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クリスティー『第三の女』論(前編)

(アガサ・クリスティーの『第三の女』の真相部分に言及しますので、ご注意ください)
 一人の若い女性(ノーマ・レスタリック)が突然ポアロのところに依頼にきます。自分が人を殺してしまったかもしれないというのです。しかし、ポアロを一目見た彼女は「年をとりすぎている」という言葉を残して去ってしまいました。
 今回ポアロが苦労するのは、「起こったかもしれない」事柄を相手にしなければならなかった点です。ミステリーの中では、探偵は「すでに起こってしまった」出来事を対象にして捜査や推理をします(ときどき、起こる可能性がある事件に対処することはありますが・・・)。どんな名探偵も実際に何が起こっているのかわからないような事象を前にしては、霧に包まれてしまったような立場に立たされるということです。事件になっているのかもわからないようなこの事件に対して、ポアロが用いた論法は次のようなものでした。「我は何を知るや? 我は何を望み得るや? 我は何をなすべきや?」。実に単純きわまりない問いかけですが、実際にはこんなところから思考をスタートさせるしか手はなかったでしょう。ただ、しばしば人はこのような単純な整理さえせずに、漠然と物事を考えてしまっています。「自分が知っていること(知らないこと)は何か?」そして「自分が本当に知りたいと思っていることは何か?」ということさえ突きつめずに闇雲に思考を進めている場合があるものです。またポアロは別の箇所で、自分は多くのことを知りすぎているとも述懐していました。ジグソー・パズルを完成させるように事件の実態を頭の中で組み立てていく際、どんな些細な要素(例えばメアリ・レスタリックの鬘)もピースになりうるものとして見逃さず、当てはまらないピース(例えばソニアとロデリック卿との関係)を見極める。今回ポアロが用いている思考法は、このようなものです。
 もうひとつ物語の中でポアロが用いている手法があります。それは「知らないふり・わからないふり」をするということです。実はポアロはノーマ・レスタリックをスティリングフリート医師にかくまってもらっていたわけですが、そのことをアリアドニ・オリヴァ夫人にも父アンドリュウ・レスタリックにも、さらにいうなら読者にも伏せていました。総ては霧の中にあるようだといっても、ポアロには漠然と見抜けていたこと(例えばノーマに危険が迫っていること)はあったはずです。ただ彼は仮説の段階で確証のないことは口にしないという慣習があるので、読者もだまされたかのような印象を受けてしまいます。例えば、アンドリュウにノーマの保護を申し出たとき、すでにポアロはノーマを保護していました。娘が心配だと口にしながらもアンドリュウが娘の失踪を警察に届けようとしないこと、娘がメアリを殺したがっているとほのめかしていることなどから、逆にアンドリュウが怪しいことは推察できそうです。かなり早い時点で今回のポアロは多くのことを見抜いていたのではないでしょうか(この「知っているのに知らないふり」はレイモンド・チャンドラーが生んだ探偵フィリップ・マーロウがよくすることです)。

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