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October 2019

『やし酒飲み』

20191031-1572481019.jpg 『やし酒飲み』(エイモス・チュツオーラ著・土屋哲訳 岩波文庫)を読んだ。以前からこのアフリカを舞台にした小説のことは知っていたが、読んでいなかった。書店の文庫本コーナーで目にしたので、そろそろ読まなくてはと買い求めた。
 私は訳者の土屋先生とは既知の間柄。先生はすでに故人となられたが、私が新聞社のナイロビ支局に勤務していた頃、ナイロビにある大学で研究に来られていた先生とはご夫人同様、親しくさせて頂いた。町田市のご自宅を訪ねたこともある。当時は後にアフリカや米英文学の紀行本を出すことになろうとは考えてもいなかったので、もし今もご存命だったら、どれほど楽しい話ができたことだろうととても残念に思う。
 チュツオーラ(1920-1997)は西アフリカ・ナイジェリア出身の作家。「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」という風変わりな語りで始まる『やし酒飲み』は、語り手の男がやし酒造りの名人をこの世に呼び戻すため、「死者の町」へ旅に出て遭遇する奇々怪々の物語で、アフリカに根付く神話・怪奇の世界に魅せられる。私もアフリカ再訪の旅では悩まされたが、ピジン英語として知られるナイジェリア独特の時に難解な英語表現を土屋先生が苦労して訳されたことがうかがえた。
 この小説を読んでいて、私は南アフリカでもかつてチュツオーラのように著名な作家を取材・インタビューしたことを思い出した。名前も思い出せないが、当時はノーベル文学賞に推す動きもあったような記憶がある。取材の成果は読売新聞社の『20世紀文学紀行』(カメラでたどる現代文学の旅)に掲載された。本棚の隅からその本を取り出し、読み返してみた。エスキア・ムパシェーレ(1919-2008)。取材した作品は彼の代表作の一つ『草原の子 マレディ』。
 私が南アのヨハネスブルクでムパシェーレ氏にインタビューしたのはナイロビ支局に勤務していた頃の1989年のことかと思われる。記事を読み返すと、私は東京から来たカメラマンとともに南アに行き、トランスバール州にある作家の母校、ムトレ小学校を訪ねている。「村の小学校に入ると、子供たちにわっと囲まれた。子供たちの目は好奇心で輝いている。おそらく、日本人を見るのは初めてなのだろう」と書き出している。子供たちだけでなく、「ふとった気のいいおばさんといった感じの」校長先生からも来訪を歓迎されたことが書かれている。当の本人はうーん、よく覚えていない・・。
 南アは1990年にネルソン・マンデラ氏が解放され、アパルトヘイト(人種隔離政策)の冬の時代に別れを告げる。そういう時代の空気を反映してか、ムパシェーレ氏は次のように語ってもいる。「現在の状況に希望を抱けるとするなら、それは人々が(アパルトヘイト撲滅に)昔よりはるかに意思を強固にしていること、活気づいていることでしょうか」
 惜しくもムパシェーレ氏はノーベル文学賞を受賞することはならなかった。私が恥ずかしく思うことは氏を取材したことをすっかり忘れていたこと。上記の『草原の子 マレディ』や同じく評価の高い氏の自伝的作品『二番街にて』も読んでいるはずだが、全くといっていいほど何も覚えていない。普段は「自分は記憶がいい」と口にすることもある私は恥じ入るしかない。「失礼」にもほどがある。私はいったい何をしていたのだ!

味覚の秋到来

 週明けの月曜日。朝から好天だ。東日本では先週も豪雨被害が続いていた地区もあるようだが、日本は南北に細長いことを実感する。私が住む福岡はこのところ雨の被害はない。それにしてもこれからは毎年のように豪雨被害のことを案じることになるのだろうか。地球温暖化の深刻な被害は先のことと思っていたが、どうもすぐ軒先に来たようだ。そうでないことを心から願いたいが。
 さて、ソウルの旅もあって、このところスロージョギングから遠ざかっている。本日は申し分のないジョギング日和だ。短パンからトレーナーに切り替え、ウインドブレーカーも着込んで香椎浜に出かけるとするか。
                 ◇
 明石市に住む知己のU先生から秋の実りが届いた。新米とピーナッツ、それに頂き物と書かれている本場丹波の枝豆。英語学者のU先生は農家の人でもあり、暇を見ては田畑で働いておられる。新米は彼の田んぼで収穫したばかりのものだ。昨晩有難く炊飯器にかけ、頂戴した。いつもスーパーで購入している米よりずっと美味く感じたのはなぜだろう。
 生の落花生を目にするのもあまりない。どうしたものやら。ネットで調べて、塩を振った水で湯がいて食べてみた。これも美味かった。丹波の枝豆は冷凍した。今週末、湯がいて焼酎の肴にしよう。食欲の秋。うまくいけば、間もなく、東北から松茸が届くかもしれない。松茸取りの名人、Sさんから毎年のように届いている。こう書くと催促しているようで気が引けるが、Sさんはブログは読まれない方だからその心配はない。今宵はジョギングの帰りに魚屋さんに立ち寄り、頂いた新米と一緒に食べるサンマでも買おう。
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 折口信夫(1887-1953)の『死者の書』(岩波文庫)を読んだ。正確には途中で読むのを放棄した。どこかでこの本のことを称賛しているのを見かけた記憶があって、いつか読みたいと思っていたのだが。この国文学者・歌人は広辞苑によると、民俗学を国文学に導入して新境地を開き、歌人としては釈迢空の名で知られた、とある。カバー折りに「古代を舞台に、折口信夫が織り上げる比類ない言語世界は読む者の肌近く幻惑すると紹介されている。
 併録されていたもう一つの小説『口ぶえ』は読みやすかったので問題なく読めた。読んでいてどこか違和感があって、改めてこの歌人のことを調べると、同性愛者であったことが分かり、合点が行った。15歳になる主人公の少年と同級生の少年はお互いに淡い思いを抱いている。人里離れた山中の寺で夜、床を並べて語り合うシーン。同級生の少年が主人公に語りかける。「みんな大人の人が死なれん死なれんいいますけれど、わては死ぬくらいなことはなんでもないこっちゃ思います。死ぬことはどうでもないけど、一人でええ、だれぞ知っててくれて、いつまでも可愛相やおもててくれとる人が一人でもあったら、今でもその人の前で死ぬ思いますがな、そやないとなんぼなんでも淋しいてな」
 この歌人は若い時に幾度か自殺未遂をしている。自叙伝的な小説の上記の独白は歌人の本心であったのだろう。いかに最期を迎えるかの問題はともかく、独り身の私は少しく考えさせられた。私には「だれぞ知っててくれてる」人は夢のまた夢だ。

改めてハングルについて

20191025-1571976851.jpg 先のソウル訪問。うららかな秋日和の一日、国立ハングル博物館(국립한글박물관)を訪ねたことを書いた。初めての土地・場所はその時の空模様、雰囲気とともに記憶に残るような気がする。その意味ではハングル博物館は私は好印象で思い出すことだろう。
 ハングルを創設したのは朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)であり、1443年にハングル文字が誕生している。以下の展示紹介文があった。<1443年、ハングルが「訓民正音」という名称で創製された。朝鮮4代王世宗は文字の知らない不便な生活を耐えていた普通の民を哀れに思い、新しい28個の字母を創った。ハングルは世宗の愛民精神の産物である。ハングルは韓国語の音を表記するに最適な文字である。現代言語学の観点からも劣りしない優れた製字原理を整えている。世界の言語学者はハングルの独特性や科学的制字原理に賞詞を送っている。>(原文のまま)
20191025-1571976640.jpg 「訓民正音」の序文は以下のように紹介されていた。<わが国の音韻は中国とは異なり、漢字とは噛み合っていない。漢字が分からない一般の民は、言いたいことがあっても、自分の考えを書き表せずに終れることが多い。私はこれを哀れに思い、新たに28個の字母を作った。これは人々が簡単に学び、日々用いるのに便利にさせるためだ。>(同)
 以前に紹介した『漢字と日本人』(高島俊男著・文春新書)には以下の記述があった。<漢語と日本語とがあまりにもかけへだっていたために、日本語を漢字で書く、ということには、非常な困難と混乱とがともなった。その困難と混乱とは、千数百年後のこんにちもまだつづいている。そんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。
 『言語学者が語る漢字文明論』(田中克彦著・講談社学術文庫)では次の記述が印象に残っている。<日本の将来を考えるならば、むしろやるべきことは、「漢字文化圏」という牢獄の鎖をたち切って、そこからさっさと脱出し、日本語独自の道をさがすことにこそ力をそそぐべきだ。(中略)そして今、やはりこれからも何かマネをしなければならないとすればむしろ朝鮮人のやったハングル化の道である。言うまでもないことだが、朝鮮のハングルではなくて、日本のハングル=かな、あるいはローマ字によってである。
 私はずっと以下の疑念を抱いていた。大国・中国に隣接する韓国、当時は朝鮮王朝にとって、漢字と決別した独自の文字、ハングルを作ることは、単に言語的な利便性だけでなく、中国のくびきや影響からも逃れたいという隠れた意図があったのではないかという疑念だ。中国語にも精通している韓国の友人、Jさんにこの疑問をぶつけてみた。
 「いや、そこまでの意図はなかったと思います。『訓民正音』の序文にあるように、世宗大王は漢字を知らない庶民を哀れみ、ハングルを創設したのです。それで朝鮮王朝の人々は経済的・文化的に豊かな生活を送れるようになったわけです」とJさんは語った。
 私は中国語の独学を始めて以来、それまでの韓国語より中国語に力点を置いて学習してきた。やはり漢字を介しての学習は面白いからだ。認識を改めよう。ハングルの歴史も恐るべしである!

普段の日々に

20191023-1571798969.jpg 昨日、一週間のソウルの旅から無事帰国した。福岡まで飛行機で1時間ちょっと。乗ったと思っていたら、もうすぐに着陸態勢に入る。いや、これは少し大げさだが、隣国とはいえ、福岡―宮崎のような近さだ。心理的には今なおまだ近くて遠い国であるのが実感だが。
20191023-1571799011.jpg ソウルを発つ前日にはJさんの案内で韓国のホワイトハウスに当たる青瓦台を望む白岳山(海抜342㍍)に登った。週末はサイクリングを趣味とするJさんはピクニック気分で登れると言っていたが、登山の制限時間が迫っていたこともあり、結構急な階段も急ぎ足で駆け上がったりして、私は汗びっしょりになった。普段やっているスロージョギングよりずっと汗をかいた。それでも緑の中で汗をかくのは爽快で、涼しい風を感じることもあった。登山道には当然のことながら、若い兵士が巡回警備している姿も見かけられた。
20191023-1571799052.jpg ソウル最後の夜はJさんと会食。私が勘定を払うつもりだったが、二軒目の日本居酒屋も含め、彼が全部支払ってくれた。決して安くなかったはずだ。最初のレストランでは本場のマッコリを飲んだ。格別に美味いとは思わなかったが、Jさんによると慣れるとマッコリはこれしか飲めなくなるとか。居酒屋では焼酎に清酒。普通なら凄い二日酔いに見舞われることになるのだが、仁川国際空港に向かう朝は意外と大丈夫だった。
20191023-1571799085.jpg Jさんは今度初めて知ったのだが、中国での記者活動も長く、中国語の達人であることが分かった。中国語の力をつける二三のヒントも教えてくれた。Jさんはまた日本語も学んだ経験があり、日中韓の3か国語の類似点などについて語り合い、大いに盛り上がった。これだけでもソウルに来た甲斐があったと思った。それについてはおいおい、このブログに記しておきたい。
                 ◇
 体調はほぼ回復したかと思っている。熱っぽさもあまり感じない。ただ、下痢だけは昨日も続いていた。アパートに戻って正露丸を飲んだので好転することを期待している。昨日はアパートに戻って、午後3時過ぎか、すぐにベッドで横になった。ソウルのホテルではずっと眠りが浅かったような気もする。気がついたら、外が暗かった。一瞬、あれもう夜が明けたのかと思った。時計を見ると、午後6時過ぎ。2時間ちょっと眠っただけに過ぎないが、熟睡していたのだろう。
 ベッドに潜り込む前にテレビで新天皇の即位宣言の式典をやっているのを見た。祝日になっているのは知らなかった。私の部屋のカレンダーは平日のまま。ふと思った。日本人にはとてもおめでたい、厳粛な気持ちになる日だが、韓国の人々はどう思うのだろうかと。日韓の間に横たわる戦争・侵略の過去、そうした歴史を理解した上で、我々日本人が新天皇や退位された上皇に対して抱く感謝の思いを彼らに理解してもらうのは難しいだろうと。
 さあて、今日からまた普段通りの日々だ。韓国語と中国語の独学も続けていこう。とは思っているのだが、やはり、異国から戻ると、ちょっと気だるい感覚が失せない。もうこれで今年は外国への旅は打ち止めか。いや、台北ぐらいならもう一回は行くことも可能では? でも先立つものが心細くなりつつある。それより地道に学習を続けていくことが大切だ。そもそも、来年からまた新しい仕事を探さなくてはとも思い始めている。

原因不明の体調悪化

 昨日の日曜日。朝からぼおっとしていた。あれ、おかしいぞ。でも、ソウル滞在の貴重な一日。無駄に過ごすわけにはいかない。この日は日本人には観光名所となっている春川に行くつもりだった。日本でブームになった「冬のソナタ」の舞台となったところらしい。私はブームに遅れて再放送で冬ソナにはまった口だから、ぜひ行きたいと思っていたわけではなかったが、ソウルから快速電車が出ていて途中の光景が素晴らしいと聞いていたので、ソウル近郊の一つぐらいは見ておきたかった。
 ホテル近くのコインランドリーでソウル到着以来の洗濯物を処理し、春川行きの快速電車が出ている龍山駅に向かう。この頃からどうも体調がおかしいことに気づき始めていた。無理しない方がいいのでは。ホテルに戻って休む手もあると思ったが、いざとなれば電車でずっと寝ていよう。購入した切符は午後2時15発。春川に3時半過ぎに到着し、向こうには一時間ちょっといて、また龍山駅に引き返す往復切符を購入した。締めて16,600ウォン。
 快速電車が出るというプラットフォームで待った。2時が過ぎて少し経過した頃、電車がホームに滑り込んできた。待っていた人たちがどっと乗り込む。私も乗り込んだ。途端にあれ、おかしいぞと思いはした。私の切符は5号車の5Dの席。乗り込んだ電車は普通の各駅停車の電車といった感じ。これではない、と思い、ホームに戻ろうとした瞬間、電車のドアが閉じた。
 結局次の駅で下車し、龍山駅に引き返したが、途中で私が乗るべきはずだった快速電車とすれ違った。同じホームで5分後に出ていた。紛らわしい。韓国語のアナウンスはあったようだが、私には分からない。英語のアナウンスはなかったように思う。後の祭りだが。
 私は不運な目に遭った時、それはすべて神の差配だと考えるようにしている。例えばうっかり1万円をなくしてしまったら、それは本来自分の身に降りかかるであろう災難を1万円で支払ったのだと。だから、これも神様が今回は春川に行くのはやめておき、早くホテルに戻って休めよと言っているのではと解釈した次第だ。
 そうはいっても、往復切符が全くの無駄になるのは惜しい。こちらのミスだから自業自得とはいえだ。それで、駄目もとで龍山駅の改札のところにある、駅員に通じるヘルプボタンを押した。すぐに女性の駅員さんが飛んできた。私が手短に説明すると、彼女は事情を理解し、切符の払い戻しを受けますかと言う。はい。彼女の後について行く。インフォメーションセンターだった。あれ、切符は向こうの売り場で買いましたけど。でも長蛇の列ですよね。ここで済ませましょ。ええ。彼女は手際よく係員に説明してくれた。係員は2,000ウォンは罰金として徴収されますが、いいですかと言った。もちろん。彼女は罰金だけは綺麗な日本語で「バッキン」と発音した。ソウルの駅にはかくも親切な駅員さんが勤務している。
 この後、ホテルに戻り、休んだ。だが、夜中になって体調は更に悪化した。下痢の症状も呈してきた。ラグビーのワールドカップ、日本対南アフリカの大事な一戦も頭にあった。ホテルの部屋のテレビは多チャンネル。スポーツ中継も多いので、どこかでやっているだろうと回したが、どこもやっていなかった。さすが、韓国、日本の活躍する国際スポーツは放映したくないのか! いずれにせよ、体調最悪でテレビを見る気にもなれないので寝た。

「カルビ立ち食いヨンナム食堂」

20191020-1571540406.jpg 地下鉄の駅からホテルへの行き帰りにそばを通るレストランのような古びた建物がある。レストランのようなとは普通のお店のようには見えないからだ。テーブルがなく、お客はドラム缶を囲み、立ったままで肉を焼いて食べている。建物も倉庫のようで薄暗い。
 初めてここを夕刻に通った時に外から中をのぞいて、どこかの会社の昔からある社内食堂かと思った。大勢の人たちが2、3人、あるいは4、5人のグループに分かれて、20前後はあると思われるドラム缶を囲んで美味そうに焼き肉を食べている。いや、やっぱりレストランか。肉を焼く匂いが窓から流れてきて、羨ましくなる。
20191020-1571540449.jpg 数日前、恐る恐る中に入り、レジらしきところにいた短パンの男性に韓国語で「ここは一人でも利用できますか?」と尋ねてみた。男性は「いいですよ。でも、今日はもうカルビがなくなったので店仕舞いです」というようなことを言う。「それでは明日、一人で来たら食べることができますか?」「ええ、大丈夫です。早い時刻がいい。午後5時に来れば大丈夫です」。一人で貴重なドラム缶を専有するのは気が引けるが、5時ならまだ客が少ないのだろうと推察した。
20191020-1571540480.jpg それがおととい。そして昨日夕刻、屋台で二度ほど一緒に飲んだCさんと連れ立ち、レストランに向かった。やはり一人で行くより、連れがいる方が、お店も受け入れやすいかと思ったのだ。私はCさんに見てくれはぱっとしないが、匂いがいい焼き肉店と伝えていた。お店に近づくと、彼は「ああ、ここですか。ここは地元では有名な店ですよ。カルビがなくなると店が閉まります」と言う。そうなんだ。有名なお店なんだ!
20191020-1571540819.jpg 到着したのが5時を少し過ぎており、何人か入店待ちで並んでいた。20分ほど待たされ、ようやっと入店。適当に肉を注文し、Cさんが器用にハサミで切り分け、練炭の上の鉄板で焼いてくれた。すぐに焼き上がり、たれをつけて口に運ぶ。匂いも良かったが、味も負けずに良かった。辛くない青い唐辛子も時々はさみ、焼酎で喉を潤しながら、パクパクと食べた。こんなに美味いカルビは久しぶり。勘定は二人合わせて72,000ウォン。納得の値だった。外の看板の店名は「연남서식당」。「カルビ立ち食いヨンナム食堂」と呼びたいようなお店だ。また絶対行きたい!
20191020-1571540533.jpg お腹が一杯になったのでCさんの案内で近くを散歩した。私の宿は新村と呼ばれる地区にあるようだ。新村は若者が集うファッショナブルな一帯だとか。ホテルがある周辺は全然そういう感じがしないが、Cさんの案内で歩いたら、確かに多くの若者たちで賑わう一角に出た。はやりのレストランがひしめき、入店待ちの人たちが長い列を作っている。博多・天神を上回る熱気を感じた。
20191020-1571540605.jpg 歩いていたら、少し小腹が空いたので、寿司店を見つけ、そこでセットの寿司に生ビールを飲み、満足してホテルに戻った。普段質素な生活を送っているので、旅先ぐらいではちょっと贅沢してもいいだろう。これを贅沢と呼べればの話だが。
 部屋に戻ってテレビをつけた。ひょっとして日本シリーズの初戦を放送していないか。放送していなかった。ラグビーのワールドカップは放送していた。これなら明日の日本・南アフリカ戦は見ることができそうだ。

国立ハングル博物館へ

20191019-1571492565.jpg 旧知のP、Jさんと会食した翌日、Jさんの職場があるプレスセンターを訪ねた。その前にランチを食べようと思った。目の前をお昼を食べ、仕事に戻るといった感じのサラリーマンらしきグループが横丁の通りから出て来た。都市部ではどこでも見る光景だ。その横丁の通りに美味くてリーズナブルの食堂が何軒かあるのだろう。そう当たりを付けて横丁に入る。あった、らしき食堂が。おばちゃんが何を食べるか尋ねるので、「ビビンバ」と答える。
20191019-1571492599.jpg アサリのビビンバが出てきた。どうもしっくりこない。目の前に醤油のような瓶がある。おばちゃんに目で質問すると、そうそう、それを少しご飯に垂らしてよく混ぜて食べるのよ、との感じ。そうしてみたら、本当に美味くなった。幾皿か出てきた小皿の総菜も含めて完食。納得の8,000ウォン。
 Jさんと懇談した後、辺りをちんたら歩いていたら、遠くに銅像が見えた。どうもハングルを創設したあの世宗大王の銅像のようだ。世宗大王の銅像があるからにはハングルの歴史を紹介した博物館があるに違いない。
20191019-1571492645.jpg ソウルに発つ前に公民館の中国語講座で学んでいる人から国立ハングル博物館という場所があり、無料で入館できると聞いた。韓国語上達の願をかけるために、ぜひそこに足を運ばねばと思っていた。私は事前に入念にチェックすることは怠る性分。一人旅だから許されることだと承知している。
 世宗大王の銅像のところまで歩いた。実に堂々とした銅像だ。近くに博物館らしき大きなビルが幾つかあったので訪ねたが、どうもハングル博物館ではないようだ。係員の女性が私の来訪の意図を理解して、丁寧に目指すべき場所を地下鉄の駅名を含めノートに書いてくれた。この間のやり取りは何とかほぼ韓国語で済ますことができたのが嬉しかった。小人は些細なことにも喜びを見いだすのだ!
 ただ、この日(金曜)はもう午後も遅い時間帯だったので、明日(土曜)に行くことにしてホテルに戻った。土曜は朝に荷物を受け付けに預けることになっている。荷物といってもキャリーバッグに洗濯物を詰めたレジ袋一つだけだが。
 土曜朝、多少二日酔い気味で最寄りの地下鉄駅に向かう。昨日夜は最初の夜に行った屋台で焼酎を飲んだ。たいした量ではないのだが、ソウルに来て以来、毎晩飲んでいるので、普段は飲まない自分には少し焼酎疲れかもしれない。ホテルで朝にシャワーを浴びてもあまりすっきりはしなかった。
20191019-1571492689.jpg さて、ようやくたどり着いた国立ハングル博物館(국립한글박물관)。地下鉄の二村(이총)駅で下車して地上に上がると、凄くいい天気だった。まさにうららかな秋日和。これだけで幸せな気分に浸れる。博物館の周辺は散歩道や木立が広がっており、芝生の上では家族連れや年配の人たちが弁当を広げてピクニックのような雰囲気だ。実にのどか。
20191019-1571492726.jpg ハングル博物館に入館してハングルの歴史を紹介したビデオや展示物を見た。朝鮮王朝の第4代王、世宗大王(在位1418-1450)が1443年に創設したハングル文字の凄さについて考えさせられた。我々の祖先は日本語から漢字を捨てなかったことを考えると、思いは複雑だ。それについてはまた項を改めて書きたい。

南大門市場

20191018-1571358274.jpg 一夜明けてフロントで来週月曜までの宿泊代金を一括で払う。金土日は代金がアップするが、再度のホテル探しも難儀だからOKする。そして土曜日だけは朝に荷物をまとめてフロントに預けることも承諾する。それぐらい、どうということもない。
 木曜朝、真っ先にやったことは前日にホテル探しに面倒をかけた駅のトラベルサービスで働く女性二人にお礼のお菓子を渡すこと。喫茶店で買い求めたクッキーを手渡した。気は心とかいうではないか。凄く喜んでくれた。
20191018-1571358321.jpg この日は夕刻に韓国人の友人2人と再会する以外は予定がない。とりあえず、ソウル駅にまで出かけてみることにした。そこからソウルを代表する市場と言われる南大門市場に行くことにしよう。ソウル駅の周辺を歩いていて高いところにある通路のようなものが目についた。あそこから眺めればいい景観が楽しめるのでは。それで上がって見た。確かにソウル駅周辺のいい景色が眺められた。通路そのものも植栽が豊かで見事な盆栽も置いてある。空中庭園といった感じだ。こんな粋なもの、昔からあったのだろうか?
20191018-1571358367.jpg 観光案内所みたいなボックスがあったので、のぞいてみる。係員のような女性が一人いた。尋ねてみると、一昨年にできたものだという。元は高速道路の橋梁だったとか。その道路が老朽化したのを契機に遊歩道として生まれ変わったのだという。元の道路が完成したのが1970年。遊歩道として再生したのが2017年。それで遊歩道のあちこちに since 7017 という告知があったのがようやく理解できた。最初は7017って何のこと?と思いながら歩いていたのだ。
20191018-1571358416.jpg 歩き疲れてランチは南大門市場の中にある食堂街の店をのぞいた。狭い通路に美味そうな品々が並んでいる。胃袋がいくつあっても足りないだろう。感じの良さそうな一軒に入り、キムチチャーハンを注文する。びっくりするような美味さではなかったが、まずまずの味。スープとお惣菜もほぼ完食。リーズナブルな6,000ウォン。
20191018-1571358454.jpg その後もちんたら歩き、カフェを何軒か利用して、夕刻、約束の地下鉄駅に向かう。ソウルは地下鉄が充実しているが、乗り継ぎ駅が実に難解。私だけ? 約束の時間に遅れないように気を遣った。この夜再会したのはもう何十年前になるか、中東のイラクでサダム・フセイン大統領がまだ君臨していた頃、日本人を含む多くの外国人が米軍の爆撃を阻止するための人質となった事件を取材するために、首都バグダッドで会った韓国人の元記者2人だ。2人とも少し私の年下でまだ現役の身だ。
 Pさんは今は大学で経済学を教えている。Jさんはメディアの全国的組織の要職にある。私はバグダッドで取材をした当時の記憶は薄れている。記事はスクラップとして残していない。当時パソコンがあればどれほど良かったことだろうかと思わざるを得ない。ブログもあったら折々の思いを綴ることができただろうに。Jさんは出会いが1990年の9月だったと明確に覚えていた。そうだ。90年9月だった。30年ほど前になる。バグダッドのホテルの私の部屋で彼ら韓国の取材陣と語らい、酒を飲んだことは覚えている。
 この夜の話題はいつしか年金のことにも及んだ。第二の人生をどう過ごすかということにも。韓国語で語らいたかったのだが、やはり英語で語り合うしか手はなかった。残念!

久しぶりのソウル

 疲れた。久しぶりのソウル。前回のソウル訪問の記憶はほとんど残っていない。だからソウルでは全くのstranger と言える。第一、仁川国際空港に到着して、入国審査を受けるために電車に乗りターミナルを移動しなければならないことに面食らった。
 入国審査を終え、空港で日本円を韓国ウォン(₩)に取りあえず両替。2016年3月には福岡の銀行で両替したレートは1¥=9.30₩だった。今回、仁川空港での両替のレートは1\=10.13₩だった。少しだけ「日本円が得する」か。ほぼ1,000円=10,000ウォンの計算でいいようだ。両替後、スマホを使うためにルーターを借りようとしたが、台北に比べ割高のような気がして、スマホを使う機会もないので、今回は借りるのをやめた。ホテルかどこかでパソコンのメールを確認して、ブログをアップすることさえできればハッピーだ。
 仁川空港から電車に乗った。1時間ほど乗車して、弘大入口駅に着いたのであてもなく下車した。もう少し乗っていれば、ソウル駅に到着することは分かっていたが、ガイドブックにこの駅の周辺が載っていたので、何となくこの辺りで安いホテルがあるのでは目論んだのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。
 例によって犬も歩けば棒に当たる式で周辺を歩き回り、ホステルの看板が目に飛び込んできたなら、一人部屋があるかと尋ねた。なぜかどこも満杯。料金を尋ねると、一泊7万ウォン(約7千円)で週末には倍額と宣うではないか。いや、それなら、普通のホテルをあらかじめ予約しておけば良かったと悔いた。
 弘大入口駅内にトラベルセンターという観光案内所があり、そこに引き返して相談した。若い女性2人が勤務していたが、一人は日本語が堪能でいろいろとパソコンで適当なホテルを探してくれた。私はひと頃よく尋ねた釜山では確か4万ウォンの安ホテルを常宿にしていることを覚えていたので、何とかその辺りのレートを考えていたのだが、上記のように若者が利用するホステルからして私には手が出せそうにない価格。
 結局、彼女たちの苦労の甲斐あり、地下鉄で一駅離れただけの近場に4万ウォンの安いホテルを見つけることができた。一人が直接電話をしてくれた。日本では外国からの観光客に、しかも何の準備(予約とか)もしていない、いい加減な訪問者にこのように懇切丁寧に応対してくれるものだろうか。深く感謝した。
 さて、道に迷い迷いしながら、通行人にも何度か尋ねたりして、目指すホテルにたどり着いた。土地勘もないのでよく分からないが、どうもラブホテルの一角にあるそういうホテルのようだ。困ったことに受付にいた中年のご婦人に英語が全く通じない。もちろん日本語もだめ。私の韓国語のレベルでは込み入った話はできない。入室してみたら想像以上にきちんとしていた部屋だったので、来週月曜まで連泊したいと言ったら、喜ぶかと思っていたら、困った顔をするではないか。OKはしてくれたものの、日中は荷物を出してくれというようなことを言っている。ははーん。ショートのカップルに部屋を使わせたいので、日中は部屋を空けろということかと推察した。
 その夜、ホテル近くの屋台で焼酎とイカ焼きなどを食した。相席した人と日本語に韓国語を交え、楽しく会話していたら、離れたテーブル席にいた男性客から私に向かって罵声が飛んできた。

“a minor miracle”

20191014-1571035774.jpg ラグビー・ワールドカップの熱狂がさらにボルテージを上げている。むべなるかなだ。日曜夜のゲームは私も少なからず興奮しながらテレビで見た。アイルランドに勝利したのはともかく、負ければグループリーグでの屈辱の敗退が決まるスコットランドは必死になって攻めてくるだろう。体力と底力に優るラグビー伝統国のスコットランドを破るのは並大抵ではないだろうなと思っていたが、堂々と力で押し切った。
 私はラグビーには詳しくない。ロンドンで暮らした3年間、観戦に足を運んだこともないし、BBCが放送していたラグビーの本場のゲームも熱心に見た記憶はない。日本の代表チームが当時は逆立ちしてもイングランドやスコットランド、ニュージーランドなどの伝統国に勝てないことも影響していたのだろう。それが今や、ワールドランクで7位にまで上昇するほどになっている。
 月曜朝、BBCのホームページをのぞくと、日本代表を称賛する表現があふれていた。台風19号の惨禍を克服しての国を挙げての勝利とうたっていた。実施が危ぶまれていたゲームが行われたこと自体が “a minor miracle” (奇跡に近い至難の業)であると述べ、その上スコットランドを破ったことは “A huge moment for this incredible country” (この驚くべき国にとって胸を張れるひととき)と称えている。記事を抜粋して紹介すると・・。
 After a horrendous Saturday that brought death and destruction, it was a minor miracle the game went ahead in the first place, a roaring tribute to the people responsible for clean-up after Hagibis battered this area 24 hours earlier.
 When they turned over that last Scottish raid the acclaim of the home support was deafening. A huge moment for this incredible country, a huge moment for this World Cup. Scotland are heading home. Japan? Who knows how far they're heading. Further than they've ever gone before, that's for sure.
 日本代表の次のゲームは20日の準決勝進出をかけてアフリカの強豪、南アフリカとの一戦。私はソウルにいる。ホテルの部屋でも観戦できるだろうか。まさかどこかお店で実況中継を流してなどいないだろうなあ。日韓関係では寒風が吹き荒ぶ時期だけに。
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 韓国語の学習。NHKラジオの初級講座は母音や子音をやっている。だいたいは聞き流すことができる。中級はそうはいかない。何度もテキストを読み返している。本日は「こういうときは、どうすべきでしょうか」という助言を求める場面でのやり取りが出てきた。「이럴 땐 어떻게 해야 되죠?」(イロル テン オットッケ ヘヤ テジョ?)。これなど、ソウルの旅先で使えそうな表現に思える。先方の返答の内容を理解するのは一苦労だろうが、ゆっくり話してもらえれば少しは会話が成立するかもしれない。
 私は上記の文章は目で見れば、何となく分かる。問題はこういう文章がさっと頭に浮かび、口にできるかだ。そしてこの表現をさまざま場面で応用できればいいのだが、それはどうも・・。そうできれば私にとって “a minor miracle” だ。

台風に再び思う

20191013-1570967528.jpg 台風19号が大きな爪痕を残して去った。私の住む九州は被害を免れたが、首都圏を中心とする東日本では記録的な豪雨に見舞われ、多くの人命が失われたようだ。それにしても、河川の水が堤防を越え、住宅地に流れ込み、家屋の浸水をもたらす水害の類は何とか事前に手を打てないものだろうかとつくづく思う。
 英BBC放送のホームページ上では台風19号(Typhoon Hagibis)による惨状がトップニュースで報じられていた。自衛隊が出動して取り残された住民を救助する活動の写真が掲載されていたが、大きな台風が来るたびにそうした写真を目にするのは、自然災害に弱い都市、即ち災害に無力の日本というイメージを国際社会に定着させることになる。
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 大リーグ。ナショナルリーグは日本人選手所属のチームが消えたので関心も消滅。アメリカンリーグは田中マー君のニューヨークヤンキースが残っているので応援継続。日曜日朝(現地は土曜夜)アリーグのチャンピオン決定シリーズとなるプレーオフ第2弾が始まった。ニューヨークヤンキース対ヒューストンアストロズ。絶対的エースを2人も抱え、猛打が売りのアストロズはこの後に続くワールドシリーズ制覇の下馬評も高い。対するヤンキースの第一戦の先発を託されたのはマー君。
 マー君が初回からポカスカ打たれるのではないかと案じていたが、制球よく投げていた。三振を取るよりも打たせて取る巧みな投球。味方の好守にも助けられて5回を1安打無得点で抑え、チームは6回表を終えた時点で3対0でリード。しかし野球は6回以降が勝負だ。私はこの日、英語教室のある日だったので、後ろ髪を引かれる思いで自宅を後にした。
 教室を終え、スマホで確認すると、マー君は6回裏も抑え、1安打4三振の好投でマウンドを降りていた。まずは文句なし。できればせめてもう一回、7回までは投げ切って欲しかった。球数はわずか68球。ブーン監督が第1戦を何としても勝利するため、石橋を叩いて渡る思いで早めの投手交代を決断したのだろう。ヤンキースはアストロズと異なり、先発投手陣は弱いが、中継ぎ、抑えのいわゆるブルペンは大リーグ一とも称されている。
 この日、結局ヤンキースは打線がその後も追加点をあげ、7対0で快勝した。マー君はプレーオフ第1弾でも勝ち投手となっており、10月のプレーオフシーズンに強い評価をさらに上げた。今プレーオフは7戦4勝制。もう一戦投げることを求められることになる可能性大だ。マー君は不調な時期には手厳しいヤンキースファンから「高い買い物」と揶揄されることもあったが、今は評価が一変しつつある。ワールドシリーズまで駒を進め、さらに活躍すれば、そうした雑音が一掃されることは間違いない。
 ヒンチ監督は次のように評している。“That’s probably the best that we’ve seen him in a small sample to execute his game plan, his pitches, his tempo,” Astros manager AJ Hinch said. “Just about everything was working for him. He was just really, really good tonight.” (「彼と対戦したことは多くはないが、狙い、投げる球、テンポなどおそらくこれまででベストの投球だったと言える。すべてが彼のプラスに働いていた。彼は今夜、本当に本当に良かった」)。敵将にかくも褒められるとはマー君も悪い思いはしないだろう。

That's batshit crazy!

20191010-1570711005.jpg シリアを中心とした中東情勢が緊迫している。発端はトランプ米大統領がシリア北部にクルド人勢力とともに展開していた米軍の撤収を表明したこと。クルド人勢力に敵対するトルコ軍の軍事作戦に道を開くこととなり、シリア北部への空爆や砲撃が始まった。
 米国はこれまでクルド人勢力を支援して、イスラム過激派組織「イスラム国」の掃討に当たってきた。今回の米軍の行動はクルド人勢力への裏切り行為に当たるのではないかと、米国の与党共和党内からも反発の声が上がっている。このニュースをフォローしていて、オバマ前政権で安全保障担当の補佐官を務めていたスーザン・ライス氏がトランプ大統領のこの方針を「支離滅裂」と非難しているニュースが目に入った。見出しでは “This is bats**t crazy” となっていた。おそらく英語でいわゆる four-letter word と呼ばれる、あまり公然とは口にできない卑猥な語だと推察がつく。本文を読むと、batshit と出ていた。batshit crazy という語彙は私の辞書には掲載されていない。ネットで調べると、「支離滅裂」とか「常軌を逸した」といった意味のようだ。unbelievably crazy といったところだろうか。
 トランプ大統領の方針はこれまで米軍と一緒にイスラム国打倒のために戦ってくれていたクルド人勢力が武力に優るトルコ軍の攻撃にさらされるのを黙認する行為に他ならない。ウクライナ疑惑から弾劾訴追の動きが加速しているトランプ大統領に対する非難の声はますます大きくなるだろう。国際政治の場から早く退場して欲しいと願う声も勢いを増すのではないか。異国の指導者が米大統領の苦境に我が利ありと無法な蛮行に出ることがないことを祈りたい。
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 勝負の世界は非情、ということを改めて実感した。プレーオフが佳境を迎えている大リーグ。ナリーグでは木曜日(現地では水曜日)リーグチャンピオン決定シリーズに出場する2チームが決まったが、何と、前田健太投手の所属するロサンゼルスドジャースはワシントンナショナルズに信じ難い逆転負けを喫し、プレーオフから敗退した。2勝2敗で迎えた最終戦、ドジャースは有利なホーム球場にナショナルズを迎えた。1、2回に好調な打線が計3点を挙げてリードした時には、これでプレーオフの勝ち上がり確実と多くの人々が思ったことだろう。
 私は木曜朝からずっとこの試合を見ていた。7回を終わって3対1でドジャースがリード。お昼過ぎに用事があったので出かけた。中継ぎに回った前田君も控えているし、まあ勝つだろうと思っていた。用事を済ませて帰宅すると、何と痛恨の逆転負け。しかも、救援した大エースのカーショーが8回に2本のソロホームランを浴びて同点とされ、延長10回表には別の投手が満塁ホームランを打たれ、裏を完璧に抑えられ、7対3でゲーム終了とは。
 前田君はカーショーの後を引き継ぎ、3者三振の見事な投球を見せていただけに、ベンチの采配ミスではと思わざるを得ない。レギュラーシーズンではドジャースはリーグトップの106勝を挙げ、ワイルドカードから勝ち上がってきたナショナルズは93勝に過ぎない。それでもリーグチャンピオン決定シリーズに出場する権利を獲得したのは伏兵ナショナルズだった。ドジャースファンには悪夢のような試合だったことだろう。残念! 

벼락 공부(一夜漬け)

 来週半ばからの韓国の旅が迫ってきたので、韓国語の学習に力を入れている。手にしているのはNHKラジオで現在放送中の韓国語中級レベル「レベルアップハングル講座」のテキスト。この講座は最初の放送は2015年秋のようだが、私は昨年1-3月に初めて聴講したので、今は2回目。私には結構難しいと思われる文章も出てきたりしているが、ソウルで韓国語を使う際に大いに役立ちそう。 
 韓国語の独学を始めて以来、これまで釜山には何度か足を運んでいるが、手ごたえを感じたことは皆無に近い。今回は少しは違うのではないかと期するところ大だ。そう期待するのはこれまでの釜山の旅では身につけていなかった韓国語の表現が幾つか理解できるようになっていることだ。
 例えば、「~のようです」「~みたいです」というマイルドな言い方は以前は全然できていなかった。そこまでは手が回らなかったと言うべきか。今は「~같아요」(カッタヨ)と言えば、そういう意味合いを表現できることを承知している。「明日は雨が降りそうですね」ならば、「내일은 비가 올 것 같아요.」(ネイルン ピガ オル ゴット カッタヨ)で大丈夫なようだ。これくらいはテキストやメモ帳を見ないでも何とか口にできるかなと思う。
 また釜山の旅では「今日は街を散歩するつもりです」という文章ならば、これまでは「산책할 생각합니다」(サンチェックハル センガク ハムニダ)という固い表現しか知らなかったが、今は「산책할 거예요」(サンチェックハル コエヨ)という言い回しを習得した(と思っている)。
 自信はない。できるだけ英語(日本語)に逃げないで、精一杯韓国語をしゃべり、聞き、力にしていこう。そうでないと、費やす時間とお金がもったいない。
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 また、大きな台風が日本に向かっている。九州には向かってこないように、ネットで気象衛星画像を見て、念を送っていたが、関東圏に上陸しそうな雲行きだ。千葉県は先の台風で大きな被害が出たばかり。猛威を振るわず、さっと過ぎ去るように祈り、念を送っている。
 日本で開催中のラグビー・ワールドカップも盛り上がっているが、大リーグもプレーオフの熱戦を展開している。田中マー君のいるニューヨークヤンキースは第一関門を順調に勝ち上がり、アリーグの優勝決定シリーズに駒を進めた。前田健太投手のロサンゼルスドジャースは明日のゲームに勝てば、ナリーグの優勝決定シリーズに進むことができる。日本人ファンの理想はヤンキース対ドジャースのワールドシリーズだ。
 マー君がアリーグの優勝決定シリーズ進出へ先発勝利で貢献した先日の試合後に、同僚の強打者アーロン・ジャッジが次のようにマー君のことを称賛していたのが印象に残っている。“He’s an artist out there. Every postseason he always has a special game.” マウンドでの力投をアーチストと形容されるとは頼もしい。つい最近、大リーグのホームページ上でマー君のことを Masa-hero とユーモラスに呼んでいたのを思い出す。こうした言葉遊びはネイティブスピーカーでないと思いつかない。両親が彼を「将大」と名付けた時に、海の向こうでいつかMasa-hero と称えられるとは想像しなかったことだろう、きっと。

健康診断でノックオン

 毎年秋にお世話になっている市の定期健診。現役を退いた身にはありがたい健康チェックだ。大腸がんと胃がんの検査も追加料金でお願いしている。大腸がんの検査結果はほどなく届いて今年も「陰性」。胃がんの検査結果は保健師の面談の日の前日まで届かなかった。
 それで正直、何か異常があったのかなと少し気になっていた。かつて新聞社勤務時代の定期健診で私の胃のレントゲン写真を見た勤務医の先生が「ほおー、これはテキストとして使いたいぐらいのきれいな写真ですね」とほめてもらったことがあり、他の部位のがんはともかく胃がんだけは一生免れるのではと思っていたので、そんなに真剣には心配していなかったものの、異常なしとの検査結果には安堵した。
 しかしながら、保健師さんとの面談では肝機能、脂質代謝が芳しくないとお小言を頂戴する始末となった。メタボ判定で予備群に該当するとは。コレステロールなどの脂質代謝が悪いことは承知していたが、断酒して以来、好転していた肝機能の数値がことごとく悪化していたのには驚いた。確かに週末には軽く飲酒するようになっているが、昔に比べれば喉を潤す程度だ。保健師さんからは肥満及び血糖値の上昇でも肝機能は悪化すると指摘された。
 スロージョギングもあまり効果がないということか。それもショック。まあ、これから自分なりに対策を考えていこう。とにかく体重を落とし、腹囲の数値を下げなくては!
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 10月。私にとってとても有益なNHKラジオの中国語と韓国語の講座も新しいクールに入った。初級、中級ともに一度は聞いたことのある再放送。これは色々な意味で有難い。第一に初級講座でも忘れていることが少なくない。もっと正確に言えば、頭にしっかり根付いていない語彙や語法が多い。だから、再度そういうものに触れ、脳裏に定着させられるのは実に有難い。しっかり記憶できればの話だが。
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 ラグビー・ワールドカップがますます熱狂度を増している。にわかラグビーファンが急増中といったところか。かくいう私もその一人だが。ラグビーもサッカーもイングランドが発祥の地。かつてサッカーは庶民のスポーツ、ラグビーはエリートのスポーツと言われた時代もあったかと記憶している。アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカではラグビーは白人社会のスポーツだった。
 NHKラジオの英語講座を聴き流していたら、「応援する」は “root for” が最適の語彙と説明していた。私が受けた学校英語教育ではあまり馴染みのない表現だが、確かにこの表現はよく耳にする。ラグビー・ワールドカップの会場で “Which country are you rooting for?” と外国人観客に尋ねれば、おそらく多くのファンが彼らの母国のチーム以外では “I’m rooting for Japan.” と答えるのではないかと思う。これまでラグビーの世界では存在感の薄かった日本代表チームの人気は、海を越えて急上昇中! 
 大リーグのプレーオフも始まった。アリーグの田中マー君、ナリーグの前田健太投手のチームも勝ち残っており、マー君は土曜(日本時間日曜)の試合で先発、好投し、勝利投手となった。中継ぎ役に回った前田投手も大切な役回りをそつなくこなしている。加油!

『三体』

20191004-1570152468.jpg 地球外生命体はいるのか? 香椎浜をジョギングしている折など、空を飛ぶ飛行機を見ていて、いつかこの空にUFOの大群が押し寄せたりしたら、人類は大騒ぎになるだろうなあ。しかも敵対的な来訪だったりしたら、などと夢想する自分がいる。宇宙の果てから大挙して地球を訪れる地球外生命体は間違いなく人類よりはるかに進んだ科学技術を有していると思われる。地上にへばりついて暮らす我々を滅亡させるのは、彼らにとってたやすいことだろう。21世紀中に実際にそういう事態になったとしても、自分はその場に居合わせることができない。それは果たして運よくと言えるのだろうか、などとも考える。
 読売新聞社に勤務していた時の同僚が『言語学者が語る漢字文明論』とともに、言及していた本が、まさにそうしたことをテーマにして書かれたSF小説だった。私など足元にも及ばない読書家の元同僚はさすがに「守備範囲」が広い。
 中国人作家、劉慈欣の『三体』(早川書房)。劉氏は1963年、山西省生まれのSF作家。私は初めて知ったが、今や中国のみならず世界的に注目を浴びている作家だとか。帯カバーの紹介が凄い。「現代中国最大の衝撃作、ついに日本上陸」「中国で三部作累計2100万部突破 アジア圏&翻訳小説初のヒューゴ賞受賞」などと紹介されている。日本語訳には3人の翻訳者の名前があり、後書きを読むと、ヒューゴ賞受賞となった英訳本も参考に邦訳がなされたことが分かる。
 400頁を超える大作だったが、飽きることなく読破できた。いや飽きることなくというのは正確ではないかも。結末近くは私には到底理解できない陽子だの微小宇宙、マクロ原子だの、難解な天体・物理・科学用語のオンパレードで、私の拙い脳細胞が機能しないまま文章を目で追うことになった。これまでこのような小説の類は(おそらく)読んだことがない。帯カバーにある識者の「驚天動地の人類史網羅SF」「奇跡の"超トンデモSF"」という評価を見ると、SF小説のジャンルでも群を抜く作品であるらしい。道理で。
 『三体』で描かれているのはほぼ現代の地球文明。米中の対立関係も続いているようだ。現代文明の環境汚染、生態系破壊に、つまり人類のありように絶望した知的階層の人々が銀河系外の生命体とコンタクトを取り、人類の救済もしくは征服を求める。このこと自体奇想天外な設定だが、気がついた時は中国が主要舞台の物語の展開に引き込まれている。
 地球から送出された電波メッセージに応じて「三体」と呼ばれる惑星の異星人が地球に向け、艦隊を派遣することを決める。この異星人は人類よりはるかに進んだ文明・科学を手にしているようで、統括するのは「元首閣下」と呼ばれる人物。人物と書いたが、どうも限りなく人間に類似した生命体のような印象を受ける。彼らが住む「三体」はしかし、酷暑・極寒の居住し易い惑星ではないようだ。彼らの艦隊が地球に到達するのは物語が語られる時点から450年後。その間に地球人類は自分たちの科学を異星人と対峙できるほどに進歩させることができるのか。
 中国語ではすでに三部作が完結しており、これから日本では二部、三部と刊行されていく運びのようだ。SF小説の世界でもこれからは中国人作家の作品に刮目すべしということか。嗚呼、中国語の原書で読めたらなあ!450年後、45年後、いや4.5年後にでも。

中国映画『芳華』

20191002-1569984223.jpg  寝付きが悪いので、コーヒーを断って一か月。最近は割とすっと眠りに落ちるようになった気がする。本当にコーヒーが原因だったのかは自分でもよく分からないが、まだしばらくはこのままできるだけコーヒーから遠ざかる生活を続けようかと考えている。
 自分で料理するようになると、外で食事するのも段々と億劫になるようだ。会社勤めの頃は外食するのが当たり前の暮らしだったのが信じられない気もする。今は英語教室で出かける小倉駅前の海鮮料理店でお昼を食べるぐらい。ネギトロ丼に生海苔味噌汁で計858円。ネギトロ丼はさすがに美味い。これで十分満ち足りた気分となる。ご馳走様。
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 公民館の中国語講座の先生から推薦された中国の映画を観るために早良区の福岡市総合図書館を訪れた。福岡映画サークル協議会の主催で、第14回中国映画を観る会という催しとなっていた。足を運んだ甲斐のある力作だった。
 作品はフォン・シャオガン監督の『芳華(youth)』。1970年代の文化大革命時に歌や踊りを披露して人民軍の兵士を慰労する役目の文工団が舞台。そこで青春時代を送った若者の姿が描かれていた。日本語字幕付きで時々、私にも理解できる中国語表現が出てくると嬉しかった。最初に戸惑ったのは女性の語り手がどの少女なのか分からなかったこと。この手の作品ではだいたい最も美しい、あるいは魅力的な少女がヒロインなのだろうと推測がつくが、美形の子が何人も出て来るので??という感じだった。
 文工団に17歳の可憐な少女がやって来る。父親は共産党政権からブルジョア、反革命のレッテルをはられ、投獄され、母親は再婚したが、再婚の家庭でのけものにされてきた不幸な過去を持つ。少女は文工団でも臭いと蔑まれる。ダンスの練習をした後など、人一倍の汗っかきの体質のため、その汗が臭うだけのことなのだが。少女は団員の仲間の青年に恋心を抱くが、この恋は失恋に終わる。
 文革が終了して文工団も解散となるが、中国が隣国ベトナムと戦争に突入したため、少女と青年の人生は再び交差する。兵士となった青年は右手を失い、従軍看護婦となった少女は爆撃に遭い、その後遺症で精神を病み、施設に送られる。
 毛沢東時代に四人組という権力の亡者に率いられた文革がいかに非人間的な悪政だったかは我々は今は分かっている。知識階級の人々は有識であるという理由だけで迫害され、幾多の無実の人たちが死に追いやられた。作品ではその辺りはあまり触れられていなかったのが気になった。傷痍軍人となった青年が若い警察官らに冷たくあしらわれるなど、改革開放後の中国で拝金主義が罷り通っている姿は描かれてはいたが。
 昨日の1日は中国では国慶節。今年の国慶節は中華人民共和国が誕生して70年の節目に当たる。天安門広場前で習近平国家主席がにぎにぎしく、中国軍の近代装備を前に車に乗って閲兵しているのをテレビの生中継で見た。中国が今やアメリカを追い落とす勢いの超大国であることは誰もが否定できない事実だが、それが世界に平和と安定をもたらすものであるのかどうか。そうなって欲しいとは隣国に住む者として切に願うが。

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