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ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)②

  • 2012-09-20 (Thu) 05:53
  • 総合

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 “A Painful Case” では次のような文章が出てきて、はっとさせられた。これは30代後半の謹厳実直な勤め人がたまたま年齢の近い人妻と知り合いになり、人妻は男にほのかな恋心を抱く(ようになる)お話だ。だが、この男は “every bond is a bond to sorrow”(すべての関係は悲哀に終わる)という考えの面白みに欠ける性格であり、「その気」はない。二人の関係は何の進展も見せず、男の申し出で突然終止符を打つ。男は自宅で次のようなメモ書きをする。
 Love between man and man is impossible because there must not be sexual intercourse and friendship between man and woman is impossible because there must be sexual intercourse.(男と男の愛情は不可能である。なぜなら、二人の間には性行為があり得ないからだ。男と女の友情も不可能である。二人の間には性行為がなければならないからだ)
 突然の「別れ」から4年の歳月が流れる。男は従前と変わりない「無機質」な生活を続けている。ある日、新聞で鉄道事故死の記事を見て愕然とする。あの人妻が事故死していたからだ。「この2年ほど妻はどうも落ち着きがなかった」という旦那の証言や「最近はお酒の度が過ぎるようになっていた」という娘の証言も掲載されていた。男は自分が歩んできた人生の空しさ、寂寥感に初めて思い至る。私も似たようなものだ。
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 “Eveline” でもそうだったが、少々気が滅入ったのは、この作品の小編はこのような登場人物の無力感に満ちているからだ。英語だと paralysis とでも表現するのだろうか。
 “Dubliners” の中で一番引き合いに出されるのは最後の “The Dead” のようだ(注1)。
 伯母の自宅で催されたクリスマスのダンスパーティーに出かけた大学で文学を教えるガブリエルはそこで歌われたアイルランド民謡に妻のグレタがひどく反応するのに気づく。その理由を問いただすと、妻はゴールウェイで育った少女時代、その歌は仲の良かった男の子がよく口ずさんでいた歌だったと告白する。嫉妬に駆られたガブリエルが二人の仲を邪推すると、グレタはいいえ、彼は病気をこじらせて死んでしまったわ。まだ17歳の若さだったのよ。私がゴールウェイを去り、ダブリンに発つ前日に、雨の中、弱った体を引きずるように私に会うために家の前まで来たの。そんなことができる体ではなかったのに。私が殺したようなものよ、と語る。初めて聞く妻の、いや少年の「純愛」にガブリエルは言葉を失う・・・。
 当時の悲しさを思い出し、泣き崩れたグレタが横たわるベッドの上で、ガブリエルはかつて感じたことがないほど、グレタのことを愛おしく思う。女性に対してそのように感じたことはそれまでなかった。「これこそ愛というものに違いない」と彼は思う。それと同時に、ガブリエルには生きとし生ける者がやがて黄泉の国に旅立つ宿命であることにも思いを馳せる。小編のタイトルでもある“The Dead” と現実の世界との境界線がなくなった混沌とした意識の中で、ガブリエルはグレタに思いを寄せた少年がそぼ降る雨の中、木の下に立っている光景も一瞬垣間見たような気がする。そうしたことが淡々とした力強い筆致で綴られている(注2)。
 (写真は上が、ダブリン市内にある作家の記念館のようなジョイス・センター。下は展示ルームの一つで、作家が困窮の中で代表作 “Ulysses” を執筆したパリの寝室?が再現されていた)

 注1)英国の小説界を代表する現役の作家、イアン・マキューアン氏(1948年~)は2012年8月25日付のアイリッシュ・タイムズ(The Irish Times)のインタビュー記事の中で、80頁程度、2万から4万語で書かれるノベラ(novella)と呼ばれる「中編小説」が好みであり、その「中編小説」の傑作としてジョイスの” “Dubliners” の中の “The Dead” に言及して、つい最近も再読(通算7回目か8回目)したばかりであり、「私の評価では最も完璧な作品」と激賞していた。“I just re-read, for about the seventh or eighth time, Joyce’s The Dead, which is probably the perfect fiction in my estimation. Well-observed, emotionally raw, tinged with the political. A 200-page, or 400-page, or 1000-page novel couldn’t be perfect in the way that story is perfect.”

 注2) 次のような一節だ。
 Generous tears filled Gabriel’s eyes. He had never felt like that himself towards any woman but he knew that such a feeling must be love. The tears gathered more thickly in his eyes and in the partial darkness he imagined he saw the form of a young man standing under a dripping tree. Other forms were near. His soul had approached that region where dwell the vast hosts of the dead. He was conscious of, but could not apprehend, their wayward and flickering existence. His own identity was fading out into a grey impalpable world: the solid world itself which these dead had one time reared and lived in was dissolving and dwindling.

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