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ジェイン・オースティン(Jane Austen)③

  • 2012-09-14 (Fri) 04:36
  • 総合

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 オースティンは1775年にイングランド南部のハンプシャー州の生まれ。父親は牧師。時代も地域も異なるが、エミリー・ブロンテのことを想起してしまう。ブロンテよりは長く生きたものの、オースティンも41歳の若さで病没している。ブロンテは不治の病だった結核だったが、オースティンの死因ははっきりとは分かっていない。兄弟6人の他に、姉が一人いて、この2歳上の姉のカサンドラととても仲が良かった。“Pride and Prejudice” のジェインとエリザベスのような関係だったようだ。
 父親が退職し、やがて死去したことから、オースティンは1809年に母親やカサンドラ、親しい女性の友人の四人で故郷に近いチョートンのコテッジに転居。裕福な家に養子に出た兄の一人の尽力があった。このコテッジで1809年から死去する直前の1817年まで暮らしている。この家で暮らした幸福な8年間は彼女にとって作家としても実りある期間だった。この家でオースティンは既に草稿を書いていた“Pride and Prejudice” “Sense and Sensibility” を仕上げた。
 記念館となっているコテッジを訪れた。展示品の中で最も印象に残っているのは、オースティンが死去する3か月ほど前にしたためたという遺言(注1)だ。実にきれいな筆記体で、私もそう苦労することなく読むことができた。作家の穏やかな(そうとしか思われない)人柄が伝わってくるような文字だ。
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 記念館に勤務するアナリー・タレントさんによると、1949年に創設された記念館には年間4万人もの訪問者があるという。アナリーさんはここを訪れる児童・生徒への教育活動を業務としている。「年長の子供たちはオースティンが描く世界を興味深くとらえています。特に女生徒たちにとっては女性の自由が束縛されていた当時の状況に共鳴できる部分があるようです。作品の登場人物にしても、例えば、『高慢と偏見』で登場する、エリザベスたちにとっては恥ずかしい言動にでるベネット夫人など、自分たちや友人たちの母親を思い浮かべる生徒も少なくないようです。『いるいる、こんな母親!』と」
 アナリーさんから記念館を訪れる生徒に配布される作家理解の資料を頂いた。オースティンが生きたイングランドの時代背景や、仕事に就く機会のなかった女性にとって結婚という手段以外に幸福の場をつかむことが不可能だった社会状況などが説明してある。オースティンが属したのはいわゆる gentility と呼ばれる階層。私の電子英和辞書には「上流階級の身分」とある。頂いた資料では gentilityは「中流・上流階級」と定義してあり、さらに次のような主旨のことが記してある。「イングランドの大多数の人々は当時衣食住を満たすのに苦労していて、オースティンの六つの作品ではそうした苦労がしのばれる記述は多くはありません」(注2)。オースティン一家は裕福とは言えなかったものの、多くの同時代の人々に比べれば、恵まれた人生を歩むことができたのだ。
 (写真は上が、オースティンの記念館で来訪者に説明に当たる地元住民のボランティアの女性2人。作家の作品を読み込んでおり、作家への敬愛の念がうかがえた。下が、展示してある、オースティンがしたためた遺言)

 注1)次のような文面の遺言だ。1817年の4月27日の日付。オースティンは病状が悪化したため、病院が近いウィンチェスターに移され、7月18日に死亡している。

 I Jane Austen of the Parish of Chawton do by this my last Will & Testament give and bequeath to my dearest Sister Cafsandra Eliz.th, every thing of which I may die pofsefsed, or which may be hereafter due to me, subject to the payment of my Funeral Expenses, & to a Legacy of £50. to my Brother Henry, & £50. to M.de Bigeon—which I request may be paid as soon as convenient. And I appoint my said dear Sister the Executix of this my last Will & Testament. Jane Austen April 27 1817

 日本の寺社に残されている古文書の中にも達筆な文字で延々と書き連ねられた漢文を見たことがあるが、現代そして未来に生きる人々はどのような言語であれ、このような美しい文字を普段の生活で書き残すことは段々と難しくなるのではなかろうかと関係のないことまで思うに至った。我々はその分古人が夢想だにできなかったものを日々享受できているにしてもだ。 

 注2)次のような文章だ。
 Jane Austen wrote about the sector of society of which she had personal experience, that is the gentility. In roughly modern terms, this means the middle and upper classes. The majority of England’s population at the time were struggling to house, feed and cloth themselves. We rarely witness this level of existence in the six novels although we occasionally encounter servants interacting with their employers (Sense and Sensibility) and families in economic hardship (The Prices in Mansfield Park).

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