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August 2022

"forgetfulness"も必要?!

 香椎浜のジョギング路を歩いていると、吹いてくる風に秋の訪れを感じるようになった。過ぎ去ろうとしている夏は惜しまれるが、心地よく過ごすことができる秋の訪れは嬉しい。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋・・・。ただし、今年の秋は食欲だけは留意せざるを得ない。先日の健康診断で血糖値の問題を指摘されて以来、粗食を心がけている。自業自得だ。同じ意味の中国語の表現は日本人には分かりやすい。「自作自受」。英語表現も不思議と腑に落ちる。“What goes around comes around.” もっともこれは何だか「金は天下の回り物」のような印象も受ける。
 血糖値の問題を指摘されてから改めて意識するようになったのは、頻度が増してきたように感じていた夜半の異様な喉の渇き。飲酒ゆえの乾きと解釈していたが、どうもそれだけではなさそうだ。そうした喉の渇きを癒す水の旨さに心を奪われていたが、これも黄信号いや赤信号だったのか。とりあえず、夜半の喉の渇きを覚えなくなるのを目標にしよう。
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 パソコン上にさまざまなファイルが残してある。スクリーンからあふれ出そうになるのはさすがにまずいので、適宜削除、ゴミ箱に捨てているが、ファイル名を見ても、中身は何だったか忘れてしまっているのもある。
 オンラインの英語教室の教材もファイルにまとめており、整理しようと思い立った。その一つは中国人女性作家の “To the Dogs” という作品。1960ー70年代の文化大革命を背景にした短篇で辺鄙な地方に下放された少年の体験を綴った物語。作家は米国在住で年齢的におそらく両親や祖父母などから聞いた話を基に書いたものと想像される。
 物語の冒頭に次の言葉があった。“Forgetfulness is essential to moving on.” 私はこのファイルを整理しようとしてふと手が止まった。改めて読むと、凄い表現ではないか。どうしてもっと深く味わわなかったのだろうか。
 作品の背景説明をすると、時は1972年。主人公の15歳の少年は上海の駅で父親の見送りを受け、内陸部の地方へと向かう。少年の両親はともに高校教師。毛沢東が率いる共産党政権にとっては少年の出自はブルジョアであり、地方の貧困にあえぐ農民層によって矯正される必要があった。父と子はこの見送りが今生の別れとなると認識していた。涙を我慢しながら、父親が息子に言う言葉が “Forgetfulness is essential to moving on.” だった。
 普通だったら読者は何と大げさよと思うかもしれない。だが、当時の中国では誇張でも何でもなく、若者が地方に追いやられる下放は家族からの永遠の離別となる可能性が大だったのだろう。だからこその言葉。「忘却こそが生きる上で不可欠なんだよ」。いや父親が息子に最後に与える言葉だから「何もかも忘れるんだ、そうすれば前に進むことができる」と訳そうか。「嫌なことがあっても忘れるんだ、そうすれば何とかなる」とも。
 実人生では我々は日々 forgetfulness を無意識であれ、実践しながら生きているのかもしれない。ともあれ、齢を重ねると段々と忘れっぽくなるのが常のようだ。だが、これも時と場合によってはそう悲観するべきものでもないと考えることができようか。過去の数々の愚行をいつまでも明瞭に記憶していたなら、それはそれで息が詰まるかもしれない。

両親も他们(彼ら)

20220822-1661134341.jpg 次に引き受けようとしている仕事の関連で大学の卒業証明書及び教員免許状の写しが必要になった。もちろん、そんなものを私は手元に持っていない。教員免許状は実際に手にしたことがあったのだろうか。卒業後、教職ではなく、記者職を選択したので、手にしたことはないのではないかと思う。
 ともかく母校の大学と県教委に問い合わせの電話をかけた。二つとも再発行可能ということが分かった。非常勤講師としてこれまで教えた大学などから卒業証明書や教員免許状を求められたことはなかった。せいぜい、免許状の番号記載ぐらいだろうか。
 卒業証明書はさすがに時間がかかるとの由。もう大昔のことだ。致し方ない。私が留年3年を経て何とか卒業したのは昭和54年(1979)。まさかほぼ半世紀後に証明書が必要になるだろうとは思いもしなかった。当時は宮崎から東京に出て、新聞社に勤務することになり、無我夢中の日々だったのだろう。さて教員免許状は数日後に届いた。「中学校教諭一級普通免許状」と「高等学校教諭二級普通免許状」。宮崎県教委の大きな朱印が鮮やかだ。基礎資格の項に「学士の学位を有する」と記されている。真っ先に頭に浮かんだのは私の亡き両親はこの資格を私に授けるべく、兄姉の多い大家族の中、大学に送り出したのだろうという思いだった。教師になれという願いに背いて上京、不肖の息子、ここにありか。
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 NHKラジオの「まいにち中国語」講座で次のやり取りが紹介されていた。
 A:这些蔬菜,水果是我父母从老家寄过来的,送你一些吧。
(これらの野菜と果物は私の両 親がふるさとから送ってくれたものです。少しですが、どうぞ)
 B:这么新鲜! 太谢谢了! 请代我谢谢他们。
(すごく新鮮ですね。ありがとう。ご両親によろしくおっしゃってください)
 こういう会話に遭遇して思うのは、日本語と中国語の差だ。日本人が友人の両親に感謝する場合には日本語訳にあるように「ご両親に・・」と丁寧な物言いとなるだろう。中国語では「ご両親」を「他们」、日本語訳だと「彼ら」と表現。英語でも “Please say thank you to them.” と「ご両親」を「them」で受けるのに酷似している。英中両言語の近さ!
 これに比すれば、韓国語でも「부모님께」と忠実に直訳すれば「ご両親様に」と丁重な物言いが普通であり、日韓の距離の近さが際立つ。参考までに付記すれば、Aの会話の中にある「寄过来」(送って来る)は我々日本人には難物に思える。「寄来」だけだったらまだしも、真ん中に「过」がはさまれている。「境界を越える」という意の「过」だ。中国語ではこうした「方向補語」と呼ばれる場所を示す言葉が豊富。「彼は東京に帰って来た」ならば「他回东京来了」であって「他回来东京了」ではないというのも悩ましい。方向補語を含んだ動詞では目的語が間にはさむのがルール。覚えたつもりでもすぐに忘れてしまう。
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 次の仕事のため、健康診断を余儀なくされた。血糖値の数値におののいた。これも神様の警告か。生活習慣を再度見直すことを決意した。

オリビア・ニュートンジョン逝去

20220815-1660550970.jpg メディアで内外の著名人の訃報が伝えられると、その都度さまざまな思いにふけることを余儀なくされる。歌手のオリビア・ニュートンジョン氏が先週、米カリフォルニア州で死去したと報じられた。享年73。読売新聞は彼女の死を伝えた訃報記事の冒頭を「『そよ風の誘惑』『フィジカル』など世界的なヒット曲で知られる・・・」と記していた。彼女の代表曲と言えば私の脳裏に浮かぶのは確かに「そよ風の誘惑」の甘い歌声だ。初めて耳にした時から好きになり、カラオケでも幾度となく挑戦したが、上手く歌えた記憶はない。
 英語の曲名は曲中に何度も出てくる “Have you never been mellow”。カラオケにはもう何年も行っていないが、この次に機会があったら、歌ってみようかしら、例によって少々音程を外しながら。
 報道によると、彼女は英国に生まれ、5歳の時に家族と一緒にオーストラリアに移住。1960年代半ばに歌手デビューし、数々のヒット曲を出した。女優としても才覚を発揮し、ミュージカル映画「グリース」や「ザナドゥ」で人気を博した。40代で乳がんを患い、がんの早期発見の重要性を訴える啓発活動に取り組んできたことでも知られている。
 ジャパン・ニュース紙はAFP-Jiji電で彼女の死去を報じていたが、記事は次の一節で締め括られていた。Her philanthropy and passion for cancer research came to the forefront, championing natural therapies including medicinal cannabis in the treatment of cancer. "I have done everything, and the icing on the cake as well," she said, reflecting on her career. "So I feel grateful for anything that happens now."
 このような悟りの境地で最期を迎えることが出来る人は素晴らしいと思う。私もそうありたいと願う。ところで、the icing on the cakeという表現が上記の場面で出てきたことには?も浮かんだ。人生の後半に「有終の美を飾った」ことでもあるしと、彼女ならではのユーモアが込められた表現であると理解したい。
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 NHKラジオの英語講座の中で次の文章が流れていた。“What did you have for breakfast this morning?” という問いかけにネイティブ話者が次のように答えていた。“This morning I had oatmeal. I have had the same meal for about 20 years. I never vary. My whole family laughs at me.” 話し手は過去20年、いつも朝食にはオートミールを食べており、家族から笑われようと変えるつもりはないと言っている。朝食のスタイルを変えないことを never vary と表現している。change でもいいのだろうが。vary がこういう場面で使えることを知った
 vary という語は私には次のような使い方が頭に浮かぶ。The meaning of happiness varies from person to person. (幸せの意味とは人によって異なる)。朝食については私はめざしと納豆、らっきょう酢に漬けた野菜のピクルスがあれば十分だ。本当は味噌汁が欲しいのだが、こう暑いとどうも作るのが億劫になる。らっきょう酢に漬ける野菜、今はゴーヤにニンジン、タマネギ、ダイコンが主だが、これが私の朝食のthe icing on the cakeだろうか。「おまけ」程度の意味合いだ。私も人に笑われようと力強く主張したい。“I never vary.” と。

まるでゾンビ通り!

20220810-1660092463.jpg YouTubeを見ない日はない。朝起きるとパソコンを開き、メールの確認を済ませるとすぐにYouTubeにアクセスするのが日課となって久しい。不思議なのはこちらが手を出したくなるコンテンツが並んでいることだ。利用者の趣向、傾向に沿って自動的にそうしたコンテンツが並ぶようにセットされているのだろう。レンコンの食べ方をチェックしたその後の数日間はレンコンのレシピが連日、8つほど開く画面のどこかに展示されていた。
 最近はまっているのが “Kensington Now”というYouTube。最初このタイトルを見た時はロンドンの瀟洒なケンジントンストリートのストリートヴューかと思い、クリックした。だが、目に飛び込んできたのはちょっと異様な光景。ゾンビが徘徊しているのではないかなと思えるぐらいに薄気味の悪い通りが淡々と紹介されていた。
 ほどなくこの光景はロンドンではなくアメリカの東海岸、フィラデルフィアのケンジントンアベニューと呼ばれる通りのものであることが分かった。しかし一切の語りなし。勇気ある撮影者がおそらく手に提げたバッグに隠しカメラを入れ、歩きながら撮影しているのだろうと推察している。類似のYouTubeによると、フィラデルフィアのホームレスは約5700人。そのうち950人は路上生活者であり、そうした路上生活者が集中しているのがケンジントンアベニューだとか。
 フィラデルフィアは私も訪れたことがある。2011年にアメリカ文学紀行を執筆するためにアメリカを再訪した際にも、エドガー・アラン・ポーゆかりの地として足を運んだ。さらに遡ること40数年前の貧乏留学生時代にキリスト教との出会いのきっかけを作ってくれた地でもある。いい思い出しかない。だが、YouTubeに映し出される2022年夏の光景は信じ難いものばかり。麻薬中毒で常軌を逸したとしか思えない人々のオンパレード。麻薬はザイラズィン(xylazine)と呼ばれ、元々は家畜の鎮静薬、鎮痛薬として用いられていたようだ。画面ではこの麻薬の常習者となった人たち、若者が多い、その人たちが立ったまま眠ったり、同じ姿勢でずっとたたずんだりと、異様な光景が映し出されていた。
 彼らが起居する通りはゴミや古着の類が散乱し、とても歴史と伝統あるフィラデルフィアの光景とは思えない。その一方ですぐそばをバスやマイカーが通り過ぎる。都市機能は維持されていることがうかがえる。おそらく観光客は車で通過する以外は歩いて散策したいなどとは絶対に思わない一画なのだろう。
 投稿者のコメントを読むと、同情的なものが多い。ほとんどの人が世界一富める国(と思われている)アメリカでかくも悲惨な日々を送っている人々がいることへの驚き。たとえ貧しくとも夜露をしのぐ屋根と日々の食の不安がない我が身の幸せ。末路が分かっているだろうになぜ麻薬に手を出すのか理解できないことなど・・・。
 もちろん、どの国、都市にも外国の人々には知られたくない恥部はあるだろう。日本もしかりかと思う。ただ一つ、虚を突かれた観があったのは、トランプ氏が米国の政治の表舞台に登場して以来、富めるアメリカ、おごれるアメリカにばかり目が行っていたが、このケンジントンの通りを眺めるようになって以来、アメリカは確かに病んでいることを改めて認識したことだ。病んでいない国が果たしてあるのかどうかは別にして。

自転車2台を買う必然性?

 チンクイに刺された右腕の上腕部の腫れがなかなかひかない。痛みはないし、痒くもないが、やはり気になる。完治したとは言えないのだろう。完治せぬまま、海に浸かっていいのだろうか。さすがに足が遠のいている。うーん、困った。神様のメッセージととらえれば、自ずとどう行動すべきかは自明の理だ。
 思えば、今日(木曜)は久しぶりに北陸・関西に向け、新幹線で旅に出ている日だった。コロナ禍でドタキャンとあいなった。
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 北陸・東北地方を中心に大きな水害が出ている。住宅街に土砂が流れ込んだり、橋が崩落したり。これから被害の全容が明らかになるのだろう。それにしても異常気象と言えばそれまでだが、日本の国土はいつからこんなに水害にもろくなったのだろうか。いや、国土は変わりないのだが、かつて経験したことのないような大雨が集中的に降っているのだろう。
 以前に何度か書いたような気がするが、温暖化により、日本は温帯ではなく、亜熱帯化しているのではないかと思う。南太平洋の島々では茶飯事の大雨が今の日本で降るようになっているのではないか。異常気象がやがて日常気象となるのではないか。だとしたら、大雨で全国の河川が氾濫することのないような対策を考えるしかない。同時に住宅はなるべく河川から離れた地や高台に、二階建て住宅であれば、一階は浸水しても大丈夫なような家づくりが求められる。新たなビジネチャンスが生まれると考えれば道は見えるかもしれない。
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 NHKラジオの英会話講座で時間が合えば、なるべく聞くようにしている番組がある。講師の先生とネイティブ話者二人のユーモラスなやりとりが楽しい。英語的に中身の濃い講座で韓国語と中国語の講座で疲れた脳を癒やしてくれる。しかし、先日の講座を聴いていて頭の中に??が浮かんだ。
 次のような会話が紹介されていた。私はテキストを買わずに耳からだけでフォローしているので、友人二人の会話だろうと推察した。
 A: Hey, where did these new bikes come from? 
 B: I bought them at the mall and had them delivered.
 A: They look great.
 B: They were on sale, so I decided to get them. 
 私の頭に浮かんだ疑問はなぜ、単に “Hey, where did this new bike come from?” ではないのだろうということだ。当然返答は “I bought it at the mall and had it delivered.” となる。
 要するに私は普通、自転車(bike)を購入する場合、一台ではないだろうか。その人に双子の息子か娘でもいれば、二台同時に購入するのは何の不思議もないが、普通は自転車のような大きな買い物は一台だろうと思った次第だ。私が聴いていた中ではAが複数の自転車を購入する必然性の説明はなかった。不自然な会話だと考えざるを得なかった。他の語学講座でも言えることだが、文法的には正しくとも、ちょっと疑問符が付く会話が紹介されるケースが時に見られるような気がしてならない。

トカゲも昇天?

 夏本番の8月。幸か不幸か私は夏バテで食欲が失せるということがない。だから夏でも痩せない。よって夏バテ防止の食材などといったことにもあまり関心がない。夏はとりあえず毎日スイカが食べられれば満足。
 毎日のように利用している八百屋のおばちゃんにしょっちゅう今日の(スイカ)はどう?などと尋ねている。スイカが一番旨いのはどこの国だろうか?オレンジなら知っている。西アフリカ・セネガルの海沿いのホテルに連泊した際にホテルの食堂で毎朝飲んだオレンジジュースは信じ難いほどおいしかった。今でも時々その旨さを思い出す。スイカについては文豪マーク・トウェインの言葉が印象に残っている。彼は故郷である米南部のスイカこそが神が人間に与えたもうた果物の最高傑作だと絶賛している。The true Southern watermelon is a boon apart, and not to be mentioned with commoner things. It is chief of this world’s luxuries, king by the grace of God over all the fruits of the earth. ...
 はてさて、米南部なら私もジョージア州などでスイカを食したことがあるはずだが、それほど旨かったという記憶はない・・・。
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 レンコンが目に入った。真っ白で旨そう。焼酎のあてになるのではと思い、買い求めた。 ネットで料理法をチェックしてみる。すぐに分かった。片栗粉を上から軽くまぶし、油を引いたフライパンでこんがり焼くだけでいいとある。最後に醤油、砂糖、酢のタレをかけ、一煮立ちすれば完成とか。箸がとまらない、ビールに最適と紹介している。
 片栗粉をまぶす程度なら私にもできるだろう。早速レンコン料理に挑戦してみた。結果は? ぜひまた作りたいとは思わなかった。きっと私の作り方がまずかったのだろう。
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20220803-1659454315.jpg 週末は日曜が曇っていたこともあり、近くの海に向かうのが億劫だった。月曜は朝から快晴で申し分なし。この日も游いでいる海水浴客は数えるほど。游いでいたら、何だか右腕の上腕部がちくちくする。太もももちくちくする。よく分からないが、またクラゲに刺されているのかな。海中でちくちくする部位を叩いていると、若者が近づいてきて、同じようなことを言う。彼の腕は腫れている。やはりクラゲ被害か。水洗いした方がいいよと忠告する。
 かくいう私も帰宅後すぐにシャワーを浴びたが、右腕の上腕部がひりひり痛い。これまではクラゲに刺されても自然治癒に任せていたが、今回は薬局に行き、塗り薬を購入。早速塗ってみると、ひんやりしてそれだけで気持ちいい!これからはせめてTシャツを着て游いだ方が無難かなと思い始めている。
 ところでこの日、海から駅への帰途、砂の道でトカゲの亡骸を見つけた。最初は小枝か何かひも状のものが落ちているのかと思ったが、よく見ると小さなトカゲだった。猛暑でやられたのだろうか。いやまさかそんなこともあるまいとは思うが、よく分からない。海辺の草むらに住む小生物にとっても生きづらい猛暑なのだろうか。
 (この項をアップする前にネットで調べると、私や若者の腕を刺したのはクラゲではなく、チンクイと呼ばれる海中の微少な浮遊生物らしい。甲殻類のプランクトン)

コロケーション

20220801-1659316394.jpg 中国語を学んでいて時々考えるのが、語に関する日中の感覚のずれだ。同じような漢字を使っていることゆえの齟齬(そご)と言えるものかもしれない。公民館の中国語教室で使っているテキストに次のような例文があった。「弟弟把(    )弄(   )了。」( )の中に適語を入れる問題だ。私は次のような文章を作ってみた。「弟弟把(哥哥珍惜的电脑)弄(坏)了。」(弟は兄が大切にしていたパソコンを壊してしまった)
 辞書を引くと「珍惜」は動詞で「大切にする」と載っていた。それで「哥哥珍惜的电脑」で「兄が大切にしているパソコン」という意味になるのではないかと考えた。ところが中国語ネイティブ話者の先生は「哥哥贵重的电脑」と訂正した。「贵重」(貴重なという形容詞)を使用したがいいということらしい。なるほど、そう言われれば納得せざるを得ない。こういうことはやはりネイティブ話者の感性に従うしかない。
 学問としての中国語を学んだことがないのでよく分からないが、要するに、広い意味で言えば、英語で collocation という領域のことなのだろう。英和辞書には「配列」「コロケーション」「連語関係」という訳が載っている。とある外国航空会社の航空機が日本に近づき、CAが流暢な日本語で「皆様左手前方に富士山が丸見えでございます」と機内アナウンスをしたとか。日本人乗客だけが爆笑したという。語の実際の運用におけるこの種の微妙な行き違いはケースバイケースで学んでいくしかないのだろう。
 私もこれまで仕事で英語を使ってきて似たような失敗を時に犯してきたのだろうと思わないでもない。場合によってはそうしたコロケーションの差異を逆手にとって笑いをとってきたかもしれない。コロケーションの例ではないが、外国人が加わった交流の場などでは例えば、国際社会で名高い我々日本人の英語下手をネタにして、次のように自己紹介する手もあるか。“Hallo, everyone. Nice to meet you. My name is Taro Tanaka. Call me Taro. Please forgive my poor English. After all I’ve been studying English for only 50 years.”
                 ◇
 前回の項で次のように書いていた。8月に入ったら、久しく足を運んでいない魚津に旧知のママさんを訪ね、帰途には京都・亀岡の実兄宅に寄り、神戸では古い知己の方々とささやかな宴を催すことを企図していたが、コロナ感染者の急増で高齢の方々が多いこともあり、さすがに見送ることにあいなった。残念!と
 この年になると、すべて神様の思し召しと達観しようと努めている。与えられた時間を精一杯生きるだけ。それで8月も動けないのは定めと諦め、その分、近くの海に行き、泳ぎ、漂い、太陽光の恩恵に預かることにした。第一に健康的だ。何度も書くが、私は泳ぎは上手ではないが、海ならば楽に浮かぶことはできる。ぷかぷか浮かびながらゴーグルを通して青い空と太陽を仰ぎ見るのは実に気持ちよい。1時間ほど波間に漂い、時に泳ぎ、海の家でぶっかけうどん(500円)を注文して食べる。私にはこれで十分だ。
 海外の旅が解禁になればやりたいと考えていることは幾つかある。おいおいこの欄でそれも書いていきたいが、今は充電期間だと解している。体力面はともかく、資金的にはまだ充電期間がたっぷり必要なようだ。

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