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August 2018

女嫌い(misogynist)なの?

 8月も残りわずかとなった。現役をよして久しい身には毎日が日曜日みたいなものだが、8月が終わるとなると、やはり少しは思うこともある。それが何か記すことは難儀だ。昨日はコンビニの酒類の棚の前で足が止まった。焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキー。ウイスキーの小瓶が手招きしている。氷を浮かべて飲んだら美味そうだ。思わず手が出そうになったが、やっぱりやめた。飲む理由がない。旅にでも出て非日常の生活になったらまた別の話だが・・・。
 旅と言えば、来月になったら、また台湾を歩こうと思っている。中国語がどれだけ上達したか試してみたい。たいして上達していないことは本人が一番承知しているもののだ。台湾もまだ暑いだろうなあとパソコンで台湾の天気をのぞいてみたら、見事なまでに雨マークが並んでいる。台北の英字紙をネットで見ると、台湾はこのところ雨天が続いており、住宅の浸水などの深刻な水害も発生しているようだ。同情を禁じ得ない。
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 巨人がようやく調子づいてきたと思った日曜。阪神戦をテレビ観戦していたら、5点リードの8回表、セットアッパーの沢村投手がホームランにヒット、四球を連発して、まさかの6点を奪取され、リードをふいに。ビデオテープを見るかのような逆転負けとなった。私のようないい加減な巨人贔屓はいいとして、熱狂的な巨人ファンは不快指数が一気に跳ね上がったことだろう。これも同情を禁じ得ない。あれだけの戦力を抱えての不甲斐ない試合内容は監督以下首脳陣の無能さを物語っているとしか思えない。
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20180827-1535349208.jpg トランプ米大統領が元側近の黒人女性をlowlifeとか dogなどと侮蔑的に形容したことは前に書いた。オマロサという名の女性。彼女がその後、トランプ政権の知られたくない内幕本を刊行したので、大統領が激怒しているのだろうと考えていたが、ジャパン・ニュース紙が転電した英タイムズ紙の記事を読んで薄気味悪くなった。
 記事の見出しは “I came to realise that Donald Trump is a misogynist and a bigot”(私はドナルド・トランプ氏が女嫌いで偏狭な考えの人だと気づくようになった)。オマロサ氏は自著の販売PRのため、各地でインタビューに応じているようだ。タイムズ紙の記事では大統領が普段から人種差別主義者的言葉を口にしていて、n***er という絶対口にしてはいけないタブーな語も使っていることを示唆していた。
 トランプ大統領が知名度を高めたテレビ番組に出演したことでオマロサ氏がトランプ氏の知遇を得て15年。私が薄気味悪いと感じたのは、政権の重要スタッフに加わったオマロサ氏がトランプ氏の資質が明らかに「劣化」していると語っていたことだ。トランプ氏に出会った頃は彼は機知に富んでいて頭もシャープだったが、最近は知的衰退の兆候があるという。政権の政策も十分に認識しておらず、重要な政策の決定は大統領の周辺にいるごく一部の取り巻きによって下され、大統領は直接関知していないことを明らかにしていた。
 日本の同盟国のトップであり、世界最高の権力者の実態がもしそうだったら、恐ろしいことだ。大統領の任期はまだ二年以上、たっぷりと残っている。

立て、動け、踊れ!

 普段の生活で毎日のようにプールで泳ぎ、歩いているのだが、最近は体重が「高値安定」状態だ。何か他の手立てを考えたい。そう思案していたら、英字紙で気になる記事を見つけた。“Want to lose 5.5 pounds in a year?”(一年で2.5キロ痩せたい?)という見出しで、イスに座り続ける生活を戒め、座るより立て、動け、踊れと薦めている記事だった。「いつも座っている」(sedentary)生活が健康に良くないことは承知していたが、この記事を読んで改めてもっと体を動かすことの大切さを認識した。
 記事は平均的アメリカ人が普段の暮らしで一日7時間以上イスに座って過ごし続けており、そのうち6時間を立つようにすれば、一日に54カロリーを消費することになり、一年でみれば、約2.5キロの体重減少につながるという。アメリカでは会社などでも従来の座り机ではなく、standing desk(立ち机)を使い、立って仕事をする人が増えているとか。
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 読売新聞の書評欄で中国の作家のことを書いた近著が紹介されていた。『作家たちの愚かしくも愛すべき中国』(訳著者・飯塚容 中央公論新社)。タイトルからして面白そうだったので、書店で買い求めた。中国通の人だったら、紹介されていた3人の作家、高行健、余華、閻連科は馴染みの作家たちなのだろうが、私にはどれも初めての人物ばかり。
 帯の紹介文をそのまま記すと、「亡命したノーベル賞作家、高行健 発禁処分を受けたノーベル賞候補作家、余華、閻連科 『現実』を活写し、人びとの『絶望』をつつみ込む文学者の声」。訳著者の飯塚氏は「はじめに」の中で次のように述べている。「彼らの社会批評は冷静かつ客観的であると同時に、鋭く的をついている。文化大革命、改革開放を経て今日に至る中国社会の変貌の様相を分析し、天安門事件などの敏感な問題についても直言し、何らはばかるところがない。その結果、一人は祖国を飛び出し、残る二人も体制から半ばはみ出している。(中略)中国社会の愚かしさを指摘するのは、中国に暮らす人々の心の痛みに寄り添っているがゆえである。彼らが世界に発する声を私たちはしっかり受けとめ、正しい中国理解につなげていかなければならない」
 中国語を独学している身に興味深い記述があった。それは高行健氏が訳著者とのインタビューで語っていた次の一言。
 中国語の古文には長い歴史がありますが、現代中国語は世界的に見ても若い言語と言っていいでしょう。二〇世紀に入ってから、話し言葉による創作が始まりました。ですから、まだ一〇〇年ぐらいの歴史しかないことになります。(中略)現代中国語は非常にフレキシブルです。中国語には時制がなく、動詞の形態変化もありません。同じ言葉が動詞に使われたり名詞に使われたりします。文法も言語学者があとから作り上げました。これは西洋の言語にない特徴だと思います。したがって作家は非常に自由な創作ができますが、文章表現が正確さを欠くという問題も生じます。
 中国語を「フレキシブル」と見るか、「野放図」と見るかは、人によって評価が異なるだろう。初学者の私は高行健氏の「自由な創作ができる」という指摘に勇気づけられた。中国語の文法とか正しい語法に意識過剰にならず、伸び伸びと学んでいこう。

英語の勉強に役立つトランプ大統領

 今年はことのほか台風の発生が多いように思える。台風シーズンは9月ではなかったか。これも酷暑や局地的ゲリラ豪雨などとともに毎年、恒例化する異常気象の一つだとしたら、我々はいよいよ世紀末の時代に生きているという気がしないでもない。21世紀が始まって間もないのに世紀末と書く異様さ・・・。そうでないことを祈りたい。
 とはいえ、九州にほぼ真正面から近づきつつある台風19号はうっちゃっておくとして、この週末は少し、秋の気配を感じたことも事実。この項をパソコンで書いて(打って)いる今(土曜朝)も温度は30度を切り、湿度は40%台、時に涼しい風が吹きこんできている。爽やかな秋の到来が待たれるが、この季節は「人恋しく」なるのが難点。
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 海の向うのこのお方は「人恋しく」感じることはないのだろうか。そう思えるような傍若無人なお方だ。言わずと知れたドナルド・トランプ米大統領。大統領に就任以来、人間台風ばりの物議を毎度醸し続けておられる。最近の例では元側近の黒人女性をlowlife とか that dog とこき下ろした。lowlife は普段あまり見かけない語だが、「字面」から、ほめ言葉ではないことは容易に推察できる。「下層階級の人」とか「犯罪者」といった意味が辞書に出ている。「人間の最良の友」(man’s best friend)とも称されるdog(犬)は場面によっては「下劣なやつ」とか「裏切り者」といった蔑みの意味合いとなるらしい。
 トランプ大統領は政権を去った高官に対する機密情報への接触資格を剥奪する挙にも出た。資格を剥奪されたのはジョン・ブレナン元中央情報局(CIA)長官。オバマ前政権でCIA長官を務めた人物で、退官後はトランプ氏の言動をことあるごとに批判してきていた。特にトランプ大統領が先月フィンランドで行ったロシアのプーチン大統領との首脳会談で、先の米大統領選でのロシアの不正介入疑惑に何の言及もしなかったことを「売国行為そのもの」と非難した。
 大統領のブレナン氏への冷遇は当然のことながら、野党民主党を中心に猛反発を呼んでいる。退役軍人高官の一人はブレナン氏が「高潔」な人格であり、「彼ほど国のために忠実に義務を果たした人はいない」と称賛し、ブレナン氏への連帯の証として自らも機密情報の接触資格を剥奪されることを願い出た。
 ブレナン氏の反応が英字紙ジャパン・ニュース紙のAP電で報じられていた。記事の末尾に書かれていたブレナン氏の言葉が印象に残った。私はもちろんトランプ氏を取材したことはないが、ブレナン氏が語る大統領の人物評に妙に納得がいった。私が取材経験のあるアフリカ諸国ではまさしく彼のような独善的な首脳が跋扈していたからだ。
 ブレナン氏は次のようにトランプ大統領の姿勢を痛烈に批判していた。“I’ve seen this type of behavior and actions on the part of foreign tyrants and despots and autocrats for many, many years during my CIA and national security career. I never, ever thought that I would see it here in the United States.” (私はCIAや国の安全保障にかかわる仕事の場で実に長いこと、海外の独裁者や専制君主、暴君がこの種の振る舞いをするのを見てきた。ここアメリカでそれを目撃することになろうとは夢にだに思わなかった)

中国ドラマ「父母爱情」

 お盆の期間、暇に飽かせて、たらたらとテレビを見る時間が多かった。ケーブルテレビのチャンネルを適当に漁っていて、韓国KBSのワールドサービスで「ラブレイン」というタイトル名を見つけた。おお、あの純愛ドラマを再放送しているのだ。ドラマの全編を再度見る気力はさすがにないが、少しだけなら付き合える。その日は全21回のうち13―15回が連続放映されていた。
 韓国語のドラマはもちろん、日本語の字幕があるので、楽しめるのだが、韓国語を聞いていてこれまでは気づかなかった言い回しなどが耳にしっかり残ったところも少なからずあった。遅遅とした歩みだが、少しは韓国語の力がついているのだろう。
 例えば、主人公の若者が父親に対して、自分には好きな女性がいること、その人は父親が現在、再婚を考えている初恋の女性の娘であることを告げる場面。父親はすでにそのことを知っていた。驚いた主人公は「お父さん、どうして知っていたの?」と尋ねる。韓国語では 알고 계셨다구요? となる。忠実に訳せば、「どうしてご存知だったのですか」とでもなるのだろう。息子が自分の父親に敬語を使っている。長幼の序が厳然と残るそういうお国柄だと理解すればそれでいいのだが、やはり、忠実に日本語に訳すと違和感があるか。
 日本のドラマで娘や息子が両親に対し、友達に話すような「ため口」で会話するのも場面によっては不快感を覚えることもある。それに比べればずっとましだが、さすがに韓国語ドラマの家族の間での敬語にも?が頭に浮かんでしまう。まあそれはそれとして、上記の敬語表現が耳にしっかり残ったことは嬉しかった。独学は決して無駄になっていない!
 韓国語では上記のような敬語表現に凄く神経をとがらせることになる。日本語の比ではない。中国語ではあまりそうしたことは気にしないでもよさそうだ。この点でも中国語は英語に似ていると感じなくもない。
 韓国語のドラマで今継続して見ているものはない。以前にも書いたが、あまりに出来過ぎた筋立てに辟易したことが一番の原因だ。そのうち、また「ラブレイン」のような純愛物にはまる可能性は捨てきれないが。
20180816-1534381976.jpg 中国語のドラマではまっているのが一つある。毎週日曜夜に中国中央電視台から放送されている家族ドラマでタイトルは「父母爱情」。日本語だと「両親の愛」とでも訳すのだろうか。農民出身の軍人と資本家の娘が恋に落ち、身分の違いが大きな壁となる中国で、その二人が大躍進や文革の嵐を乗り越えて愛を育み、子供たちを育てる物語で、実に面白い。
 もちろん、生きた中国語の学習のために見始めたのだが、今では登場人物を演じる役者に魅了されている。韓国人女優も魅力的だが、中国人女優もいい。聞き取れる言葉はまだわずかだが、中国語を学習していなかったら、とても目にすることはなかっただろう。
 ところで一つ気になるのは、前に見た中国のドラマもそうだったが、番組の冒頭と末尾でドラマの粗筋の一部始終が流れること。だから、視聴者(私)は結末が容易に想像できる。推理もののドラマではないのだからいいのだろうが、やはりドラマの流れは明かして欲しくない。ユニークと言えばユニークだが、私は末尾はいつもスルーしている。全45回とかですでに36回まで見終えた。あと10回もない。残念!

冷酒も美味!

20180813-1534121671.jpg 12日はお袋の命日。猛暑もあり、久しぶりに(といっても先月30日には親父の命日で焼酎を口にしたが)お酒が飲めるのが楽しみだった。数日前にスーパーで焼酎を物色していて、日本酒の冷酒の小瓶が目に入った。銘柄は純米酒の「あさ開」。盛岡支局勤務時代によく口にした日本酒だ。懐かしくなって買い求めた。
 夕刻、コンビニに行って、酒の肴の乾き物を購入。プロ野球でも見ながら、冷酒をゆっくり楽しもう。今日は果たして巨人は広島に勝てるのかしら? まあ、巨人が負け続けようが、以前ほど悔しくもなくなった。大谷翔平君がスランプに陥る方がもっと心配だ。
 冷酒は焼酎とはまた異なる美味。あっという間に空になってしまった、300mlの小瓶では物足りない。もう一瓶買っておくべきだった・・・。 
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 刊行されたばかりの新書『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』(菊池一隆著 平凡社新書)を読んだ。「台湾原住民の太平洋戦争」という副題がついており、日本がかつて植民地とした台湾で日本人はもとより、台湾人(本省人)からも差別され、社会の底辺に追いやられていた「高砂族」(高山族)と呼ばれる原住民の人々のことを書いた本だ。日本軍のために労働することで、さらには日本軍の兵士の一人として活動することで、差別を跳ね返すことができると願った「高砂族」の人々の戦中の苦闘が取材に基づいて描かれている。
 次の記述がある。日本植民地統治下で、内地人(日本人)が一等国民、本島人(漢族系台湾人で、閩南人、広東客家。現在の本省人)が二等国民、台湾原住民は三等国民と位置づけられていた、ということである。こうした差別が厳然と存在し、台湾原住民は劣等感に苦しんでいた。彼らが皇軍の兵士として丁重に扱われることを夢見たのは容易に想像できる。
 この種の本を読んでいつも感じるのは当時の日本軍がいかに無謀な戦争に幾多の日本人をそして、近隣諸国の人々を巻き込み、筆舌に尽くし難い辛酸をなめさせたかという愕然とした思いだ。当時の日本を率いていた軍の思い上がりは糾弾しても余りある。
                  ◇
 中国語はSVOの言語だ。例えば最近次の文章に出くわして改めてそう思った。「我觉得汉语很有意思」。日本語だと「私は中国語はとても面白いと思います」という意味。英語だと、“I think Chinese is very interesting.” となるかと思う。中国語と英語ではそれぞれ、「觉得」「think」という術語(動詞)が主語のすぐ後に出てくるが、日本語では最後だ。韓国語も日本語と同様、述語が最後に出てくるのが自然なようだ。
 だがしかし、次のような中国語の文章にも出くわした。「爸爸说的话你记住了吗?」。日本語ではまさにこの文章を頭から訳していけば通じる。「お父さんが言ったことはちゃんと覚えましたか?」。英語だとこうはいかない。“Your father told you what you remember?” では無理がある。“Do you remember what your father told you?” といったところか。
 逆説的に言えば、日本人が中国語を話す場合、多少「乱暴に」聞こえても、頭に浮かんだ語彙をそれなりに工夫して口にすれば、案外、通じるのではないかと思い始めている。もちろん中国語の多くの語彙をきちんとした発音で習得してからの話だが。

昼間はノークーラーで

 暑い日が続いている。何年か前の夏にパソコンの隣に置き、語学学習の練習帳かつ日々の温度と湿度の記録に活用していたメモ帳がまだ残っている。捨ててもいいのだが、何となく惜しくて手元に残していた。
 そのメモ帳をパラパラめくってみた。冒頭に2013年7月8日(月)という日付けが記されている。5年前になるのか。海外を歩く旅を終え、今住むマンションに落ち着いて、第二の人生を歩み始めて間もない頃だ。8月上旬の項を見てみる。8月4日(日)午後2時、28.5度・湿度68%。「暑くない。雨がずっと降り続けている」と記している。翌5日(月)午後1時、30.7度・湿度60%。「少し温度上がったが、風があり、暑くはない」。12日(月)午前10時、30.1度・湿度65%。「少し蒸す。風は少し」。湿度は60%を超えた日もあるが、昼間はクーラーなしで楽に乗り切れたようだ。翻って、本日(7日)お昼過ぎ、温度31.9度・湿度53%。暑いことは暑いが、まあ扇風機で十分やっていける。窓から時折吹き込んで来る風もありがたい。
 昨秋の台北ではうだるような蒸し暑さに参ったが、ひょっとして湿度はいかほどだったのだろうか。次に台湾を旅する時には温湿度計も持参して、しっかり測ってみたい。
                  ◇
 メモ帳には温度・湿度の他には韓国語の文章の走り書きが並んでいる。当時は中国語の独学はまだ始めていなかった。中国語にはとんと関心がなかったと言うべきだろう。
 韓国語の入門書から書き取ったと思われる走り書きを読んでみる。入門書の文章だから易しいものばかり。ああ、今学んでいるNHKラジオの韓国語の「レベルアップ講座」の文章がこのように楽に読めたらいいのになあなどと思ってしまう。それでも、読み返していて、意味が分からない語が出てくる。情けないが、忘れてしまっているのだ。
 中国語は無論のことだが、韓国語の上達もはかばかしくないと自覚している。釜山への「武者修行」の旅も停止したまま。韓国語に関して当時と比べ少しだけ自信を持って言えるのは、「~だと思います」や「~みたいです」などといったいかにも韓国語らしい柔らかい表現が何とか理解できるようになったことぐらいだろうか。実際の場面に応じてきちんとそう言えるかどうかは心もとないが。
 例えば次のような表現————。「予約が必要ですか」「いいえ、予約は必要ないと思います」というやり取り。예약이 필요해요? 아뇨, 예약은 필요없을거예요. 「必要ないと思います」という個所を敢えてカタカナ表記すると、「ピリョオプスルコェヨ」。この「~ルコェヨ」という表現が当時は難解だったが、今は何とか口にすることができるようになった。
 もう一つ。그사람은 내가 말하는 것을 잘 모르는 것 같아요.(彼は私の言うことがよく分かっていないようです)。これも「分かっていないようです」という個所を敢えてカタカナ表記すると、「モルヌンゴットカッタヨ」。この「ゴットカッタヨ」という表現にてこずった。今は何とか分かったような気がしている。やがてまた訪ねるであろう釜山辺りで試してみたい。「おお、ハングゴ、お上手ですね!」と言われるかもしれない。残念ながら、この後があまり続かない。

「シュウキンペイ」って俺のことかい?

 コーヒーの粉が切れた。昨秋ケニアの友人が来訪した際にもらったコーヒーが少し残っていることを思い出した。密封してあるので大丈夫だろう。淹れてみる。ナイロビが香ったような気がした。テレビの大リーグ生中継では大谷翔平君が3番DHで出場し、目の覚めるようなホームランを2発かっ飛ばしている。こちとらの気分が悪かろうはずがない。
 最近読み終えた中国にまつわる本で印象に残ったのは新潮文庫近刊の『言ってはいけない中国の真実』(橘玲著)。例によってマーカーを走らせた個所を以下に列記する。
 中国は「関係(グワンシ)の社会」だといわれる。グワンシは幇を結んだ相手との密接な人間関係のことで、これが中国人の生き方を強く規定している。(中略)幇は「自己人(ズージーレン)」ともいい、中国人にとってもっとも根源的な人間関係だ。いったん幇を結ぶと家族同様に(ときには家族以上に)絶対的な信頼を置く。(幇とグワンシの項から)
 なぜ、日本人は中国人に違和感を覚えるのだろうか。その理由はお互いによく似ているからだ。(中略)中国人も日本のことを「一衣帯水」「同文同種」と思っている。世界の中で漢字を使い論語を原文(漢文訓読)で読む“異民族”は日本人だけなのだから、これは根拠のないことではない。彼らにとって、日本は中国の文化支配(中華)の一部なのだ。(同)
 王さんによると、中国ではコネがすべてで、自分が共産党員か、親族に共産党員がいないかぎり、まともな仕事を見つけるのは不可能なのだという。そのうえ中国人は、自分とは関係(グワンシ)のない中国人にものすごく冷たい。日本では反日が大きく報じられているが、実は中国人は日本人に対してものすごく親切だと王さんはいう(中国を旅行しているとき、私も何度も同じことを感じた)。(中国共産党という秘密結社の項から)
 真の日本の国益は、元東京都知事のように中国を「支那」と呼び、頭ごなしに叱りつけるのではなく、中国の知日派や進歩派勢力と連帯して彼らを支えることだ。だが現実には、日本のメディアの「嫌中」キャンペーンにより、彼らは「売国奴」「漢奸」のレッテルを貼られてますます苦しい立場に追い込まれている。(中略)いま必要なのは、お互いのナショナリズムを認めつつ偏狭なナショナリズムから自由になることだ。(中国のナショナリズムの項から)
 その他、いろいろと参考になる卓見は多々あった。最後に全く同感として付記しておきたいのは次の指摘だ。
 もうひとつ、「対話」をはばむ大きな要因がカタカナ表記だ。(中略)人名と地名はできるだけ中国語の発音で覚えるようにしているが、しばしばカタカナ表記が混在して笑われる。最近は日本のメディアも「習(シー・)近(ジン)平(ピン)」のようにルビをふるようになってきたが、できればXi Jinpingという英語表記も覚えておきたい。Mao Zedong(毛沢東(マオ・ツォートン))がわからないと、中国だけでなく海外のどこでも教養の程度を疑われる。
 手間暇のかかることになるが、確かにそろそろ、何とかすべき時期にきているのかもしれない。中国の最高指導者の習近平氏のことをNHKは「しゅう・きんぺい」、朝日新聞は「シー・チンピン」、読売新聞は「シー・ジンピン」とそれぞれ呼び、またルビを振っている。日中両言語で微妙に発音が異なる母音・子音の正確な表記は実に悩ましい!

父親の命日と姉のこと

 7月30日は父親の命日だったことを思い出し、それを口実に焼酎のグラスを一人傾けた。親父が他界したのは私が大学に入学した年だった。50年近い歳月が流れている。
 お袋の命日は忘れたことはないが、なぜか親父の命日はいつも「素通り」してきていた。今年は積年の親不孝を詫びて、焼酎のオンザロックを流し込んだ。大晦日に買った焼酎瓶に少し残りがあったのだ。なんのことはない、この猛暑で喉を潤したかっただけのことかも。
                 ◇
 お世話になっている出版社・書肆侃侃房からPRの小冊子「ほんのひとさじ」9号が刊行された。私も「踏切の向う」というタイトルで次の拙文を寄稿させてもらった。
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 窓という言葉を聞いたら、ふつつか者の私は「社会の窓」という語が頭に浮かぶ。英語なら “social window” と訳したい衝動に駆られるが、これはもちろん通じない。「社会の窓が開いていますよ」と注意したければ、“Your fly is open.” と言えば十分だ。とまあ、そんな他愛ない話はいいとして、窓という言葉を聞いて、連想する文学作品を挙げよと言われたら、私は芥川龍之介の小品『蜜柑』を挙げるだろう。
 「ある曇った冬の日暮である」という書き出しで始まる短編。横須賀線の列車内。「私の頭の中には言いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落していた」とある。精神を病み、昭和2年に35歳の若さで自死を選択した天才作家の末路が、読者にはすぐに想起される。「私」が乗る二等客車に「いかにも田舎者らしい娘」が慌ただしく駆け込んで来る。「私」の前の座席に坐した娘は三等の切符しか手にしていない。「私」は「この小娘の下品な顔だち」が気に入らず、「彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった」と続く。
 「私」は窓枠に頭をもたせ、娘の存在を絶えず意識しながら、「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴」に気が滅入り、うつらうつらし始める。ふと気づくと、汽車がトンネルに差しかかる直前、娘は何と汽車の窓を開けようとしている。悪戦苦闘の末に窓が開き、「私」は流れ込んで来る「煤を溶かしたようなどす黒い空気」にむせび苦悶する。憤懣やるかたない「私」がその直後に目にしたのは、トンネルを抜けた「貧しい町はずれの踏切」の柵の向こうに、「揃って背が低い」「頬の赤い三人の男の子」が佇んでいる光景だ。彼らは汽車に向かい一斉に歓声を上げる。窓から半身を乗り出した娘はそれまで懐に抱いていた「暖かな日の色に染まっている蜜柑」を男の子たちに五つ六つと投げ込む。「奉公先へ赴く」途中の娘は、「見送りにきた弟たちの労」に蜜柑で報いていたのだ。
 「朗らかな心もち」に充たされた「私」は「言いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである」と結ばれている。
 私にも姉がいた。高校時代には一緒に借家に住まい、一切の世話をしてくれた。母親や兄弟のために生きた人生だった。晩年は長いこと病床にあり、先日黄泉の国に旅立った。姉に一度でも感謝の言葉をかけたことがあっただろうかと悔いる。踏切の向こうで歓声を上げた『蜜柑』の弟たちに比べるべくもない。

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