究極の腹痛
去年のこの日。妊娠27週。10月になって里帰り出産のため仕事を辞めて実家に帰り、妊婦ライフを満喫しようと思っていた。それがあんなことになるとは…。おそらくあの時より痛い思いをすることは一生ないだろう。数々のすばらしい痛み止めが開発されているこの現代に。
昨日が誕生日だったぽちは、母と姉にランチに連れて行ってもらった。キハチのランチは美味しくて、まだオナカの中にいたシナモンくんも大満足。さて、そろそろ料理も終盤という頃に異変は起きた。
それまでも時々腹痛を起こしていたが、また痛くなってきたのだ。ちょっとごめんね、とお手洗いに向かう。大概まもなく治るのだ。しかし、しばらくして少しは治まったものの、きれいさっぱりへいっちゃら、という訳にはいかなかった。仕方ないなぁと席に戻る。美味しそうなデザートである。大丈夫、といいながら口に運び始めたが、とうとう最後までは平らげられなかった。くいしんぼの私にあるまじきことである。
帰りの車の中ですでに座っていられなくなっていた。病院に向かう。診てもらっているのは訳あって少し離れた東海大学病院。救急車ではそこまで運んでくれないかもと母の運転で向かった。後で考えればかなりトンチンカンな心配である。そんなヒマがあったら別の心配をするべきである。しかしこれは妊婦たらいまわしの事件が起きる数ヶ月前のことだ。
今にして思えば、なんとも今時の話だが、当然のように満床の産科病棟。最初に連れて行かれたのは陣痛室のベッドだった。その頃には痛みがかなり激しくなっていて、声がつい出てしまう。…でも、痛いの意味が違うって。ぽちは陣痛でもないのに陣痛室のベッドでうめく羽目になった。
お泊りが決定し、以前にお世話になったことのある女医のM塚先生が手を握ってくれた。このとき既に陣痛を起こしているわけではないと分かっていたのかどうかは分からないが、ただの腹痛女にとってもこれはとてもほっとすることであった。痛みと安堵がまぜこぜになって涙が出た。CTだかMRIだかを撮る。痛みのせいで、どっちだったかも記憶があいまいだ。甚だ情けない話である。
私は腸閉塞であった。腸閉塞になどなるものではない。ましてや妊娠中に。十分に痛み止めをしてもらえるはずもなく、レントゲンも長時間撮れないのでイレウス管が使えない。
妊婦であるにもかかわらず、何とかならないなら殺してくださいと思ったのをはっきりと覚えている。ごめんよ、シナモン。人間、痛みが極限まで達すると本気でそう願うものなのだと初めて実感した。
でも、そのとき私はあまりにも無知だった。シナモンは助けてもらえると信じていた。かなり週数が浅くても生存できるというのは読んだことがあった。でも、生存できることもある、なのだということは知らなかったのだ。
そして、それからしばらくは絶飲食でシナモンの入れ物に徹することになった。彼がくいしんぼなのはその時の胎教のせいかもしれない。そう、食べることは非常に大切なのである。
2007-10-18 23:48 by pochi
コメント
2007-10-20 01:28
スエキチ:
2007-10-21 23:27
ぽち:
もちろんおぼえてますよー。
スエキチちゃんに続け~と思っていたのに、ずいぶん時間がかかってしまった。
でも、ついにわたしもここまで来ましたよー♪
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