Home > Archives > December 2018

December 2018

良いお年を!

 年の瀬にきて風邪をひいてしまった。最近長風呂を覚えたのが災いしたようだ。ジョギングするようになってシャワーだけでは物足りず、ユニットバスに湯をため、疲れた足をマッサージするのが楽しみになっていたのだ。このところ、一段と冷え込んできたのも一因かもしれない。早く体調を元に戻したい。
                 ◇
 最近通い始めた公民館の中国語講座で先生(中国人女性)に次の言葉を教わった。「巨婴」。この言葉が昨年以来、中国でよく使われるようになったとか。意味するところは少し頭を働かせば、我々日本人には想像できる。「巨大な嬰児」すなわち「赤子のまま成長したようなわがままな大人」を意味するようだ。
 読売新聞の国際面で過日、中国の「改革・開放」40年を報じた企画記事がまさにこの「巨婴」がはびこる現状を指摘していた。中国の人々が利益を追求するあまり、その一方で昔からの道徳が荒廃しているのだという。一例として重慶で10月に起きたバスの転落事故が挙げられていた。路線バスに乗っていた一人の女性乗客が目的地で降り損ねたため、男性運転手に殴りかかり、これに応戦した運転手がハンドル操作を誤り、バスは川に転落した事故だ。乗っていた15人全員が死亡。車載カメラが女性乗客と運転手の喧嘩の様子をとらえており、私もネットでこれを見て、巻き込まれた他の乗客や遺族はいたたまれないだろうなあと思った。事故を引き起こした女性乗客は「巨婴」の典型だろう。日本では今年「あおり運転」が社会問題になったが、悲惨な事故を招くあおり運転の愚行に出る馬鹿者も「巨婴」としか思えない。
                 ◇
 海の向う、トランプ米政権で残ったただ一人の大人(無論これは「巨婴」ではない)と目されていたジェイムズ・マティス国防長官がついに政権を去ることになった。彼はかつてトランプ大統領の国際政治・軍事情勢の理解度について、小学生に例えるならば、「5年生か6年生程度の理解力しか持ち合わせていない」と嘆いたと伝えられる人物だ。
 マティス氏が政権を去ったことで政権の屋台骨がますます揺らぐのは必至か。トランプ大統領が来年、政権運営に行き詰まり、新しい政権が誕生したとしても全然驚くにあたらないだろう。いや、できるだけ早くそうなって欲しいと思わなくもない。
                 ◇
 正月は富山・魚津で過ごす予定だ。東京時代にお世話になっていたスナックのママさんの家で厄介になる。雪の中で正月を迎えるのは久しぶりだ。盛岡支局に勤務していた頃を思い出す。嗚呼、あの頃、今の「気づき」があれば、私の人生は違ったものになっていただろう。かといってそのようにリセットできていれば、今の私も存在しなくなる。それも残念だ。ということは、まあ今のままの人生で良しとするしかない
 このブログを読んで頂いている希少で貴重な読者の方々へ。新年が皆さまにとってとてもいい年であるようにお祈りします。Happy New Year! 새해 복 마니 바드세요. 祝您新年快乐!

ikigai(生きがい)

20181218-1545093946.jpg 米CNNをネットで読んでいて、ikigai という語が見出しに踊っているのを見つけた。記事は次の言葉で始まっている。What if you could live longer just by doing more of what you love to do most? (自分が最もやりたいことに一生懸命になるだけで寿命が延びるとしたならどう思いますか?)。
 記事は沖縄県でも「長寿の里」として知られる大宜味村(おおぎみそん)を例に挙げ、長生きの秘訣を探っている。村人たちは健康に良い野菜を食べ、笑いが絶えず、ゆったりとした暮らしを楽しんでいると。実はこれこそが、日本ではikigaiと呼ばれるもので、“the happiness derived from being busy at some activity that holds meaning and purpose for them”(あなたが意味や意図があると考える活動に専念することにより生じる幸福感)を意味し、ikigai とはそういうphilosophy(哲学、人生観)であると紹介している。
 生きがいは成長するにつれて、つまり老いていくにつれて、その意味するところが変化していくものだろう。多くの人にとって現役を退き、還暦を過ぎると、それは子供や孫のことに移っていくのかもしれない。独り身の私にはそんな贅沢は望めない。従って他に見いだすしか手はない。日々生き長らえることが「生きがい」だとしても何ら恥じることはないかとも思うが・・・。
 まあともかくもikigaiやmottainai といった語彙がやがて英米の辞書に掲載されるようになれば、それは日本のソフトパワー(soft power)ともなるのだろう。
                  ◇
 中国語は英語と同様、語順が大事だとよく言われる。それに対して我が日本語は語順に関しては割と鷹揚な印象がある。「私は彼を愛している」と言おうが、「彼を私は愛している」あるいは「私は愛している、彼を」と言おうが、意味するところは同じだ。
 その点、韓国語は日本語と語順が酷似しているようだ。最近次のような文章を考えていて、この思いを一段と強くした。「私は最近仕事が忙しくて、本を読む時間がありません」。英語だと “As I’m busy lately, I don’t have time to read.” というような文章が頭に浮かぶ。time(時間)とまず言って、to read(読むための)とそれを後ろから修飾(説明)する必要が生じる。reading time でも良いかもしれないが、後ろから修飾するのが一般的だろう。
 中国語でもこれとよく似たような表現をすることに気づいた。上記の文章は以下のようになる。我最近工作很忙,没有时间看书。英語と同様、时间(時間)を後ろから看书(本を読む)と修飾している。英語のように「to不定詞」といったややこしい手を使う必要もなく、「時間・本を読む」と続ければ事は足りる。
 韓国語ではおそらく(私の訳文なので間違いがあるやもしれないが)次のような文章となるのだろう。저는 요즘 바빠서,책을 읽는 시간이 없어요. この文章では、책을(本を) 읽는 (読む)시간(時間)と、日本語と全く同じ語順で語が続いている。日本人が韓国語を話そうとする時に、頭に浮かんだ語をそのまま落としていけば十分通じるのではないかと思えてならない。もちろん、そうではないケースも多々あるのだろうが、私にはこうしたことがとても面白く感じられてならない。

笑える愚かさと笑えない愚かさ

 ケーブルテレビだかで公開中の映画の案内広告が流れた。大好きなイギリスのコメディアン、ローワン・アトキンソンの最新作の紹介だ。これはぜひ観たくなった。邦題は「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」(原題は “Johnny English Strikes Again”)。「ミスター・ビーン」でお馴染みのコメディアンの最新作ならばぜひ見なくてはと思っていた。
 それでそろそろ行かずばと改めて上映時間をネットでチェックすると、13日で上演終了と出ていた。あちゃ、明日で終わりかよ。それで本日、早起きして映画館に足を運んだ。上映時間の直前に上映ルームに入ったら、なんと客は私一人だけ。その後3人がポツンポツンと加わったが、これだけ閑散とした上映に居合わせたのはおそらく初めて。
 英国の諜報機関MI7の現役スパイの身元がサイバー攻撃で全員暴露され、危機に瀕した英政府が取った最後の手段がすでにスパイ活動の第一線から引退していたアトキンソン演じるとんまなスパイのジョニー・イングリッシュの再雇用。例によって至るところでドタバタの失態を仕出かすが、結果的に彼の旧式の作戦が最後には功を奏す。英首相をエマ・トンプソンが演じていて懐かしかった。とはいえ、作品自体は正直いまいちの印象を受けた。爆笑のシーンもそれほど多くはなかった。なるほど、この映画が本日で上映が終了するのも何となく理解できた次第だ。アトキンソンを起用するならもっと爆笑物ができたのはないかと思わざるを得ない。もったいない!
                  ◇
 アメリカではトランプ大統領の弾劾の可能性も急浮上しているようだ。大統領といえども、師走の風は一段と肌寒いことだろう。国際社会にとっては衝動的で予断を許さない言動に出る大統領の権威失墜は「朗報」に違いないが、打開策が見え始めたかと思われた北朝鮮情勢を考えると、少し複雑な心境にはなる。
 トランプ大統領の口から出る発言はしかし、我々英語学習者には参考になることも事実。最近の例では解任したレックス・ティラーソン前国務長官のことを以下のようにこき下ろした。“Mike Pompeo is doing a great job, I am very proud of him. His predecessor, Rex Tillerson, didn’t have the mental capacity needed. He was dumb as a rock and I couldn’t get rid of him fast enough. He was lazy as hell.” (Japan Newsより)
 ティラーソン氏は “mental capacity” がなかったと蔑んでいる。「知的能力」とでも訳すのだろうか。“dumb as a rock” や “lazy as hell” ——。辞書で改めて調べなくとも、それぞれ「岩石のように愚鈍」「信じ難いほど怠惰」などといった意味合いだろうと何となく類推できる。かくまでこき下ろされたティラーソン氏の心中や如何に。
 年内には政権の中枢、ジョン・ケリー首席補佐官が辞任する運びとか。自らの意思によるものか事実上の解任か、その両方かもしれない。ケリー氏は敏腕記者がトランプ大統領の政権内幕を描いた本の中で、大統領のことを陰で再三 “an idiot” (ばか)と呼んでいたと報じられている。ケリー氏自身はこれを否定しているが、大統領の知力や手腕を称賛する声が聞こえてこないのは不思議と言えば不思議な話ではある。

3人目のジョージ・ブッシュ大統領?

20181208-1544238264.jpg ブッシュ元米大統領(父)の国葬がワシントンで行われたのをCNNで見ようと思ったが、深夜から未明の時間帯のため、肝心要の弔辞の部分は見ずにベッドに入った。翌日に見たCNNのクリップでは現職を含め、歴代大統領が一列に坐した光景が映されていた。トランプ大統領夫妻の右隣に座ったオバマ前大統領夫妻、そのまた右隣にクリントン元大統領夫妻。トランプ大統領夫妻が来場するまではオバマ、クリントン両夫妻は仲睦まじく談笑していたが、トランプ大統領夫妻が姿を見せると、空気が一変、冷気が漂っているような印象を受けた。クリントン夫妻はトランプ夫妻とは握手さえ交わさなかったようだ。
 ブッシュ氏の地元、テキサス州で翌日行われた、身近な人々だけが集った葬儀は比較的長く見た。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事の長男、ジョージ・P・ブッシュ氏が壇上で弔辞を読んだ。ブッシュ氏の17人の孫のうちで最年長で、先月の中間選挙でテキサス州の公有地管理庁長官の公職に再選を果たしたばかりとか。父親のジェブ氏によく似た風貌の彼はブッシュ一族では3人目の「ジョージ・ブッシュ」であり、まだ42歳の若さ。私はこの夜の葬儀で初めて彼のことを知った。"George Herbert Walker Bush is the most gracious, most decent, most humble man I will ever know." (祖父はまさに親切、優雅、かつ謙虚そのもののでした。私はこれからも祖父のような人に会えるとは思えません)。彼が好々爺の祖父と一緒に過ごした愛情あふれるエピソードを淡々と語る弔辞を聞いていて、何となくだが、彼がやがてブッシュ家の三人目の「ジョージ・ブッシュ大統領」となるのかもしれないと感じた。今の大統領よりは随分ましだろう。
                 ◇
 今聞いているNHKの語学講座「まいにち中国語」は昨夏に続く再放送だから、耳にするのは2回目となる。登場する語彙や表現は忘れていることが大半だから、「復習」と呼ぶには程遠く、文字通り、毎日が新しい勉強の日々だ。昨日は次の表現が出ていた。——谢谢你来看我。——忠実に訳すと、「あなたが私に会いに来てくれたことに感謝する」とでもなるのだろう。実にもったいぶった日本語となる。
 私は昨年7月、以下のようにブログで記していることを思い出した。
 NHKラジオの中国語講座を聞くようになって1年経過。週日はほぼ欠かさず聞いてはいるものの、上達の度合いは実にのんびり。頭の片隅には日英中韓の言語的共通性(相違性)を探りたいという思いがある。最近学んだ文章では例えば、「谢谢你来看我。」という表現。日本語訳では「会いに来てくれてありがとう」。あえて直訳すると、「あなた(你)私(我)に会い(看)に来て(来)くれてありがとう(谢谢)」となるのだろう。英語だと “Thank you for coming to see me. と言えようか。you もme もここでは絶対不可欠だ。この点では中国語は英語に近いことが分かる。日本語では「あなた」や「私」は分かり切ったことだから言う必要はない。この違いは興味深い!
 当時メモしていた語学雑記帳を改めて見てみると、後から四苦八苦の末に追記したと思われる韓国語の文章が付記してある。——만나러 와줘서 고마워요.——ここにも「あなた」や「私」という語彙はない。日韓両言語の近さを感じるのは私だけではないだろう。

二人称の悩ましさ

 先夜の懇親会で韓国語を久しぶりに口にしたこともあってか、韓国語に対する思いが少し蘇ってきたかのようだ。それでこのところ、ケーブルテレビで韓国語のドラマをまたよく見るようになった。以前にも書いたが、韓国のドラマは観ていてあまりにもベタな内容に辟易し、ずっと遠ざかっていた。ケーブルテレビで観ることができるドラマは多くが100回前後、ときには200回近いシリーズものが多い。はまれば毎回1時間近いドラマにかなりの長期間付き合うことになるので、これも遠ざかっていた理由の一つ。
 最近たまたまチャンネルを合わせたドラマは10余回の連続ドラマ。これなら付き合える。何気なく見ていて、もちろん、字幕があるから理解できたのだが、それでも、字幕がなくともだいたい意味合いを聞き取れるやり取りが少なからずあった。私も少しは韓国語の力をつけているように感じた。
 その中で次のやり取りが記憶に残った。男性の上司が部下の女性に「당신」(タンシン)と呼びかける。人称代名詞で漢字なら當身か。職場の上司が部下に呼びかけるときには「タンシン」でOKなのかと。以前に観たドラマでは年下の男性が年長の男性に「タンシン」と呼んで喧嘩になるシーンがあった。私の韓国語辞書には「당신」は「(相手を軽んじるような言い方で)あんた」「(夫婦間で)あなた」と載っている。日本人が韓国を訪れ、初めて出会う人々に対し、ゆめゆめ「タンシン」と呼びかけてはならないことが分かる。
 外国語を学ぶときには、初対面の相手をどう呼ぶかということは結構頭を悩ます。英語がその点楽なのは、youの一語で済ますことができることだ。相手が大会社の社長であれ、商店のおばちゃんであれ、youで何の問題もない。中国語も似たようなものかと思う。普通は「你」(ニィ)でOKだし、敬意を払いたければ「您」(ニン)と言えばいい。それだけのことだ。韓国語ではそうはいかない。辞書には「너(ノ)」という語も載っているが、これは実際には親しい間柄でないと使わない方が無難のようだ。それで通常、第三者は肩書きをつけて呼ぶか、フルネームに「씨(シ)」をつける。あるいは相手が男性であれば「선생님(先生様ソンセンニム)」と呼んでいれば気を悪くする人はいないだろうとどこかで読んだ記憶がある。中国語でも男性に対しては「~先生(シェンション)」と呼べば、それは「~さん」を意味するとNHKのテキストにあった。
 いずれにせよ、日本語や韓国語では第三者に礼を失することのない人称代名詞、そして適切な敬称をつけるということは常に悩ましい問題だ。だから日本語では煩わしい人称代名詞や敬称は敬遠して、用件だけを話すことの方が圧倒的に多い。初対面の人に臆することなく使える的確な二人称は日本語には存在しないのではないか。「あなた」では決してない。ずっと以前に読んだ専門書に次の指摘があった。「人称代名詞の種類では、中国語より日本語のほうが圧倒的に多いのであるが、使う頻度は中国語のほうがずっと高い。日本語の人称代名詞は、時として翻訳調である印象を与えたり、また、目上の人間を直接指すのは失礼であると考えられたりなどするので、日本語の通常の使用では、あまり人称代名詞を使わない。人称代名詞を使わずに、親族名や身分を表す語を使うか、何も使わず省略する」<『中国語と日本語』(日本語ライブラリー)(朝倉書店 編著・沖森卓也、蘇紅 2014年)>

More...

Home > Archives > December 2018

Search
Feeds

Page Top