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March 2018

花は元気だった!

20180329-1522309196.jpg 台北を発つ時、夏の到来を感じていた。これから蒸し暑くなるのだろうなあと。福岡に戻ると、国際便が発着する空港玄関は桜の花が満開だった。まだ蒸し暑さはなく、空気がとても気持ちがいい。願わくはこんな感じの好天がずっと長く続いて欲しい。
 昨秋もそうだったが、旅をした後は少しく虚脱感に襲われる。私の場合は郷里に数日戻っただけでそういう気分に陥るが。今回の台北の旅の後もそうだ。花蓮の居心地が特に良かった。短期語学留学するなら花蓮のような地方都市がいいかもしれないと思った。花蓮で行った大衆食堂が近くにあったら、私はきっと常連になっているに違いない。自分で朝食(昼飯)作るより安上がりかもしれない。花蓮なら落ち着いてたっぷり勉強もできるのでは。いつか大学の仕事がなくなるのも目に見えている。そうなったら短期語学留学が現実味のある選択肢になる。もちろん台湾でなく、中国本土でもいいのだが、中国大陸は何しろ土地勘がないからイメージがわかない。
 帰宅して一息をつき、パソコンを立ち上げると、メールが届いていた。台北からでなくて上海から。台北の空港から市内へバスに乗った時、隣り合わせた女性だ。上海在住で台北に一人で観光旅行に来たとか。東京で働いていたこともあり、日本語が堪能だった。息子さんは英スコットランドの大学で学んでいると言っていた。私は中国語がもう少し理解できるようになったら、中国を旅して、いろいろ取材したいと思っていることを車中で彼女に伝えていた。そのことがあってか、彼女のメールの末尾は「上海に来られる時は連絡をください」と書かれていた。有難い!
                  ◇
20180329-1522309223.jpg 帰宅してマンションのドアを開けて嬉しいことが一つあった。それは旅の間中、案じていた花が比較的「元気」だったことだ。花は洗面器に水をたっぷりと張り、茎をその中に深く沈めていた。9日間ぐらいだったら、十分な水量ではないかと考えた。結果は?バラは花びらが少ししおれていたのがあったが、他の花々は概ね良好。「よくぞ耐え忍んでくれた。ありがとう」と心の中で声をかけ、新しい水を入れた花瓶に移し替え、陽光の降りそそぐベランダに置いた。
 去年の謝恩会でもらった花は信じられないほど長期間もった。今度はどうだろうか。長く私の目を楽しませてくれることを願いたい。花のある生活は潤いがある。(例によって私の腕では写真の位置を正常にできない。容赦あれ!)
                  ◇
 台北の旅でも断酒をほぼ維持した。昨日のこと。妹からラインのメールがあった。読むと、同じ部落(集落)出身の後輩のK君が自殺したという内容。私とは年も違い、個人的には全然知らないが、彼の高齢の母親は知っている。母親のショックは言葉にできないものだろう。
 私は同じ郷里で育ったK君の死が少しこたえた。個人的には言葉を交わしたこともないし、顔も覚えていない。それでもおそらく50歳は超えていただろう彼がなぜ自死を選んだのか。人生はこれから楽しい日々が待っているのに!そういうことに思いを巡らせていたら、無性に悲しくなった。それで大晦日に買い、残っていた焼酎をコップで2杯口にした。肴は乾き物。本来なら美味いはずが、昨夜はいい気分にはなれなかった。

台北(花蓮)再見(ザイジェン)

20180326-1522068807.jpg 花蓮を発ち、台北に月曜午後戻った。帰りは特急のような電車で2時間しかかからなかった。明日の飛行機の便は信じ難いほど朝早い。ネット予約だから致し方ない。それで花蓮に行く直前に桃園空港のそばのホテルを予約していた。台北駅を経由して下車した駅からホテルは歩くには遠過ぎたので、台湾に到着して以来、初めてタクシーに乗った。運転手さんにホテル名を書いたメモ帳のノートを見せて発車。
 ほどなくホテルに着いた。ここまでは良かったのだが、ノートを車内に置き忘れてしまった。私は近年、このような以前には考えられないミスをよくやる。情けないったらありゃしない。幸い、運転手さんから領収書をもらっていたので、チェックインをしようとしたフロントですぐにタクシー会社に電話してもらった。連絡がつき、ノートをホテルに届けてもらうことになったが、当然のことながら、また先ほどの駅からホテルまでの乗車料金を支払う羽目に。
 愚痴になるので書きたくはないのだが、台北で最後の夜を過ごすこのホテル。チェックインする段になって、地下鉄(MRT)なら市内から一本でごく簡単に来ることができたことを知った。駅名は「大園」(ダーユェン)。なぜそんなことが分からなかったのか。観光ガイド本やホテルで出回っている地下鉄の路線図にそこまで記載されていないからだ。私が定宿にしている台北市中心部のホテルのスタッフは誰もこの駅のことを知らなかった。何人かはそういう駅はないとも言った。これも台北らしいと言えば台北らしいと言えるのか?
 とまあ、最後は恥ずかしいポカを重ねてしまったが、台湾の人々に対する好感度には変わりはない。気持ちの良い日々を送らせて頂いた。また、近いうちに再訪したいと願う。
20180326-1522068847.jpg 最後に花蓮の印象を少し書いておきたい。それはこの市は台湾東部を代表する都市と聞いていたが、市内の中心部でも老朽化したビルや廃屋が少なからず見られたことだ。老朽化してだいぶ月日が経過したと思われるものもあった。眺めているこちらがもの悲しくなってしまった。もったいない!
 もう一つは花蓮だけに限らないことだと推察されるが、台湾ではお年寄りがとても大切にされているという印象を受けたことだ。お嫁さんだか娘さんがお年寄りの手を引いたり、お手伝いさんだかがお年寄りの車椅子を押したりしている光景をよく目にした。夜市でもそうだ。儒教の精神がまだ健全に息吹いているからだろうか。私にはもう真似したくともできないが、社会の在り方としてはお手本としたいと思った。
20180326-1522068918.jpg 花蓮で最後に食べた朝食も忘れ難い。お客の流れが絶えない街の食堂で適当に注文したのは、キャベツ餃子のような高麗菜煎包、小麦粉のクレープのような蛋餅(ダンピン)、それに冷たくて甘い豆漿(豆乳)の3品。これが何と72元(約270円)。はるか昔の学生時代の生協(学食)に戻ったような感覚。これで腹一杯になったのは言うまでもない。
 ところで明日の便は午前6時30分発。普通なら2時間前の搭乗手続きだから空港着は4時30分。午前4時には起きた方が良さそうだ。そんなに早く帰る必要などさらさらないのだが。いや可能ならばむしろもっと台北に留まりたい。ガイド本に掲載されている食べ物でまだ味わっていないものも沢山あるし・・・。

東大門国際観光夜市

20180325-1521983951.jpg20180325-1521983988.jpg 喫茶店からの帰途で目にしたのは山車行列。福岡で5月の連休時の恒例行事「どんたく」を思い起こすような賑わいだった。「天佑花蓮」という文言が見える。英語がよく通じず、詳しい事情は聞けなかったが、先月の大地震の慰霊・復興を祈願してのイベントのように感じた。大音響のスピーカーを積んだ車も通り、とにかく大盛り上がり。見物の市民もスマホやカメラをかざして写真撮影に余念がない。私も何枚も写真を撮らせてもらった。
20180325-1521984016.jpg ふと気がつくと、夜市が催される会場の近くにいた。正式には「東大門国際観光夜市」と呼ばれるらしい。まだ夕刻前なのでそう人出はない。夜のとばりが下りる頃は賑わうのだろうか、と思い、後で引き返してみようと思いながら、ホテルに戻った。
20180325-1521984052.jpg20180325-1521984099.jpg 辺りがすっかり暗くなった午後8時過ぎに再び、夜市に足を運んだ。原住民一條街とか各省一條街とか四つの街区に分かれて実に多くの店が並んでいる。屋台の裏手にテントがけのテーブル席が数多く用意されており、くつろいで食事ができるようになっていた。私の目当てはもちろん食べ物だが、家族連れで来た子供たちにはゲームが楽しみなようだ。ゲームは日本で言えば昭和30、40年代に流行ったかと思われるような素朴なものが多かった。
 私は肉を中心に目にとまったものを胃袋に収めた。豚肉か猪肉かよく分からないが、バーナーで丁寧にあぶったものが美味かった。竹筒に入った米も気に入った。海産物も豊富でエビやホタテを焼いてもらった。エビを食べている時は少しだけ焼酎を飲みたくなったが、ペットボトルのお茶で乾きを潤した。士林夜市でも思ったことだが、ここでは毎夜、このような人出で賑わうのだろうか。外国からの観光客だけでなく、国内各地からの訪問客も少なくないのだろう。しかし、台湾の人々は基本的にお祭りの雰囲気が好きなのではないか、また皆で外で食事するのが好きなのではないかと思えてならない。
20180325-1521984136.jpg 夜市の一画ではトランペットや管楽器による演奏会が催されていた。演奏しているのは懐かしい日本の演歌。さすがに日本語の歌詞まで「披露」されることはなかったが、地元の人々の耳にはどう聞こえているのか、気になって仕方がなかった。
 不思議に思って私とそう年の変わらないような男性に声をかけたら、この人は私と同じ日本人観光客だった。3回目の台湾訪問で、すっかり台湾が気に入り、今回は台湾全土をゆっくり一人で旅しているのだとか。「いいところですね。皆さん親切で快適に旅をしています」と彼は笑顔で語った。全く同感。
 「他に何か印象に残っていることありますか?」「そうですね。夜市のような場でも、酔っ払いの姿を見かけることがないですね」「ああ、確かに。言われてみれば、そうですね。どこか本で台湾はあまり飲酒の文化がない、と書いてあるのを読んだことがあります。それと関係あるかもしれませんね」
 旅先でも基本断酒の生活を続けている身には、酒がなくとも何の不便も感じない。それで彼に言われるまで、酔っ払いの姿を見かけることが皆無に近いことに全く気付かなかった。限られた経験だが、ここのテレビを見ていて、ビールのCMを目にしたことがなかったような気もする。日本では各社のビールCMがほとばしるように流れているのに。これも興味深いと言えば興味深い。

花蓮(ファリエン)に

20180324-1521900454.jpg 投宿していたホテルが週末は満室のため、土曜朝にチェックアウトを余儀なくされた。それでどうせならと、台北を抜け出してこれまで訪れたことのない土地に行くことにした。選んだのは東海岸の花蓮(ファリエン)。先月大きな地震に見舞われた地だ。到着した翌日に地元の女性二人と食事していて、花蓮の話題が出た時に、地震で観光客の客足が鈍っているようなことを聞いたので、それでは私もささやかな貢献をと思い立った次第だ。
 土曜日の早朝、台北駅から快速のような電車に乗った。台北から花蓮までは丁度3時間。出発後ほどなくして、私の左隣の空席に「ここ空いてますか?」と英語で声をかけてきた男性がいた。確か私の車両は指定席のはずで、「ええ、今のところ、誰も座ってはいませんよ」と答えると、彼は嬉しそうに腰を下ろした。
 これがきっかけとなり、終点の花蓮まで話に花を咲かせた。男性は会社勤めの59歳。高齢で健在の母堂は日本語を解するという。いい機会だったので、中国語に関し、これまで疑問に思っていたことをあれこれ尋ねた。例えば、私はこれまで「走」という字、これは中国語では「歩く」という意味だが、これを六画で書いてきていた。縦棒を突き抜けて書いていたのだ。中国語の辞書を見ると、どうも上が「土」で上下が分かれている。それで中国語では七画で書くのかと尋ねた。彼はそうですと答え、正しい書き順を示してくれた。その上で、若者の中には私のように縦棒を長くして、六画で書く者もいるとか。
 生まれも育ちも台北の彼はこの日は大学時代の友人と花蓮で落ち合う約束で来たとか。花蓮は海と山に囲まれ、空気もきれいですよと語った。メルアドを交換して別れた。この次は英語だけでなく、中国語で少しはやり取りしたいものだ。
20180324-1521900267.jpg さて、花蓮。ネットで予約した小さなホテルはチェックインまでだいぶ時間があり、出入り口が閉ざされていたので、散歩がてら海を目指して歩いた。途中、何台もの観光バスが停車しているのを見た。何気なくレストランらしき建物の窓辺を見ると、大勢の中高年の男女がランチを楽しんでいる様子。中に入って見ると、あまり見かけたことのないような大勢の食事風景。思わず、デジカメで撮影させてもらった。
20180324-1521900308.jpg 太平洋を望む海岸に到着。ベンチに座り、しばし黙考。日差しがあれば暑く感じるのだろうが、海から吹いてくる風が気持ちいい。近くではベトナム人らしき10人ほどの妙齢のご婦人たちがドレスアップして踊ったり、歌を歌ったりして羽目を外していた。どういうグループだろうかと質問を試みたが、会話がうまく回転せず、しつこく聞くのも失礼。いずれにしても、彼女たちはとてもハッピーに見えた。これも花蓮(台湾)ならではの光景か。
20180324-1521900343.jpg20180324-1521900390.jpg 帰途、「花蓮玫瑰石芸術館」という建物が目に入った。何だか気になったので、のぞいて見る。入場無料。花蓮が特産地のローズ・ストーン(rose stone)を展示してある。よく分からないが、日本語では「まいかい石」と呼ぶらしい。大理石のようなものだろうか。画家が墨絵でも描いたのでは思うような素晴らしい自然の造形にただただ驚く。
 そうこうするうちに午後3時となった。ホテルに引き返し、チェックイン。若い女の子が受け付けをしてくれた。親切な女性で喫茶店を尋ねると、お店まで一緒に歩いて案内してくれた。ホテルへの帰途、お祭りのような光景に遭遇した。

鲁肉飯(ルーロウファン)

20180323-1521812179.jpg 体調が回復した木曜日。台北市中心部から電車で15分程度で行ける板橋(バンチャオ)に足を向けた。『美味しい台湾』で推奨されていたからだ。降車したのは府中駅。そこの朝市で朝食を食べ、隣の板橋駅に向け、ぶらぶら歩いた。アリスではないが、私もそれで——現在我迷路了!——状態に陥ってしまった。困ったことに尿意(便意も)を催してしまった。途中、銀行の支店らしきビルがあったので中に入り、正面の受け付けらしきところに座っていたおじさんに、駄目もとでトイレを使わせてくれと頼んだ。トイレは中国語で「洗手间」。私の発音が悪かったのか、おじさんは???。それで手を洗うジェスチャーを交えると、「嗚呼、シーショウジエン!」と笑いながら、トイレを指し示してくれた。謝謝!
 トイレにはトイレットペーパーがなかった。だが、リュックの中に携帯用除菌アルコールタオルがあるから大丈夫。数分後、そのアルコールタオルを取り出して使用上の注意を読むと、水洗トイレには流すなと書いてある。しまった!トイレを詰まらせてしまってはせっかくの親切を仇で返すことになる。リュックの中を漁る。最奥部にティッシュが数枚あった。いつか花粉症の鼻詰まり用にと入れていたものだ。どこで何が役に立つか分からない。
20180323-1521812220.jpg 金曜日は三重(サンチョン)を訪れた。ここも『美味しい台湾』でお勧めの場所で同じく台北中心部から地下鉄で15分程度の近さ。ここには著者が「鲁肉飯」のマイベスト第1位に挙げているお店「今大鲁肉飯」がある。鲁肉飯とは「豚肉の醤油煮込みかけご飯」。地下鉄の台北橋駅で下車してとぼとぼと歩く。私はこういう旅ではとにかく勘を頼りに歩く。上記のごとく道に迷うことがしばしばではあるが。お店は廟の南聖宮(ナンシェンゴン)の斜め向かいにあると記してあるので、道行く人や商店で働く人たちに南聖宮の所在地を何度も尋ねたが、埒が明かない。
20180323-1521812261.jpg 最後に飛び込んだお店では「ああ、あそこね。遠いよ。歩くのは無理!」みたいなことを言われた。お店を出てタクシーでもつかまえるかと思って横断歩道の前に立ち、前方を見やると、何と南聖宮はこの方角へという小さな案内標示板がある。あれ?これは案外近いのでは?と思い、歩いていると、南聖宮が見えてきた。目指すお店もすぐそばに当然あった。
20180323-1521812293.jpg 午前11時頃だったが、すでにお客が並んでいる。鍋の前ではおばちゃんやお姉さんたちが忙しく立ち働いている。この辺りまで足を伸ばす日本人観光客が多いかどうかは分からないが、中心人物らしきおばちゃんは私の顔を見ると、「スープはシイタケとニガウリの二つ。どちらにする?」と日本語で声をかけてきた。迷った末にシイタケを選び、煮魚の副菜も注文。この三つで何と100元(約376円)。テーブルに座って待つこと数分。すぐに注文した品々が出てきた。確かに美味かった。鲁肉飯が盛られたのは小さなお茶碗なので、もう少し食べたい。それで食べ終えた後にもう一杯(25元)注文した。
 私の前に座っていたおじさんのお盆には鲁肉飯が最初からお茶碗で2杯。私が追加を頼むと、「やっぱり、そうでしょ」という風にニコッと笑った。
 台北はこの二、三日曇り空で、肌寒く感じることもあったが、金曜日は気持ちよく晴れ上がった。昨秋は毎日洗濯に精を出さざるを得なかったが、今回の旅では金曜朝、コインランドリーで下着やシャツを初めて洗濯。週明けに帰国するまでこれで十分だ。この季節を選んで良かった!

「愛麗絲夢遊仙境」

 前回の項を書き終えた昨夜、お腹の調子がおかしくなった。私は胃袋だけは丈夫で腹痛の経験は皆無に近い。それで何だろうかといぶかりながらベッドに横になった。下痢とむかつく感覚。二日酔いの吐き気ならのどに手を突っ込んで胃袋を洗浄するのだが、そこまでは酷くない。ただむかむかとした不快感が続く。
 日付が変わっても眠れない。困ったなあと思いながら、寝つこうと試みるが、眠気はやってこない。食あたりであることはほぼ間違いないようだ。原因? 前夜は士林夜市に出かけ、色々な物を食したが、思い当る節はない。帰途に喉が渇いたので屋台のレモネードも飲んだ。ホテルに戻ってパソコンに向かっていて冷たい物が欲しくなり、外でフルーツのアイスクリームみたいな物も買い求めた。あれが良くなかったのだろうか?
 早朝、むかむかした気分が残ったままベッドから身を起こした。近年よく見る奇妙な夢を見た記憶があるから、一睡もできなかったわけではないようだ。それでも体調万全とは言えないことは明白。第一、普段は旺盛な食欲がない。朝ご飯は抜きにしよう。幸い、前日、地下街の書店で面白そうな本を買っている。あれでもベッドに寝そべったまま読むことにしよう。時間がもったいないが、致し方ない。重症ではなさそうだから、明日には回復するだろう。
20180321-1521638930.jpg 手にした本は “Alice’s Adventures in Wonderland” の中国語翻訳本。台湾で出版されている本だから漢字は簡体字ではなく、一見難解な繁体字。本当を言えば、声調を含めた拼音(ピンイン)が付記してある読み物が欲しかったのだが、どうもそれは叶わぬ希望なようだ。ルイス・キャロル著の19世紀英国のこの小説は大学の授業でも活用したことがあり、中国語勉強の手助けになるのではと考えた。『不思議の国のアリス』として日本でも今なお根強い人気を誇る小説の翻訳タイトルは「愛麗絲夢遊仙境」となっていた。アリスが愛麗絲。
 「愛麗絲夢遊仙境」の英文の方は原文にかなり手が入り、短くなっていた。中国語では「改編」と呼ぶらしい。左側に改編された英文、右側に中国語訳が載っていた。左側の英文を見ずに、右側の中国語訳を読んでみる。粗筋はほぼ頭に残っているので、難解な漢字の部分もだいたい類推できる。その後に英文に目を移し、類推した訳が当たっているか確認する。これが結構面白かった。あれ、僕も中国語が分かるのかな?と思ってしまう。もちろん、「局地的」に分かるのであって、真の理解からは程遠い。
 前から思っていたことだが、繁体字の中国語では句読点がマス目の中心部に堂々と置かれる。簡体字の中国語は日本語と同様、左端につましく置かれる。何人かこちらの人たちに句読点がスペースを取り過ぎているのではありませんか?と尋ねてみた。いや、そうは思いません。私たちのやり方は理にかなっていますよ。慣れたら何でもありませんとの由。
20180321-1521638979.jpg 例えば次のような文章。————現在她迷路了!愛麗絲看看四周。(Now she was lost! Alice looked around.)(アリスはどこにいるのか分からなくなった。辺りを見回した)。私のパソコンでは句読点の「。」を真ん中に置くことができないが、「。」が堂々と真ん中にあるのは不思議でならない!
 しばしの読書後、ホテルのすぐそばにあるサウナをのぞいた。じっくり脂汗を流したら、だいぶ気分は回復した感じだ。さあ、明日は改めて散策しよう!

士林夜市

20180321-1521590619.jpg 火曜朝。ホテルから散歩がてら雙連の朝市へ。この朝も食堂「世紀豆漿大王」で朝ご飯。前日は冷たくて甘い豆漿(豆乳)と小籠包だったが、豆漿は今度は温かくて少し塩っぱい咸(シエン)豆漿に変えてみた。咸豆漿には野菜が入っていて味も良かった。日本だと白米に味噌汁、納豆、(らっきょう酢の)漬物を理想としたいが、咸豆漿も悪くない。台北にいる間は病みつきになりそう。
20180321-1521590656.jpg お昼はホテルの近くの牛肉麺店で。180元(約680円)。うどんのような麺で私はこれが気に入った。抜群に美味いという味ではないが、毎日食っても飽きないようなあっさりした味わいだ。30元(約113円)出せば、小皿の一品が食べられるようで、これもそのうちに挑戦したい。
 台北にはもう一冊のガイドブックを持参していた。書肆侃侃房が出している『子連れ台北』(佐々木千絵著)。イラストレーターの著者が写真やイラストをたっぷり駆使して台北及び台湾各地の旅の醍醐味を紹介している。
20180321-1521590697.jpg この本の中で「夜市と言えばココ! 台北最大の士林夜市(スーリンイエスー)! 歩くだけでも楽しい」と記されている。士林夜市のことは耳にしていたが、前回の旅では機会がなかった。それで今回は満を持してホテルの近くの中山(ジョンシャン)駅からMRTと呼ばれる地下鉄の淡水線(ダンシュイシエン)に乗り込んだ。切符を買う面倒くささもない。前回の旅で悠遊卡(ヨウヨウカー)(EasyCard)と呼ばれるカードを購入していて、これがまだたっぷり残金があり、札や硬貨を探す煩わしさから解放された。
 『子連れ台北』では降車駅は夜市の名称となっている士林駅ではなく、一駅前の劍潭(ジァンタン)駅と書かれている。この情報がなければ、一駅余計に乗っていたところだった。
 生憎この日は小雨模様で、夜市が始まる午後5時過ぎに劍潭駅から外に出た時にも冷たい小雨が降っていた。これでは行楽客も出足をくじかれるだろうなあと思っていたら、あにはからんや、結構な人出。傘を差しているので、すれ違う人たちと傘がぶつからないように気を配りながら歩く。賑わいが深夜まで続くのだとか。毎夜、お祭りの屋台が出ているようなものだ。ちょっと信じ難い!
 中ほどに進むにつれ、強烈な臭気が漂ってきた。有名な臭豆腐だ。私は前日に油で揚げた臭豆腐を食していたが、臭いはそれほど気にならなかった。夜市では煮た臭豆腐が売られていた。海外からの観光客の中には鼻をつまんで店の前を通って行く人たちもいた。私もさすがにこの夜は遠慮した。
20180321-1521590729.jpg 『子連れ台北』では「大腸包小腸」という食べ物が紹介されていた。もち米がソーセージの中に入っている感じだ。屋台の前にすでに列ができていて、だいぶ長いこと待たされたが、待った甲斐があるだけの美味さだった。値段は55元(約207円)。これを食しただけで来て良かったと思った。
 何だか、台北に来て食べ物のことしか書いていないようだが、実際、その通りだ。まあ、今の私の力ではとても会話ができる代物ではない。それでもいろいろ、気づきはある。今回の滞在中にここで記すことができればいいのだが・・・と願っている。

再び台北

20180320-1521499794.jpg 昨秋に続き、2度目の台北。福岡を発つ直前にネットで台北の天気予報を確認していた。すでに20度を超す温度で暑そうな印象があった。到着翌日の月曜。街を歩いているとうっすらと汗が出てきた。日本なら5月のゴールデンウィーク明けのような感覚か。これならジャケットは不要。半袖シャツで十分。それでも昨秋の蒸し暑さに比べれば、我慢はできる。9月になってもあの蒸し暑さは信じ難かった。
 今回台北の旅に数冊のガイドブックを携帯した。一冊は偶然書店で目にした『美味しい台湾 食べ歩きの達人』(光瀬憲子著 光文社)。台湾を知り尽くした著者によるガイドブックで、これを読んでいると台湾にすぐにでも飛びたくなるような本だった。前回の旅であまり美味しいものを食ったのかどうなのか、残念ながら記憶に残っていないので、今回はこのガイドブックに載っているレストランの紹介を大いに参考にしながら歩き回ろうと思っている。
20180320-1521499703.jpg 月曜の朝はまず台北市中心部の雙連(シュアンリエン)の朝市散歩に出かけた。目指したのは『美味しい台湾』の冒頭で紹介されていた食堂「世紀豆漿大王」。台湾の典型的な朝ご飯屋さんと記されている。ここでは店名にもなっている豆漿(ドウジャン)(豆乳)と小籠包がお薦めだとか。私も早速この二つを注文した、といえば簡単そうだが、店内は早朝から結構混んでおり、注文の仕方もよく分からず、うろうろしながらメニューを見て紙切れに番号を書き入れた。私のようにうろうろしている客が何組もいて、言葉を聞いていると想像通り、日本人観光客だった。
20180320-1521499748.jpg 小籠包もまずまず、豆漿もまずまず。よく覚えていないが、100元(約376円)札でお釣りがきたからかなり安い朝食だったはずだ。
 今回の宿も前回の旅で投宿した飯店(ホテル)。台北の中心部に位置していながら、日本円で一泊約4,900円だから有難い。ホテルから上記の雙連駅は歩いて行ける距離だった。朝食後、駅のそばに連なる朝市を歩いたが、食べ物の屋台の他、生鮮食料、衣料品や生活雑貨のお店が狭い通りの両側にびっしり軒を連ね、活気を呈していた。近くの広場ではおじさんやおばさんたちが地面に雑貨を並べて「商売」に励んでいた。庶民は逞しいと言うべきか。
 歩き回っているとお腹も空く。お昼過ぎに自助(セルフサービス)と銘打ったレストランをのぞいた。見ていると、昼飯休憩の勤め人らしき人々もいて賑わっている。ここでもうろうろしながら簡易な容器にご飯とおかずを適当に入れて金を払い、席についた。そうしたら、前のテーブルに座っていた中年のおばちゃんがわざわざ私のところにやって来て、「あそこにスープがあります。おいしいですよ。底の方にはトウモロコシがありますから、よく掬ってください」と日本語で告げる。私の所作から日本人観光客と見て取り、親切に助言してくれたようだ。まさに台北ならではのおもてなしだ。謝謝(シェシェ)!
 前回の旅で「常連客」となっていたカフェにも早速足を運んだ。お店の女の子は私の顔を見ると、「アッ!」と言って破顔一笑。私のことをしっかり覚えてくれていた。ささいなことだが、嬉しい。それで彼女たちに渡すつもりで福岡空港で買っていたお土産のお菓子を渡す。「お店の皆で食べてね」と。凄く喜ばれた。残念ながら、私の中国語のレベルでは彼女たちとうまく会話することまではできないが、それでもこちらの気持ちは伝わっただろう。
 さあ、これから一週間余。中国語の学習にどんな收获(ショウフオ)(収穫)が待っているだろうか。

謝恩会

20180317-1521256471.jpg 昨年に続き、大学の謝恩会に呼ばれた。非常勤講師でもあり、卒業の学生たちとはこの丸一年、授業がなかったので、まさか声がかかるとは思ってもいなかった。それで喜んで出かけた。久しぶりに再会した彼女たちはおめかしもあり、皆とても素敵に見えた。私が教えていた学科は彼女たちが最後の卒業生。謝恩会に呼ばれるのもこれが最後だろう。それだけに枯れ木も山の賑わいとはいえ、彼女たちの門出の祝福に加わることができて良かった。
 今年も花束をもらって帰宅。嬉しいことは嬉しいが、問題が一つ。昨年は香しい花を花瓶に活けて三か月以上も楽しませてもらった。最後には枯れた葉を一つ二つポプリの籠に入れて今も大切な思い出にしている。
 問題は私は明日(日曜)から台北に旅する予定であること。9日間は留守にする。その間、花の世話をすることができない。毎朝水をやることができない。数日で枯れてしまうのではないか。可哀そうだが、一人暮らしではどうすることもできない。それが残念でならない。花束をもらった時にこのことに気づいていれば、学生の誰かにあげたのだが、そこまで思い至らなかった。困った・・・。
                 ◇
 悪循環。英語ではvicious circle と呼ぶと記憶していた。というかいつも悪循環という語を英訳する時に、あれ、vicious cycle だったかな、vicious circle だったかなと、いつも悩まされている。それで悩んだ末に(電子)辞書をひくと、vicious circle と載っているので、あ、やっぱりこっちだったかと思っていた。この「煩悶」を何度繰り返してきたことか!
 数日前、英字紙ジャパン・ニュースを読んでいてvicious cycleという語に出くわした。読売新聞の読者投稿の「人生案内」の翻訳記事だ。日本文では「悪循環」となっていたが、英文ではvicious cycleと訳されていた。誤訳?という思いが頭の中を走った。しかし、このような基本的なミスはちょっと考えられない。それでネットでチェックしてみた。vicious cycleという訳例もあり得るのかと。そうしたらあった。どうもどらちの表現も可能なようだ。この記事を読み進めると、vicious circle という表現も後から出てきた。日本語の語感からはvicious cycle に「軍配」をあげたくなる人も多いだろう。
                 ◇
 謝恩会で嬉しかったのは同じテーブルに座った学生の一人が、私の英語の授業で印象に残っていることを話してくれたこと。私が力を入れて説明し、定期試験の問題にもした課題が「面白いと思いました」と語ってくれた。私自身、工夫したところで、こちらの熱意が通じてくれたことが分かって嬉しく思った。それはオー・ヘンリーの短編の結末部を自由に書き加えるという課題だった。英語力・日本語力に想像力が試される課題と自負していた。
 先生、今は何をなさっているのですか?と尋ねられたので、中国語と韓国語の独学に四苦八苦しながらも勤しんでいるよと答えた。中国語の辞書を繰っていて最近、いいなと思ったのが次の表現。「自作自受」。音声にすると、「ズーズォズーショウ」で意味するところは想像し難いが、「自業自得」という意味だ。漢字を凝視していると、何となくその意味合いが伝わってくるような・・・。

嬉しや らっきょう酢

20180311-1520777618.jpg らっきょう酢がスーパーの棚から消えて以来、穀物酢やなます酢など他の酢を買い求めて試していたが、らっきょう酢の風味とは比較にならなかった。少なくとも私にはそう思えた。それでしばらく野菜の酢漬け(ピクルス)から遠ざかっていたが、先日、いつもは足を向けないスーパーにらっきょう酢が置いてあることを知った。
 早速買い求めて、ニンジンやダイコン、ゴボウ、小松菜など手あたり次第にタッパーや瓶に詰めて一晩冷蔵庫で寝かせて食した。これからは当分、種々の野菜のピクルスが楽しめる。野菜を食っている限り、大病はしないかなと願う。“You are what you eat.” だ。
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 超ビッグな国際ニュースが飛び込んできた。北朝鮮の金正恩氏が米国のトランプ大統領に首脳会談を持ち掛け、トランプ大統領が快諾、この5月にも初の米北朝鮮首脳会談が実現する運びになったというのだ。金正恩氏は首脳会談実現のために核実験やミサイル発射実験を停止するとともに、北朝鮮の非核化の意向をも表明したとか。エイプリルフール?
 急展開を告げている朝鮮半島情勢が真の緊張緩和・和平につながれば幸いだが、外電で読んだ米国の専門家の次の意見に首肯せざるを得ない。“I would be very, very surprised if North Korea actually gives up the nukes and missiles it has.” この専門家はそのためには米政府は難しい交渉の荒波を乗り切る手腕と日韓など関係国との緊密な連携が必要であるが、トランプ政権は中枢の幹部の辞任が相次いでおり、とても屋台骨が盤石とは言い難いとして、次のように憂えている。“Unfortunately, this administration has shown zero capacity in any of those areas and the gutting of the State Department and the turmoil in the White House does not bode well for our capacity in any of these areas going forward.”
 日本の外務省に当たる国務省(State Department)から有能な職員が次々に辞めている現実が、魚の内臓を取り除くかのようにguttingと表現されている。
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 最近はソファーに寝転んでときを過ごすことが増えた。手にするのは「中日・日中」のコンパクトな辞書。まさか自分がこのように中国語の辞書に親しむ日々がやって来るとは夢想だにしなかった。韓国語も類似の辞書を持っているが、寝転んで手にした記憶はない。
 パソコンに中日辞典を入れており、これまではそれで十分用が足りた。自分の実力ではまだ紙の辞書は必要ないと考えていたが、書店で辞書を立ち読みしていて、これからは役に立つのではないかという気がした。それで購入したのだが、買って良かった。暇に任せて拾い読みするだけで十分面白い。
 例えば、「起死回生」という表現。上記の辞書に「死者をも蘇らせる」と載っている。我々が使っている「起死回生」と同じ意味合いだ。中国で使われていた表現を日本人はそのまま利用しているのだろう。辞書には「一般に医者の腕をほめる際に使う」という注釈も付記されている。我々がテレビで野球の試合を見ていてよく口にする「あのホームランは起死回生の一発だった」という使い方が中国語でもできるかどうかは私には分からないが、この表現が本家本元の中国語にあることを知っただけで十分ハッピーな気分になった。

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