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November 2022

現代英語川柳

20221125-1669356273.jpg サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会が開幕した。強豪国のグループE組に入った日本は初戦でドイツと対戦し、2対1で逆転勝ちした。グループリーグを突破し、「8強以上」を目指す日本にとっては願ってもない好スタートとなった。
 正直に書くと、私は前半を見て、日本の負けを覚悟した。翌日の仕事の朝起きのため、後半は見ずにベッドに向かった。翌朝目覚めて枕もとのスマホを開いて確認すると、日本が逆転勝ちと出ている。宮崎の方言で書くと「たまげたばい」(方言でないかもしれない)。日本チームがこれほどたくましくなっているとは知らなかった。特に決勝ゴールを決めたあの浅野選手の得点は背後から執拗に迫る相手ディフェンスを振り切り、角度のないところからの難しいシュート。お見事と言うしかないだろう。
 ジャパン・ニュース紙は締め切り時間の関係で金曜日の朝刊でこのニュースを一面トップで報じていた。その見出しだけを見ても、意図するところ、日独戦の意味合いが理解できるかと思う。“Japan scores late to stun wasteful Germany”。普通の見出しは字数制限があるが、字数制限の無視を許してもらえるなら、「日本、終盤の反撃でドイツに仰天の逆転勝利 ドイツは再三の好機を逸す」みたいな感じか。
                  ◇
 私の古い友人からユニークな著書が贈られてきた。『Senryu--杉山昌善の現代川柳 英訳』。表紙に書かれた著者名はジョーゼフ・ヒックス氏。私は彼をジョーゼフと呼んだことはない。常に「ジョー」だ。米ジョージア州ラグレインジ出身の68歳。私が紅顔の美少年(?)だった大学3年時にラグレインジ大学に留学し、ジョーと知り合った。彼はその後、来日し、広島大学の大学院で学び、桜美林大学や立命館アジア太平洋大学(別府市)で教壇に立った。一昨年からは立命館宇治中学校高等学校の校長職にある。
 文学博士の彼はオペラの声楽も手がけるなど多趣味だと承知していたが、川柳にも通じているとは知らなかった。今般の出版は彼のお師匠さんの川柳作家、杉山昌善氏の選りすぐった140の作品を英訳したものだ。英訳とはいえ、杉山氏の薦めもあって杉山氏の川柳を下敷きにしたジョーの手になる川柳、詩になっていると理解した方がいいらしい。読んでみると、川柳の魅力が英語に活写されていて、英語学習の手助けになる。
 私の印象に残った作品を幾つか紹介したい。杉山氏の川柳、ジョーの英訳川柳の順。
 一葉で天寿まっとう蝸牛 The snail; Spending a whole lifetime, On just one leaf.
 人間を創りて神の知らんぷり “And as if He didn’t know any better”! God created Man.
 私には余ってしまうネジがある My life an Ikea project; A few screws are left over.
 困ります私を好きと言う鏡 Now I have problems! My mirror says that it’s fond of me.
 一斉に北風になる友たちよ Fair weather friends, they can turn on you all at once like the North Wind. [野暮を承知で少し説明すると、fair weather friendとは「都合のいい時(だけ)の友人」を意味する]
 この川柳本にご興味があれば、以下のウェブサイト(http://sugiyama-shouzen.com/)をご覧ください。

Are you a hard worker?

 日中は汗をかくこともまだある。小春日和(Indian summer)と呼ぶには暑過ぎるかと思う。それでも早朝目覚めて机に向かったりしていると肌寒さを感じる季節となった。それでガスストーブを引っ張り出した。手帳を見ると、去年よりも若干遅いようだ。ということは去年の方が肌寒かったのだろうか。
 ウクライナではロシア軍の無意味かつ無慈悲な砲撃で各地のエネルギー施設が破壊され、これからの冬の暖房が一段と厳しいものとなることが確実視されている。ウクライナの人々の辛苦を思えば、ここ福岡で寒い寒いなどと嘆いていては罰が当たるというものだ。それにしてもプーチン大統領が狂気の核兵器使用に踏み切る前に何とか停戦交渉が実現できないものか。プーチン氏でも耳を傾けるような指導力や威厳のある人物は国際社会には存在しないのだろうか。
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 米議会でお馴染みの顔がまた一つ表舞台から「消えた」。民主党を長年率いてきたナンシー・ペロシ議長だ。彼女の若々しい顔立ちから御年82歳とはにわかには信じ難い。トランプ氏の言動に辟易していた頃から、ファッショナブルな服装のペロシ氏を議長席に見るのは心が和らぐものだった。だが民主党は先の中間選挙で共和党に多数派の座を奪われ、それに伴い、ペロシ氏は下院の民主党指導者の座を後進に譲ることになった次第。
 彼女は17日、議場でお別れのスピーチをして、過去20年の議長時代に歴代の大統領と手を携えて米国民のために働くことができたことに感謝を捧げた。ブッシュ(子)大統領、オバマ大統領、バイデン大統領。一人抜けているような・・・。今後、彼女のメディアの露出は激減することになるが、ペロシ氏の今後の更なる活躍を祈りたい。
 アメリカ社会を見ていてお手本にしたいと思うことはそうはない。ペロシ氏の存在が象徴するように、年齢で引退が即決まるような社会でない点だけは見習いたい。自分自身の年齢が高齢者の階段を上がるようになるとつくづくそう思う。
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 「彼は努力家だ」という文章が出てきた。NHKラジオの英会話講座だったか何か記憶があやふや。英語だと “He is a hard worker.” という表現が普通らしい。「一生懸命に働く、学習する」というのが原意だろうか。努力家ということは「手抜きをしない」ことを意味する。「手抜きをする」は cut corners という慣用句が頭に浮かぶ。そうすると「彼は手抜きをしない」は He never cuts corners. という英文が成立する。それで辞書を引くと、この英文は「彼は完璧主義者だ」という訳文になることが分かる。「努力家」=「完璧主義者」となるが、この二つはぴったり重なり合うものではないだろう。中国語で何と言うのだろうと調べてみると、「他是个勤奋的人」という文章が出てきた。「努力」が「勤勉」に化けてしまったが、まあこちらは理解できる。
 私もここ何年かは勤勉な生活を心がけているが、もし新聞記者時代からずっと勤勉な日々を送ってきていたなら、今頃は中国語も韓国語もひょっとしたらスワヒリ語も堪能になっていたのではと思わなくもないが、すべて「后悔无及」(後悔先に立たず)だ。

Florida Man Makes Announcement Page 26

20221117-1668666821.jpg 米国の中間選挙について一言。トランプ前大統領が実質上牛耳ってきた共和党の圧勝という最悪の事態は回避され、下院の過半数は奪われたものの、上院では引き続き、民主党が過半数を維持することが確実の情勢。バイデン大統領は息を吹き返すことができ、安堵のため息をついていることだろう。
 さて、そのトランプ氏は24年の次期大統領選に出馬することを日本時間16日に地元のフロリダ州の邸宅で表明した。中間選挙で共和党候補が苦戦した責任をトランプ氏に問う声もある中での出馬宣言だった。私は仕事で彼の出馬宣言の生中継を見ていないが、帰宅後、ネットでCNNを確認すると、事実誤認の大言壮語を繰り返す相変わらずのトランプ節全開だったようだ。CNNは彼のスピーチの事実関係を精査した上で、自らの政権の業績からバイデン現政権の経済、環境、外交政策まで虚偽もしくは誤解を招く表現のオンパレードだと断罪している。
 トランプ氏から距離を置く共和党有力者の動きも報じられており、彼が三度(みたび)共和党の大統領候補の切符を手にすることができるのか怪しい。これまで彼を支えてきた豪州出身のメディア王、ルパート・マードック氏が営むメディアからも三行半を突きつけられたようだ。そうした新聞の一つ、ニューヨーク・ポスト紙のトランプ氏出馬宣言の粗雑な扱いがそれを如実に物語っている。一面の下段で素っ気なく「Florida Man Makes Announcement Page 26」と紹介されている。「フロリダの男が発表 (詳細は)26頁に」という見出しの何とも冷たい冷たい扱い。ご用済みとなったら情け容赦なく切り捨てるマードック氏一流のビジネス手法なのだろうが、後々トランプ氏の天国から地獄への「転落」を象徴するエピソードとして語られることになって欲しいものだ。    
                  ◇
 新しい仕事のための健康診断で異常な血糖値が判明し、頭をぶん殴られたような衝撃を覚えて以来、飲酒を断っていることは前に書いた。あれから早や3か月が経つ。体調はすこぶる良好。何と言っても深夜の喉の異様な乾きが消えただけでも有り難い。(たまにあることはあるが)。肝臓の負担が減ったためか、朝の寝起きも全然違う。スマホのアラームでぱっと目覚める。いや、実際には明け方はだいたいうつらうつらしており、スマホを手にすると時刻は既に5時前後となっていることもある。眠りが浅いのかもしれない。
 断酒の日々に戻って最近よく思うのは、還暦とはまさに幼児の頃に戻ったようなものだなという思いだ。幼児だから遊ぶのが仕事。日がな一日好きなことをやっていればいい。酒は幼児だから当然飲まない、飲めない。論語になにかいい言葉があったような。40歳が不惑で50歳で天命をわきまえ、60歳で人の言葉を素直に聞くようになり、70歳で心の赴くままに行動しても矩(のり)<規範・節度>を踏み外すことがなくなるだったか。
 現実にはそうはいかないだろうが、70年も生きてきたなら、まあ世間の目は気にせず、生きたいように生きる境地を目指しなさいということだろう。そのような心境で日々を生きることができたら素晴らしいことだろう。まあ、愚禿凡夫の私はまだ当分、矩と悪戦苦闘し続けるしか手はないのだろうが。

米中間選挙

 語順の大切さについてまた一言。中国語は英語以上に語順が非常に大切な言語であると再三書いてきているかと思う。語学書を読めばそう書いてあるし、学習していると確かにそう感じる。日本語との根本的違いだ。だが、再三このブログで述べているように、中国語においても日本語に通じる柔軟さを感じることがある。最近ではNHKラジオの中国語講座で次のような例文を見た。「我表达的你可能没太听明白。」。訳文としては「僕の言っていることがあまりわからなかったんじゃないかと」と載っていた。英文に訳すと、“(I’m afraid that) You didn’t understand what I said very well.”といった文章が頭に浮かぶ。
 英語ではSVOの構文に沿って、「僕の言っていること」が文末近くに出てくる。中国語では日本語のように文頭に出ている。このような日本語に「酷似」の言い回しに接すると、私は凄く気分が楽になる。すべからくこうは行かないだろうが、日本語に近いこうした言い回しの文章を身につけていけば、中国語の達人とまでは行かなくとも、それなりの話者ぐらいにはなれるのではないかと。Not excellent but good enough. 私にはそれで十分だ。
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20221111-1668162482.jpg 米国の中間選挙に内外の熱い視線が注がれている。私も国政以上の関心をもって推移を見つめている。理由は言わずもがな、トランプ氏が「消滅」するきっかけとなって欲しいからだ。この項をアップしている金曜日午後の時点ではどうもそうはならないようだ。ただ、彼が今回の中間選挙で影響力、力をさらに増すことにならなかったことは幸いだ。
 私が時々読んでいるニューヨーカー誌のベテラン記者、スーザン・グラッサー氏はこの選挙を自身のコラムで総括していたが、その見出しだけで意図は伝わっていた。On Donald Trump and the Democrats’ Not-So-awful Election(ドナルド・トランプと民主党のそれほど酷くはなかった選挙)。そで見出しは If not for the former President, the midterms could have turned out very differently.(トランプ前大統領がいなかったならば、中間選挙は非常に異なったものとなっていた可能性あり)とうたっていた。
 確かにバイデン大統領や与党民主党が恐れていた共和党各候補が下院、上院を圧倒的に飲み込む最悪の事態は回避できたものの、下院は共和党の多数派の手に渡ることは確実な情勢。上院は最終的にはジョージア州での来月の再投票の結果を待つことになるのか。グラッサー氏は次のようにコラムを締め括っている。But there was no knockout punch that would finally prove the folly of the Republicans’ Trumpian turn. Which means that democracy, as Biden would put it, is still very much on the line. 米国の民主主義は依然、危険水域から脱却していないとの由。
 私は米議会下院で継続中の議会襲撃事件の審議を通してトランプ氏が刑事訴追され、やがて牢獄に収監されることを期待していたが、それどころか、彼は間もなく2024年の大統領選への出馬宣言をすると報じられている。武装した狂気の支持者をあおり立て、米議会を襲撃させ、多数の死傷者が出た流血の事態を招いた張本人が何ら責任を問われることなく、再び選挙に打って出ることができる国。それが今のアメリカ合衆国か。アフリカでは数々の権力の腐敗・堕落を見てきたが、まさか21世紀のアメリカでそれを見ようとは!

Not a shirt on my back

20221108-1667864067.jpg 週1で英語を教えている専門学校では句動詞(phrasal verbs)の大切さを教えることが多くなっている。句動詞は動詞+前置詞あるいは動詞+副詞といった熟語的な表現だ。句動詞と意識せずとも、我々は英語を話す時にget up(起床する)や find out(発見する、気づく)などとさまざまな句動詞を駆使している。難解な語を学ぶことも大切だが、平易ながら役立つ句動詞を数多く身に付けることが英語力をアップさせる好手だろう。
 最近の例で言えば、「彼は株式投資で失敗した。それで無一文になった」という文章の後半のくだりを “Due to that he lost his shirt.” などと表現できることを説いた。“lose one’s shirt”で「無一文になる」という意味になる。授業の後でshirt という語が改めて気になった。はて昔、似たような表現をどこかで耳にしたような・・。
 「500マイル」(Five Hundred Miles)という歌だ。If you miss the train I’m on/You will know that I am gone/ で始まる名曲。私は学生時代にギターでこの曲をものにしようともがいたことを覚えている。その中に次の一節があった。Not a shirt on my back/Not a penny to my name/Lord, I can’t go back home this a way/ なるほど歌い手は無一文の身になったのか。しかし、よくよく考えると、Not a shirt on my back そして Not a penny to my name と同じ意味の表現が繰り返されているのはなぜ? どうせならNot a penny to my name のくだりではもう一つ別のことを表現してもいいのではと思えなくもない。限られた言葉しか歌い込められないのだから。ひょっとしたら、後半は別の意味があるのだろうか。アメリカ人の友人に尋ねたら、同じ意味だとの由。深読みする必要はないようだ。
 いずれにしろ、哀愁漂う歌だ。懐かしい故郷に帰ることもままならない心境が淡々と歌われている。私も近年は似たような胸中だ。YouTubeで何度か「500マイル」を聴いていて、なぜか唱歌「旅愁」を思い起こした。こちらは昔から胸に迫るものがある。まさに今の季節に聴きたい歌だ。♪♪ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む 恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは さとの家路♪♪
                  ◇
 「旅の空」。私自身は多くの人々同様、コロナ禍でずっと遠ざかっている。過去のブログをスクロールしてみると、2019年7月18日に「再び台北に」というタイトルのものがあった。そうか「巣籠もり」して3年4か月経つのか。先週は5回目のワクチン接種を受けた。YouTubeをのぞくと、台湾の旅を紹介したチャンネルが雨後の筍のように激増している。台湾当局の規制が大幅に緩和されているようだ。新しい仕事に着手したため、平時は身動きが取れなくなった私は当分、行きたくてもいけない。
 中国語の力は3年前よりもついているかと思うが、あまり自信はない。この次に台北を訪れたとして、よく利用していた安ホテルにいきなり行き、顔は今も覚えているフロントのスタッフに「你好。好久不见了。有空房间吗?」(こんにちは。久しぶりです。空いている部屋ありますか?)と声をかけたら、どんな反応が返ってくるだろうか。おばちゃんたちの反応が楽しみだ。それまでに中国語に磨きをかけよう。とはいえ、正直に書くと、最近は中国語より韓国語の学習の方が楽しくなりつつある・・・。

「似」(シーでもスーでも)

 これまで公民館で受けていた中国語講座は中学校の非常勤講師の仕事を引き受けたこともあり、頓挫した格好となっている。それでもNHKラジオの中国語講座を初級、中級とも聴き続けており、まあ何とか独学継続の体裁は保っている。そのラジオ講座で先日、以下の文章が流れてきた。她好像变了一个人似的。(彼女はまるで人が変わったみたいだ)。この文章で思い出した。公民館講座で講師の先生が類似の表現を口にされた時に感じた違和感を。「先生、発音が違うような気がするのですが・・」と質問したような記憶もある。
 問題は「似的」という「似ている」と意味の表現の発音。中国語のピンイン表記ではshìde となる。乱暴にカタカナで書くと「シーダ」となるが、日本語の「シー」とは少し異なり、こもった印象の「シー」の音だ。NHKラジオのテキストにはこの発音はsìde と発音されることもあると注意書きがあった。嗚呼そういうことか。両方の発音が可能なのか。それで合点がいった。おそらく講師はこのsìde を発音されていたのだろう。こちらは日本語表記では「スーダ」となる。私はだから戸惑ったのだ。両方の発音が可能と分かっていたら、戸惑わなかったはずだ。
 そういえば、台湾の名物、夜市のことを中国語ではyèshì と言うが、台湾ではyèsìと言っているようだ。これも乱暴にカタカナ表記すると「イエシー」と「イエスー」。なんとなく似ているが音は異なる。「親戚」のような音なのだろう。
                  ◇
 時々のぞくYouTubeの韓国語講座。この講座はとても気さくな印象の韓国人男性が発音や文法の基礎を教えてくれる。久しぶりにのぞいたら、「~겠다」という表現がテーマだった。韓国語ドラマを見ているとよく耳にする表現だが、マスターしているとはとても言えない表現だ。「~しそう」「~でしょう」という推量や意思を表す表現のようだ。興味深かったのは講師が概略、次のようなことを語っていたこと。
 「皆さん、韓国のドラマを見ていて次のように思うことはありませんか。例えば、雨が降っている。登場人物が車を運転しているが、焦っているようだ。おや、これはこれからこの男性が交通事故を起こすことになるんではと。そうです。そういうケースではほぼ100%事故を起こしますね」。我が意を得たり。私は笑ってしまった。
 上記の表現は「와… 비도 오고… 뭔가 교통사고 나겠다.」と字幕にあった。「あ、雨も降っているし、何か交通事故が起きそうだ」という意味か。こういう表現がさりげなく口にでるようになればいいのだろう。私にはまだ無理かなと思うが。
 私はこれまで幾度となく韓国語のドラマはべた過ぎて見る気が失せてしまうと書いたような記憶があるが、韓国人講師の方が言うのだから、あながち間違った印象ではないだろう。もっとも韓国ドラマがべたでも見てしまうことも事実。なぜ? 面白いからだ。その面白さにはまってしまうから最近はできるだけ見ないようにしていることは先に書いた。日本のテレビドラマはもうずいぶん見ていない。「渡る世間は鬼ばかり」が終了してからは見たいと思うドラマはない。これからもないかと思う。韓国語のドラマはそのうちまたはまるような気がする。はまってみたいと少しだけ思わなくもない。

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