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March 2022

「熟能生巧」

20220331-1648691611.jpg 3月も今日で終わり。明日から4月。昨年も瞬く間に過ぎ去ったような気がするが、今年もそれに輪をかけて早いよう(な気がする)。春休みに加え、公民館の中国語、韓国語講座ともに最終週は休講となるため、凄くのんびりとした一週間を過ごしている。私の年齢、いや私より年長者でも「現役」の人はいるはずで、そのような方々には申し訳ないが、やはりしばしのんびりと過ごせるのは有り難い。
 専門学校の年度最後の授業では私の好きな英語表現を語った。“Practice makes perfect.”(習うより慣れろ)と辞書に載っている。この表現を口にする時よく思い出すのは遙か昔の高校時代。器械体操部に入部し、先輩たちに鍛えられた床運動。運動神経の良くない私はマットの上で演じるバク転が怖くてできなかった。側転から両足を蹴ると、なぜ体が反転してバク転となるのか、どうしても納得できなかった。頭から落下するのではないか。
 2人の先輩が臆病な私の腰にロープを巻きつけ、私が側転からマットを蹴ると、左右から同時にロープで私の体を浮かせた。これなら私でもバク転ができた。数回のトライで自力でできるようになった。まさに “Practice makes perfect.” だ。
 ふと思った。中国語ではなんと表現するのだろうか。調べてみると、次の表現が出てきた。「熟能生巧」。辞書には「慣れてくれば上達する」と記載されている。「巧」は「巧妙な、器用な」という意味で、私には「技巧」という熟語が連想される。
 韓国語では何というのだろうとネットで調べると、次の文章が出てきた。배우기보다 스스로 익혀라. 直訳すると「習うより自らなじむこと」とでもなるのだろうか。要するに理屈ではなく、身体で、感覚で身に付けよということだろう。外国語学習では座右の銘にしたい言葉だ。
                  ◇
 クリスチャンの端くれとして毎朝、ウクライナに平和と安寧が一刻も早く戻ることを祈っている。ロシアとの和平交渉で進展があったような報道もあったが、どうも額面通りに受け取ることは時期尚早のようだ。少なくともロシア軍がウクライナから全面撤退することはなさそうでウクライナを東西に分断して東半分を支配下に置きたいように見える。それが恒久的な和平につながるとは到底思えないし、ウクライナはもちろん国際社会も容認はできないだろう。
 ロシア政府からはキエフなどへの攻撃を縮小する意向など和平ムードを作り出すかのような姿勢が見られ始めているが、外電をさぐるとどうやら現実からは乖離している。都市部への攻撃はさらに激化しているかのようにさえ見える。戦火が開かれて一か月が過ぎた。ウクライナの人々は疲弊の極にあるのではないか。プーチン政権にウクライナ侵攻を続ければ続けるほど泥沼にはまり、それは結局自らの政権の首を絞めることになることを分からせるしか手はないのだろうか。
 明日からは新年度が始まる。プーチン政権が停戦に合意し、侵攻停止を表明というニュースが米CNNや英BBCなどで流れることを願うが、ロシアから日々伝えられるのは毎日がエイプリルフール? いやフェイクニュースの最たるものばかりだ。

グローバリゼーションの終焉 !?

 この一年間、NHKラジオの語学講座「まいにち中国語」を熱心に聴いてきた。実質的には6か月の講座で昨秋からの半年は前半6か月の再放送に過ぎなかったが、それでも十分聞き応えのある内容だった。(何しろ大部分は忘れてしまっているから!)それでも後半の金曜日はその週のお決まりの復習ではなく聴取者の質問に答える新しい内容が放送され、受講者に配慮した姿勢に好感を抱いた。
 先週の最後の講座ではいくつか知らない文章・語句が出てきた。先述の通り、一度は耳にしていたのだろうが、全然記憶に残っていなかった。その一つは以下の文章。「並ばなくてもいいようにあらかじめネットでチケットを買っておきなさいよ」。「~しなくてもいいように」という慣用句ははてさて?スマホのラジオから流れてきた文章は「你提前在网上买好票吧,省得排队」。「省得」という語句が皆目見当がつかず往生した。
 「省得」は敢えてカタカナ書きすると「ションダ」というような音。「生的」とか「生得」という語句は頭に浮かんだが、意味をなさない。匙を投げる直前に自分の名前にある「省」が中国語でも「節約する」「省略する」「減らす」という意味があり、そのことと関係しているのかと思い、辞書を眺めると果たせるかな、「省得」という語句が紹介してあり、「~しないで済む」と記してあるではないか。「省得排队」で「並ばなくてもいいように」との意とか。ようやくすっきりした。
 「まいにち中国語」の講座は4月からはまた新しいクールとなり、初めて学ぶ人たちのために発音の基礎から教える内容となるのだろう。さすがに私といえども、物足りない講座となることは必至。かといってその上の講座は難解すぎてなかなか楽しめない。はてどうしたものか。まあ、できることから地道に学んでいくしかないのだが・・・。
                  ◇                  
 英会話番組で「過去にタイムスリップできればどの時代にタイムスリップしたいですか?」という問いの英訳が紹介されていた。過去に大学で教えていた頃、「タイムスリップは和製英語だよ」と何度か説明したような記憶がある。time slipと記せば立派な英語のような気がするものの、正しい英語表現は time travel。番組では過去に戻るなら、go back in time であり、未来に行くなら go forward in time と表現できると説いていた。
 私のこの歳になるともはや過去に戻りたいという気持ちはさらさらない。と言えば嘘になるか。時々そういうことを考えもする。人生のリセットができないことは承知していても。今のウクライナ情勢がやがてどういうことになるのか未来に行ければ見てみたい。いや、行くべき未来があればいいが、ひょっとして今の我々があると信じている未来など「消滅」しているのかもしれない。
 CNNの記事をネットで読んでいたら、アメリカの世界最大の資産運用会社の代表が今回のウクライナ危機でいわゆる世界の「グローバリゼーション」(globalization)の時代は終焉したと論じていた。その先にどういう時代が到来するのだろう。中露対欧米日の激しい対立の時代となるのか。アジアの国々、特にインドはどう出るのか。中南米は、中東、アフリカの国々はどちらにつくのか。まあ、夢のない息のつまるような時代に思える。

窮鼠だから怖い!

 3月も終わりに近づく。独り者だと季節の移ろいに疎くなる。嗚呼、桜が咲けば卒業式、そして月が変われば入学式、入社式だとは何となく理解できるが、らしき服装の若者を見てそうしたことに初めて気づくこともしばしばだ。
 つい先日、このところの陽気だと桜が満開になるのもそう先ではないだろうと書いた途端に寒の戻りが来たようだ。数日前に香椎浜のジョギング路を散歩したら、桜は大半がまだつぼみの状態だった。天気予報だとまたすぐに暖かくなるようだから、開花・満開は時間の問題ではあるだろう。何度も書くが、ウクライナがあのような情勢では桜の花を心から愛でる心境にはなれない。
 週一、英語を非常勤講師で教えていた専門学校の仕事も春休みとなり、来月の新学期開講まで少しの間、ほっと一息つける。この間精一杯充電して新学期に備えよう。
                  ◇
20220323-1648003390.jpg 独り者だと日々の料理も時に億劫になる。現役時代には毎夜、街に出て胃袋を満たしていたが、今はそういうわけにもいかない。ただ、せめてもの救いはたいしたレパートリーもないが、料理自体は嫌いではないことだ。食事後の洗い物も苦ではない。食器や鍋、フライパンなどを片付け、台所のシンクがきれいになると、気分も晴れやかになる。昔からこうだったわけではないが、今そう思えることは自分でもラッキーだと考えている。
 一昨日だったか、冷たくなったご飯をさてどう食そうかと思い、ふとどこかに「焼き飯の素」が一袋残っていることを思い出した。キッチンの棚を漁るとあった、あった。「豚キムチ炒飯の素」。袋の裏を見ると、賞味期限は2021年11月と記載されている。ちょっと古いかな?まあ炒飯の素なら少々古くても大丈夫だろう。以前は結構上手に焼きめしを作っていたような記憶があるが、最近は腕が落ちたなあと思いながら、フライパンでウインナーを炒め、溶いた卵を落とし、ご飯を入れて、炒飯の素をふりかけ作ってみた。なんと久しぶりに旨いと思う焼き飯が完成!よしこれからはこの製品を買い求めよう。小人はささやかなことに幸せを感じるのだ。
                  ◇
 外電のニュースでウクライナの最新の情勢を追っているが、目を覆いたくなるようなことばかりが飛び込んでくる。そんな中、少しでも前向きのニュースには飛びつきたくなるが、よく読むとがっかりすることも多い。Putin’s back is against the wall—Biden という見出しの記事には思わず引き寄せられた。見出しの文言は「プーチン(露大統領)が追い詰められているとバイデン(米大統領)が主張」といった内容。
 ウクライナや国際社会には「朗報」と読んでみると、何のことはない、「窮鼠猫を噛む」がごとく、窮地に立つプーチン氏がウクライナの都市に対し、化学兵器や生物(細菌)兵器を使用する危険性が増していると警告している記事だった。今回のウクライナ危機に関する限り、バイデン氏の予測はことごとく当たっている。膠着状態に陥った感もあるウクライナへのロシア軍の侵攻がまた一段とエスカレートすることなく、何とか「決着」の糸口が見つかることを祈りたい。 

プーチンの嘘

20220320-1647745097.jpg 憂鬱な気分がずっと続いている。ウクライナ情勢。そろそろ何とかならないものか。南東部の要衝、マリウポリでは子どもたちや女性が大挙して避難していた劇場がロシア軍の容赦ない爆撃に遭い崩壊、がれきの下に大勢の犠牲者が埋まっているとか。このニュースはもう何日もNHKテレビが報じ続けている。救出作業も難航、いや、何の有効な手も下せないのだろう。大勢の幼い命が失われたのは疑う余地もないだろう。
 聖書の世界では今は「アポカリプス」(apocalypse)と呼ばれる終わりの時代とか。黙示録の時代とも言えるのだろう。確かに世の中を見回すと依然猛威を振るうコロナ禍、核兵器使用の恐れさえあるウクライナ戦争、足下では揺れ続ける日本列島、とても安穏と余生を過ごす気分にはなれない。
 土曜日に読んだ読売新聞夕刊では中面に「ウクライナ危機」と題して、北海道大学のロシア文学専門の准教授の談話が掲載されていた。それを読むと、ロシアとウクライナの「一体性」を主張するプーチン露大統領の言い分がいかにまがいものであるかが良く理解できる。プーチン氏は相変わらず露軍の侵攻がロシアをウクライナのナチス勢力から防衛するためであると言い張っている。それをまたロシアの民は支持しているようだ。まるでジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の倒錯した世界がそっくり「再現」されているかのような印象。プーチン氏の盟友、トランプ氏は自分自身に不都合な事実や報道を fake news(嘘っぱち)と呼んでいたが、プーチン氏は自ら fake newsを現実にしようとあがいている。犠牲になっているのはウクライナのあまたの無辜の命。言葉では言い尽くせない大罪だ!
 それにしても夢想だにしなかった。2022年3月にこのようなあほみたいな世界を目の当たりにするとは。精神衛生的には早く黄泉の国に逃げた方がいいとさえ思える日々である。神様に祈ろう、まだ終わりの時代のその日でないことを。
                  ◇
 韓国語の学習はずっとおざなりになっていた。NHKラジオの初級講座は惰性でずっと聴いているが、これはあくまで初級であり、いつまで聴き続けても初級の域から抜け出ることは悲しいかなないだろう。それは自分でも分かっている。
 それで最近、公民館の韓国語講座に参加し始めた。中国語講座を受講している同じ公民館だ。講座の先生は韓国出身のネイティブ話者で耳を傾けているだけで大いに参考になる。関連のテキストも天神の書店で買い求め、少しずつ問題に挑戦している。このテキストの問題を一冊真剣にやり終えればちょっとは力がつくのではと期待している。
 正直に書くと、そうしたテキストの類は過去に幾冊か購入してざっと読んでいる。ただきちんと復習していないので学んだはずの知識は身についていない。辞書を調べなくともその意味がぱっと頭に浮かぶ単語の数はしれたものだ。これからそうした単語の数を確実に増やしていきたい。ちなみに昨日は次の表現を学んだ。약을 먹었는데 전혀 안 나아요.(薬を飲んだんですが、全然治りません)。この表現を一週間後、いや数か月後にも覚えていれば少しは希望が持てるのだが・・・。
 たぶんほぼ忘れているだろう。普段の生活で使わないから!

「来た時よりも美しく」

 寒い寒いと思っていたら、急に暖かくなった。もうコートは不要か。この陽気だと桜が満開になるのもそう先ではないだろう。ウクライナ情勢を案じることさえなければ、晴れやかな気持ちになるのではとも思う。
 月2回の小倉駅前ビルでの英語教室。受講生が1人だけの教室だが、これも神様の思し召しかと考えている。スカイプを活用してのオンライン短篇小説を読む英語教室同様、楽しく向き合っている。小倉駅前ビルでの英語教室はもう一つ楽しみがある。以前は有名な地元うどん店に足を運び、ランチに好物のごぼてんうどんを食していた。今はビルの地下にあるカレー店でウインナー焼きカレーを食べるようになっている。これがなかなか旨い。このカレーを食べるために小倉まで行っているような・・・。
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 緊迫する一途のウクライナ情勢に隠れているように見えるが、中国での新型コロナウイルスの感染が再び猛威を振るいつつあるようだ。日本を含め、世界的には緩やかに収束に向かいつつあると思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。このニュースにも落胆は隠せない。本日(16日)の読売新聞朝刊によると、中国本土で変異株のオミクロン株が広く流行し、新たに事実上のロックダウン(都市封鎖)に踏み切る都市が増えているとか。
 そうした日々だから、スポーツへの関心もいまひとつ興味がわかない。ケーブルテレビではプロ野球開幕に備えたオープン戦が見放題なのだが、テレビをつける意欲は皆無。今春はまだ一試合も見ていないし、これからも見るつもりもない。
 大リーグも近々オープン戦が開始される運びのようだ。大谷翔平君の活躍が楽しみだから、生中継があればこれだけはきっと見ることになるのだろう。でも昨年のように彼の一投一打に熱中するのかとなると・・。うーん、よく分からない。ウクライナに早く平和な日々が戻ってくることをまずは祈ろう。
                  ◇
 公民館の教室の壁に次のような張り紙が掲示されている。「来た時よりも美しく」。意味はすぐに分かる。「教室を綺麗に使用しましょう」ということだ。私はこのような文言を見ると、頭の中で駄文を作ってしまう。「皆さん、来館時よりも美人になって帰宅しましょうね」。大きなお世話だい!
 日本語は文脈から主語や時には目的語を省略しても意味が通じる時には敢えて言わなくてもいい言語だ。だから私のような性分の者には格好の言葉遊びが楽しめる。以前にこのブログでも書いたことがあるが、日本語と英中両言語との大きな違いを感じるときでもある。
 病室に見舞いに来てくれた友人にお礼を言う場面。日本語では「会いに来てくれてありがとう」という言葉が頭に浮かぶ。「あなた(君)が私にと、主語、目的語を省略しても何の問題もない。日本語と語順がそっくりの韓国語でも日本語同様、私やあなた(君)は必要ないようだ。만나러 와줘서 고마워요.
 英語や中国語ではどうか。“Thank you for coming to see me.” 「谢谢你来看我。」。youも你も必要だし、meも我も必要だ。

朝三暮四

 近くの公民館で受講している中国語教室で最近、面白いと感じたことを一つ。テキストに二つの数字を使った中国語の四字成語を紹介している欄があった。「朝三暮四」も含まれていた。字面では日本語と全く同じ「朝三暮四」だ。発音は当然、異なる。声調なしで簡略にローマ字表記すると「zhao-san mu-si」とでもなるのか。siの音はカタカナ表記は無理。
 問題はこの成語の意味が日本語のそれとは異なることだ。中日辞書には「変転きわまりない、ころころ変わる」と載っている。「もとは詐術を用いて他人をだますことをいった」という添え書きもある。広辞苑には①目前の違いにばかりこだわって、同じ結果となるのに気がつかないこと②口先でうまく人をだますこと--と記してある。おそらく高校の国語(?)の授業で、飼われているお猿さんが餌を減らされることになり、朝に3つ、夕に4つ上げると言われ激高したが、朝に4つ、夕に3つと数字を逆にしたら、喜んで同意したという故事に由来する諺だと教わったような・・。
 私たちは今この「朝三暮四」を口にすることは滅多にないだろう。もしあるとすれば、①か②の意で使うかと思う。ところが「本家」の中国では今は「(言動が)ころころ変わる」という意味でだけ使われているらしい。「目先の利益に振り回される愚かさ」を皮肉った意はないようだ。「朝令暮改」も「ころころ変わる」意味合いだが、これは中国語では「朝令夕改」と漢字が少し変化する。こちらの方は日中の意味合いは同じとか。
                  ◇
 本を読む、小説を読む目的は何だろう。人それぞれだろうが、根底には共通する何かがあるような気がする。もちろん、退屈さを紛らわす、時間を潰すために読書する人もいるかもしれない。コロナ禍で外出もままならない昨今では自らが体験できない旅をそうした類の本に求める人がいても不思議ではない。
 オンライン(スカイプ)で実施中の短編小説を読む英語教室。明後日の教室では短編集の編者を務めたナイジェリア出身の作家、Chimamanda Ngozi Adichie の Introduction を読む。私は彼女の書いた “Half of a Yellow Sun”(2007年)を読んだ時に作家として大成するだろうと思った。アフリカ有数の大国ナイジェリアで1960年代末に起きたビアフラ戦争を背景にした感動作。ビアフラ共和国を一方的に樹立し、政府軍との戦いに敗れ、多くの犠牲者を出しイボ族出身の彼女は77年の生まれであり、悲惨な戦争の歴史を両親から聞いて育ったのだろう。
 彼女は Introductionで次のように書いている。“I read for many reasons, one of which is to be consoled. Consolation is useful, consolation is necessary. I’d very much like to learn concretely useful things – my knowledge of them, alas, is limited – but I would not want to live if I were not able to have the consolation that stories give me.”
 そうか。癒やし(consolation)か。確かに小説や物語を読むのは癒やしを求めているのかもしれない。ロシア軍の砲撃にさらされているウクライナ国民には停戦が実現し、現実的な癒やしが一日も早くもたらされることを切に願い、祈る。こうしたことを遠く離れた地で安穏と書いている身が恥ずかしくもある。

「裸の王様」?

 ウクライナ情勢。ロシア軍の無慈悲、無意味な攻撃は続き、民間人に多数の死傷者が出ている模様だ。公式な発表よりも実際にはもっと沢山の人々が犠牲になっているのだろう。地下室や防空壕などに身を潜めている人々の苦しみは想像しても余りある。一日も早く事態が改善されることを神様に心から祈る。
 第三次大戦の勃発はもちろん心配だが、その回避のためにウクライナの人々が「生け贄」となることがあってはならない。プーチン露大統領は狂人と化しているのではないか。クレムリンの権力中枢には「王様、裸ですよ」と告げることのできる勇気ある人はいないのか。
 ロシアは新聞記者時代、ロンドン支局から一度だけ足を運んだことがある。冷戦終結ほどない「のどかな時代」だった。上司のKロンドン支局長はモスクワ勤務の長いロシア問題専門家だった。Kさんが存命だったら、ロシア、どうなっているんですかね?プーチンは何を考えているんでしょうか?などと尋ねたい。Kさんはおそらく「なすちゃん、何を言っているんだい?アメリカだってトランプみたいな大統領がいたじゃないか。似たようなものだよ」と軽く一蹴されるのだろうか。いや、それより「僕もここまで酷いとは思わなかったよ。世も末だな」と慰められるかもしれない。
 黄泉の国に旅立たれて久しいKさんに尋ねることはもはや不可能。ついこの間まで、いや今でもなぜか、Kさんは私の夢によく出て来られ、一緒にゴルフをしている。今度、夢に出て来られたなら、ぜひ、尋ねてみたい。いや、夢の中のことだから、そういう質問をすること自体、忘れてしまっていることだろう!
                  ◇
 毎日履いているジョギングシューズがだいぶくたびれてきた印象があった。それで昨日、近くのショッピングセンターの靴屋のチェーン店に行った。今の靴をいつ購入したのかよく覚えていない。コロナ禍の前のような気がするから、もう2年は経過しているような。拙ブログを検索してみると21年4月に購入している。あれ、まだ1年も経過していないのか!当時のブログで以下のように記している。
 ――このところ、好天が続いている。風はまだ冷たいが、日差しは暑くさえ感じる。押し入れの布団や毛布を引き出してベランダで干したりしている。香椎浜のジョギング路を最近は走るよりも歩くことの方が多い。(中略)ジョギングや散歩に、というか常時はいてきたジョギングシューズがだいぶ疲れた印象だ。手に取って裏を見ると、かかとの部位はほとんど山がすり切れている。前回も利用したお店に行き、新しいシューズを買い求めた。今年はこの新しいジョギングシューズで台湾や中国、韓国を闊歩することはできるだろうかーー
 まだ1年も経っていなかったのか。靴の裏側を見ると、確かに大事な溝はまだほとんど擦り切れていない。当分はジョギングに何の支障もなさそうだ。それはともかく、昨年4月時点で台湾や韓国の旅の可能性に言及していることに少し驚いた。当時はやがて収束するのでないかという見立てもあったようだ。さて、22年3月。ここでまた同じ言葉を繰り返していいものかどうか。再び台湾、韓国に旅立てるのはいつの日になるのかしらん。

ウクライナに思う

 ウクライナ情勢は最悪の事態に向かいつつあるようだ。ロシア軍の愚かで無慈悲な攻撃に苦しんでいるキエフや他の都市に住む人々を思うと心が塞ぐ。今回の軍事侵攻が起きるまでウクライナという国はその位置さえ明確に認識していなかった。旧ソ連邦を構成していた国であることは承知していたが、東欧周辺の国には足を運んだこともない。
 今回の侵攻でウクライナの人々がロシアと同じ民族系統に属し、言語・文化的にも兄弟のような近い関係にあることを改めて知った。ただ、ウクライナの大多数の人々は欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟することを望んでおり、ロシアとは距離を置きたいと考えていることも。
 プーチン露大統領の心中は知る由もないが、一連の報道から察するに、彼がウクライナの親欧米路線に憤まんを募らせていたことは間違いないだろう。このまま手をこまねいていれば、ウクライナがロシアから完全に遠ざかってしまうという危機感。ソ連邦の崩壊に伴い、独立したウクライナを再び「奪回」し、かつての「帝国」を復活させたいという野望も透けて見える。それにしても都市部の住宅地区への無差別砲撃を繰り返し、あろうことか欧州有数の原発施設にも砲火を浴びせる狂気としか思えない愚挙にまで出ている。そうは信じたくはないが、世界はそして人類はいよいよ黙示録の終末期に入りつつあるのだろうかとさえ思えてくる。
 ウクライナ情勢を見ていて、オンラインの英語教室で読んだばかりのオー・ヘンリー賞受賞の短篇を思い出した。David Rabeという名の米劇作家の “Things We Worried About When I Was Ten” という作品。若手の作家だろうと思って読み進めていたら、米中西部で育った彼が子どもの頃に夢中になった野趣あふれる遊びや地域の風習、小学校の授業風景などが出てきて、あれ、これは私の少年時代と似てなくもない。それでネットで作家の名前を検索すると、1940年生まれとある。私より一世代上の世代だが、凄く「感情移入」できる作品だった。
 主人公の少年Danny Matzの友人、Jackieは同級生たちの不幸を一人で背負い込んだような幸薄い少年だった。家庭環境にも恵まれず、4歳で母親を亡くし、継母が来る。父親や継母から虐げられる日々。ある日、継母が台所で肉挽き器を操作していて、誤って親指を切断してしまう。これを目撃したJackie少年は近所中を駆け回り、 “Stepmom May cut her thumb off in the meat grinder” と大声で触れ回る。
 Danny少年は最初、Jackieがなぜ狂ったように継母の不運を触れ回っているのか理解できなかったが、やがて腑に落ちる。継母が自分の親指さえ切り落とすことをしでかすなら、所詮赤の他人に過ぎない僕にはどんなことをするだろうか。僕もそのうち肉挽き器に詰め込まれてしまうことになるのかと恐れおののいているのだ。それで近所の人たちに自分がどういう「危機」に直面しているかを「告知」しておきたかったのだと。
 兄弟のような近しい民族のウクライナの人々をさえ情け容赦なく蹂躙するプーチン大統領。ただでさえ疎遠な関係の日本もJackieのようにロシアの蛮行を国際社会に喧伝する必要がある。もっとも、国際社会はすでにそれは十分承知しているが・・・。

ウクライナ緊迫!

 ウクライナ情勢。幼い子供がロシア軍のロケット攻撃で死亡したニュースなどを目にすると、胸が締め付けられるようで何とも陰鬱な思いに沈む。数日前かのこのブログで第二の冷戦のスタートかと書いたような気がするが、それどころか第三次大戦の勃発さえ危惧される事態だ。挙げ句の果てはロシア軍による核兵器の使用さえ懸念される。時代は21世紀。戦争の世紀は過ぎ去った20世紀のことではなかったか。
 ウクライナの人々の苦難を思いやると拙ブログをアップデートする気など失せてしまう。とはいえ、このブログは私にとって備忘録でもあるのだから、きちんとその時々の思いを記しておきたい。数年後に振り返った時に、ああそんなこともあったな、懐かしいなあとほのぼのと振り返りたいが、今のウクライナ情勢はとてもそういう心境にはなれないだろう。ウクライナ、ロシアの和平交渉が奇跡的に進展することを心から願いたい。そしていつか、プーチン大統領が無垢の市民の尊厳を踏みにじった蛮行で歴史的に断罪されることを願う。
                  ◇
20220301-1646135510.jpg オンラインで細やかに実施している毎月2回の英語教室「短篇小説を読む」で最近取り上げたのは、“Endangered Species: Case 47401”という短篇。タイトルは物々しいが、米国に暮らす黒人女性が転居した白人住民多数派のコミュニティーで感じるようになった違和感がテーマとなった作品。私はそうした違和感が理解できるとまでは言わないが、南アフリカの白人至上主義の究極的なアパルトヘイト(人種隔離政策)の終焉を現場で取材した身としては興味深く読んだ。
 作品の中に Billie Holiday という人名が出てきた。ジャズに明るい人なら知っている人だろうが、私は正直、男かな?と思ったほどの門外漢。ネットで調べて、1930―50年代、アメリカを代表する女性ジャズ歌手であることが分かった。麻薬に手を染めていたこともあったらしいが、米政府を相手に人種差別の非を敢然と問うた勇気ある先駆者であることも。1959年に44歳の若さで病没している。公民権運動の嵐が吹き荒れ、キング牧師があの有名な “I have a dream.” の演説を残す4年前だ。
 ネットでこの人物のことをチェックしていたら、今、福岡・天神の映画館で彼女の半生を描いた作品がかかっていることを知った。“The United States vs. Billie Holliday” というタイトルの映画。タイトルからして凄い!
 先週末、映画館に足を運び、その映画を観た。セックスシーン、麻薬、暴力、リンチの凄惨なシーンも盛り込まれており、気安く推奨し難い点もあったが、あの国が抱えている人種問題が如実に描かれていた。彼女が米政府から忌み嫌われたのは “Strange Fruit” (奇妙な果実)と呼ばれる歌をステージで歌わないよう迫られても、それを拒絶したこと。南部では奇妙な果物が木からぶら下がっていると歌われた果物とは何か? 白人至上主義者グループのリンチに遭い、木から吊される黒人の亡骸のことだ。
 作品の中では今では絶対タブーの黒人蔑視の表現が頻出する。黒人同士がお互いを罵る時にも口にする。このブログで紹介する分には差し支えないないだろう。 “Fuck you, nigger!” 今アメリカでこのような暴言を吐いたなら、即アウトだろう! いやどこであれ。

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