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September 2023

囲碁もスポーツ?!

 アジアのスポーツの祭典、第19回アジア競技大会が中国で開幕した。最近はそこかしこで世界的なスポーツ大会が開催されている気がしてならない。スポーツ観戦大好きな私としてはフォローせざるを得ない。
 読売新聞のスポーツ欄を開いて開会式を終えた注目の日本選手のコメントが掲載されていた。その中に囲碁棋士の談話が載っているのを見つけ、いささか驚いた。え、囲碁もアジア大会の競技種目になっているのか! そういえば少し以前に囲碁や将棋などのいわゆるボードゲームも将来、オリンピックの種目になるのではというニュースに接したような記憶もある。今はそういう時代なのか。
 ネットで調べてみると、以下の記述を見つけた。「チェスやポーカーなどは国際オリンピック委員会(IOC)の定めるオリンピック競技の定義を満たしている。ただし、IOCは今のところこうした頭脳ゲームはまだオリンピックには採用しない方針。一方、アジア大会では囲碁、ブリッジ、チェス、シャンチーを採用している」とか。シャンチーとは私は知らないが、中国やベトナムで伝統的に行われてきている将棋に似たボードゲームらしい。
 チェスが選ばれているならぜひ将棋をとも思う。囲碁の世界では日本は中国や韓国に今では遠く及ばないとも聞くが、将棋ならば独壇場だろう。ただ悲しいかな、将棋は囲碁ほど国際社会で馴染みのあるゲームではないようだ。将棋界では敵なしに見える藤井聡太七冠がオリンピックの舞台で金メダルを手にする時代がやがて到来するのだろうか。
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 アジア競技大会が開催されている中国の都市は杭州市。上海市の南にあり、浙江省の省都である・・などと書いても、中国に一度しか足を運んだことのない私はよく知らない。ただ歴史ある豊かな土地柄であることは承知している。
 以前にNHKラジオの初級中国語講座を聴いている時、「上有天堂,下有苏杭」(shàng yǒu tiān táng , xià yǒu sū háng)という表現を学んでいたからだ。「苏杭」とは隣り合った都市の蘇州と杭州の意。要するに「上には天国(天堂)があるが、下の地上には蘇州(苏)と杭州(杭)があるではないか」という意味で、それほど両都市は繁栄し、美しいとほめそやした表現。風光明媚と言われる杭州を一度は訪ねてみたいと思うが、スパイ容疑(?)で邦人が当局に逮捕されるニュースが時々報じられる国に行くのは勇気がいる。
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20230926-1695706642.jpg オンラインで開いている英語教室。今月からはカズオ・イシグロ氏の短編小説集
“Nocturnes” を読むことは先に書いた。読売新聞にそのイシグロ氏の一人娘の寄稿が掲載されていた。彼女はこのほど短篇集 “Escape Routes”(邦訳『逃げ道』)を出したとか。
 イシグロ氏に子供がいるらことは知っていたが、一人娘であり、しかも作家の道を歩んでいることまでは知らなかった。寄稿(翻訳)を読むと父親を通して日本の文化への関心があり、日本的なものに強いつながりを意識して育ったようだ。ナオミ・イシグロさん。31歳。“Escape Routes” を今すぐ購入して読む予定はないが、興味がないわけではない・・・。(寄稿の記事の写真を撮ってはみたものの、なぜか天地を正しくできない。情けない!)

“Plague” 読破

 仏作家アルベール・カミュ(1913―1960)の小説 “Plague”(邦訳『ペスト』)を読み終えた。フランス語から英語への翻訳という性質ゆえか、正直、何度も読み返し、それでも意味がよく解せない文章が多かった印象だ。カミュの名作と知っていなければ途中で投げ出してしまったかもしれない。それでも何とか読破した今は巡り合って良かったと思っている。
 この作品が発表されたのは第2次大戦が終了した後の1948年だから70年以上前だ。しかし2023年の今、作品の舞台となったアフリカ北部のアルジェリア(当時は仏領)から遠く離れた日本で読んでも説得力があると感じた。コロナ禍でこの4年余、不自由な生活を余儀なくされただけからではない。いや、コロナ禍はまだ過去形で表現すべきではないか。
 物語の語り手は若きベルナール・リウー医師。彼が診療所を開設している港町のオランである日突然、ネズミが大量死する事件が発生する。彼はいち早くペストの発生を疑い、当局に警鐘を鳴らすが、行政の動きは緩慢としている。そうこうしている内に多くの住民が原因不明の高熱を発し、次から次に息絶えていくようになる。オランは封鎖され、交通は遮断され、感染を免れた住民も孤立の日々を余儀なくされる。
 リウー医師はほぼ不眠不休で患者の治療に当たるが、薬剤不足でただ死を見守ることしかできない。やがてペストは終息に向かう。だが感染拡大を阻止するため奮闘してくれた男気あふれる友人もペスト終息が宣言される直前に倒れる。ペストの流行前に遠隔地に療養に送り出していた妻の訃報にも接する。当局のペスト終息の宣言を受け、街に活気が戻り、歓喜に沸く住民を横目にリウー医師は思う。
 And, indeed, as he listened to the cries of joy rising from the town, Rieux remembered that such joy is always imperiled. He knew what those jubilant crowds did not know but could have learned from books: that the plague bacillus never dies or disappears for good; that it can lie dormant for years and years in furniture and linen-chests; that it bides its time in bedrooms, cellars, trunks, and bookshelves; and that perhaps the day would come when, for the bane and the enlightening of men, it would rouse up its rats again and send them forth to die in a happy city.
 感染症はこれからもじっと家具や箪笥、寝室、地下貯蔵庫、トランク、本棚などの中に潜み、ときを待ち、再びネズミを街中に送り出し、浮かれた人々にその死骸を見せる日がやって来るのではないか。リウー医師がそうした危惧を抱いているシーンで小説は終わる。物語の書き出しは The unusual events described in this chronicle occurred in 194- at Oran. となっており、1940年代の設定だ。私はこの作品を読みながら、頭の片隅にはロシアによるウクライナ侵攻もあった。こちらは悲しいかな現在進行形で和平の兆しは見えない。ウクライナの人々が理不尽な苦悶にあえいでいる現実は、どこからともなく忍び寄ったペストによる苦難に見舞われたオランの人々とも重なるように思えた。
 アラブ国家のアルジェリアがフランスから独立するのは1962年。カミュが生存していた間は仏領だった。賑やかな港町だったと推察されるオランはフランス人が幅を効かせていたことだろう。アルジェリア人の視点からは果してどう見えていたのだろうか!

It's over for Shohei and me, too!

20230917-1694941084.jpg プロ野球とともに佳境を迎えている海の向こうの大リーグ。本来なら大谷翔平君の活躍に一喜一憂している時期なのだが、あに図らんや、肝心の翔平君が度重なる負傷で今シーズンの出場を終了することとあいなった。一番残念に思っているのは翔平君本人であることは間違いないが、明日は出るのではとずっとメディアに言い続けていたエンゼルスのネビン監督の対応は理解しがたい。大谷、トラウトら主力の負傷が相次いだ不運があるとはいえ、プレーオフ進出が夢のまた夢のふがいない成績もあり、来春は監督交代を強く望む。もっとも翔平君がエンゼルスに残ったとしての話だが。 
 翔平君の23年のシーズンは中途半端な形で終わるものの、おそらく、アリーグのホームラン王はほぼ間違いないのだろう。最大のライバル、ヤンキースのジャッジ選手が負傷でフルシーズン出場していなかったことが幸いした。投げる方でも活躍しており、今年もアリーグ2回目のMVP獲得が確実視されている。それは素晴らしいことに違いないが、大の翔平君ファンとしては何だかなあとも思う。願わくは来シーズン、開幕から彼がDHとして打席に立つことができ、さらには先発投手としてもマウンドに上り、真価をさらに発揮して欲しい。私の大リーグ観戦は10月を待たずしてこれで終了・・・。  
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 オンライン英語教室。今月からまた新しい作品を読む。取り上げるのは英国の日系作家、カズオ・イシグロ氏の短編小説集 “Nocturnes”。『夜想曲集』という邦訳も出ているようだが、私はイシグロ氏の作品はすべて原作を読んでおり、翻訳を手にしたことはない。
 今回の作品は2009年の刊行であり、ノーベル文学賞の受賞に先立つこと8年前。私はこの作品のことは知らなかったが、教室受講生から読んでみたいという要望があり、まず、電子書籍でざっと読んで、読後感が悪くなかったのでネットで改めてペーパーバックを購入し、じっくり読んだ。中高年というか初老というか、年齢を重ねて初めて実感できる記述もあり、英語教室の進捗状況に従い、このブログでも紹介していきたいと思っている。
                  ◇
 スポーツ中継を除くと地上波テレビには何の魅力もなくなって久しいが、パソコンやスマホでYouTubeの番組を見る時間は格段に増えた。定期的に見る番組はそれでもごく限定的で、パソコンを開いてYouTubeにアクセスし、画面にぱっと出てくる番組から面白そうなものをクリックすることがほとんど。可愛いネコが出てきてじゃれ合うものや、大の大人が公園でいたずらの放屁を行い、散策の人々が仰天したり、笑い転げるシーンが流れるなどといった他愛ないものなど。
 ただ、英語や中国語、韓国語のワンポイントレッスンなどといったものもあり、本当は見るつもりはないのだが、ついクリックしてしまうと、「長居」してしまうものもある。今日は日曜。日曜夜は同世代の年配の女性が東京周辺の実家に週一度帰り、誰も住まなくなった実家の掃除や庭仕事に勤しむ映像が10分と少々流れるYouTubeがある。どういうこともない映像なのだが、なぜか見てしまう。昭和生まれの人には懐かしいものも映し出される。心の憩いの場となる実家が近くにある人の幸せを思う。

今頃ハイボールとは!

20230903-1693710770.jpg 帯状疱疹の痛みがまだ消えない憂さ晴らしではないが、最近また夕刻に軽く飲み始めた。明らかにメタボの私は酒類を遠ざけた方がいいのは承知しているが、神様、深酒はしませんので、お許しあれ!
 手にしているのはハイボールと呼ばれるお酒。すでに半世紀以上もお酒を飲んできて今頃、ハイボールの旨さに気づいたとここで「告白」するのは恥ずかしいが、事実だから致し方ない。昔はハイボールというお酒(の飲み方)はそれほど一般的ではなかったのではないか。大学を何とか卒業して東京の新聞社に就職し、八王子市にある支局に配属された25歳の頃。自分で稼いだお金で支局近くにあるスナックに夜な夜な通い始めた。はてあの頃は何を飲んでいたのだろうか。もっぱらウイスキーか。問題はウイスキーの飲み方だ。水割りかロックだろう。私は水で直接薄めることが嫌で、ロックで飲んでいたような・・・。
 焼酎などというお酒は東京の飲み屋ではまずお目にかかれなかった。やがて居酒屋などで焼酎も見かけられ始めるが、ほとんどの場合、酎ハイという飲料だったような記憶がある。はて酎ハイって辞書に載っているのかなと思い、手元の電子辞書で広辞苑を引くと、載っていた。「焼酎ハイボールの略。焼酎を炭酸水で割った飲み物」と紹介している。何ということだ。知らなんだ。酎ハイのハイはハイボールのハイだったのか!
 そして私は今遅ればせながら、ハイボールの旨さ、飲みやすさに気づいた。コンビニでサントリーの角瓶と炭酸水を買い、氷をたっぷり浮かべて飲んでいる。黒霧も炭酸水で割ると格段に飲みやすくなる。何杯でもいけそうだ。
 そもそもなにゆえ今頃になってハイボールを飲むようになったかというと、時々のぞいているYouTubeの韓国語講座で韓国人講師がハイボールの旨さを語っていたからだ。韓国人旅行客は日本からの帰途、安い角瓶を買い込み、日本土産にしているとか。そう聞いて、そんなにウイスキーのハイボールは旨いのだろうかと不思議に思った。この講座を見ていなければハイボールのことなど考えもしなかっただろう。良かったのか悪かったのか?
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 先にチェコの作家、ミラン・クンデラの代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)のことを書いたが、彼の訃報を報じた英字紙ジャパン・ニュースによると、94歳で逝ったクンデラが死の床で最後に手にしていたのはフランスの作家、アルベール・カミュの小説 “Plague”(邦訳『ペスト』)だったとか。
 コロナ禍が世界を襲った状況下、日本でもこの作品が再び脚光を浴びていると聞いたことがある。私はカミュの作品は読んだことがないような。これも何かのサインと思い、ネットで中古の原書を買い求めた。原書といってもフランス語からの英訳本だ。
 不可解な登場人物のことを記している文章に次の1文があった。But the thing that had struck him most about the man was his aloofness, not to say his mistrust of everyone he met.(その男に関して最も印象的なことは、彼が周囲の人々を誰であれ信じないことだとまでは言わないが、世間と関わりなど持ちたくないという彼の考え方だった)。私はnotが出てくる熟語表現にはいつも手こずる。この not to say はまだ「楽」な方だろうか。

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