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October 2021

cold gun ではなかった!

20211027-1635306658.jpg 米CNNをネットで読んでいて、何やら映画の撮影現場で重大な事故があったことを知った。事故の当事者である男優の名前はどこかで見たことのあるような気がする。顔写真もどこかで目にしたことがあるようなぼんやりした記憶があるが、すっと分かったわけでは決してない。記事をだいぶ下まで読んで分かった。この男優はあの有名な風刺番組「サタデーナイトライブ」(SNL)でトランプ前大統領を「怪演」している役者ではないか。私は彼が風刺するトランプ氏が大好きで笑い転げていた。
 アレック・ボールドウィン氏。トランプ氏以上にトランプ氏の演技が上手ではないかと思っていた。そんなことがあるわけはないか。彼が演じるトランプ氏の愚かな言動に当の本人、トランプ氏はよく名誉毀損で訴訟に持っていかないものだと思ったこともある。日本ではちょっとお目にかかれないほど、政治指導者を徹底的にかつ痛烈に揶揄っていた。
 事故、いや事件と呼ぶべきかもしれない惨事はボールドウィン氏が主演を務める映画の撮影現場で起きた。詳しいことは分からないが、どうも、prop と呼ばれる小道具、拳銃が絡んでいて、撮影スタッフがボールドウィン氏に「実弾は入ってない」と言って拳銃を渡したようだ。英語ではそうした拳銃は “cold gun” と呼ばれるらしい。だが、実際にはなぜか実弾が装填されていて、ボールドウィン氏が引き金をひくと実弾が打ち出され、女性の撮影責任者が死亡し、監督が負傷する惨事となった。
 現時点ではボールドウィン氏は事件の当事者となったが、重大な責任はなさそうに見える。「実弾は入ってない」と問題の拳銃を手渡した撮影スタッフにかなりの責任がありそうに見える。実際、この撮影スタッフは過去にも撮影現場での安全確保を怠る前歴があり、評判は良くないとの報道も見られ始めている。
 この事件を公民館の中国語教室で冒頭のショートスピーチの話題にするべく、頭をひねっている。ボールドウィン氏のトランプ氏の「怪演」が「抱腹絶倒」であり、私は毎回、お腹を抱えて笑い転げていたことを述べようと思っている。「抱腹絶倒」はいかにも中国伝来の四文字熟語のように見える。辞書をひいてみた。似た表現があった。「捧腹大笑」。ピンイン表記では「pěngfù dàxiào」。敢えてカタカナ表記すると「ポンフーダーシャオ」。英語では “thrown into convulsions of laughter” という表現が見えた。「抱腹絶倒」にはちょっと物足りないような気がしてしまう。
 気がかりなことが一つ。痛ましい事件の当事者になったことで、ボールドウィン氏がSNLでトランプ氏を「怪演」することはもう二度とないのだろうか。一視聴者としてとても残念に思う。一人だけボールドウィン氏の不運を喜んでいる人物がいるとすれば、トランプ氏だろうか。「罰が当たったわい」とほくそ笑んでいるかもしれない。
 いや、巷間伝えられるところによると、トランプ氏は相次ぐ訴訟で不利な状況に追いやられており、やがて法廷の場に出ることを余儀なくされる運びとか。最終的には収監されるとの見方も強まる一方だ。当初望んでいた大統領経験者としての優遇措置もバイデン大統領に拒絶され、有能な弁護士たちからはそっぽを向かれ、四面楚歌に陥りつつあるとか。ボールドウィン氏の不運を笑っておられる気楽な境遇ではないことは間違いないようだ。

“Wow!”

 スカイプを利用した英語教室で読んでいるカズオ・イシグロの作品 “Klara and the Sun” のパート3の末尾に主要登場人物で病弱な少女、ジョージーが死ぬのが怖いと言って母親にすがるシーンが描かれている。“Don’t want to die, Mom. I don’t want that.”
 誰だって死ぬのは怖いだろう。私もそうだ。まだまだ先の話と思っているから怖いという切実な恐れは抱いていないが、やがてそうなる日が来るかもしれない。それはともかく、毎朝読んでいるキリスト教の祈祷書に次の一節があった。死期が迫った人のもとを訪れた友人から聞いた話として紹介されていた。次のような記述だった。
 They went to say goodbye and sat together with the family in her last moments. She had not spoken for hours and her breathing was slowing down. In her final moment she uttered a single word. Her last as she journeyed from here to there. Loud and clear, the word was heard. “Wow!” she said. And took her final breath.
 私はこれとそっくりの話を読んだ記憶がある。アメリカの著名なビジネスマンが息を引き取る間際の言葉が書かれていた。私の記憶が正しければ、その最期の言葉も “Wow!” だった。なぜ臨終の言葉が “Wow!” となったのか、我々には知る由もなく、想像するしかない。実は私はずっと考えてきている。なぜ、「おお!」という驚きというか感嘆というか、まあ普段は滅多に発しない言葉を口にしたのだろうかと。
 私なりの推測はこうだ。この世からあの世に旅立った人は黄泉の国にたどり着いた時点でおそらく、先に旅立ったゆかりの人々がこぞって出迎えに来ているのではないか。例えて言えば、小学校時代の校庭で挨拶をする校長先生のように演壇に立つ自分(故人)がいて、眼前には数多くのゆかりの人々が微笑みながら歓迎の意を表している。「よくやって来たな。懐かしいな。元気でいたか」。「いや、元気じゃないから皆さんとこうして再会できているんですよ」と私なら軽く笑いを取っていることだろう。
 そう考えると、死ぬのもそう怖くはないような気もする。特に天寿を全うしてごく自然に死期を迎えるのであれば何も注文をつけることはないのではないか。できれば、「嗚呼、面白い人生だった。何も悔いはない。さあ、次はどんな展開が待っているのだろう」というような気になれば最高だろうと思う。
                  ◇
 今年から通い始めた韓国語の無料講座。今月から後期教室が再開された。講師の先生が変わり、受講生も大半は知らない人たちだ。何年も通っているベテランの受講生が多いようで私にはまだ笑えないところで笑っている。私は辞書を引き引き、付いていくのがやっとの状態だが、独学の身には大いに勉強になっている。第一、初歩的なことも忘れているかおざなりに学習してきたので身についていないことに気づかされている。
 例えば次のような文章。「韓国語を勉強して6年になります」。韓国語では「한국어를 공부한 지 6년이 됐어요.」となる。私は됐어요と되었어요が同じ意味の表現であり、通常は短い됐어요が好まれるということを知らなかった(忘れていたのかもしれない)。ここ数年は中国語の学習の方が楽しいと思っていた罰が当たったような・・・。

「インドア派」は「室内族」

 前項でスマホに日英中韓の翻訳機能があることを知り、重宝していることを書いた。その通りなのだが、やはり限界はあるようだ。音声吹き込み方式の限界と呼ぶべきかもしれない。先日は「私はインドア派(の人間)です」という文章を翻訳してみた。英語では “I’m an indoor person.” と見事な英文が出てきて嬉しくなった。中国語では「我是印度派。」という文章が出てきた。「インドア」という音声が国の「インド」という語に直結するようで、何度発声しても「印度」が登場する。
 辞書やネットをあれこれ調べた結果、「インドア派」は「室内族」という語があり、「アウトドア派」は「户外族」という語があることを知った。日本人には漢字の意味合いから何となく理解できる。思えば昨今のコロナ禍もあり、世の中には「室内族」の人間が急増したのではないかと思う。かく言う私もこのところずっと「室内族」になっている。YouTubeや無料のAbemaTVを毎日、何度も何度ものぞいている。太るはずだ。
                  ◇
 AbemaTVでよく見る番組の一つに麻雀番組がある。「Mリーグ」という番組名で、32人のプロ雀士が8チームに分かれて半年以上の長期戦でしのぎを削る。これは暇さえあれば見ている。私は本来、麻雀大好き人間であり、以前に書いたことがあるが、学生時代には一か月の家庭教師代が一晩の麻雀で露と消えた苦い思い出もある。爆砕の才能はあっても博才はなかったようだ。
 それで「Mリーグ」のお話。麻雀をある程度打った経験があると、プロ雀士の打ち方も我々素人の打ち方もそう大差はない(ように見受けられる)。将棋のプロ棋士の指し方が素人には到底想像もつかないのとは訳が違う。将棋と麻雀の根本的な差異でもある。
 まあ、それはそれとして、麻雀はパソコンの画面を通して見ていても楽しい。ギャンブルからすっかり足を洗った私は次に実際の卓を囲むのはいつの日になるか分からないが、見るだけのギャンブルは馬券を買わない競馬と同様、神様も許してくれるだろう。だから良心の呵責を覚えることなく画面を眺めることができる。以前にも書いたが、麻雀用語には当然のことながら、中国語の語彙があふれている。学生時代にはごく当然のごとく、「チー」と発声して、上手の打牌から必要な牌を拾っていたが、これが中国語の「食べる」意の「吃」であるとは当時は思いもしなかった。ルールに従って「チー」と発声していたに過ぎない。
 麻雀ではあと1牌がそろえば、和了つまり上がり形となるのを前に、立直(リーチ)をかけることがある。そうすれば、自分の手を少なくとも1翻高めることができる。最近気がついたのだが、「Mリーグ」ではリーチの発声があると、画面にアルファベットのREACHの文字が流れるようになっている。英語の「到着する」の reach という語だ。私はこの文字を見るたびに強い違和感を覚える。
 我々が麻雀をしている時に「リーチ」と発声するのは、英語の reach という感覚ではない。あえて言えば、中国語の「立直」をイメージした「リーチ」だ。実際の音に落とすとreach ではなくむしろ、leech だろう。でもこれは英語では血を吸う「ヒル」を意味する語。相手の有り金を情け容赦なくむしり取る行為なら leech と呼べるかもしれないが・・・。

スマホの翻訳機能

 プロ野球は去年の優勝チームがセパともに苦しんでいる。ソフトバンクホークスの不振はよく分からないが、巨人の場合は原監督の自業自得だろう。よって同情の余地なし。
 プレーオフに入った大リーグは面白い。ホームチームの熱狂的声援はコロナは大丈夫かいなと思ってしまう。アリーグのチャンピオンを決めるシリーズはアストロズとレッドソックスの戦い。土曜日の初戦を見ていて思ったことがある。なぜか、主審のコールがテレビ画面からよく聞こえるのだ。ボールの判定であれば時に「アウトサイド」(外過ぎ)とか「インサイド」(内過ぎ)などと叫んでいる。こちらは見ていて良く分かるので参考になる。プロ野球ではない経験だ。是非、取り入れてもらいたいと思う。
                  ◇
 少し前にスマホで日英中韓の翻訳機能があることを知り、重宝している。もっと多くの言語にも活用できるのかもしれないが、今の私には英中韓で十分だ。機械翻訳の危うさは以前から指摘されてきていたが、スマホのこの機能は優秀だ。こちらの日本語の発声が不明瞭だと上手くいかないが、誤訳のケースにはまだあまり遭遇していない。海外旅行の折などには簡易な通訳機として活躍しているのかもしれない。
 スマホの翻訳機能を使い、次の文章を英中韓に翻訳してみた。「僕はスマホの使い方がよく分からないんです」。私の本音でもある。英文を確認する。“I don’t really know how to use my smartphone.” これで問題ないかと思う。中国語。「我不太懂智能手机的使用方法。」。韓国語。「저는 스마트폰 사용법을 잘 몰라요.」。日韓では「スマホ」というキーワードが主語の直後に表現されているが、英中では文末に置かれ、「よく分からない」という述語(動詞)が日韓では最後に置かれている。
 語彙のチェックはしっかり紙の辞書を手で繰って調べたいが、文章のチェックはスマホが早くて便利だ。発音の確認もできる。我々は今、凄い技術革新の時代に生きていることを実感せざるを得ない。とここまで書いて、次のようなことを夢想した。このまま技術革新が進展すれば・・・。中国に短期出張することになった人が出発前にその錠剤を服用する。錠剤のエキスが脳内にしみこみ、たちどころに中国語を理解、話せるようになる。まるで母国語のように。錠剤の価格にもよるが、通常は1週間程度で効果が薄れ、やがて中国語の力は失われる。身体への悪影響は全くなし。英米に行くのであれば英語用の錠剤、ロシアに行くのであれば露語用の錠剤を購入すれば済む。
 そういう時代になれば、趣味の範疇を超えて外国語を学習したいと思う人はまずいなくなるだろう。学校教育の場から英語の時間が激減するかもしれない。韓国語のドラマを韓国語で楽しみたければ、30分、1時間単位で効能が持続する安価な錠剤もあり、そうしたものはコンビニで気軽に買うことができる。多くの外国語教師が失職し、語学関連産業も軒並み業種転向を余儀なくされる・・などと夢想する。言葉が異なることによる誤解の可能性は解消する。母語で考え、母語を語れば、口から出てくるのは英語であり、中国語、韓国語なのだ。信じ難い画期的な革新。ただ、これが果たして全面的にいいことなのかどうか、よく分からない。否定的にとらえる人も少なくないことだろう。

the greatest rivalry in sports!?

20211013-1634101599.jpg 大リーグのプレーオフ。ナショナルリーグは宿命のライバルがリーグチャンピオンシップに進出する権利をかけて激突している。ロサンゼルスドジャースとサンフランシスコジャイアンツ。今回、地元紙の記事をネットで読んでそのライバル意識の凄まじさを改めて知った。プロ野球では巨人阪神のライバル関係が話題に上るが、そんなものではないようだ。
 ロサンゼルスとサンフランシスコはともにカリフォルニア州にある都市。日本からアメリカに渡航する場合、日本に近い西海岸にあることから、いずれかに着陸するケースが多いのではないかと思う。私も2011年に『アメリカ文学紀行』を書くために米国を旅した時にロスから旅を始めた。ロスの後にシスコに向かったが、どちらの都市もいい思い出があり、甲乙付けがたい。ただし、ロスではドジャースのホーム球場に足を運び、試合を観戦したこともあり、日本人プレーヤーにも馴染みが深いことからロスに軍配を上げたい。
 ドジャースもジャイアンツもともにニューヨークが発祥の地らしい。西海岸に移り、ナリーグの西地区に属している今もライバル関係は引き継がれている。私が読んだ記事は次のように始まっている。They first met 131 years ago in Brooklyn. They have played 2,535 games, from sea to sea, through many lifetimes, across three centuries, fighting with bats, brawling with venom, fans chanting, players taunting, cities dancing, cities aching. It is the greatest rivalry in sports. Nothing compares, nothing comes even close. No other duo can match their enduring animosity, their endless competitiveness, …。the greatest rivalry in sports と断じていることに彼らのプライドを感じる。さすが、カナダを含めてもたかだか参加二か国に過ぎないのに、プレーオフの最終段階をthe World Series と胸を張るお国柄だ。
 水曜日。仕事も用事もなく、朝からたっぷりとドジャースとジャイアンツの対戦を楽しんだ。対戦成績はジャイアンツの2勝1敗。ドジャースはこの日の試合に負けると1勝3敗となり、リーグチャンピオンシップに進むことができず、プレーオフ敗退が確定する瀬戸際のゲーム。日系のデーブ・ロバーツ監督が率いるドジャースに肩入れしながら観戦した。果たせるかな、ドジャースが粘るジャイアンツを7対2で突き放し、タイに持ち込んだ。
                  ◇
20211013-1634101547.jpg 二三日前の英字新聞ジャパン・ニュース紙の見出しに手が止まった。Youthquake will drive millions of Africans on trek to Europe という見出し。youthquake という語を初めて目にした。アフリカの国々は日本を始めとした先進国と異なり、若い世代が圧倒的大多数を占める。彼らは汚職や腐敗、内戦、犯罪の多発などから将来に希望が持てず、海外、特にヨーロッパに移民、逃避行する道を選択している。そうした事態をyouthquake と形容している。活字を見ただけで何となく意味合いが類推できないことはないか。
 記事によると、例えばアフリカ一の大国ナイジェリアはこのまま人口増が推移すれば、60年後にはヨーロッパの全人口を凌駕する運びだとか。ナイジェリアの現在の人口は推定約2億人。ヨーロッパの全人口はおそらく約7億5千万人。やがてナイジェリア一国でヨーロッパを上回る人口予測とは驚きだ。youthquake の是非はともかく、それが途上国、先進国双方に混迷と騒乱をもたらす危険性は否定できないだろう。

受講生募集中!

 最近は朝目が覚めて、枕元のスマホを開けると、前夜か早朝に日本の他の地域で大きな地震が起きていたことに初めて気づくことが多くなったような気がする。今朝もそうだった。
 昔はそこそこの地震がたまに起きていれば「ガス抜き」になり、大地震の力をそぐという何の根拠もない考え方をしていたが、どうもそうではないらしい。いよいよ、世の終末が近づいてきたとは思いたくないが、今の時代を生きている身としては不気味な感は否めない。大地の揺れは自然の摂理で地震国・日本に生まれた者の不可避の運命として受け入れるとしても、大きな被害をもたらさないよう神様に祈り続けよう。
                  ◇
 大リーグのプレーオフは見ないつもりだったが、雑務の間にテレビを付けていると、やはりちらちら見てしまう。ナショナルリーグのワイルドカードの決定戦はロサンゼルスドジャースとセントルイスカージナルスの対戦となった。投手陣が力投して手に汗握る熱戦を展開。両チームともに日本人選手は在籍しておらず、どちらが勝とうと構わない。とはいえドジャースは日本人の血が流れているデーブ・ロバーツ監督が率いており、少し肩入れはしたくなる。
 決定戦ではホームのドジャースに9回裏にサヨナラホームランが出て、劇的な勝利でサンフランシスコジャイアンツとの地区優勝決定シリーズに勝ち進んだ。両チームはナリーグの西地区の宿敵同士。今シーズンはジャイアンツが107勝55敗、ドジャースが106勝56敗という大リーグ屈指の成績を収めた。その差わずか1勝。ドジャースは両リーグで2位の好成績にもかかわらずワイルドカード争いを余儀なくされ、敗れれば、それでグッドバイとなる運命だった。ドジャースはこれから宿敵ジャイアンツを相手に最大5戦を戦い、先に3勝した方がリーグチャンピオンシップに進む。凄まじい戦いになるだろう。
                  ◇
 前回の項で次のように書いた。ところで「音痴」は中国語では何と言うのだろうか。私の日中辞典には「左嗓子」と載っていた。他で調べると「音盲」という語もあるようだ。日本人には後者が何となく理解できるが・・。昨日の中国語教室で中国語ネイティブ話者の老师(老師)は「音盲」」を選択された。日本語では「音盲」は使いづらい漢字のような気もするが、中国ではさすがにそうしたこともないのだろう。
                  ◇
 私はオンラインで毎月第2、第4日曜日に英語教室(英文小説を読む講座)を行っています。今は英国の作家、カズオ・イシグロの作品 “Klara and the Sun” を少しずつ読み進めています。課題文を取り上げ、翻訳にも挑戦する大学のゼミのような雰囲気の教室です。受講生は現在、わずか1人。途中からの参加も歓迎します。興味のある方は次のサイトをご覧下さい。http://www.kankanbou.com/ajirobooks/
 また、小倉駅前にあるセントシティ11Fのカルチャーセンターで「普段着の英語教室」と銘打った初心者向けの英語教室を毎月第1、第3水曜日朝に開催しています。興味のある方は次のサイトをご覧下さい。https://kokura.mcv.jp/fudangi_eigo/

再びウエストサイズ物語

 NHKラジオの英語講座の一つを聞いていたら「薬を飲む」という表現が紹介されていた。英語ではもちろん、drink medicine とは言わず、take medicine となる。ふと思った。そういえば、中国語と韓国語ではともに「薬を食べる」という意味合いの表現となることを。中国語では「吃饭」(ご飯を食べる)を連想させる「吃药」であり、韓国語では「밥을 먹다」(ご飯を食べる)にも通じる「약을 먹다」。薬を飲む行為に関しては中韓が同じで、日本は異なるようだ。海を越えている間に「食べる」が「飲む」に変わったのか、大概の薬は水で流し込んでいるので「飲む」に落ち着いたのか。
 私は普段、薬とは全く無縁の生活だ。風邪薬ぐらいは買うことはあるが、コロナ禍のおかげか、このところずっと風邪をひくこともない。これからも薬とは縁のない生活が続いて欲しいと願っている。亡き慈母は長いこと薬漬けの生活を送っていた。83歳で死去した時、火葬場で骨を拾ったが、長年の薬との付き合いからか、骨はほとんど残っていなかった。素人ながら、薬の糖分で骨がやられていたのではと感じたことを覚えている。
 我が家に今ある薬でめぼしいのは春先に買った花粉症(hay fever)対策の目薬。それと、台湾を旅していて夜市で買った、今はもう何だったか忘れてしまった食い物でお腹を壊して、ホテルのそばの薬屋さんで購入した胃腸薬。懐かしい正露丸だ。めったにないが、今もお腹の調子が悪くなった時にはお世話になっている。来年台湾の旅が解禁されれば、またキャリーケースの中にしのばせて出かけるつもりだ。
                  ◇
 この夏はずっと公私ともに短パンで過ごしてきた。ゆったりとしていて、実に気持ちよく毎日を過ごすことができた。英語を教える仕事にも短パンで出かけていた。10月ともなり、そろそろ衣替えの季節か。いくらなんでも短パンはもうよすべきかと思い、ジーンズを引っ張り出してきて履いてみた。恐れていたことが現実のものとなった。ウエストがパンパンできつい。楽していた分がそっくりウエストに反映されていた。おー、なんてこった、テラコッタ(意味はない)。
                  ◇
 コロナ禍でしばらく休講措置となっていた公民館の中国語講座が今週から再スタートする。ということは冒頭のショートスピーチを用意して出席しなければならない。これが結構時間を要する。いつも他愛ないことを話題にしてしゃべっているが、辞書をひいて語彙を調べるのはなかなか面倒。
 今回は何をしゃべろうか。テレサ・テンの歌を中国語で歌おうと挑戦してあえなく諦めたことでもしゃべろうかなどと考えている。ネットでチェックしていて、中国語の声調を上手にできない人は音痴(tone-deaf)の人が多いのではないかといった指摘を目にした(ような記憶がある)。私も本来、音痴だ。なるほど、だから私は正しい声調がなかなか身につかないのかと妙に納得がいった。ところで音痴は中国語では何と言うのだろうか。私の日中辞典には「左嗓子」と載っていた。他で調べると「音盲」という語もあるようだ。日本人には後者が何となく理解できるが・・。

諸行無常

 この年齢になると、古里から届くニュースはあまり嬉しいものではないことが多い。週明け早々に幼馴染みのT君からラインメールがあった。私と同じ部落(集落)のTさんの奥さんが亡くなられたこと。これも同じ部落のMさんも相次いで亡くなったこと。お二人とも80歳代の方だったから長寿を全うしたと言えなくもないだろうが、私は壮年のお元気だった頃のイメージしかないのでまだまだ早過ぎるという印象だ。
 人口が一定あるいは微減の市町村だったらどうということもないだろうが、いわゆる限界集落と呼ばれる私の古里では住民が一人いなくなるのは悲しいことだ。たとえそれが自然死であってもだ。ここ福岡でローカルのラジオ局を聞いていると、県内の勢いのある市町村の住民の方々が古里自慢をしている。いつも羨ましく思いながら聞いている。衰微する古里のことをあれこれ思案せずにいられるのは幸せなことだろう。
 とはいえ、平家物語ではないが、物事はみな、諸行無常の響きあり、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。第一、古里の衰微を嘆く我が身にしても、永遠ではない。早晩、黄泉の国に旅発つ番がくる。その時は古里はおろか、日本も世界も知ったことではない。どこか宇宙の彼方から獰猛な異星人がやってきてかつて恐竜が滅びたように人類文明を滅亡させたとしても、正直、知ったことではない。いや、これは冗談です!
 だから、古里が年々わびしくなっていくことを嘆いても意味がないではないかという諦念が一方にある。その一方、そうした古里に常に思いを馳せる定めの身は都市部で育った人が思いも至らぬ、「人の世の営みのはかなさ」に早くから気づかされているのであり、それはそれで神様に感謝すべきことかもしれない、などといった思いもある。決して「負け惜しみ」を述べているのはない。
                  ◇
20211004-1633330211.jpg 大リーグのレギュラーシーズンが終了した。エンゼルスの大谷翔平君の打棒は後半ずっと失速気味だったが、最終戦でなんとか今季46号目のホームランを放ち、長いシーズンを締め括った。投げては9勝2敗。10勝に到達できなかったのは残念だが、味方のあの貧打戦、加えて情けないほどのリリーフ陣では致し方ない。強豪チームに属していたら、15勝近くの勝ち星を上げていたのではないか。少なくとも12勝ぐらいは?
 それにしてもこの時期になると毎年思うことだが、大リーグの日程調整能力には驚かざるを得ない。30チームがナとアの両リーグに分かれ、全162試合を戦い、同じ日(日曜日)にそろって最終戦を終えた。一日おいて火曜日からはまず、アリーグのワイルドカード決定戦が行われる。見事というしかない。翻ってプロ野球はクライマックスシリーズが行われている間にも消化試合が戦われている。今朝(月曜)の朝刊で確認すると、セリーグの一位、ヤクルトは残り試合が20,最も少ないのは中日で14。パリーグでも残り試合は最大で21、最小で15。これではとても足並みそろえて最終戦というわけにはいかない。
 プロのスポーツだから、やはりスタートとフィニッシュはきちんとそろえてプレーオフの戦いに入ってもらいたいと思う。気の抜けたビールは飲む気がしない。まあ、私は今もビールだけは断ってもおり、そういうゲームには見向きもしないが・・・。

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