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May 2018

愛の力は無限!?

20180522-1526956880.jpg 英王室に新しいメンバーが加わった。チャールズ皇太子の次男、ヘンリー王子(愛称ハリー)(33)が米国出身の女優、メーガン・マークルさん(36)と結婚。結婚式の模様をBBC放送の生中継で見ていて、二三思ったことを記しておきたい。二人の結婚にそう関心があったわけではない。週末テレビのチャンネルをスクロールしていて、BBCの中継にぶつかったのだ。
 まず驚いたのは、黒人の牧師が愛の大切さについて、とうとうと説教を垂れていたこと。米シカゴの米国聖公会のマイケル・カリー牧師。王子の結婚式が英ウィンザー城ではなく、米国の教会で執り行われているのではという錯覚に陥った。カリー牧師は英国の教会ではまずお目にかかれないだろうと思われるほどの熱のこもった説教で二人の門出を祝った。次のくだりは黒人解放運動指導者のマーチン・ルサー・キング牧師の言葉を念頭に置いた言葉だったとか。“There’s power in love. Love can help and heal when nothing else can. There’s power in love to lift up and liberate when nothing else will.”(愛には力がある。愛は助けともなるし、癒してもくれる。そんなことが可能なのは愛だけだ。窮地から救い、束縛から解放してくれる。そんなことができるのも愛だけだ)
 カリー牧師の熱のこもった説教の様子を次のように形容していた新聞もあった。“a sermon that had some reaching for hankies and others shifting in their chairs” (ある者は涙をふくハンカチを探し、またある者はイスの上でもぞもぞする)。牧師の説教が一部の参列者には感動的であり、また一部の者には当惑させるものだったことは、テレビ画面の彼らの笑顔もしくは落ち着かない様子からもよくうかがえた。
 米国の黒人霊歌から生まれたと言われる愛唱歌 “Stand by Me” を英国の黒人中心のゴスペルグループが礼拝堂で熱唱したのにも印象的だった。メーガンさんの母親が黒人であり、彼女が黒人の血を引くこと、それを彼女が誇りに思っていることと無縁ではないだろう。ところで、日本の新聞でも米国の黒人を形容する時に黒人(black)と書かず、アフリカ系アメリカ人(African American)と書くのが一般的になりつつあるようだが、私は通常のケースではそこまでしなくてもと個人的には思う。
 英国がこの日、祝賀ムードに包まれ、英国内外から押し寄せた人々が二人の門出を祝福していたことは画面からも分かった。保守的な英国社会も日本に比べれば格段にオープンな社会になっていることを改めて実感した。日本にはないdiversity(多様性)が着実に花開いている。日本の皇室のメンバーの結婚があのように国内外の人々で祝福されるだろうか、ということをふと考えてしまった。英国が功罪相半ばする Commonwealth(英連邦)という植民地支配時代の「遺産」を抱え、日本とは単純に比較することはできないのは承知してのことだが。
                 ◇
 今この項をケーブルテレビでニューヨークヤンキースの試合を見ながら、書いている。田中マー君はこの日もぴりっとした投球ではなかったようだが、強力打線の援護で5勝目を確実にしている。アナウンサーが今、この日曜日はロサンゼルスエンジェルスとの一戦が予定されており、マー君と大谷のmatchup(対決)が実現する見込みと語った。本当?

T姉を見送る

20180518-1526623829.jpg 長いこと病んでいたT姉が先週、ついに他界した。私は7人兄姉妹の6番目。亡くなったT姉は上から2番目だった。私とは一回り以上も年が違うこともあり、一緒に遊んだという思い出はないが、下宿からスタートした高校時代は途中から一緒に一軒家に住み、食事の用意から洗濯まで一切を世話してくれた。大恩ある姉だが、果たしてまともに感謝の言葉を伝えたことがあったのだろうか。
 難病に取りつかれ、寝たきりとなり、晩年は言葉を交わすことも不可能となった。私は福岡から宮崎の介護施設まで2、3か月に一度は足を運び、寝入っている姉の額や頬をさすった。アメリカやイギリスを旅している時は帰国したらT姉はもう逝っているかもしれないと覚悟していた。よくぞここまで頑張ってくれたと思う。
 妹から連絡を受け、宮崎・西都市に戻り、葬儀場でT姉と対面した。通夜の翌日、家族葬で見送った。どこから見つけたのか、祭壇に飾られたT姉の写真が実に良かった。ベッドの上で憔悴した顔を長いこと見ていただけに、T姉が元気な時の顔を忘れかけていた。T姉に弟らしいことをしてあげられたのか。好きだった宝くじはよく買ってあげた。当たることはなかったが。盛岡支局勤務時代に亡きお袋やもう一人の姉夫婦たちと一緒に岩手の旅に招待したこともある。しかし、もっとたくさん喜ぶことをやってあげられただろうに!
20180518-1526623870.jpg 火葬場の火葬炉でT姉の遺体を焼くボタンを押した。お骨を拾い、山里の実家に帰り、那須家の墓に骨壺を収めた。その夜は甥のSと一緒にT姉を思い、焼酎を少しだけ飲んだ。元気な頃のT姉は私によく「しょういち、あんまり飲むなね!」と諭していた。私は「わかっちょるがっ!」と応じていた。今から思うと、全然分かっていなかったのだ。遅ればせながら、還暦を過ぎた頃になってようやくT姉が望んだような倹しい暮らしを実践し始めた。今ならT姉もほめてくれるかもしれない。「がんたれ」の弟にこれからできることは、T姉のことを時々は思い出しながら、精一杯、元気に生きることだろう。そう思っている。
                  ◇
 上記の事情でブログをアップする気力も失せていたが、かてて加えて、ここ数日、福岡は夏が到来したかのような暑さでまいってもいる。昨夜はクーラーを入れようかと真剣に考えてしまった。まだ5月の中旬だというのにである。いくらなんでも早過ぎはしないか。
 それで去年はいつクーラーを入れたのだろうと手帳を出して見たが、記載がない。ブログをチェックして見ると、7月1日の項に次の記載がある。「7月が到来。一年の半分が過ぎた。いよいよ暑さが本格化する。先にも書いたが、手帳を見ると、去年は7月1日にクーラーのスイッチを入れている。今年もそろそろそうしようかと思っている」。そうか去年は少なくとも7月の声を聞くまでは我慢できていたということだ。
 しかし、このままではとても7月まで持ちこたえることはできそうにない。地球温暖化の余波は私の生活にも影響を与えつつあるようだ。先のブログには次の記述もあった。「昼間は窓や玄関ドアを開け放すことで何とかしのげるが、深夜になっても30度を超す余熱が部屋の中に残っていると、さすがに寝苦しい」。深夜になっても部屋の温度計が30度を超えていたら、クーラーを入れよう。クーラーのある部屋と寝室が離れているのが問題だが。

先見と浅見

 トランプ米大統領が相も変わらず、自ら招いた墓穴で苦境に立たされている。今回明るみに出たのはトランプ氏が大統領就任前に不倫関係にあった元ポルノ女優に顧問弁護士が支払った13万ドル(約1400万円)の口止め料を、トランプ氏が弁済していたという事実。トランプ大統領の顧問弁護士となったばかりのジュリアーニ元ニューヨーク市長がテレビで明らかにした。これまでトランプ大統領は不倫を否定し、口止め料についても関知していないと主張していた。大統領はこの新事実の発覚後、金を払ったのは彼女の告発をやめさせる目的のためであり、不倫関係も依然否定、金の出所も不正なものではないと開き直っている。
 このスキャンダルの他にも、トランプ大統領が大統領選の前に公表した自身の健康診断書は主治医が自らの判断で作成したものではなく、トランプ氏が彼に一言一句書かせた(dictate)ものであることを主治医が明らかにした。この診断書の中で、「もしトランプ氏が大統領に選出されることになれば、彼は史上最も健康的な大統領(the healthiest individual ever elected to the presidency)となるだろう」と記されていたが、何のことはない、トランプ氏が自分自身の健康状態を豪語していたに過ぎない。
 トランプ大統領の窮地が若干気になるのは、日本にとって切実な北朝鮮の核・ミサイル問題が解決に向けてようやく動き出したばかりのタイミングだから。北朝鮮を率いる金正恩氏が核戦力の完全放棄にどこまで真剣に取り組むのか。近く開催される予定の米朝首脳会談を前に、米政権の土台が揺らぐのはあまり追い風とはならないだろう。
                  ◇
 外出する時には必ず中国語の辞書を携帯するようになったことは以前に書いたような気がする。現役時代にもし誰かが、「君は定年後は電車の中で中国語の辞書を繰るのが楽しみになるだろう」と言ったとしたなら、おそらく私は「まさか」と笑い飛ばしていただろう。そもそも中国語に対して興味を抱くようになっているとは到底思えなかったことだろう。韓国語ならまだ分かる。新聞社の国際部(外報部)に配属になった時、韓国語の先生について数か月、少しだけ基本的な事柄を教わったことがあるからだ。
 中国語に通じている人には分かり切ったことだろうが、日々、辞書を繰るたびに「目から鱗」のときを過ごしている。最近の例では「物色する」という表現。中国語の声調と微妙な母音の差異を無視した表記を許してもらえば、「ウースー」に近い発声。なるほど、「人や物を探し求める」行為がなぜ、「物色」なのか、深く考えたことはないが、これは中国語に由来すると思えば、何となく「合点」は行く。
 「先見の明」の「先見」は簡体字では「先见」であり、「シェンジェン」。関連する語彙を見ていたら、「浅见」(チェンジェン)という語句が出てきた。「浅見」。こういう表現が日本語にもあるとは知らなかった。「あさはかな考え」「愚見」を意味する。「卓見」の反意語だ。辞書には「依我浅见」という文章が載っていた。「愚考いたしますに」という謙譲表現だという。これも言われてみれば、何となく意味合いは理解できるような気がした。こういう表現を中国の人との会話でさりげなく口にしてみたい。「イーウォ チェンジェン」。通じたらとても嬉しいことだろう。

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