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April 2023

‘Like warm mud’

20230423-1682249035.jpg 英BBCのホームページをチェックしていて、右下の記事の見出しに目がとまった。‘Like warm mud’ という表現が気になったのだ。「温かい泥のように」とは一体何だろうか? クリックしてみると、Haruki Murakami: Readers drawn to enigmatic appeal of Japanese author という見出しがあり、東京とシンガポール発で、海外でも人気のある作家、村上春樹氏の最新作が今月、6年ぶりに世に出たことを報じた内容だった。
 記事を読むと、村上氏が日本だけでなく世界の耳目を集める作家であることがよく分かる。彼の最新作は大々的にPRされ、購読している読売新聞でも確か一面下部でカラーの目立つ広告が載っていた。今改めてネットで検索すると、コロナ禍の不自由な自宅待機を強いられた過去3年間、「まるで<夢読み>が図書館で<古い夢>を読むみたいに」この小説をひたすら執筆したという作家自身の言葉が紹介されている。
 BBCの記事では上記のくだりを次のように英訳して盛り込んでいた。“In this quite extraordinary, tense environment, I diligently wrote this piece, as if a ‘dreamreader’ reads ‘old dreams’ in a library.” 記事は村上氏の久しぶりの新作を読者が待ちわびていたこと、発売日前夜から多くの読者、若者が書店前に長蛇の列を作ったことを紹介していた。記事の見出しの表現はそうした読者ファンの次の言葉の中から採ったものだった。“For me, his novels are like warm and soft mud. You get comfortably drawn and absorbed into these stories.” 村上ワールドに引き込まれていく様子が底なし沼に落ちていくかのよう・・というわけだ。
 記事は村上氏の作品が現代人が誰しも感じざるを得ない孤独(loneliness)や疎外感(alienation)を描いており、それが国内外の多くの読者にアピールしているのだと解説。だが、その一方で村上ワールドで描かれている女性像に「女性軽視」の姿勢が垣間見え、そこにノーベル文学賞の受賞は難しいだろうという識者の観測を添えてもいた。
 私は村上氏のファンではないが、『海辺のカフカ』は印象に残っている。私はたまたま書店で見かけた英訳の方を先に読んで、次に日本語の原作を買い求めた。最新作も年内には英訳が刊行されるのだろう。はてさて今回はどうしよう。原作から読むか、英訳本を待つか。
                  ◇                   
 韓国語の独学は公民館講座とyoutubeの韓国語チャンネルで何とか「命脈」をつないでいる。中国語の方はもっぱらNHKラジオの中国語講座が頼りだ。初級レベルから脱せないのが悔しいが致し方ない。もっとも初級レベルといっても、これが結構勉強になる。
 先週の講座では四字熟語が紹介されていた。日本語と同じ意味で使われているものもあれば、意味が異なるものもある。「空前絶後」は同じだ。中国語(簡体字)では「空前绝后」となる。ピンイン表記ではkōng qián jué hòu。以前に完璧に覚えたと思っていたが、今回、そうではないことを自覚した。ピンインはまあ、何とかなるが、問題は声調と呼ばれる音の上がり下がり。私より一回り上の世代の方がブログでいつか書いておられたことを思い出す。この方は中国語にかなり通じた人であるようだったが、寄る年波で中国語の語彙力が落ちていることを嘆かれていた。特に声調があやしくなっていると。ピンイン表記もやっかいだが、日本語にははなからない声調はことのほか記憶するのが難解とか。私もそう思う!

「複数の人らしき姿を発見」

20230417-1681712770.jpg 沖縄県・宮古島沖の海上で発生した痛ましい陸上自衛隊のヘリ事故。テレビや新聞報道で次のような見出しを目にした。「沖縄陸自ヘリ事故 複数の人らしき姿を発見」。私はこの見出しを見た時の第一印象は「え、生存者が見つかったの?それなら素晴らしい。生きていればいいけど」というものだった。だが、そうではなかった。私は「人らしき姿」という表現に戸惑わされたのだ。「人」ならば生きている人だろうと思ったからだ。上記の見出しが「複数の遺体らしき姿」だったらそういう考えは浮かばなかった。もちろん、まだ「遺体」であると確認できていないのだから、こういう表現はできないし、すべきではない。
 そうしたことを承知の上で、関係者や視聴者(読者)に残酷な期待を抱かせないためにも、もっと適切な表現ができたのではないかとも思う。といっても今この時点で私に名案はないが、例えば「複数の人体らしき姿を発見」のような表現は頭に浮かぶ。思い出したのは英語でこういうときには body を使い、その場合には「肉体」ではなく「遺体」「死体」を意味するということを。そう思って手元にある英字紙ジャパン・ニュースを開くと、陸自ヘリ事故が一面トップで扱われていた。読売新聞からの翻訳記事だった。袖見出しで Bodies believed to be inside sunken wreck(沈んだ機体の中に遺体と思われるもの発見)とある。本文中では… also discovered what appear to be bodies in the fuselage-like object …という文章が見える。事件・事故を伝える英文記事を読んでいて、body や bodies という語を目にすると今でもドキッとする。
                 ◇
 もう一つ英語に関する話題を。日曜日の朝刊、国際面に目を通していたら、アメリカの政治・社会の分断を論じたコラムが掲載されていた。書き出しの文章で手が止まった。「ウォーク(Woke)」という言葉をご存じだろうか。wakeの過去形で、直訳すると「目覚めた」となるが、人種差別をはじめとする様々な社会問題に意識が高い人のことを指す」とあった。
 内容にはもちろん異論はない。私が気になったのは woke の読みを「ウォーク」と付記してあったこと。woke ならば「ウォゥク」とでも記した方がベターだろうと思ったのだ。ウォークという読みなら、多くの日本人は普通「歩く」を意味する walk が頭に浮かぶのではないか。ウォゥクという読みも奇異に映るかもしれないが、敢えてカタカナで記すなら、ウォークよりウォゥクだろう。walk[wɔːk]とwoke[wouk]の母音は日本人には紛らわしいが異なる音だ。
 韓国語を学習していると、オの母音に二種類あり、口を軽く開けて日本語のアの口で発声するオと、唇を丸くすぼめ前に突き出して発声するオがあることを強く意識せざるを得ない。自分で話すときは両者の違いを意識してオの音を出そうと留意する。NHKラジオの韓国語の講座から流れてくる文章にオの語彙がある時、口を開けたオかすぼめたオか即座に判断することは、私には今も難しい。
 翻って日本語の母音。アイウエオの5つしかないし、口の開き具合は気にしないでいい。外国人には学習しやすい言語であろうが、我々が外国語を学習する際には「追い風」とはなってくれない。恨んでいるわけでは決してないが。

日暮れて道遠し

 日本ナチュラル・ハイジーン普及協会会長で自然健康・治癒学博士の松田麻美子氏の『超健康革命』と題したセミナーに参加したことを記した。普段から食用油や牛乳・乳製品、砂糖、塩をできるだけ遠ざける食生活の生活を心がける大切さを学んだ。
 書き忘れたことを思い出した。松田氏は世界的にパンデミックを引き起こしたコロナウイルスについても言及した。コロナは巷で喧伝されたような恐ろしい病原菌ではなく、重症化や死亡リスクは取り立てて大騒ぎするものでないと語った。コロナ禍で強いられたマスク生活についても、マスクはコロナウイルスを防御する上で全然役に立たず、自然な呼吸を妨げるだけの代物であると。また、我々が何度も摂取したコロナワクチンも我々が本来体内に有している有害物質に抵抗する免疫システムを阻害しており、接種の必要などはなからなかったとも言われた。門外漢には驚くようなことばかりだった。
 翻って私は正月以来ずっと苦しんでいる帯状疱疹のことを思う。ストレスによってもかかるらしいが、思い当たる節はない。特段疲労を感じていた記憶もないが、年末には食生活が乱れ、免疫力が落ちていたのではないかと言われれば、そうかもしれないと答えるしかない。5回も接種を受けていたコロナワクチンが私の免疫機能をずたずたにしていたのだと言われれば、ああ、そうかもしれないと思えなくもない。
 最近テレビやラジオなどメディアで中高年の帯状疱疹の危険性について警鐘を鳴らす文言をよく耳にする。私は私のような患者が急増しており、関係機関が慌ててそうした警鐘を伝えているのでなかろうかと勘ぐってもいる。いずれにせよ、私はもう二度とコロナワクチンは接種しない、金輪際、受けないと思っている。ああ、こうやってパソコンのキーを叩いていても背中の右上部が痛い。激痛ではないが、痛い!昨日もよく眠れなかった。
                  ◇
 とまあ、個人的なぼやきはともかく、世間は4月、新年度、新学期がスタートした。私も引き続き、とある公立中学校で英語を教える非常勤講師の仕事を継続することとなった。これまでの体験を交えながら、英語・外国語を学ぶ楽しさを伝えることができればと心から願っている。
 そして私にとっても中国語と韓国語の独学はこれからも続く。今年は60代最後の年だ。独学を始めた時は数年で「目鼻立ち」がつくのではと思っていたが、飛んでも8分歩いて10分だった。いや、他愛ない言葉遊びはともかく、文字通り、「日暮れて道遠し」。一時は中国語が上達したような気がしたが、全然・・・。韓国語の方がまだ少しは基礎的な会話はできると感じている。
 そんな私にとって有り難いのがNHKラジオの中国語と韓国語の講座。これまでは3月でワンクールが終了すると、また1から再スタート、発音や文法の基礎から学び直すことになり、復習にはなっていたが、物足りなさは禁じ得なかった。それがこの4月からの講座では中国語も韓国語も私のような学び直しの聴講者にも「歯応え」のあるように工夫されている。初級者には難しい語彙を含んだ会話も含まれているのだ。初級者と中級者の間にいると自覚している私は書店にテキストを買いに走りたくなった。(実際走った!)

「コーシ刑」とは何ぞや?

 勤務先の中学校でお世話になっている先生が授業で活用されていたDVDのビデオを昨年末に借りていた。冬休みにゆっくり鑑賞するつもりだったが、帯状疱疹の苦しみでそれどころではなかった。冬休みだけでなく、春休みもとっくに過ぎた最近になってようやくDVDを鑑賞する余裕が出てきた。まだ夜明けに右胸と背中の右上部の鈍い痛みで目覚めているもののだ。
 英BBC制作の「シャーロック」(Sherlock)。シーズン1の三つの作品が収められていた。作品データ2010年と記されているから、10数年前に制作されたようだ。アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の名作を基に、ネットや携帯電話が不可欠の現代に舞台を移し、シャーロック・ホームズ探偵がジョン・ワトソン博士とともに難事件解決に挑む。私は2012年の英文学紀行の旅でこの作品ゆかりの家を訪ねて取材しており、興味深く見入った。
 面白いと思ったのはDisk3の “The Great Game”(大いなるゲーム)の冒頭の部分。ベラルーシでガールフレンドを殺害して警察に捕まったイギリス人の若者にホームズが面会する場面。若者が話しているのはコックニーと呼ばれるロンドンの下町言葉。我々がBBCで耳にする英語とは若干異なる。ホームズを演じる俳優、ベネディクト・カンバーバッチは若者が口にするコックニーの英語にしかめっ面をしながら、その文法的間違いを指摘する。
 例えば若者は実家が肉屋だったので、肉の切り方は父親に教わったと言うシーン。“You know, my old man was a butcher so I know how to handle knives. He learned us how to cut up a beast.” これを聞いたホームズは動詞が間違っているだろ、“He taught us how to cut up a beast.“ と言うべきだと注意する。「ホームズさん、助けてくれ、あなたなしでは自分は絞首刑になる」(“Without you, I’ll get hung for this.”)とすがる若者。ホームズは “No, no, no. (You’ll get) Hanged, yes.” と動詞(過去分詞)の間違いを指摘し、笑いながら立ち去る。
 日本語字幕に工夫がなされていた。若者が “taught us …” を “learned us …”と間違えたところは「おすわったんだ」といかにも拙い表現に。“I’ll get hanged …” と言うべきところが “I’ll get hung …” と誤った表現になっていたところは「俺はコーシ刑になる」と若者の無学が伝わる日本語訳にされていた。
 私も過去に何冊か英語で書かれた小説を日本語に翻訳したことがあるが、上記のような「面白さ」「おかしみ」をいかに日本語に落とすか頭をひねったことを思い出す。翻訳の仕事から遠ざかって久しいが、オンラインで続けている英語短編小説を読む教室ではそうした言葉遊びの楽しさを受講生とともに味わっている。
 ところで、私はDVDを観ることができるビデオデッキは持っていない。ラップトップのパソコンは軽量ゆえにDVDは外付けになっている。古いラップトップを捨てずに手元に置いており、それでは何とかDVDを観ることができる。ただし、古いゆえにどこか不具合があるのか、DVDが途中で止まったりして興趣をそがれる。それで思い切って安い卓上ポータブルDVDプレーヤーを購入した。遅ればせながら、これからDVDを借りまくり、楽しもうかとも思ったが、パソコンのYouTubeで多種多様な番組が楽しめる昨今、DVDのショップに足を運ぶことが果してあるのかないのか。

プラントベース・ホールフード

20230404-1680603658.jpg 私の好きな英語表現が頭に浮かんだ。“You are what you eat.” 大学の先輩の薦めで先週末、福岡市中心部で催された『超健康革命』と題されたセミナーに参加した。講師は自然健康・治癒学博士で日本ナチュラル・ハイジーン普及協会会長でもある松田麻美子氏。
 私は農学博士の先輩とは異なり、こうした事柄には全くの門外漢だが、受講料3000円を払って松田氏のお話に耳を傾けた。今も患っている帯状疱疹の辛さとは関係ないが、先頃受けた市の健康診断で体重を落とせ、肝機能を改善せよと警告されており、参考にせねば。
 松田氏は米ヒューストン市在住。米国の複数の大学で栄養科学、治癒学を学び、日本と米国を行き来しながら、健康な身体作りの研究と指導に取り組んでいる。年齢70代ということだったが、身体も声も若々しく研究の成果を自ら実践されていることが見て取れた。
 セミナーの冒頭にスクリーンに映し出された言葉は「誰もがスリムで健康になれる」(You can be slim and healthy!) という言葉だった。続いて数々の戒めの言葉が実例とともに紹介された。以下に私の印象に残ったことを記しておきたい。①現代人の食生活は高脂肪・高飽和脂肪・高精製炭水化物を取り込んでおり、血管が閉塞する恐れが大。食習慣を変えるだけで閉塞していた血管が修復される②病んだ身体を治す力は自分自身の身体の中にあり、プラントベース・ホールフード(注)の食事を心がけることが大切③SOS Free (No sugar, no oil, no salt) を目指せ!
 そのほか、「人間の身体(歯)は肉を食べるようにはつくられていない」「牛乳は子牛の食べ物、人間の食べ物ではない。牛乳を摂取することは肥満を始め、がんや骨粗しょう症などさまざまな病気を引き起こす」「動物性タンパク質は摂取すればするほど身体に有害」「肉を食べると糖尿病になる」「脂肪はどんな脂肪であれ身体にこびりつく脂肪となる」など、肝に銘じたい警鐘のオンパレードだった。
 プラントベース・ホールフードは日本の伝統的な菜食とは異なるらしい。日本の菜食では大切なオメガ3脂肪酸に富む食品が不足しているからだとか。オメガ3脂肪酸をネット検索すると、脂質を構成する脂肪酸のうち体内で生成できない必須脂肪酸であり、これの摂取はとても重要で、中性脂肪や悪玉コレステロールを減らす効果のほか、ダイエットにも役立ち、アレルギー性の炎症を抑える効果もあると記されている。認知症の進行を緩やかにするとも。オメガ3が豊富な食品としてえごま油が紹介されていた。よし、えごま油を買い求め、これから活用していこう。最近飲み始めた豆乳に入れて飲んでもいいようだ。
 先輩の忠告に従い、乳製品を断つようになって久しい。コーヒーを飲む際のクリーマーも断った。もっともカフェでコーヒーを注文して一緒に出てくるクリームには時々誘惑に負けている。そうやって飲むコーヒーはことのほか旨い。「背徳の美味」といったら大げさか!
(注)プラントベースフードは肉や魚、卵などのアニマルベースフード(動物性食品)に対して、植物性食品を指す。またその中でも肥料や農薬を使わない自然栽培で作られた食材で、加工や精製をせずに、素材の持っているものをすべて食すことをプラントベースホールフード(plant-based whole food)と呼んでいる。

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