乗り継ぐ高速バスが混んでいたことがない。利用者個人としてはいいが、故郷宮崎の観光が依然として低迷していることを物語ってもいる。複雑な心境だ。
 宮崎駅から妹の車に同乗し、一路、南大隅町へ。妹の運転で行くのは初めて。都城まで高速に乗り、その後普通の道路(国道)に出てゆっくり走り、3時間が経過する頃に到着。予約していた宿にチェックインして、早速ネッピー館という名の温泉風呂に向かった。海が近いためかお湯は少し塩気が混じっているが、これが何とも言えない湯(味)加減。Tさんともここで合流して何度かサウナと水風呂を往復した。
 今年2月末に稲尾岳参拝登山の折りにネッピー館を利用した際には、水風呂は冷た過ぎて控えたが、さすがにこの季節になると、日中のほてりが身体にたまっているせいか、何の支障も感じない。水風呂が何と気持ちいいことよ!舒服!
 お風呂の後にはTさん夫妻と一緒に旧佐多町の小料理屋「時海」(ときみ)に足を運んだ。ここは老板(店主)が海で自ら釣った魚料理を提供することで知られている。確かに他では食べられない海鮮の数々が絶品だった。木曜日だったが、Tさんと再会を祝し、ビールと焼酎を頂いた。鹿児島では焼酎はお湯割りが普通で、銘柄は忘れたが、焼酎のお湯割りをしこたま飲んだ。(デジカメを忘れたため、スマホでテーブルの海鮮料理を撮影したが、スマホの操作に慣れておらず、ここにアップできないのが残念)
 一夜明け、少々二日酔い気味のぼぉーっとした脳味噌でこの項を打っている。宿は二階の小部屋。暑くはないが、窓を開けている。外は生憎の雨。先ほどはひとしきり激しく打ち付けていたので、思わず窓を閉めたが、今は小降りになったので、また窓を開け、隣家の緑の木々を見ている。石部金吉の日々を送っている私に神様はさすがにこれ以上の天気を恵んではくれなかったようだ。天気予報を見ると、これからもしばらくは雨マークが続いている。私が願っていた海での遊泳はどうも無理かもしれない。少し残念!
 宿のテレビでは大リーグ中継も見ることができないことが判明。まあ、読みたい文庫本も持参しているので、のんびり温泉通いと読書三昧も悪くなかろう。

女性の胡坐もOK!

 韓国のドラマを見ていて、以前から不思議に思っていたこと。それは女性が普通に胡坐(あぐら)をかいたり、立膝で座っていることだ。先日、NHKの「レベルアップハングル講座」を聴いていたら、まさにこのことが語られていた。
 講師の先生は次のように説明していた。「韓国では男女ともにあぐらをかきますが、目上の人の前ではとりあえず正座をするのが礼儀だと言う人もいます」と。韓国では正座は罪を犯した人が罰を受けるために座っているという印象もあるとかで、正座に馴染めない人も多いようだ。何となく理解できる。正直言って、今の私には正座は耐え難い座り方だ。法事の場などで正座を余儀なくされると、ほんの二三分程度で両足がきつくなってくる。太ってしまったからだろうが、すぐに両足を崩したくなる。思えば、中学校時代にクラブ活動で剣道をやっていた頃は正座が当たり前であり、きつくも何とも思わなかったのに!
 最近は釜山から足がすっかり遠のいてしまった。今年は何とか一回ぐらいはフェリーを利用して再訪したいと思っている。ネットで福岡―釜山の往復フェリーを予約すると、信じられないぐらい格安で行くことが可能。福岡在住を精一杯利用しない手はない。そう言えば、釜山のレストランの店先で若いお嬢さんが一人で胡坐をかいて焼き肉を焼いて食べていた光景を思い出す。韓国人がお店で一人で食事することは稀なようだから、おそらく友人が席を外していたのだろう。ほれぼれとする胡坐姿に目を奪われたことを覚えている。
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 女子サッカーのワールドカップ(W杯)フランス大会。なでしこジャパンが臨んだ決勝トーナメント初戦の対オランダ戦。日本時間26日午前4時キックオフという時間帯だったが、応援せざるを得ない。スマホの目覚ましで何とか起きた。
 前半ハーフのコーナーキックからいともたやすく先制を許した時点で、あ、これは負け試合だなと思い、再びベッドに戻ろうかと思った。だが、前半ぐらいは見終えようと我慢してそのまま観戦。果たせるかな、前半終了少し前になでしこが見事なパスワークを実らせ、オランダのネットを揺らした。お、これは案外いけるのではとも思えてきたのだが。
 なでしこジャパンはその後も惜しいプレーが続いたが、決定力に欠けた。私はサッカーのことは正直、あまり分からない。延長戦突入が見えてきた後半終了間際にハンドの反則を取られ、相手に痛恨のペナルティーキックを与えてしまったことが単に「不運」と片づけられることなのかも分からない。
 新聞やテレビのメディアではこれから、なでしこジャパンの健闘を称える記事が並ぶのだろう。私には穏やかな農耕民族が荒々しい狩猟民族と戦っているような気もした。ピッチが田んぼのようにぬかるんでいたらとベッドの中で考えたりもした。嗚呼悔しい!
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 小倉のよみうりFBS文化センターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉は毎月第1、2、3火曜日の午後。天神のカフェでの英語教室は初級クラスが毎月第2、4水曜日の夜、中級クラスが毎月第2、4日曜日のお昼過ぎ。小倉教室はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。天神教室はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。

「ぶつ切り」文

 中国語。最近改めて気づいたこと。「車の運転には気をつけねばなりません」という文章。中国語では「开车要小心」となる。大雑把に「直訳」すると、「車を運転する、必要がある、気をつける」。私はこうした中国語の文章を「ぶつ切り文」と勝手に読んでいる。中国語を話す際には文法をあまり気にせずに、頭に浮かんだ語句を「ぶつ切り」で口にしても通用するケースが多いのではないかという命名だ。そうではないことも多々あるにはあるが。
 日本語では助詞を上手に「操って」文章を作らねばならない。上記の文章では「~には」という助詞が添えられ、自然な流れの文章になっている。中国語のように「車を運転する、気をつけねばなりません」と言ってもその意は伝わると思うが。英語だと “You drive a car, be careful.” ではちょっと舌足らずか。やはり、“When you drive a car, be careful.” あるいは単に “When you drive, be careful.” などという文章の方が自然だろう。文頭にwhen という接続詞を置き、また you という主語がないとどうもしっくりこない感じだ。
 上記の文章では日英中ともにそれぞれ独自性があり、何らかの類似点を見いだすのは難解だが、次の語彙では中英両言語が似ていると感じた。
 「教える」という語。中国語(日→中)の辞書を繰っていて、「教」という語が出てきた。日本語と同じだ。「教英语」ならば「英語を教える」。ところが「時刻を教える」の訳文では「告诉时刻」となっていた。「教时刻」ではない。「告诉」は一見ものものしいが、中国語では「告げる、知らせる」という意味の日常よく使われる語だ。英語なら tell 。英語でも「英語を教える」は teach English だが、「時刻を教える」といった表現では teachではなく、tellが使われる。「時間を教えてくれませんか?」ならば、“Can you tell me the time?” と尋ねるのが自然な文章。英語と中国語がここでは似ていると思った次第だ。
 「博多駅にどう行くか教えてください」という英文を書かせると、“Please teach me the way to Hakata station.” と書く学生が結構いる。ここではteach ではなく tellだ。日本語では「教える」は使い勝手のいい語だが、英中両言語ではそうはいかない。
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 サッカーの女子ワールドカップ(W杯)フランス大会。欧米各国のチームの選手たちを見ると、体幹が実に逞しいようだ。なでしこジャパンの次のゲームは負けたら終わりの決勝トーナメント1回戦で、強豪オランダが相手。彼女たちには荷が重いように思えてならない。
 プロ野球の試合を見ていて、ここ数年、気になる実況アナの言葉がある。例えば、AチームとBチームが対戦していて、初回にAが先取点を挙げたものの、その後は沈黙し、5回表を終わって5対1とBにリードされているようなケース。5回裏にAは2死満塁の好機をつかんだが、期待の打者が三振に倒れ、無得点に終わる。実況のアナは「Aは追加点とはなりませんでした」と語っている。追加点はあくまでリードしているチームに該当する加点であり、負けているチームには当てはまらないだろう。
 昨日の試合では零対零の緊迫したゲームで延長10回表にようやく先攻のAチームが点を入れると、「Aが遂に先制点を挙げました」と叫んでいたが、延長戦に突入しての得点はたとえそれが初得点でも「先制点」と呼ぶ気には私はなれない。

断捨離

20190621-1561088595.jpg トランプ米大統領が2020年の大統領選に再選を目指し、出馬することを正式に表明した。大統領が掲げた新たな選挙スローガンの日本語の訳語に若干気になる表現があった。
 トランプ氏の新しい決め台詞は “Keep America Great” 。読売新聞では「米国を偉大なままに」と訳していた。私は違和感を覚えた。正直、ちょっと違うかなあ。もちろんそういう意味だが、大統領の選挙スローガンとしては表現が「柔らか過ぎる」のでは。私がデスクだったら確実に手を入れる。例えば「米国の偉大さを堅持」などに。
 NHKテレビでは何と表現するだろうとその夜の7時のニュースを見ると、「アメリカをこれからも偉大に」と報じていた。こちらの方が「偉大なままに」よりもずっと良いように思える。ネットで朝日新聞を読むと、こちらも「米国を偉大なままに」と訳していた。おそらく共同通信が「偉大なままに」と訳したのだろう。読売も朝日も共同を参考に同じ訳語を選択したものと推察される。
 今のところ、米国内の世論調査で民主党の複数の有力候補の支持率がトランプ氏のそれを上回っているとの報道も流れているが、予断は許さない。傲岸不遜がスーツを着ているとしか思えない人物が再選されることを念頭に心の準備をしておいた方がいいかもしれない。
                  ◇
 昨年秋からお世話になっている公民館の中国語講座。中国語のネイティブスピーカーが講師(老师/老師)だから、初学者の私には大いに役立っている。
 先日の講座で「断捨離」が話題になった。私の電子広辞苑にはこの語は記載されていないから、比較的新しい語彙であることが分かる。ネットで調べると、この語彙を創作したのは日本人で、今では中国でもこの語とともに「片付け」がブームだとか。「断捨離」は中国語では「断舍离」。乱暴にカタカナ表記すると、「ドゥアンショォウリー」か。
 講座では、断捨離の極意は手(目)にした時に「心がときめかない」ものは捨てることが肝要とかの話になった。そしてこれは英語では何と言うのかと。
 とっさに英語表現が頭に浮かばなかったのが悔しかった。というのは大学で英語を教えていた時にこの断捨離を扱ったことがあるからだ。その時に学生たちに「心がときめく」という表現の説明もした記憶がかすかに残っている。嗚呼、情けない!
 ブログをさかのぼると、2017年の4月に次のように記している。———— 現代はいかに身辺を「身軽」にするかが大切な時代のように思える。二年ほど前になるだろうか、米誌タイム(電子版)が恒例の「世界で最も影響力のある100人」の一人に日本人の「片付けコンサルタント」の女性を選んだことが話題になった。そういう職業があること自体が驚きだったが、ネットで読んだ英文の記事の中で「片付ける」という表現として declutter という動詞が使われていた。普通は tidy up という表現が頭に浮かぶが、こういう言葉があるのを初めて知った。————
 改めて調べると、断捨離の実践、すなわち片付け上手になるためには、そのものを手にしたときに、それが今も暮らしに役立っているか、心をときめかせる(spark joy)ことがない限り、潔く処分することが求められていた。そうだった。“spark joy” だった。

新潟・山形で大地震!

 また大きな地震が起きた。今度は新潟、山形の日本海側だ。地震国・日本の宿命とはいえ、大地震発生のニュースを目にするたびに憂鬱な気分になる。
 18日深夜の地震発生時、私はいつものようにNHKラジオの中国語講座を聴いていた。講座の途中で放送が突然中断した。耳を傾けていたのはスマホの「らじるらじる」。最近はラジオが手元になくとも「らじるらじる」で放送が聴けるのはありがたい。音声が常に明瞭に聴けるのもラジオにはない利点だ。その放送が中断したので慌ててスマホを操作していたら、なにやら異常事態が発生したことが推察された。すぐにテレビをつけた。当初頭に浮かんだ太平洋岸ではなく、日本海側で起きた地震であることが分かった。
 この項を書いている19日朝時点で幸い、甚大な被害はなく、死者も出ていないようだ。It was a mercy that there was no death in the latest quake. (不幸中の幸い)
 まだこれから大きな地震が続く可能性もあり、重箱の隅をつつくようなことはしたくないのだが、地震発生直後のNHKテレビはNHKらしくなかった。アナウンサーと思われる人物が被災地の人に電話を入れて状況を尋ねるシーンが幾つか流れたが、視聴者が真っ先に知りたいのはその人が発生したばかりの地震をどのように感じたのか、ということだ。強烈な揺れだったのか、どれぐらい続いたのか、棚から物が落ちたか? だが、このアナは外の様子はどうですか、火災が起きている様子はないですか、などといった質問から入っていた。違うだろ。最初に尋ねるべきはどんな揺れでしたか。これまで体験したことのないような揺れでしたか。そうしたことをまず尋ねるべきだろう。山形県内かどこかの無人の居酒屋の客席、カウンターの中の映像が繰り返し流されたのも不可解だった。
 地震(災害)報道、特に発生直後は何といってもNHKだけが頼りだ。民放にもチャンネルを回すことはあるが、あくまでも基本的情報はNHKを信頼する。今回はそのNHKが何とも頼りなかった。私は就寝時には必ず、テレビのチャンネルはNHKに合わせて寝るようにしている。地震発生で跳び起きた時にテレビをつければ必ず最初にNHKの放送を目にすることができるようにだ。頼んますよ、NHKさん!頼りにしてまっせ!
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 大リーグ。大谷翔平君がどうやら本調子になったようだ。先日は日本人選手として初めてサイクルヒットを記録した。あのイチロー選手やゴジラ松井選手も達成したことのない偉業だ。めでたしめでたし。
 大谷選手は19日(現地18日)のアウェーのゲームでは無安打に終わったが、チームは3対1で辛勝。通算成績を37勝37敗として勝率を五分に戻した。勝率が五分になったのは8勝8敗の4月15日以来だとか。ワイルドカード争いが熾烈となる。加油!
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 小倉のよみうりFBS文化センターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉は毎月第1、2、3火曜日の午後。天神のカフェでの英語教室は初級クラスが毎月第2、4水曜日の夜、中級クラスが毎月第2、4日曜日のお昼過ぎ。小倉教室はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。天神教室はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。

magic or tragic?

 壁に吊り下げてあるクーラーのスイッチにまだ手が伸びていない。あとどれだけ我慢できるだろうか。去年の手帳やブログで確認すると、去年は7月1日にクーラーを入れている。少なくともあと2週間の我慢か。日中の日差しは段々と強くなっているが、朝夕はまだ涼しい。この涼しさが当分続いてくれることを願わずにはおれない。それでなくとも、私の部屋に差して来る午後の西日は凄まじい。やがてちょっとしたサウナ状態になる。
 香椎浜でのスロージョギングも段々と億劫になりつつある。水は高きところから低きところに流れるがごとく、ともすると、まあいいか今日もお休みにしようなどと楽な方、低き方を選んでしまうのが情けない。この夏も週に数日は走り続けることができるのか、自分でも興味津々。意思の強さが試される夏だ。汗をかいた後の冷えたビールや焼酎のロックの誘惑に耐えることができるかどうかもだ。飲酒(焼酎)は週末だけと決めている。
                 ◇
20190618-1560819734.jpg BBCのニュースをチェックしていて、気になる見出しの記事があった。“India magician disappears in river after Houdini trick” という見出し。前文は次のようになっている。
 An Indian magician, who attempted to recreate Harry Houdini’s famed trick by jumping shackled into a river, is feared dead. Chanchal Lahiri was meant to escape and swim to safety but did not emerge from the Hooghly river in West Bengal state.
 見出しのHoudini trick とは何ぞや? 電子辞書で調べると、Houdini の項で次のように載っている。「脱走の名人;逃げるのが上手な動物。ロープ・鎖・箱などからの脱出芸で有名なハンガリー生まれの米国の奇術師 Harry Houdini に由来」。なるほど。改めてネットで調べると、由来となった人物はハリー・フーディーニ氏(1874-1926)で、「脱出王」の異名で一世を風靡した奇術師(magician)らしい。
 インド人の Chanchal Lahiri 氏は16日の日曜日、西ベンガル州のフーグリー川でフーディーニ氏が得意とした水中縄抜け術を披露すべく、両手両足に六つの錠をかけられ、鎖を巻かれた状態で水中に投下されたものの、どうやら浮かび上がって来なかったようだ。
 私の目がとまったのは、次の一節。このイベントを取材していた地元紙のカメラマンJayant Shaw氏がBBCに語った一言。“I asked him why he risked his life for magic,” Mr Shaw said. He [Mr Lahiri] smiled and said, ‘If I do it right, it’s magic. If I make a mistake, it becomes tragic.’”(私はラヒリ氏になぜマジック<奇術>に命を懸けるのかと尋ねました。ラヒリ氏は笑って答えました。「成功すればマジックだ。しくじったら、トラジック<悲劇>だ」
 magicとtragic。綺麗に韻を踏んでいるが、命を失ってしまっては元も子もない。英文の記事を読んでいて、こんなに悲しい脚韻の言葉を目にしたのは初めて。BBCのホームページをその後もチェックしているが、ラヒリ氏の消息は伝えられていない。縄抜けに失敗し、溺死したものと見られているようだ。まさか、数日後にどこからか現れ、無事な姿を見せるようなことはないだろう。そうなれば、行き過ぎたshowmanship(観客を引きつける手腕)と非難を浴びることになるのだろうが。

「精日」加油!

20190614-1560479546.jpg 退職して「自由」の身になったら、好きな本を気ままに読む日々を送ろうと思っていたのはいつの頃だったかしら。海が見え、大きな窓から涼しい風が吹き抜けるどこか、二階家の畳の部屋に寝転んで・・・。何だか夏目漱石の世界にでも浸りそうな雰囲気だ。だが、現実はそうもいかず、当分そのような牧歌的な生活は望めそうにない。向上心が邪魔すると言えば聞こえはいいが、俗世間の「垢」をそう簡単には落せないということでもあるのだろう。
 最近は読書量も激減しているが、新聞の書評欄だけはなるべく目を通すようにしている。気になる本があれば買い求めてもいる。『精日 加速度的に日本化する中国人の群像』(古畑康雄著・講談社)はそうした本の一冊。書評欄で中国文化学者の加藤徹氏が推奨していた。
 著者の古畑氏は共同通信記者で、中国社会の実情に精通しており、ネットの世界にも詳しい人物だ。書名となっている「精日」とは「精神日本人」の略。王毅(ワンイー)中国外相は昨年3月の記者会見の席上、精日は「中国人のクズ」と吐き捨てるように語ったとか。
 「精日」とは著者によれば以下のような中国人のことだという。「もともと日本人ではないが、日本人や日本社会の生活様式、文化、価値観を高く評価し、自らの生活にも取り入れることで、できるだけ(彼らの考える)日本人に近づこうとする外国人(実際には中国人)」
 この書はそうした「精日」の若者の興味深い肉声を伝えている。以下、簡単に略記すると——。<政府が「精日」に汚名を着せる理由は、彼らが日中両国を対比すると、政府の無能さや腐敗が分かってしまうからです><ここ数年の反日宣伝は、やろうとしてもやれなくなっています。おそらくそれは、人々が日本を理解し、好きになり、さらには宣伝部門に反感を持つようになったからでしょう><私の母は二〇一七年に北海道を旅行し、日本のサービスが非常に良かったと感動していました。私も日本を熱愛していますし、日中友好が永遠に続くことを望んでいます。祖先が起こした過ちのせいで、いつまでも私たちが恨みを持ち続けるべきではないのです><中国の伝統文化を探し求めようとする人は、日本に行くのです。唐代の多くの文化は、関西、特に奈良に多く残っているからです><現代の若者は日本に旅行するなど、本当の日本に接しています。我々の仲間内には次のような言葉があります。「日本に行って漢奸(売国奴)にならなかったら、あなたはそれでもまともな人間か」というものです>
 書評子の加藤氏は「中国社会は変化している。日本は中国からますます必要とされており、日本はそのニーズを受けとめ存在感を増すべきだ、という著者の結論は説得力がある」と締め括っている。『精日』の末尾で古畑氏は次のように説く。————中産階級、特に日本に関心が高い人々を、主な交流や発信の対象とすべきです。彼らに働きかけ、日本への考え方が、より客観的、多面的になるようにすべきだと思います。(中略)彼らを通じて日本を伝えていってもらえれば、好転の兆しが見え始めた中国の対日認識も、さらに良い方向へと進むと思います。そのためにも、日本に熱い視線を送っている「精神日本人」のような中国社会の変化に注目すべきだと、最後に改めて訴えたいと思います。————
 日中関係が微妙なバランスにあることは誰もが承知しているが、中国でこのように親日、いや超親日的な人々、特に若者が増えつつあるとは驚きだった。頼もしくも感じた。

LGBTQ

20190611-1560212430.jpg 最近は大リーグにプロ野球のスポーツ観戦、韓国語や中国語のドラマなどに時間を取られ、米CNNや英BBCを見る時間が激減している。CNNに関してはトランプ米大統領のお騒がせなニュースが多く、食指があまり動かない。数日前のこと。何気なくそのCNNを流しながら、雑用をしていたら、ニュース討論番組のコーディネーターとしてよく登場する人物がどうも自分が同性愛者(gay)であると語っているようだった。彼と親しい番組司会者はLGBTと呼ばれる性的少数者に対する米社会の偏見に強く異論を呈していた。
 ドン・レモン氏(Don Lemon)。黒人の記者だ。今風の言い方なら African American と形容すべきなのだろう。私はいつも彼の歯に衣着せぬ率直な表現、米政治の的確な分析をありがたく拝聴している。改めてネットで調べると1966年生まれとあり、53歳。ジャーナリストとして油が乗りまくっている頃だろう。まさか彼が gay だとは思わなかった。さらに驚いたのはもう一人のCNNの看板記者も gay として語られていたこと。アンダーソン・クーパー氏(Anderson Cooper)。こちらは白髪の白人男性で弁舌爽やかな敏腕テレビ記者という印象がある。ともにハンサムな顔立ちで日本でもファンが多いことだろう。
 ネットでチェックしたところ、二人ともに gay としてカミングアウト(公表)していることを知った。だからどうということもないのだが、これまで数限りなくCNNを観てきて、彼らが gay であるとは露思わなかったので、ただただびっくりした。聖書では同性愛者は厳しく糾弾されているが、個人の性的指向(sexual orientation)を余人がとやかく言う時代ではないのかもとも思う。
 先述したLGBTはLesbian, Gay, Bisexual and Transgender など sexual minority(性的少数者)を指す略語だが、今ではLGBTQ という呼称もあるとか。Q は Questioning であり、性的指向が不明または明らかにしたくない、迷っている人を示す語彙のようだ。
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 愛用していたボールペンを台湾滞在中に壊してしまった。細字書きで一年かそこら以前に福岡市内の文房具店で買い求めたのだが、うっかり床に落としたために芯の出し入れができなくなっていた。いくらで購入したのか忘れてしまったが、おそらく三千円前後だったような。心地好い重量感のあるボールペンでお気に入りだった。修理代が高くつくようだったら残念だがおさらばしようと思い、文房具店に出向き調べてもらうと、新しい芯を含め340円の修理費で戻って来た。嬉しい。もう二度と床に落とさないように注意しよう。
 卑近な一例かもしれないが、日本の製造業が素晴らしいと思うのはこのようなときだ。だいぶ前に書いたことがあるが、今も毎日使っている炊飯器は新入社員の頃に買ったものでもう40年も使っている。今もなおしっかりご飯を炊き上げてくれる。感謝しかない!
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 小倉のよみうりFBS文化センターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉は毎月第1、2、3火曜日の午後。天神のカフェでの英語教室は初級クラスが毎月第2、4水曜日の夜、中級クラスが毎月第2、4日曜日のお昼過ぎ。小倉教室はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。天神教室はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。

晴れても名が先?

 日本人名のローマ字表記を従来の「名―姓」順ではなく、日本流の「姓―名」順にするべく、日本政府が動き始めたと報じられている。2020年に東京オリンピックがあることから、それを機に「ファミリーネーム・ファースト」を国内外で定着させたいと考えているようだ。
 週明け、時々のぞくコーヒーショップで店内の朝日新聞を読んでいたら、上記の動きについて読者の「声」が掲載されていた。投稿者は鈴木姓の87歳の男性。政府の動きには反対で、「外国の友人との間でファーストネームで呼び合う親密さは失われ、私は数え切れないほどいる同姓と同じ呼称になる」と案じておられた。87歳でかくしゃくとしておられることに敬意を覚えたが、そこまで心配はしなくてもと思った。個人の立場ではこれまで通りに名乗ればいいのであり、仮に「姓―名」順に名乗る必要に迫られたなら、仮に鈴木太郎氏なら“My name is Suzuki Taro. Call me Taro. That’s my first name.” と言えばそれで済む。
 私の世代は英語を話す際には欧米のように「名―姓」順に名乗るように学校で教わってきた。先人が明治維新時に日本名をローマ字(英語)で表記する際にも、同じ漢字文化圏の中国や韓国のように従来の「姓―名」順を維持するように決断していれば、現在のような事態には至っていなかった。これを本格的に「逆転」させることにすれば、コンピューターなど電子的に蓄積してきた過去の膨大な文書・資料をどう処理するのか、そうしたとしても混乱は生じないのか。そう簡単な問題ではないように思えるのだが。
 いずれにせよ、日本人の氏名はそもそも海外の人々にはどちらがファーストネームかファミリーネームなのか、聞いた(目にした)だけでは分からない。私は相手と親しくなりたい場合には “Call me Shoichi. That’s my first name.” と付け加えている。
                  ◇
 心待ちに観ていた中国語のドラマが突然終わった。どうやら、先々週の日曜が最終話だったようだ。今にして思えば、確かに最終話に相応しいエンディングだったが、それにしてももっと観ていたかった。毎週日曜夜に1時間半ほど放送されていたが、台湾に遊んだ1か月、まるまる遠ざかっていたので、私にとっては消化不良の感は否めない。これまで中国語の勉強のために観てきた中国語のドラマは旧日本軍の無慈悲さ、愚かさがハイライトされる戦時物が多かっただけに、このドラマは実に楽しく面白く観ることができた。
 「大男当婚」というタイトルで、35歳前後の独身の男が結婚相手を探すのに四苦八苦する物語で、主人公の男優の演技が光った。彼が心を寄せる6人の女優もどれも個性的で魅力的。韓国人の女優と甲乙つけがたい魅力を発散していて、毎回楽しみに観ていた。嗚呼、日曜日の楽しみが激減!レンタルビデオ店でものぞいてみようかしら。
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 小倉のよみうりFBS文化センターと福岡・天神のカフェ「本のあるところajiro」で英語を教えています。小倉は毎月第1、2、3火曜日の午後3時半から5時。天神のカフェでの英語教室は初級クラスが毎月第2、4水曜日の午後6時半から8時、中級クラスが毎月第2、4日曜日の正午から午後1時半。詳しくはそれぞれ以下のホームページで。小倉はhttps://yomiuri-cg.jp/ で。福岡・天神はhttp://www.kankanbou.com/ajirobooks/ で。 

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