June 2023
トラウタニだけでは!
- 2023-06-22 (Thu)
- 総合
帯状疱疹。まだ完治はしていない。朝方に右胸もしくは背中に違和感が残っている。それでも夜はだいたい熟睡できるようになった(感じがしている)。日中は問題なく活動できている。中学校での英語教師の仕事に何の支障もない。朝方の違和感さえ消えれば完治と呼べる(かなと素人診断している)。ペインクリニックで毎週木曜日に背中に打ってきたブロック注射も先週の木曜日に最後の5回目を終えた。
少しずつ完治に向かっていることは正月明け以来、香椎浜のジョギング路を散策する気にもならなかったのに、今は自然と足が向くようになったことでも感じている。週末の夕刻には焼酎を口にすることが楽しみだったが、それも長い間その気分になれなかったが、ここ最近、その気分になりつつある。幸い今日から日曜日まで4連休となった。よし、今宵はささやかに一杯やろう!
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という次第で本日は洗濯をすませ、ガスストーブを片付け、朝からテレビの前に座った。お目当てはもちろん、大リーグ観戦。エンゼルスの大谷翔平君の活躍を見届けたい。相手は同じロサンゼルスをフランチャイズとする強豪のドジャース。属するリーグが異なるから滅多に見られない対戦だ。
大谷君は投げる方では期待通りの力投を見せてくれた。ソロホームランを打たれた一球を除けば。それでも7回を投げ切り、5安打を浴びたものの12三振を奪う好投で失点1だから立派だろう。打つ方は全然だめで快音が聞かれることはなかった。味方打線も相手チームが繰り出すリリーフ投手陣の前にチャンスは作るのだが、あと一本出ず、零点の山。フラストレーションがたまるだけだった。エンゼルスは地区内で2位につけ、久しぶりにプレーオフに進出する位置にはいるのだが、いかんせん、打線が・・・。トラウタニは別として、チームの総合力は強豪チームからはほど遠いと言わざるを得ない。
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去年の今頃はこのブログに何を書いていたのだろうとスクロールしてみた。少し先だが、7月1日の項に次のように書いている。――いよいよ7月の声を聞いた。2022年も半年が過ぎた。残り半年。まだ蝉の声は聞かないが、猛暑はやってきたようだ。何しろ暑い。明け方も蒸し暑さで目覚めたりするようになった。何とかしないと夏バテに直結しそうだ。今夏は以前から決めていたことがある。近くの新宮海水浴場に行き、できるだけ海水浴をすることである。去年は初めて行ったのが7月29日のこと。今夏はできるだけ早く行き、海に浸かりたいと思っている。さっそく金曜日の午後、仕事(雑用)を済ませて海へ。――
そうか、海で游ぐことを考え、実践していたようだ。この当時は週1日専門学校で英語の非常勤講師の仕事があるだけで、暇な時間は潤沢にあった。幾度もクラゲに刺され、一度は首の辺りを刺され、一晩中、高熱にうなされたことも。あのときは苦しかった。病院にも行かず、何とか自力で苦境を脱したが。今夏はどうしよう。帯状疱疹が完治した時点で改めて考えよう。しかし、クラゲのことを考えると、足が遠のく。第一、今は帯状疱疹を完治させることが先決だ。
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180度の豹変は one-eighty turn
- 2023-06-18 (Sun)
- 総合
米誌「ニューヨーカー」を読んでいてゴルフの記事に目がとまった。Monahan tried to justify his one-eighty by saying that “circumstances change” and ….(モナハン氏は「状況の変化」を理由に方針を180度変えたことを正当化しようと試みた)。初めて目にする表現だったが、one-eighty の意味合いは類推できた。なるほど、英語でも同じように言えるのかと。私の辞書には残念ながら載っていなかったが、ネットで検索すると “do a one-eighty” “turn a one-eighty” などで「考え方や態度を一変させる」ことを意味するとか。
モナハン氏とは米ゴルフを牽引してきた組織、米PGAツアーのジェイ・モナハン会長のこと。去年の秋だかにこのブログでPGAツアーと中東サウジアラビアのオイルマネーが後ろ盾のLIVゴルフの対立を紹介した。最近になって両者が和解し、対立を解消することが明らかになった。万事めでたしと思えばそうでもなく、米メディアでは “Money win.” とか“It was always about money.” などと酷評されている。人権軽視のサウジマネーとは一線を画する姿勢を表明していたモナハン氏の豹変が今後も論議を呼ぶのは必至。
国際社会で露呈した不祥事や不名誉をスポーツの世界で帳消しにしようとする行為を sportswashingと揶揄する新語があることも上記の記事で知った。
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大リーグ。エンゼルスの大谷選手が一段と脚光を浴びている。正真正銘のスーパースターになりつつあるようだ。彼にはsportswashingは無縁の世界だから、安心して応援できる。できるのだが、チームのリリーフ陣が情けない。日本時間で日曜早朝のゲームでは大谷選手が大リーグトップの23号ソロを打った7回表の時点で8対2と大量リードした。楽勝だなと思っていると、あろうことか、リリーフ投手陣がノーコンで塁上を埋められ、あっという間に逆転さよなら負けを喫してしまった。これではプレーオフに勝ち残るのは無理だろう。応援する気も失せてしまう。あほらし!
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ネットで電子書籍を購入した。ざっと読み終えた。プリントアウトを試みた。何度トライしてもうまくいかない。いろいろ調べて分かった。電子書籍はそう簡単にはプリントアウトできないようになっているらしいことが。
それでやはり、書籍を購入しようと思い、ネットで改めてチェックしてみた。欲しいのはカズオ・イシグロの2009年刊行の短編集 “Nocturnes”。『夜想曲』というタイトルで邦訳本も出ているようだ。以前にも感じたが、ネットで注文すると数日内に自宅に届くその便利さ。しかも安い。これを洋書が置いてある書店で買おうとすると(まず、置いてない確率が格段と高いが)往復の電車(地下鉄)賃で、下手するともう一冊同じ本がネットでゲットできる勘定になる。街中の書店が段々と消えていくのも道理だ。複雑な心境になる。
届いた洋書をじっくりと読んだ。気になる語彙にはマーカーを走らせて。カズオ・イシグロの小説はやはり面白い。英語も読みやすい。日本人の血が流れているからではないだろうが。短編小説を読むオンラインの英語教室では今、オー・ヘンリー賞を受けた短編の数々を読んでいる。次はこれを読もうかなと考え始めている。
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思い出した! Dorian Gray だ
- 2023-06-15 (Thu)
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ウクライナで続いているロシアが仕掛けた戦争のことは、このところ全然書いていない。書いていないが、ずっと心にかけている。きっと多くの人たちがそうだろうと思う。それがウクライナの人々に対しできるせめてものことだ。私は毎朝、神棚に手を合わせ、ウクライナの地と人々に平和な日々、平穏な暮らしが一日も早く戻ってくることを祈っている。
しかし、よくよく考えるとこの戦争は異常極まりない戦争だ。通常2か国間の戦争はお互いの領土を攻撃し、打撃を与える戦いだ。今のウクライナ戦争はロシアが一方的にウクライナを砲撃、しかもアパートや病院など民間施設も攻撃対象となり、これをウクライナが迎撃する戦いとなっている。ウクライナがロシア領に砲撃を浴びせることは皆無に近いのではないか。こんな理不尽な戦争はないだろう。挙げ句の果てにはロシアのプーチン大統領は自国の存在が危うくなると核兵器の使用も辞さないと脅している。敗色濃厚となることも含まれるのだろうか。ウクライナから見たら「出口」が見えない戦争に思えてならない。
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最近物忘れがひどくなっているような気がする。数日前から思い出せないのがオスカー・ワイルドの小説の中に出てくる主人公の名前。作品のタイトルも正確には言えないーーなどと前項で書いた。もちろんネットで検索すれば、即座に分かるのだが、「自力」で思い出したいと。
上記のことを書いたのは日曜日だった。私は昔の友人とか有名人の名前を忘れた時には、その人の顔を思い浮かべながら、あいうえお、かきくけこの順で思いつく名前を念じ、その人の名前を思い出そうとする。この方法で結構名前を思い出す。今回は欧米の人だから慣れないabcの順でその主人公の名前を思い浮かべようと試みた。何も当たりがなくて週末が過ぎた。明けて月曜日。仕事を終えて最寄り駅で下車し、駅中の喫茶店でお茶を飲みながら、何気なく再び主人公の名前を思い出そうとしていたら、ふとドリアン、いや、Dorianという名前が頭に浮かんだ。そうだ、Dorian Gray だ。そしてタイトルは “The Picture of Dorian Gray”(邦訳『ドリアン・グレイの肖像』) だ。
この本のことを思い出したのは他愛ないこと。ともあれ、ワイルドは好きな作家の一人だ。もちろん彼が残した作品が好きという意味である。2012年に『イギリス文学紀行』を出すために英国とアイルランドを取材の旅で訪れた時、彼の故郷のアイルランドを旅したことを懐かしく思い出す。彼が残した数々の名言も味わい深いものが多い。私は以前に女子大で英語を教えていた頃には、彼の代表作な短篇 “The Happy Prince” を教材にして講義の中で読んだ。我々日本人にも読みやすい分かりやすい作品だった。今取り組んでいる英語短編小説読書会的なオンライン英語教室でもいつか、まだ読んだことのない彼の作品を読む機会があればいいと少し思ってもいる。
ところで、彼が本来なら作家としての絶頂期に当局から逮捕・投獄されるなどして46歳で不遇の結末を迎えたのは、英国では当時厳しく糾弾された同性愛ゆえ。LGBTQ(同性愛者ら性的マイノリティの人たち)に対する理解が深まりつつある今の時代に生きていたならば、彼の人生(文学)も全く違ったものになっていたことだろう。
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紹興酒のこと
- 2023-06-11 (Sun)
- 総合
最近物忘れが酷くなっているような気がする。老化現象?「実年齢7掛け論者」の身としてはそうは思いたくないが、以前ならぱっと頭に浮かんだ類の人名や物事が思い出せないことが相次いでいる。数日前から思い出せないのがオスカー・ワイルドの小説の中に出てくる主人公の名前。タイトルも正確には言えない。英国文学紀行の本を執筆した際も含め、何度か読んだことがあるにもかかわらずだ。読みやすい英語で書かれており、日本人にはとっつきやすい作品だ。
なぜ、この作品の主人公のことを思い浮かべたかというと、特段のことではない。私は今なお帯状疱疹の痛みに悩まされているが、その他の健康状態はまずまずかと素人判断している。それで昔は「私は○○ではありませんが、青年のような気持ちで生きています」と挨拶したいものだと時々考えていたことがふと脳裏をよぎったのだ。○○とはワイルドの作品の主人公。欧米でちょっとしたテーブルスピーチを求められた時などに使えるのではないかと当時は考えていた。だから、○○はいつでもすぐに頭に浮かんだ。
ところが、数日前に○○を思い出そうとしてちょっと愕然とした。出て来ないからだ。小説のだいたいの筋は覚えている。主人公は自他ともに認める美青年。だが、性根は良くなく鼻持ちならないと形容できよう。彼が恐れるのは年をとって若さを失い、その美を失うことだった。それである時、知り合いの画家が描いてくれた肖像画が自分の代わりに年を取ってくれ、現実の自分はいつまでも若さあふれる存在であり続けることに気づく。まるで願いを叶えるために悪魔と取り引きしたようなものだ。傲岸不遜の彼はやがて自分に惚れたうら若き少女を死に追いやったり、肖像画を描いてくれた画家を殺害することになる。今、こうして粗筋を思い出しながらも、○○という主人公の名前が出て来ないのが悔しいし、情けない。本棚にある著書を手にとるか、ネットで検索すれば即座に分かるのだが、それはここではしたくない・・・。もう少し自力で「悪戦苦闘」したい。
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CNNのニュースをオンラインでチェックしていたら、中国では昨今、大学や大学院で学んで立派な学歴を手にしても、社会でそれを活かせない、つまり働き口が見つからず、人生設計が描けない若者が増えているという記事を報じていた。高学歴の若者が毎年、何百、何千万人という数で社会に出てきても、経済の分け前は限られていて、平等に行き渡ることが難しい時代になったということか。記事では閉塞感に陥ったそうした若者が中国文学の祖とも言える先人、魯迅(1881-1936)の作品に共感を覚えていると報じていた。
魯迅ならば私も遙か昔に『狂人日記』だか『阿Q正伝』を読んだことがあり、何となく親近感を抱く人物だ。記事を読んで彼の名前は中国語で何と発音するのだろうとネットで調べていて、彼は中国浙江省紹興の出身であることを知った。地名は見覚えがある。おお、あの紹興酒の紹興ではないか。今頃気づくとは何と愚かであることよ! 紹興酒は久しく飲んでいないが、現役の頃に中華料理店に足を運ぶとよく飲んでいた。あの甘ったるい印象の醸造酒が魯迅先生と因縁浅からぬお酒であるとは! 帯状疱疹の痛みから解放された暁にはぜひ紹興酒を買い求め、魯迅先生をしのぼうと決めた。
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人はなぜ本を読むのか?
- 2023-06-03 (Sat)
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人はなぜ本を読むのか。ほぼ隔週の日曜日にオンラインで開いている短編小説を読む英語教室で先月取り上げた作品の中にこのことを記述した一節があった。著者はギリシアの作家で “Where They Always Meet” という作品。中年の通信社の女性記者マリーナが夜勤の仕事に就いていると、一人の風変わりな若い女性が闖入してくる。闖入者は開口一番 “Good evening. I’m Stalin’s granddaughter. Putin is after me, wants me dead. You have to help me.”と訴える。
旧ソ連に君臨した独裁者で1930年代に国民を大量虐殺したと言われるヨシフ・スターリン(1879-1953)の孫娘とはただ事ではない。彼女は自分をマリーナ・アリルーエワと名乗る。マリーナはアリルーエワを追い出すわけにもいかず、メモを取りながら、彼女の数奇な半生に耳を傾ける。そうした中で飛び出すのが冒頭の問いだ。アリルーエワはマリーナに問いかける。“Do you know why people read?”
アリルーエワの答えは単純明快だ。彼女は続けて次のように語る。“We read because we want to live more than one life.” 多くの人が彼女の答えに同意するかと思う。私もその一人だ。一度だけしかない人生。せめて書物の中で多くの「人生」を疑似体験し、自分の人生に少しでも潤いを与えたい。もちろん、単にそれだけでない人もいることだろう。そもそも人生に意味などあるのか。善人であれば天国が待っているのか。死後の世界はあるのか。死んでしまえばそれで終わり、あとは無の世界が延々と続くのであれば、物足りなく思う・・・。
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先週、兄一家が京都から来福し、楽しい会食のひとときを過ごした。長男の嫁さんも可愛い男の子を連れてやってきてくれた。兄にとっては初孫だ。これまでスマホの画面上で見たことはあるが、対面して会うのは初めてのこと。生まれた当初は私に似ていたらしいが、2歳になった今は長男にそっくりだと思った。兄弟の多い私は甥っ子、姪っ子も少なくない。これが甥っ子としては6人目。翻って生涯独身の私には子供も当然ゼロであるのは悔いの残る人生。上記の小説の登場人物の言葉を借りれば、“I want to live once more from the start.” となるのだろうか。いや、学生時代からでもいいが、リセットが効かないのも人生だ。
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帯状疱疹の痛みからまだ解放されていない。もう書き飽きた気もするが、このブログは備忘録でもあるから、また書いておかねばならない。帯状疱疹を発祥したのが正月明けだからもう5か月が経過したことになる。こんなに長く一つの病(やまい)に取り付かれたのは初めてのこと。気も滅入る。
症状は快方に向かっていると信じているが、数日前の朝の寝起きは辛かった。背中の痛みは治まりつつあると思っていたが、寝起きに背中が酷く重かった。痛くはないのだが、どんよりとした重さとでも呼びたいような陰鬱な気分に陥った。いやはや、なんだこれは!という思いだ。実は今は市内のペインクリニックに行き、週一回ブロック注射というものを受けている。これが最後の頼みと思っている。これで効果がなければどうすんべ?いやもうその先のことは考えたくもない。神様に快癒を祈るしかない!
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