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February 2019

稲尾岳登山

20190226-1551153509.jpg 今日は火曜日。マンション5階の窓の外は気持ちの良い青空だ。キャリーバッグに詰め込んだ日曜日の山登りで汚れた衣服を洗濯し、南大隅町で2泊もお世話になったTさんの奥様から頂いた地元の和菓子でコーヒーを飲んでいる。身体はまだどこそこが痛い。スロージョギングで山登りに備えていたとはいえ、やはり標高930㍍の山頂まで短時間で登るのはこたえたようだ。
20190226-1551153575.jpg それでも、先導役を務めたNさんは私の昨年の「苦闘」を覚えており、「那須さん、今回は全然様子が違いますね」とほめられた。確かに息があがることもそうはなかった。スロージョギングのおかげだ。とはいえ、やはり山登りに使う筋肉はジョギングとは異なるようで、下半身がまだ随分張っている。山道が壊れていて、杖やロープ、樹木を必死でつかんで上ったところもあり、腕の筋肉も少なからず張っている。
20190226-1551153547.jpg 南大隅町の山深い打詰地区の恒例の行事、稲尾岳登山参拝。今回も楽しいひとときとなった。これまでの登山の中心人物だった地元のKさんが体調の関係で山登りができなかったのが残念だったが、地区外からも参加があり、今年は総勢10人。和気あいあいとした雰囲気で冗談を言い合いながら登った。
 登山開始は午前9時少し前。例年よりゆっくりしたペースだったため、頂上に到達したときはお昼をかなり過ぎていたような気がする。途中湧き水の休憩地点にある樹齢200年以上の稲尾杉の大木を目にして、思わず、幹に手を置いた。頂上では霊験あらたかな稲尾岳神社の鳥居に手を合わせ、病の姉たちのことを祈り、我が身のことも少し願をかけた。
 木々の緑に囲まれながら、静寂の山を登っていると、心身ともに癒される思いがした。私は最近、木酢液をバスタブに垂らして入浴しているが、木酢液も元はと言えば、森や林で育つ木々の恵みだ。森林浴という言葉もある通り、人はときに森林の木々に囲まれ、木々が放つエキスを味わうことが健康に良い、と理屈抜きで理解できるような気がする。田舎で育ち、今の暮らしは木々の緑から縁遠くなった身としてはなおさらそう思う。
 下山した後、地区の公民館で「だりやめ」。ビールで乾杯し、猪の煮込みで赤飯を頂いた。高齢のため、登山できない集落のNさん、Mさんたちと談笑。彼らは私の子供の頃の田舎の懐かしい村人そっくりの風貌。ともに平家の落人伝説の集落だから当然のことかもしれない。料理のもてなしに忙しかったおばちゃんたちも「那須さん、よく来てくれましたね」と声をかけて頂き、また一年後の再会を約した。日課に近いスロージョギングをこれからも続けていかなくては!
 南大隅町の中心地にある温泉風呂で疲れを癒し、その夜は前夜から泊まったTさんの家で再度、一緒に山に登ったHさんも加わり、焼酎を飲み交わした。話が盛り上がり、結構飲んだようだ。平日は断酒の私はこの土日だけでおそらく去年一年間の酒量を上回ったかも。月曜朝、Tさんに垂水港のフェリー乗り場まで送ってもらい、フェリーに乗り込み、その後鹿児島中央駅から新幹線に乗車したが、博多駅に着くまでぼぉっとしていた。もしあのチコちゃんに見つかったら、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と怒られたことだろう、きっと。まあ、そんなぼぉーっとした日がたまにあってもいいだろう。たまになら!

ノーベル平和賞推薦は自作自演?

 安倍首相がトランプ米大統領をノーベル平和賞に推薦したと報じられている。米CNNだかで最初にこのニュースに接した時は、大統領は安倍首相が平和賞の選考委員会に送ったとかいう書簡のコピーを手にこのことを誇らしげに語っていた。そのくだりをネットで調べると次のよう。“Prime Minister Abe of Japan gave me the most beautiful copy of a letter that he sent to the people who give out a thing called the Nobel Prize,” Trump said. “I have nominated you, respectfully on behalf of Japan, I am asking them to give you the Nobel Peace Prize.”(「日本の安倍首相がノーベル賞と呼ばれるものを授与する人々に送った非常に美しい手紙のコピーを私にくれた」とトランプ大統領は語った。それには「私は日本国を代表してあなたにノーベル平和賞を贈呈するように彼らに要請しました」とある)
 その後の報道で推薦は大統領が安倍首相に自ら要請したものであることが分かった。自作自演ではないかいな! このニュースは概ね事情が判明する前に、アメリカにいる恩師も驚いたようでメールで知らせてきたが、私は次のように返信することしか頭に浮かばなかった。“The world is going nuts. Better soon leave for the next world up there, if any!”(世界は狂い始めている。すぐにでもあの世に旅立ったほうがよさそうですね。あの世があればの話ですが)  
                 ◇
 今週土曜日に鹿児島・南大隅町を訪ねる。毎年恒例の稲尾岳参拝が待っているのだ。海抜930㍍の山頂にある稲尾岳神社への参拝登山は決して楽ではない。青息吐息での山登りは必至。今回はこの登山に備えて、昨秋から時々スロージョギングを始めていた。一周2・9キロのジョギング路を一周ジョギングして、さらにもう一周歩くのが常。これほど用意周到に参拝登山に臨むのは初めて。はてさて効果のほどが楽しみだ。
 去年のブログを読み返すと、次のように書いている。——朝8時半過ぎにTさんの車で到着。集落の人たちが顔をそろえていた。私の顔を見つけると、よく来られたと満面に笑みで歓迎してくれた。今年登ったのは地元の人が4人、地元以外は私を含めて4人の総勢8人。途中で3回の小休止をはさんでの2時間半程度の登山だが、急峻な斜面もあり、結構きつい。
 さあ、海抜930㍍の山頂にある稲尾岳神社を目指して登山開始。途中から傾斜がきつくなるに従い、はあはあと息を吐きながら登る。先頭の地元の中心人物、Kさんは息が全然乱れていない。2回目の小休止の時、不測の事態に。腹具合がおかしい。我慢できるのか。いや、険しい。少し恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。Kさんに窮状を訴え、木陰に隠れてズボンを下げ、しばしうんち黙考、いや沈思黙考。用を足した後はすっきりした気分で再び登山。——
 今のところ、参拝当日の日曜日の天気予報は「曇り時々晴れ」と悪くない。稲尾岳にある神社は山の頂上に小さな祠があるだけだが、霊験あらたかなところ。私はだいぶ以前の登山、いや下山の折りにそれを実感する実に不思議な体験をしている。今もって信じ難い体験だ。
 さあ、今年の参拝登山の準備は万端。あとは早朝きちんと排泄行為を済ませておくことだけだ。これが少しだけ心配だが・・・。

シングルライフ

 新聞紙上で生涯を独身または独居で過ごす生き方をテーマにした記事を目にすることが多くなっている。そういう時代のようだ。概ね「シングルライフ」も悪くない、知恵を出し合いましょうといったメッセージが込められている感じだ。
 シングルライフのプロである(といっても何の自慢にもならないのは百も承知、二百も合点の)私も当然、興味を持ってそうした記事を読んでいる。最近の記事では次のように書かれていた。「9割以上が結婚していた時代は終わり、生涯未婚率(50歳の未婚率)は右肩上がり。2040年には、男性の3割、女性の2割近くが生涯未婚という推計です。飲食店情報サイトが昨年行ったネット調査では、ひとりで外食する『ひとり飯』の人を見ても『寂しそう』『孤独』と感じない人が8割以上いました」とか。本当にそうなの?
 ケーブルテレビを見ていると、若い女性が一人で居酒屋に出かけ、日本酒や焼酎の杯を傾け、「プハー」とやっている番組も流れている。一昔前は考えられなかったような設定だ。いい時代だとつくづく思う。今の私は飲食店で一人酒を楽しむ暮らしからはすっかり遠ざかってしまったが。
 それで思い出したのは先日、アメリカ人女性の友人と交わした会話。私より年長の彼女とは私が福岡に転勤した直後に知り合い、私のことをよく激励してくれるありがたいお人だ。私が独り身の人生を生きていることを彼女は私の記憶間違いでなければ、“Shoichi, you are a solitary person, but not a lonely person.” と表現した。日本語にするなら、「あなたは一人でいることを厭わない性格なのよ。孤独な人ではないわ」。私は彼女の表現がすっと腑に落ちた。そうだ、私は子供の頃からなぜかそうだったのだ。
 参考までに、「シングルライフ」は英語では “living alone” や “single life”が頭に浮かぶ。「結婚生活」は “marriage life” ではなく、“married life” と表現するようだ。
                 ◇
 私は外国語を話すときに死活的に重要なのは語順だと思っている。もちろん、発音やイントネーションの大切さは言うまでもないことだが。
 中国語の語順は基本的にSVOだから、英語に近く、日本語とは異なるが、ときに日本語によく似ていると感じることもある。最近目にした次の文章。「彼が紹介してくれた本は、買えました」。日本語だと主語(私・僕)が省略されているが、中国語ではそれをしっかりと補った上で次のようになる。—— 他介绍的书,我买到了。—— 日本語にぴったり重なり合う語順だ。嬉しくなる。「紹介」が中国語では「介绍」と逆転するのも面白い。
 「あなたの話をはっきり聞き取れませんでした」という文章はどうだろう。これは—— 我没听清楚你说的话。—— 「あなたの話を」という日本語では冒頭に出てくる表現が中国語では「你说的话」と最後になる。これを見れば、中国語はSVOの言語だということが実感できる。「清楚」という語句が出てくる。日本語で「清楚な美人」と言えば興味をそそられるが、中国語にはそういうニュアンスはないようで、「明確である、はっきりしている」という意味。似ているようで似ていない。
 中国語の独学は一喜一憂の繰り返しだ。

populism そのもの

 昨年10月から再放送されているNHKの韓国語と中国語の初級講座を聴き続けていることは何度も書いた。両方とも2回目の聴取だし、初級の講座だからすっと理解できるのが普通だろう。実際「まいにちハングル講座」は比較的、楽にフォローできている。テキストを見ずとも理解できるときもある。これに対し「まいにち中国語」の方はそうもいかない。予習していてもやはりテキストがなくては厳しいものがある。私の語学力がまだ韓国語の方が中国語よりも上ということもあるかもしれないが、中国語の方が日本人にとってより厄介な言語だと思えなくもない。あくまで素人の推論だが・・・。
 とはいえ、視覚的には中国語の方が韓国語よりもずっと意味が分かりやすいとも思えることもしばしば。例えば、本日目にした表現は「百闻不如一见。」これは実際の発音はともかく、中国語特有の簡体字をじっと見つめていると、その意味は「百聞は一見に如かず」ではと何とか察しがつくかと思う。韓国語はハングル表記だから、日本人にはハングル文字を見てその意味がすっと頭に浮かぶことは普通はあり得ないだろう。この点では中国語の方が日本人にはより身近に感じる言語と言える。ただし、「百闻不如一见。」を乱暴にカタカナで表記すると「バイウェン ブールー イージェン」。日本語とは程遠い開きがある。
                 ◇
 トランプ米大統領の一般教書演説をケーブルテレビのCNNの生放送で見た。何度も何度も繰り返される、あまり意味のないスタンディングオベーション(standing ovation)に辟易した。椅子から起ち上っての拍手は主に共和党議員を中心になされ、座ったままの民主党議員の不機嫌な顔も印象に残った。途中で「USA」の合唱が湧き起ったのには驚いた。「音源」は傍聴席に詰めかけた大統領支持派の人々だったのかも?
 「お前のせいだよ」と思わず突っ込みを入れたくなったのは、トランプ大統領が現在の米議会はかつてないほど女性議員が占めていると、女性の積極的な政治参加はまるで自分の政権運営の成果であるかのように誇らしげに語ったときのこと。トランプ政権の誕生そのものが民主党の女性議員を数多く誕生させた主因ではないか。
 彼は演説の冒頭部分で党派色を打破し、アメリカの全国民のために働くと語ったが、とてもそうとは思えない。いまだ決着を見ない自身のロシア疑惑の捜査を頓挫させたいと願う次のような訴えは到底理解できない。“An economic miracle is taking place in the United States – and the only thing that can stop it are foolish wars, politics or ridiculous partisan investigations. If there is going to be peace and legislation, there cannot be war and investigation. It just doesn’t work that way!”(アメリカでは経済の奇跡が起きている。それを妨げるものは馬鹿げた戦争、政治、愚かな党派色の強い捜査だ。平和と政策を実現するためには戦争や捜査はあってはならない。そんな風にはいかないのだ)
 経済的苦境にあえぐ労働者階級、一般庶民の味方であるかのように振る舞った演説はまさにポピュリズム(populism:大衆迎合)の香りがふんぷんとした。悩ましいのは彼が日本の安全保障のキーパーソンであり続けることだ。大統領は今月27,28両日に二回目の米朝首脳会談をベトナムで行うことも演説の中で表明したが、果たして・・・。

体を動かせ!

 「体を動かすことで脳にも良い影響を与えるという研究が今、世界各地で報告されている。子どもの注意力が高まり、判断のスピードも速くなる。記憶をつかさどる脳の『海馬』の神経細胞は、成長後も運動によって増えることが動物実験で確かめられた。高齢者の認知症予防にも熱い視線が向けられている」。これは先ごろ、読売新聞の一面企画「スポーツの力」の中で目にした一節だ。
 フィンランドの小学校で子どもたちが自由に動き回ったり、跳びはねながら、国語の授業を受けている風景が紹介されていた。「運動は、他のどんな営みより脳を活性化してくれる。体を動かし、働きを求められれば、血流が増し、細胞の連携が生まれ、筋肉と同じように脳は変化する。それは脳の萎縮を防ぎ、自分自身であり続けるためのカギとなる」という医学の専門家の意見も記されていた。
 私のように自宅で大半の時間を過ごす者にはよく理解できる指摘だ。いや、警告ととらえるべきかもしれない。自宅から少し離れた湾の浜辺をスロージョギングするようになったのもやはり、普段から定期的に体を動かすことの大切さを感じるようになっていたからだ。走る意欲がわかなければ、とにかく歩くことにしている。設けられた一周2.9キロのジョギング路を二周するのをノルマにしているので、6キロ近くを走るか歩いている勘定だ。この動いている間に色々なことを考えているかと思うが、脳細胞が自室でじっと坐しているときには見られない働きをしているかどうかは定かではない。
 前にも書いたが、生活スタイルで「いつも座っている」という形容詞は英語では sedentary と表現する。上記の記事を読んで、その反意語は何だろうと思い、調べてみたが、どうもピッタリの語には行き当たらなかった。せいぜい、active, moving, mobile という語彙だった。場合によっては standing も可かも。
                  ◇
 冬のこの時分にはいつも手の指のひび割れに悩まされていたことを何度か書いた。新聞社勤務時代の元同僚から「それは私の田舎ではあかぎれと言い、昔お袋も悩まされていました」という趣旨のメールを頂いた。そう、あれは私の田舎でもあかぎれと呼んでいた。すっかり忘れていた。両手にゴム手袋をして水仕事をするようになって、このあかぎれとは今では無縁の日々となったのが嬉しい。
 台所仕事。私のような男の独り者には料理のレパートリーが少ないのが悩ましい。しかし、今は便利な世である。インターネットで検索すれば、さまざまな料理の作り方が満載。これなら人に尋ねなくても、おおよその要点は理解できる。思えば、長姉が田舎で元気に農作業に従事していた頃は夕方に電話をして簡単な料理のやり方を尋ねていた。それも今ではできなくなったが、代わってパソコンがいつでも答えてくれる。実に有難い!
 最近よく作るのがぶり大根。これは魚津のママさんを訪ねた時に教わったのだが、やはり一回教わっただけでは記憶があやふや。ネットで「復習」して台所に立っている。料理の才のない私でも割と楽に作れる。しかも美味い! ネットの功罪は色々あろうが、私のような独居(そうはまだ思っていないが)老人には心強い味方だ。

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